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    Naked_MIKAN

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    Naked_MIKAN

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    息抜きバレンタインネタ

    ひと目で義理と分かるチョコ ルーシアスは疲れ果てていた。書類がどんどんと降り積もり、机の上は雪捨て場のようになっている。士官になると決めたのは自分自身とはいえ、愚痴のひとつも言いたくはなる。詰め襟を緩め、首の周りを自分でほぐすと、ガチガチになった筋肉が悲鳴を上げた。

    「っおお〜〜……」

     事務室には人気がなく、足元から上がってくる冷えと首筋から入ってくる冷えが、疲労を尚更濃くする。日中に外の仕事をすると、夕方には書類仕事の山が積み上がっている。自然の摂理とはいえ、まだ経験の浅いルーシアスには如何ともしがたいことだった。
     しんと静まり返った部屋と、がらんとした事務室に、湯沸かし器サモワールが立てる音だけが心細く響く。帝国語の慣れない書類に目が滑り、ルーシアスは天を仰いだ。
     
    ――糖分だ。糖分が欲しい。
     
     ルーシアスは、明瞭にそう感じる。辺境某国出身のルーシアスにとって、帝国語はまず問題なく使える道具だったが、公用文書の読み書きとなれば別だ。翻訳と文書の作成という二重の作業が、激しく脳を疲弊させる。
     ルーシアスは立ち上がり、何番煎じか分からないポットに湯を注ぐ。辛うじて茶の香りだけが残る湯を啜り、腰を伸ばした。兄のマーカスがどれだけ超人的に働いていたのか、今なら少しは理解できる。
     椅子に座り直し、溜息をつきながら書類に向き直った。騎乗に向いた長い四肢も、日差しに愛された肌も、跳ねた赤銅の髪も、長い冬と書類仕事の前に精彩を欠く。とはいえ、苦手だからといってやらないわけにはいかない。自分が、色々な人の努力――主に書類上のあれこれや根回しの結果、特例的に隣国で働いているということを自覚していたからだ。

     無心で手を動かしていると、ふと視線を感じた。
     戸口に人影が立っている。しろがねの髪に神経質そうな眼鏡、細面の整った顔――ルーシアスのパートナーの、見慣れた姿だった。軍属の黒い詰襟に、細身の緑のスラックスがよく似合う。いつもはあまり表情を浮かべないその顔が、今は少し心配そうに曇っていた。

    「よお」
    「ルーシアス」

     大したことないよ、というポーズに、ルークが尚更眉根を寄せる。後手で扉を締めたルークが、つかつかと歩み寄ってくる。
     心なしか、頬が赤い。立ち止まると、胸ポケットから、紙に包まれた小さなものを取り出す。ルークが、黙ってその包装を破った。

    「これは……?」

     マッチ箱を大きくした程度のそれは、帝都で流行りの菓子だった。簡素な個包装でのバラ売りで安価にし、小売店で売るようにしたところ、人気が出た。砕いたクッキーを混ぜたチョコレートは、エネルギー源として行動食にも都合が良いため、兵たちもよく買っている。かつて領土を拡大し、名を轟かせた『雷帝』にちなんで、『黒い雷轟』という大仰な製品名がつけられていた。
     反面、その売り方から『庶民の嗜好品』とされ、貴族では異性として見ていない相手へのプレゼント代表格とされている。

    「これは……」
    「「ひと目で義理と分かるチョコ」」

     ルークが、それを口に咥える。
     何をするのかと思った瞬間、の体温が近づいてくる。椅子に座ったままのルーシアスの顎を、白い手が包んだ。ぐっと寄せられた頭に、ルークの顔が近づく。眼鏡が二人の間でぶつかり、ずれた。
     反射的に、細い腰を掴んで支える。
     口の中に差し込まれたチョコレートが、唾液と体温で溶け出す。女の子の、手入れされた唇の感触と恋の体温が、ルーシアスの表面に接した。
     さくっと砕けたクッキーが、唇の境界から落ちる。顔が赤くなって血液が循環し、ぱちぱちと酸素が弾けた。やり返すとばかりに、ルークを抱き寄せる。
     唇についたチョコレートの欠片を、舐め取った。間近で聞く「ん……」という息み声が、耳から入って妙なる媚薬となる。ゾワゾワとして、首筋の産毛が逆立つ感覚がした。ふわりと触ったくせ毛の前髪が、こそばゆい。
     すっと身体を離したルークが、真面目ぶった顔で「義理だよ」と囁く。

    ――義理だと?これが。

     元気には、なった。主に、意図しない部分が。ルーシアスは天を仰ぐ。さも何かの用事だったとばかりに去っていくルークの、後ろ姿――主に腰回りを、視線でなぞった。実は、とんでもないファム・ファタールなのかもしれない。今更ながらそんなことを思う。
     意図しない部分が意図せず起立してしまったが故に、入れ違いに入ってきた文官を座って出迎える。

    「あ、足が痺れてな、ハハ……」

     ごまかし笑いをするルーシアスに、文官は怪訝そうな顔をした。



     この頃ご令嬢の間に流行りの、想い人に菓子を渡すという奇習を知った姉アレックスが、高い菓子をさり気なく選ぼうとした妹に圧力をかけていたことを、ルーシアスは知らない。
     
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