ボーイズトーク いつも通り誰にも気にされないまま、目立たない位置でナッツをつまみながらサイダーを飲んでいる。
ジュークボックスから定番の陽気な曲が流れ始め、飲み始めたばかりの客たちが徐々に声量を上げていく。
ボブは酒に酔いこそしないものの、自分が話をしなくても適度に騒がしい中でぼんやりするのが好きだ。
不意に影ができたと思ったら、見慣れた顔に見下ろされていた。
「ボブ、ちょっと来い」
ハングマンことジェイク・セレシン。
いつも完璧で優秀で絶好調な男は、整った顔でぼそりとそう言った。
「何?いじめ?明日でもいい?」
今日は気が向いた仲間が適当にハードデックに集まる曜日で、ボブはフェニックスをここで待つのが恒例だった。
「俺がお前をいじめたことがあったかよ」
実は無い。ボブ本人以外にはそう思われていただろう。実際はお互い、きつめのジョークが好きなだけだ。
「赤ちゃん扱いは嫌がらせだと思うよ」
そう言いながらナッツをかじろうとすると、やんわり襟元をつかまれ、耳元に顔を寄せられる。
「土曜にお前が俺たちをはめた件についてだよ」
俺たち、ねぇ。
ボブは確かに、ルースターに彼の恋心を意識させ、二人がどう進展するかフェニックスと様子を見ていた。
「……うまくいったんだよね?」
あまりいい趣味ではないのは承知の上で仕掛けた作戦だった。フェニックスから聞いた限りでは、悪くない結果だったはずだ。
「車ん中で話す」
怒っているように見せているが、どうやら少し照れが見える。
「フェニックスも呼んでいい?」
わざとらしく愛想笑いをしてみたら、舌打ちされた。
「お前だけ。いじめねぇから、来いよ」
話の内容に察しがついて、首元にある手をやんわりとつかみ返す。
「来てください、でしょ?」
ハングマンはむすっとした顔で眉を寄せ、わざとらしく大きくため息をついて、ボブの手を恭しく持ち替えた。
「ボブ様どうかお車へお越しください」
「は~い」
ボブはにまにまと笑いながら、駐車場へ向かった。
「ちょっと待って、フェニックスに、どこにいるかだけメッセージ送っとく」
「もう俺から送った」
見せられたスマートフォンの画面には「ちょっとボブを借りる」と送った履歴がある。
「別にフェニックスの持ち物じゃないんですけど」
「わかってるよ」
ハングマンの車はいい匂いがする。清潔感を絵に描いたような男が、奔放なイメージのルースターに惹かれるのはわからないではない。
二人とも真逆なようで、芯には頑固で意志の強い信念があり、空への情熱と執着もよく似ている。
「で、何?付き合うことになったって聞いたけど、まさか、ルースターの勘違いとか思い込みじゃないよね?」
あり得る話だ。ルースターだけが浮かれていて、ジェイクの理想とは違っていたかもしれないし、ただ肉体関係を持ってしまっただけでそう思われたり、はたまた、まだ何もしていない内には続く関係なのか言い切れないこともある。
「――付き合ってる。合意の上で――ちゃんと覚悟が実感できることもあって、そうなった」
少し言い淀んだものの、保留期間ではなくきちんと確かめ合った上で付き合い始めたのだとはっきり肯定され、感動する。
同僚であるということとは別に、ハングマン――ジェイクとは、セクシャルマイノリティとしての連帯感がある。妥協せず幸せになってほしい気持ちは切実なものだ。
「ごめん。悪かったよ。勝手にルースターにアウティングしたの怒ってる?」
ジェイクとボブが、ゲイ向けのマッチングバーで知り合ったことをルースターに教えたのはボブで、ジェイクがルースターに片想いしていることを知らせたのもボブだ。ジェイクが恋人やルースターの話をするのはどこか哀しげで、片想いでいるのが辛そうなのを見ていられなかった。それでも、もしルースターが不誠実なことをするようなら、フェニックスと一緒にルースターを諭すつもりでいた。
「俺がバイなのは誰だって知れる。あいつが知ろうとしなかっただけだ。俺は、お前らがバラしたとか知らずに運良く自然に誘えてたから、それはもういい。結果オーライだ」
