ひとつの星 コーヒーでも飲む、と、自分の脚で歩く程度には復活した虎鉄に問われて、猪里は何も悪いことをしていないのに何かに付け込んだような居心地の悪さに少し身じろぎをした。
泊まっていくかと聞かれると、断るには終電は終わっていたしホテルをとっているわけでもないので頷く以外に選択肢がなかった。元々は適当にネットカフェで時間を潰そうと思っていたけれど土地勘がなく今から探すのは心許ない。
「それか酒にする? ほろ酔いくらいしかないけDo」
「女子みたいな酒飲むっちゃね」
普段、甘い酒を好んで飲むことはないけれどコーヒーよりは飲み直したい気分で「そっちで」と答える。適当に座って、と言われて床に腰を降ろすと可愛らしい色合いの缶を持った虎鉄が座卓を挟んで対面に座った。
「飲まんの?」
一つしかない缶を受け取りながら問うと「俺さっきまで潰れてたじゃん」と特段反省もしていなさそうな声が答える。少しだけ触れ合った指先が冷たい。昔から、冬になるといつも末端が冷えている男だった。
まだアルコールが残っているのか、虎鉄は頬杖をついて微睡むような瞳をしている。酔いのせいか少し潤んだ瞳は微睡ながらも真っ直ぐに猪里を見ていて、その視線が孕む感情を猪里は容易に読み取れてしまう。
「なんね?」
視線を咎める意図を込めて問えば、何がおかしいのか虎鉄は少し声を立てて笑った。
「やっぱ好きだNa〜って思って」
ふふ、とまた笑って、虎鉄は崩れるように頬杖を解いて卓に突っ伏す。投げ出された手の甲が日に焼けず白いことに意味もなく腹が立って、猪里は受け取ったままだった缶を呷った。
度数が低く甘い液体が喉を通る。本当は強い酒が欲しかった。明け透けに思いを口にしながら、選択を猪里に委ねる小狡い男に素面で相対するのは分が悪い。
だけど真正面から受け止める以外に猪里はやり方を知らないし、相手が虎鉄ならば尚更だ。
「それなら、なんで三年ほっといたとね」
「……むつかしいこと聞かないでYo」
「なんも難しくなかよ」
「言えると思う? 俺のこと忘れないで誰のことも好きにならないで遠くにいても俺だけの猪里でいてって」
猪里は別に俺のこと好きじゃないのに、と、くぐもった声で言われれば猪里としては遺憾というほかない。
お互いに顔を見れば何を考えているかなんてわかるのに、何故だか虎鉄には猪里の一番大切な感情が伝わらない。三年前も、今も。
「好いとうよ」
その言葉は虎鉄を繋ぎ止めるためでも取り戻すためでもなく、ただ本心からこぼれたものでしかないのに。
「猪里は嘘つかないから言ってることはほんとだってわかってるけど、でも俺と同じ好きではないだRo」
不意に顔を上げて、緩く微睡んでいた筈の瞳が獣のような色をして猪里を射抜く。そこにある欲望も、言葉にされなくても猪里は知っている。
「俺はいつでも、今だって猪里にさわりたい、キスしたい、そういうの猪里にはないだRo?」
問われれば、それが自分にもあるとこたえることは猪里には出来ない。言葉に詰まった猪里に虎鉄は笑って「猪里は嘘つかないから」と責めるでもなく繰り返した。
「虎鉄が俺にしたいことで、嫌なことなんて何もなかよ」
その言葉は本当で、伝わればいいのにと投げ出されたままの手の甲にてのひらを重ねる。そうやって触れれば、体温を分け合うことが出来るのに。
「虎鉄がそうしたいなら、俺は虎鉄にさわられたい、それじゃダメなん?」
「……あんま煽んないでYo」
何もかも違うのは、出会った一番最初の時からわかっていた筈だった。それでも魂を分けあった片割れみたいに隣にいるのが自然だったのに、愛情のかたちが違うことが耐えられないと虎鉄は言う。
虎鉄の言うように、何か能動的な欲望を猪里は持ち合わせてはいない。ただ虎鉄が望むならそのとおりにしたいというのが猪里の愛情のかたちで、それが虎鉄の持つものよりも大きさや質で劣っているとは猪里は思わなかった。
「離れてたら好きじゃなくなるんじゃないかって思ってたのにNa」
「アホなやっちゃね」
諦めのようにつぶやく声に、虎鉄の手を握る力を強くする。三年離れていても変わらなかったのだから、諦めてその欲望に飲み込まれてしまえと願いながら。