ふー、と細く息を吐けば白いリボンのように像を結んだ紫煙が夜のぬるい風にたなびいていく。
手元にはぼんやりと先端が赤い10ミリの煙草。
福田は時間帯も手伝ってひとっこひとりいない練習場のフェンスにもたれかかって瞬く星も少ない東京の空を眺めていた。またフィルターに口付けをして、小さく息を吸い込む。肺を満たす煙。
「ーーーオッチャン」
不意に呼びかける声がした。声の方面を見やれば、まだ遠い小さな人影。特徴的なモジャモジャ頭。
その影に福田は驚いた様子もなく、駆け寄ってくるそれを静かに待っていた。
「わりぃ、待ったか?」
「いんや。あ、ちょっと待て」
走ってきたのだろう、少し上がった息に切れ切れの言葉。消灯時間なんてとっくに過ぎたはずの夜中、いるはずの無い人物、葦人は少しはにかんでそう聞いた。
練習場の近くの常夜灯の灯りにぼんやり照らされた、まだまだ子供っぽい鳶色の双眸。それが焦ったような福田の声にぱち、と瞬いた。
「……別に気にせんのに」
「そういうわけにもいかねぇんだよ。未来ある選手の肺を副流煙で汚すわけにはいかねぇだろ?」
「……まぁ」
福田のゆるっとしたアウターのポケットから取り出された携帯型の灰皿。押し付けられて、ジジ、と微かな音を立てて消えていく種火。煙が出なくなったことを確認すると、福田は葦人に向き直る。
少し残念そうな色が滲んだ言葉に苦笑して柔らかい毛質の髪をクシャリと撫ぜる。
「(アンタの匂いが移るの、結構好きなのに)」
音にしない言葉を口の中に押し留めて、葦人は渋々と言うようにうなずいた。
「ほら、行こうぜ」
差し出された大きな手のひら。それを握れば、緩く握り返される力が心地よい。
近づいた顔。ちゅ、と戯れのような音を立てて触れるだけで離れていってしまったそれ。
「……結局意味ないやん」
「ハハ、確かに」
口内に、自分を取り巻く空気にゆるりと漂う煙草の苦い匂いと味。恨めしげにそう言った葦人に笑って、繋いだ手を自分のポケットに突っ込んだ福田は歩き出した。
隣を追いかけるようについてくる葦人の耳は常夜灯に照らされるまでもなく赤い。愛しげに目を細めると、ポケットの中で手が繋ぎ直される。指を絡めて、隙間を埋めて。してやったりと笑う少しだけ目線の低い頭を小突いて、二人は夜の道を密やかに歩き出した。