たとえ終わりがこようとも ハロウィンも近い十月の週末。IMFの本部内にもカボチャやおばけ、魔女などの飾りが所々に吊るされたり貼られたりしていた。
任務終わりで帰ってきたベンジーは、本部内にただようイベント前独特の雰囲気を心地よく感じながら報告に向かった。ブラントに挨拶をし、必要なデータを解析班に渡したら久し振りのまとまった休暇だ。
家にはひと足先に別の任務から戻ってきているイーサンが待っているはずだ。スマホを取り出してメッセージを確認すると、夕飯を用意して待っていると連絡が入っていた。
それだけで気分が高揚して、ベンジーは鼻歌を口ずさみながら本部と同じくハロウィンに染まった街並みを進んで行った。
「ショーン・オブ・ザ・デッド?」
「そ! ハロウィンも近いしオススメのゾンビ映画だよ」
「あぁ、主役がちょっとベンジーに似てる人の」
「そうそう」
夕飯を済ましリビングでくつろいでいたイーサンの隣に、映画のソフトを持ってきたベンジーが座る。二人揃って休暇の時は家でゲームをしたり映画を見たりすることが多かった。元々ベンジーの休暇の過ごし方ではあるが、付き合ってからはイーサンもそのスタイルに合わせてくれている。退屈ではないかと以前聞いたが、ベンジーの好きなものがわかるから楽しいと眩しい笑顔で返され、赤面したのも懐かしい思い出だ。
「実際にゾンビパンデミックが起こってもイーサンと一緒だったら余裕で生き残れるだろうなぁ」
ショーンの知り合いがどんどんゾンビになっていく中ベンジーが呟く。映画は終盤で、もうあとがない……というところで特殊部隊が現れて主人公達が救われた。
「まぁ、動きがそこまで早くないからね。狙いやすくはある。でもベンジーだって、ショーンみたく颯爽と現れて僕を助けてくれるだろ?」
「クリケット・ラケットで?」
「ショットガンでもいいよ」
ゾンビに囲まれたイーサンを助けにいく自分を想像して答えながら笑いが込み上げてくる。逆の立場なら格好よすぎて、初対面だとしても惚れてしまうだろう。
「助けたらリズみたく惚れ直してくれる?」
「そもそも別れないから、もっとベンジーが好きになるだけかな」
会話を交わしながら二人の距離が近くなる。イーサンのキスが髪に、頬に降ってきて、最後に啄むように唇が重なった。明るいリビングだとイーサンの表情がよく見えて、ベンジーの鼓動は途端にはやくなる。身体が抱き寄せられて立ち上がると、一瞬テレビの画面が目に入った。
ゾンビになってしまった夫を鎖で繋ぐ妻、そして親友を納屋に閉じ込めて一緒に生活する主人公。もしイーサンがゾンビになってしまったら、自分も彼らと同じことをするだろうか。そんな考えが一瞬頭をよぎったが、テレビが消されベンジーの思考も昂る感情に飲まれていった。
少しの身体のだるさを感じながら目を覚ますと、ちょうどイーサンが温かいミルクティーを持って寝室に入ってきた。適度な温かさに甘さ。朝からスマートすぎる恋人が輝いて見える。
「朝食には遅いから、マーケットにランチでも買いに行く? 辛かったら僕だけで行ってくるけど」
「一緒に行く! 新しい店出るって聞いたし」
せっかく二人で過ごせるのにイーサンにだけ買い物を任せるなんて勿体無い。ベンジーはミルクティーを飲み終えてさっと身支度を整えると、待っていたイーサンと連れ立って外に出た。
いつもなら日曜日で賑わっているはずの道だが、今日は人影が少ない。感じた違和感が歩くにつれて増してきて、イーサンからも任務の時に感じるような鋭い気配が伝わってくる。
「なんか、おかしくな……」
「ベンジー!」
違和感を口にした途端、イーサンがベンジーを引き寄せ銃を放った。人が倒れる音がして、振り返ると確かに死体があったが、その見た目は普通の人間ではなかった。
「これって……? いや、そんなあり得ないだろ」
「そう思いたいけど、この状況じゃあね……」
倒れた死体がゆらりと立ち上がる。発砲音に反応したのかも周囲にもちらほらアレが、いやゾンビが現れ始めた。
「逃げよう」
「どっ、どこに」