いつでも事実と未来だけ見ている男は、あっさりとボブを許した。どこかから不本意に伝わって拒否される想像と覚悟を、既に何度もしていたのだろう。ゲイではなくバイであることを不誠実に思う人間もいる。
よく観察していれば誰でもわかる視線ではあったが、確実な情報を持っていたのはボブとコヨーテだけだ。
万が一振られたら慰めようとは思っていたが、その心配は無いようだ。
暮れていく日の中でジェイクは、前ほど哀しげではなくなった、綺麗な横顔で黙った。
「どうしたの?思ってたのと違った?ルースター」
「違うと言えば違ったが、悪い方にじゃない」
人前ではきはきと話す顔とは違う、力の抜けた顔でそう答えた。
「思ったより良かったんだ」
下世話な意味を隠さずに、そう言い放つ。そういう話はジェイクからはしづらいはずだ。このくらいのノリがちょうどいいだろう。
「お前、そういうとこ直球だよな」
気まずいわけではなさそうだが、照れる様子がかわいらしい。ボブはバイである以上に性癖がなかなか限定的でマニアックなのもあり、ジェイクと違って、引かれることよりも、受け入れてくれる人間を見つけやすくするためにオープンにする戦法を取っている。
「そういう話がしたいから、わざわざ車なんでしょ。一人で驚きと感動を抱えるには、刺激が強すぎた?」
図星だ。ジェイクは耳まで赤くなって目を伏せた。この顔をルースターが知らないなら、ずいぶん損をしている。ため息を逃がしてから、ぼそりと呟く。
「……あいつ、絶倫ぽくて」
爆弾発言とともに急に気だるさや色っぽさが見え、当てられる。ジェイクがボトムのつもりでも、ルースターがどう受け入れるかわからなかったが、そこは揉めなかったようだ。
「あ~……嫌なの?」
「嫌では――男と付き合ったこと無いはずだよな?」
「無いって言ってたよ。下手だった?」
戸惑う理由に察しはついた。
「……いや、その辺りの葛藤とか抵抗があんまり感じられなくて」
ぎこちなくなるかと思ったのに、ルースターの順応力が高かったのか。男同士だし、性的な興味が女性にだけでなく、自分の身体のことにも強ければ、攻めるポイントはわからなくもないだろう。
「上手いならいいじゃん。あ、それはそれで嫉妬的なこと?」
「なんていうか……女と同じ抱き方なんだろうなって。相手、俺なのに」
「物足りないならそう言えば、激しくしてもらえるんじゃない?」
「そうじゃない。プレイはアツいし激しいんだよ。でも、丁寧に扱われてるっていうか……甘さで調子狂うっていうかさ」
身体の仕組みとはまた少しずれた、ムード作りの話か。ロマンティストなのはお互い様なのではないかと思うし、ジェイクはむさ苦しさとは遠く小綺麗で、清潔感と美意識の高さがある。反発し合っていた時のノリではなく、延々、かわいいとか、きれいだとかうっとりと口説かれてしまったのだろう。
「あぁ、そっちか。めちゃくちゃ甘く抱かれてしまったわけね。恋人には甘そうだもんなぁ、ルースター……やっぱりただの惚気だな」
「お前はどっちなんだよ。フェニックスと」
誰かに話せて少しすっきりしたようだが、照れは消えない。こういう顔を普段から見せるのは確かに、軍の中では危険だ。いつも隙がなく威圧的でいるのは安全に過ごすための知恵なのだ。
ボブが、少し抜けていると思われている方が安全なように。ルースターが陽気で軽いと思われている方が便利なように。
「かっこよくてかわいいし、プレイは割となんでもありで楽しいよ。逆もやってくれるし。そういやルースター、男相手の話はしてなかったけど、酔うと、フェニックスと一緒にハングマン尻はかっこいいんだよなぁってよく言ってたよ」
「フェニックスもかよ。尻は――すげぇ触られる」
ボブもそこは、ジェイクのセックスアピールポイントとして推したいところだ。
「うん。触りたそうだったもん。あ、ルースターって、かなり大きくない?あれ、最大時どのくらい……門と腸は無事?」
「ドライでイキすぎた翌日は変な感じになるし、かなり開発されたとは思うけど、無事は無事」
がっつり話す覚悟ができたのか、ジェイクは軽く頷きながら、低い声で語る。
