しあわせへの道程「え、飲み会?」
「はい。Edenの4人でやるやつに、あんずさんも来て欲しくて」
いちご農園でのひとときを経て、交際をすることになってから約半月。誰かと付き合うということがはじめてな上、その相手がアイドルとなるとどうしたら良いんだろうと思っていたけれど、そんなことはお構いなしに日々は過ぎる。私たちが付き合ったからと言って仕事の忙しさは変わらないし、つまり、一緒に過ごせる時間が増えるわけでもなかった。メッセージは毎日送り合うようになったし、電話も週に二回ほどしているけれどそれだけで、ES内ですれ違う以外は顔を合わせてもいない。
「えっと、それって私が行っていいやつなのかな」
「……おひいさんが『ぼくたちに話すことがあるよね?』ってうるせぇんすよ」
「……私の話、なの?」
「何の話ですか、ってとぼけたら、いつもの大声で『あんずちゃんのことだよね!』って言ってたんで間違いないですねぇ」
電話の向こうの彼は、呆れたような声音で、でもすこしだけ期待しているようにも聞こえる声で「すんません、そういうことなんで……来てくれませんか?」なんて伺いを立てた。
別に嫌というわけではないけれど。聡い先輩のことだ、漣くんと私の話で「話すこと」と言えば、まず間違いなく私たちの変化した関係についてだろうと思うと、ちょっとだけ憂鬱だ。……だって、何を言われるか分からない。
「……うん、分かった、行くよ」
「へ、まじすか……ありがとうございます!」
「いや、うん。何にせよ、きちんと話をしないといけないことだしね。それで、日付けとか場所とかは……」
「あ、その辺は茨が調整してくれるみたいです。なんで、また連絡しますね」
なるほど。七種くんがセッティングしてくれるなら色んな意味で安心だ。Edenのスケジュールはもちろん、私のスケジュールもP機関に登録してあるものから分かるだろうし、お店もきっと良いところを見付けてくれるだろう。
◇
「うんうん、じゃあジュンくんとあんずちゃんは、やっとお付き合いをはじめたんだね! 良かったね、やっとだね!」
あれから約一週間ほど。私はEdenのメンバーと一緒に個室のお店に来ていた。
「おひいさん、声がでけぇっすよ……あと、やっとやっとって言い過ぎです」
「えぇ? でもそれが事実だね、ジュンくんってばず〜っともだもだもだもだしていたからね! もうおじいさんになっちゃうかと思ったね! まぁおじいさんになったところで、ぼくは変わらず美しいけどね……☆」
そう言いながらグラスを傾けてお酒を口にする日和先輩は、本人の言う通り美しい。そんな彼に対して「関係ねぇしうるせぇ〜」と呟きながら同じくお酒を口にする漣くんは、既に頬が赤くなっているようだった。漣くんとお酒を飲むのはこれがはじめてだけど、あんまり強くはないらしい、と思いながら、ほとんどジュースみたいなお酒をちびちび口にする。
「ふふ、でもジュンは本懐を遂げたのだから、偉いね」
「ナギせんぱぁい……ありがとうございます……」
「ちょっとジュン、絡み酒はやめてください。ここは報告の場であって、別にあなたたちを祝う場ではないんですからね」
日和先輩も、凪砂先輩も七種くんも、そこそこのペースでお酒を飲んでいるように見えるのに、顔色もテンションもほとんど変わっていないように思う。どうやら漣くんは、Edenでは圧倒的にお酒に弱いみたいだ。頬を染めながらにへら、と笑う彼を、七種くんがだらしがないと叱責しているけれど……かわいいな、と少しだけきゅんとしてしまった自分に驚く。自分で思っているより私は漣くんのことが好きらしい、というのは、付き合ってからのこの数週間でじわじわと実感していることで、それはこうして顔を合わせることで余計に加速していくようだった。
「とか言って、ここ、いつもオレたちが飲む店より良い店ですよねぇ〜?……へへ、茨もありがとうございます」
「うるさい。……あぁもう、うざいっ、くっつくな! あんずさん、あなたの交際相手、うざいんですけど!?」
「……へ、あ、うん……」
日和先輩と七種くんに挟まれた漣くんが七種くんの方にすり寄っていくのを珍しく思いながら眺めていたら、突然話を振られて驚いた。とっさに出た返事がお気に召さなかったのか、ふん、とこちらを睨みつけた七種くんは、漣くんに取られた手を無理矢理解いて自分のグラスを傾ける。その耳が少しだけ赤くなっているのは怒りのせいなのかお酒のせいなのか、はたまた違う理由なのか、私にはまだ判断がつかなかった。
「おひいさぁん、茨が、いばらが構ってくれないぃ〜……」
「ちょっとジュンくん、さすがにだらしがなさ過ぎだよね。あついしお酒くさいからそれ以上寄ってこないでよね……って言ってるそばから、ちょっと、顔を近付けないで欲しいねっ!」