ベンジーの手をとって走り出したイーサンは本部を目指すと言った。確かにIMFなら緊急事態には施設が閉鎖され入れるのは職員だけだ。ゾンビにそれを突破できるとは思えない。
「大丈夫。守るよ」
走りながら繋いでいる手が震えていることに気づいたイーサンが、笑みを浮かべて言葉をかける。そこで思ったより自分が動揺していたことに気づいたベンジーは、ぐっとイーサンの手を握り返して立ち止まると自分も銃を抜いた。
「俺もイーサンを守るよ」
すぐ横から出て来たゾンビをベンジーが撃ち抜き、二人は頷きあうとまた走り出す。長い一日の始まりだった。
陽もすっかり暮れる頃には、二人は本部の目の前まで来ていた。途中何人もの命を救い、ゾンビは数え切れないほど倒した。映画のように頭部破壊が有効なようで、道中のガンショップから銃や弾を拝借した。おかげで任務以上の重装備だ。
「流石に疲れた……」
「僕もだ。でもあと少し」
二人の視線の先には本部の裏口が見えている。周囲はゾンビに囲まれているが、この装備なら突破できるだろう。
本部内の安全は先ほど確認が取れている。感染した職員がゾンビになる前に数名出勤していたが、発症と同時に速やかに対処したらしい。ブラントが残っていなかったら、状況はまた違ったはずだ。
「中に入ったらとりあえずシャワーが浴びたいかな」
「俺も! と言いたいところだけど、とりあえず寝たいな」
突破の準備をしながらた他愛のない会話を交わす。これからゾンビだらけのところに突っ込んでいこうというのに妙な安心感があるのは、やはりイーサンが一緒にいるからだろう。
「じゃあ行こうか」
「よっし、これで最後だ!」
合図をきっかけに簡易的に作った爆弾を入り口の左右に投げる。なるべく遠くに投げたそれは盛大に破裂音をあげ、ゾンビ達を誘き寄せる。
その隙をぬって裏口まで走ると、緊急用のパネルをこじ開けた。静脈認証に虹彩認証、最後にパスワードを入れれば扉は開く。だが面倒なのは、入る全員がこれをしないと締め出されることだ。
まず先にベンジーが認証を済まして、周囲を警戒していたイーサンと交代する。流石にゾンビが戻り始めて、動きの違う自分達を少しずつ囲み始めた。ここで銃を撃ったらすぐ捕食対象と見做されるのでギリギリまでは使えない。イーサンの手続きが済むまでの少しの間なら自分の体術でも、なんとかなるはずだ。
とりあえずベンジーが身近にあるものを投げて注意を逸らしているとゾンビの群れの中に見知った顔がいた。何回か任務を共にしたことのあるエージェントだ。その彼と目が合った。瞬間、ほかのゾンビ達とは比較にならない速さで襲いかかってくる。生前の身体能力がある程度残っているのか、噛まれないよう抑えるだけで精一杯だ。激しい動きをしたことで周囲のゾンビもさらに集まってくる。近すぎて頭が撃てず、腹に一発撃ち込んで距離をとった。
「イーサン! 準備いいかッ」
すぐに中に入らないと対処できない人数に囲まれてしまうことは明白だ。もう準備はいいはずと振り返った時にはイーサンがロック解除のボタンを押していた。これでもう安心だ、と前に進もうとしたが肩を掴まれて動きを止められる。そして首に生温かい息がかかった。
イーサンの目が見開かれて、灰がかった緑の瞳にベンジーが映る。自分の顔は意外と冷静な表情をしていた。そして頭も冷静だった。
このまま後ろに下がったらイーサンだけは助かるだろう。
「ごめん」
きっと自分の行動に怒るだろうからと、先に謝ったベンジーにイーサンは手を伸ばす。離れたはずなのにイーサンの手はベンジーに届き、そのままゾンビから引き離されて扉の方に飛ばされた。
「ベンジー、イーサン無事、うわッ」
投げ出されたベンジーの身体は、裏口のプログラムが作動したことに気づいて迎えにきたブラントに受け止められる。
すぐ顔を上げてイーサンの姿を探そうとすると、ブラントの手が視界を覆った。
「……やめとけ」
「ッやだ、ブラント離してくれ……!」
塞がれた目から涙が溢れ出て、ブラントの手の隙間から零れ落ちる。
「ごめん」
先ほどの自分と同じ言葉をイーサンが口にする。いつもの優しい声が、ゾンビ達の呻き声に紛れることなくはっきり聞こえた。