「前より更にかわいくなったから、ルースター大変だろうな」
「あ?」
「ルースターのせいでね。前からかわいいけど、本当に気を付けてね」
「急にトップモードになるなよ」
こっちはルースターより先に、ジェイクがモテるのを目の当たりにしてきたのだ。彼氏と待ち合わせの間、話し相手になってくれと声を掛けてきた時から、かわいい男だと思っている。
「――続きそう?」
「終わらせる気なんてあるかよ」
恋の戸惑いとは別に、そこははっきりと言い切る。かっこいい男だなと思う。でも、器用すぎて少しかわいそうだ。反対にルースターは真っ直ぐすぎて不器用で――お似合いだ。
「あっそう」
「何で、俺がルースターを落とせると思った?」
「だいぶ前から落ちてたもん」
目が合っていない時ジェイクには、ルースターの熱視線を知り得ない。逆も然りで、周りはそう思って観察しさえすれば、その熱さにすぐ気付くだろう。
「いつから?」
「出会ってすぐとかじゃない?」
「それは、俺がだろ」
そんなに前から好きだったのかと、他人事ながら胸が苦しくなる。
「ジェイク相手の時だけ、ルースターがバグって変なエラーが出てたのを、ルースター自身は全然わかってなかっただけでしょ」
「バグってエラー?」
「いつもジェイクに言ってること変だったじゃん。顔近付けて煽りながら睨んでも、なんか、顔ばっかり見てたし」
「あぁ、あれな。それは俺も聞いた」
「なんだった?」
「自分より小さい相手はみんなかわいく見えるらしい。自分のことは全然、何言われても気にならないし、俺は口が笑ってるから全然怖くないんだと。クワッカワラビーに似てるなぁって思ってたとか」
「似てる似てる。でも大佐にはガチギレしてたじゃん」
「あれは、譲れなかったんだろうな。小さい頃から対等に喧嘩してたから、子ども返りみたいな……身長抜いた辺りからもう、大佐の方が人に怒られる率は高かったみたいだけど。マーヴに対しての怒りはまだあって――それでも、俺に父親とマーヴのことを言われたら、自分でも驚くほど二人が大事だってわかったって」
「ジェイク、あの時、わざと悪者になったんだろ」
「俺は内輪の揉め事で作戦に影響があるのが嫌だったのもあるけど、あの二人の揉め方は愛情と過去あってのものだから、早く吐き出して欲しかったんだ。どっちかが死んでから、ちゃんと話し合えば良かったなんて聞かされたくないし、俺がどちらかを救えなかった時に、後から事情を知らされるのはごめんだ」
知っていれば、その覚悟ごと背負って飛ぶ男なのだと、『救世主』として飛び立った時、誰もがやっとわかった。
「そのわだかまりを放置できない熱さは、ルースターとそっくりだよ」
「お前らが俺とルースターをくっつけたかったのも、同じか?」
「そうかも」
問題の深刻さは違えど、そうなのかもしれない。
長い時間をかけなくても、二人はうまく行くとわかったから。
「俺らが喧嘩したら、キューピッドの責任を果たせよな」
いつもの調子に戻り、ジェイクは軽く伸びをする。
「ルースターの代わりにいじめられるのはやだからね」
「いじめてねぇっつぅの」
「ジェイクは僕のこと結構好きだもんね」
「はは、まぁな。俺以外にいじめられてたら、助けてやるよ」
けらけらと機嫌良く笑って外を見ると、見慣れたシャツが視界に入った。
「ルースターだ」
ボブたちを確認すると、一直線に向かってくる。
「何か、怒ってないか?」
確かに顔付きが険しい。
「あー……僕が『ジェイクをちょっと借りるね』って送ったから?」
「わざとだろ」
わざとだ。カップルが成立した彼がどういう反応をするかちょっと見たかったのだ。
「だって面白いから」
「お前も、フェニックスとルームシェアしてたあいつに、少しは妬いてるんじゃねぇの?」
確かに、それはある。ジェイクとくっつけば、フェニックスとルースターを完全にそうじゃない親友にできるから――
「少しじゃないかも」
ボブは助手席を抜け出す。ルースターはボブと入れ替わりにここに来るはずだ。
「……またな」
そう言って柔らかく笑んだ彼をまた美しいと思いながら、ボブはそそくさと店内へ向かった。