悪い日和、とこぼす日和先輩に構わず顔を近付ける漣くんの唇は、もう少しで日和先輩のそれにくっつきそうだ。あまりの急展開に茫然としていると、隣に座った凪砂先輩に袖口を引っ張られた。
「ねぇ。あんずさんは、ジュンとお酒を飲むのははじめて?」
「はい。……あの、凪砂先輩。漣くんっていつもこんな感じなんですか?」
「私たちとお酒を飲んでいる時は、気が抜けるみたいでね。まぁ、それにしても今日はいつもより大分、浮かれているようだけど……あ、」
漣くんと七種くんと日和先輩の会話にかき消されないよう、凪砂先輩の方に顔を向けて話をしていた私は、凪砂先輩の上げた声に反応してその視線をたどってみてまた、驚くことになった。
だって、そこにいた漣くんは頬や耳を染めているだけじゃなく、いつも勝気に吊り上がっている眉をこれでもかと下げ、今にも泣き出しそうに瞳を潤ませていたからだ。
「えっと……漣くん?」
「……あんずさん、ちょっと、なにしてるんすかぁ……なぎせんぱいはそりゃあ、かっこういいですけど……でもオレ、おれのこと忘れないでくださいよぉ……」
「う、うん……? 忘れてないよ?」
「ほんとですか?……ね、こっち、おれのこと見て、」
向かいの席から伸ばされた漣くんの両手に顔を挟まれ、視線を固定される。仕事以外で触れられることなんて、ましてやこんな至近距離でなんて当然はじめての経験で、どうしたら良いか分からなくなる。蜂蜜色の瞳から向けられる視線が溶けだしそうにあつくて、みるみる顔が、体温が上昇していく気がした。
「さ、漣くん、」
「それもやめてください」
「それ、?」
「呼びかたです。おひいさんのこともなぎせんぱいのことも下のなまえで呼んでるんですから、おれのことも、なまえで呼んで?……つぅか、なんでせんぱいたちのこと、なまえで呼んでるんですか、いつからですか」
至近距離で、あつい視線を送ってくる瞳は据わっている。助けを求めるように見た先の日和先輩は、はじめの頃と変わらぬ美しい顔で笑みを浮かべるだけで、助け舟を出してくれる気はないようだ。
「えっと、日和先輩にいつまでも他人行儀な子とはお仕事したくないねって言われて……たまたま凪砂先輩もその場にいたから、流れで……?」
「GODDAMN……! ……ずるい」
「ずるい、って……」
き、と睨みつけてくる視線は、いつもだったら怖いものだったように思うけれど。お酒のせいで潤んだ瞳は、私の胸を恐怖とは違う意味できゅんとさせた。
「せんぱいたちのこと、さきになまえで呼んでたのはむかつくけど……いまさらどうこうできることじゃねぇのは、分かります。……だから、おれのこともなまえで呼んでくださいよ」
「……いま?」
「いまに決まってんでしょ。……それとも、めんどくさいおれのこと、きらいになりました……?」
怒ったり悲しんだり情緒が忙しい漣くんは、なんだか子どもみたいだ。でも、いつも周りに振り回されがちな分、お酒を飲んで気を許せる相手がいて、そんな場があることは良いことだなと思うし……その「気を許せる相手」に私も含まれつつあるのかと思うと、うれしく思ってしまう。
「そんなことない、けど……えっと、ジュン、くん?」
「……へへ。……もういっかい、呼んでくれます?」
「……ジュンくん」
ありがとうございます。そう舌足らずに言いながら笑った彼──ジュンくんの顔が可愛いなと何度目かに思っているうち、あつい手のひらに挟まれて固定された私の顔に、それが近付いて。先ほどまで別の人と重なりそうだと思って眺めていた彼の唇が、今度こそ私自身に重なる、と思った瞬間。
ずるり、と私の顔から彼の手が滑り落ちてそのまま、彼は崩れるようにテーブルに突っ伏してしまったのだった。
◇
あのあと、一応飲み会の主役であったはずのジュンくんが眠ってしまってから──他のメンバー曰く彼の「電池切れ」はままあることらしい──もしばらくは会が続いたけれど。午後十時を迎える前にはお開きになって、ジュンくんは引きずられるように車に乗せられて帰っていった。
お互いを家族のように大切にしているユニットメンバーをそこらに放置する人たちではないと分かっていたけれど、体調面も心配していたところに翌日届いたメッセージを読んだ私は、思わず少し笑ってしまった。
「昨日はほんと、色々迷惑かけてすんませんでした」
「ううん。体調は大丈夫?」
「はい。あんずさんも大丈夫ですか?」
「うん、私は全然。そんなに飲んでもいないし……」
「……てことは、昨日のこと普通に覚えてる感じです?」
「まぁ、大体は……?……もしかして漣くん、あんまり覚えてない?」
「や、覚えてますよぉ。……だから、オレのことはジュンって呼んでくださいね。それと……逆に、最後の方のことは、出来れば忘れて欲しいつぅか……その、きすは、ちゃんと、やり直しさせてください」
どうやらジュンくんは、その場では前後不覚になっても、ばっちり記憶が残るタイプみたいだ。