「……ブラント、後を頼む」
「当たり前だ」
見せないのが優しさだというのはベンジーもわかっている。しかしこのまま扉を締められたら、離れ離れになったらこの先自分は生きていけるのだろうか。
「くっ、ベンジー! わかってくれ!」
下がろうとするのに逆らって自分の身体が傷つくことも構わず暴れて、ブラントの拘束を解いた。
「行くな!」
一緒に生きられないのなら、せめて一緒に死のうと思った。そう思ってイーサンの元に駆け寄ろうとしたのに、ベンジーを見つめるイーサンの顔を見たら動けなかった。噛まれて血塗れになったイーサンに驚いたわけでも、死ぬことに恐怖を感じたわけでもない。
自分を愛して、慈しみ、大切にしてくれた人が、来るなと願っている。痛いほどにそれが伝わってきた。
「ありがとう、ベンジー」
扉が閉まる瞬間、やっと手だけイーサンに向かって伸ばすことができたが触れたのは冷たい扉だけだった。
少しの身体のだるさを感じながら目を覚ますと、頬が濡れて冷たかった。覚えてはいないが、嫌な夢でも見たかと涙を拭って身体を起こすとベンジーはつい癖でイーサンの姿を探す。
すぐにいるのはここでないことを思い出して、一階に降りた。
「おはよう」
キッチン奥の部屋の扉を開けると、イーサンがコーヒーを淹れていた。淹れるのがうまいのか、相変わらず安い豆なのにいい香りがする。
「コーヒーもいいけど、まずこれ飲まないと」
ベンジーはイーサンに水の入ったコップを渡すと、一緒にいくつかの錠剤を渡す。それを飲み干したこと確認すると二人でリビングに移動した。動くたびにカチャリカチャリと音がする。
「今日はどうする? 仕事も今は落ち着いてるし」
イーサンからの返事はない。ただ穏やかな笑みを浮かべている。
「じゃあ、今日は新作のゲームして、こないだ美味そうって話してた中華頼もうか」
ベンジーが全部予定を決めてもイーサンはそれに倣うだけだ。以前それが楽しいと言っていたから問題はないだろう。
『……では、研究が進み薬を飲み続けることで人間に近い見た目も挙動も保つこ』
「今日もつまんないニュースばっかりだよな、イーサン」
『しかし、現状完全に元に戻ることは技術的に難しく』
「どこもかしこも同じでさ」
『……活を共にすることに反対する過激派による暴動も』
「よーし、準備できたぞ。イーサンはそっちのコントローラーな」
変わり映えのしないニュースの画面からゲーム画面に移ると、イーサンがベンジーの身体に擦り寄る。そして口を開いてじっとベンジーの首筋や腕を眺めていた。
「駄目だぞ、イーサン」
一言注意をするとイーサンは口を閉じる。ベンジーはやっぱりイーサンは『安全』じゃないかと、二人の関係に文句を言ってきた連中を思い返して、満足げに笑みを浮かべた。
「これだったら、いつでもいいからな」
ベンジーはまるで言いつけを守った子供にするように、額や頬にキスをしていく。イーサンも先ほど眺めていた場所に同じようにキスをしていった。
「イーサン、名前呼んで」
「……ベン、ジー」
「……うん、もう一回いい?」
「ベンジー」
「あぁ……今のよかったな」
優しく名前を呼ぶ声が頭の中に響いて、目の前にイーサンがいるのにひどく遠くにいるよう感じる。
「……さ、ゲームするか! 今日も俺が勝つからな」
胸に溢れてきた寂しさと虚しさをかき消すように、音量を上げてゲームを始めた。
今はこれでいい。
あの夜、自分ならどうするか一瞬考えた。
自分も同じことをするだろうと、そう思った。だってショーンはそれで幸せそうだったから。たとえ大事な人が変わり果てても近くにいられるなら、それでいいと。
だけどこの感情はなんだろう。
ありがとう、と言ったイーサンの願いを自分は叶えられているんだろうか。
「ベンジー」
まだ名前を呼び続けるイーサンの中に本当のイーサンはいるのだろうか。
「ベンジー」
繰り返す言葉に感情はない。けれど聞かずにはいられない。
いずれ終わりがこようとも、二人でいることができるならそれだけで幸せだ。そのはずなのに、なんでこんなに苦しんだろう。
〈了〉