おかえりをあなたの声できく 夢も見ずに眠っていたら、肩を揺すられて起こされた。
泥のように重い身体を引きずって電車を降り、久しぶりの家路を歩いているとミヤが後ろをついてきて、何だよと訊くと「だって先輩フラフラで心配なんだもん」と笑われる。お前だって新幹線の中で寝ていたじゃないかと思ったけれど、口を開くのも億劫なので好きについて来させることにした。
ミヤと違って健全な高校球児なので大会中は毎日決められた時間に寝ていたし試合の疲労を翌日に持ち越すなんて有り得ないけれど、決勝戦を終えた昨日は気がつけば他の県の奴らも集まって夜通し騒ぎとおしてしまって、帰りの新幹線は何だか死屍累々という感じだった。のぞみで三時間、寝続けたのに今もまだ眠い。
体感的にはいつもの三倍くらい時間をかけて漸く家まで辿りつくと、あたたかい灯りが点っているということもない、いつもどおりの無人の我が家だった。一人息子が甲子園へ行こうと息子の所属チームが試合を制しようと、彼らの仕事が減るわけではないので当たり前の平日の我が家だ。
「明日、ミーティング何時からって言ってたっけ」
「九時にウチの学校集合」
「あんま遅くまで寝れない気だな」
鍵を回して玄関を開け、振り返るとミヤがもの言いたい気な顔をして俺を見る。
「なんだよ? うち寄ってく?」
いちおうは送ってもらったということみたいなので聞いてみると、ミヤは少し眠そうな眼をして首を傾げる。何だか子供みたいだ。
「いいんすか? つか泊まりたいかも」
「え、親ふつうに帰ってくる気なんだけど」
「別に何もしませんよー何想像してるんスか録先輩のえっちー」
へらへらと笑った顔が心底むかついたので脛を割と本気で蹴ってみたけれど、白春に蹴られ慣れてるミヤは表情ひとつ変えないで何がしたいのか俺の頭を撫でてくる。
ご近所さんの手前玄関先でいつまでもそんなことをさせているわけにはいかないので玄関の中に入れてやってドアを閉めると、してやったりという顔をする。そのまま寄りかかるように抱きつかれて、ミヤの体重を支えてやるほどの体力は残っていないので倒れるように玄関先に腰を下ろした。
「お前な……」
「眠いし、録先輩んちのほうが学校近いし」
「泊まるのはわかった気だから、とりあえずどけ」
促すようにつま先を軽く蹴りながらそう言うとミヤは「待て」を解かれた犬のような素早さで立ち上がって靴を脱ぎ始める。「床で寝ろよ」と言っても聞こえない振りをされたから、きっと今日はベッドを広くは使えない。
人の家なのに勝手にスリッパを履いて歩きだすミヤを追って、久しぶりに家のフローリングを素足で踏む。
「ただいま」
誰もいない家だけれど習慣で呟くと振り返ったミヤが「おかえりなさい」とこたえた。
「お前んちじゃ無さ気なんだけど」
「うん。でも何か、帰ってきたなって」
ずっと、ささくれ立った眼をしていた筈のミヤが、知らない子供のようなあどけない顔をして言う。
「あーでも帰ってきたなら俺も、ただいま、ですかね」
「だからお前んちじゃないってば」
こんな顔をするミヤを俺は知らなくて、何だかくすぐったくいような気がしてミヤの脚に本日三度目の蹴りを入れる。
「痛いっすよ」
「だってお前むかつく気なんだもん」
だけど確かに、帰ってきたというのはそのとおりなので、ちっとも痛そうな顔をしていない額に手を伸ばして、蹴った分だけ撫でてやることにした。
「でもまあ、おつかれさま。……おかえり?」
やっぱり何処か犬のように大人しく撫でられながら、眠そうな眼のままミヤはただいま、と笑った。