お返し! はい、と差し出されたものを受け取る。ほとんど条件反射だった。
「え、なにこれ」
「とぼけないでよ」
相手は、落ち着いた声で窘めたあと、にっこりと自信ありげに微笑んだ。少年のような無垢さを彷彿とさせる明るい笑みは、それほど彼らしくない。けれど、恋は盲目。簡単に、ときめいてしまった。そのせいで、いまいち頭が働かない。
「本当にわからないんだけど」
「うそお」
じっと見つめられて、首を振る。持たされたそれは紙袋、と、その中に箱が入っていそうだ。しかも、そこそこ大きくて重い。包装もしっかりしているから贈り物なんだろうとは思うが、いかんせん、見当がつかない。
今日は、たまたま帰りの時間が一緒になったから、乗り換えが重なる駅で落ち合う約束をした。それから、気に入って何度か使ったことのある店で待ち合わせをすることになって、夕食をとった。先に来ていた彼は、あらかじめ荷物を預けていたのだろう。嵩のあるこれを持っていることに店を出る今の今まで気が付かなかった。
「まあ、そのうち気づくかな。プレゼントだよ」
「プレゼントなのはわかるけど」
「とりあえず帰ろっか」
少々強引に会話を断ち切られると、むっとした。このまま腑に落ちるわけがないから、見せられた背中に、いや、と声を掛けようとしたときだった。向こうから振り返られて、また、ん、と手を差し出される。先ほどと違うのは、そこに何も載っていないことで……。
少しだけ躊躇ってから、向けられた掌に、紙袋を持たない方の手を重ねた。間もなく、ぎゅっと握られて、前に引いていかれる。一瞬、とても満足そうな微笑を見た。またどきっとした。彼の気分がすごく良さそうなのは、先ほど口にしていたたかが一杯のワインのせいなのか、それとも。
朝晩はまだ風が冷たい。心許なく移ろう季節の最中で、しっかりと繋がった温もりに、道標がそこにあるかのような安堵を与えられた。だから、改札を抜ける手前で離されると、途端に寂しくなったけれど――。そこでようやく、少しだけ、恋人以外の世界に目が向いて。
あっ、と声を漏らした。駅構内の柱に埋め込まれたモニター広告に表示された文字を見たからだった。ほんの数秒を待ちくたびれていそうな改札の向こうの彼には、聞こえていないだろうが。
帰路の最中、フィガロはずっとそわそわとしているようだった。僕が気になるのはもちろん、浮ついた相手の期待にも応えてあげたくて、家に帰ってすぐ、机の上で包みを暴くことにした。だが、一枚包装紙を剥がせば、剥き出しになった外箱の形状で、なんとなくその中身に察しがついてしまった。
「靴?」
「そうだよ。ほら、早く開けて」
「うん……」
急かされて蓋を開ける。すると、箱の中には白いスニーカーが揃えられていた。知っている名前のブランドではないようだが、洒落ていて、履きやすそう。きっと、良いものだ。
「これ、僕に?」
「それ以外考えられる?」
静かに首を振ってから、でも、と口に出した。
「これがホワイトデーのお返しなの」
「……なんだ、気づいてたの」
「うん。途中で」
「ふうん。……不満だった?」
フィガロが軽く首を傾げたが、口元が笑っていない。多分、自分の言い方が悪かった。慌てて、まさか! と告げて、今度は勢いよく首を横に振った。
「ちゃんとしすぎだよ。……すごく嬉しい。デザインも好き。ちょうど、今履いてるのがくたびれてきたところだったし」
それは良かった、と屈託なく微笑むフィガロは、やはり嬉しそうだった。渡す前から浮ついていたのだから、この反応は想像できた。きっと、今告げたことは全部あらかじめ考慮されて、この靴が選ばれたのだろう。本当に、そつのない人だ。
――でも、やっぱり、なんで。
彼からの贈り物が、いかに心を尽くして選ばれたかは、わかった。しかし、根本の問題は残っている。素直に疑問を押し付けようとした、そのときだった。
「きみ、あんまり畏まったものをあげても、ここぞという日にしか身につけないだろう? そういう気取らないものなら履いてくれるかなって」
他人の胸中を見透かして会話をしているかのような彼に、今更驚くことはない。でも、真に聞きたかったのはその目論見についてではなかった。もちろん、恋人がどんなことを考えて自分へのプレゼントを選んだのかもすごく気になるけれど。
「そうじゃなくて……。バレンタインは、お互いに用意しちゃったから、交換になっただろう。お返しで、さらに、こんなに良いものをくれるなんて、思ってもないし、準備もしてない」
「あれはあれで、これはこれっていうか」
うーん、とわざとらしく天井を見つめるフィガロをこれ以上問い詰める気は起きなかった。すごく無粋だろうし、きっと、そこまで計算して彼はこの『お返し』を用意している。受け取った時点で、もう決着はついているのだ。
「……ありがとう。すごく嬉しい」
仕方なく、観念したように伝えてしまったので、本当に、と言葉を足す。するとすぐに、俺も、と返ってきた。もうずっと気分が良さそうに笑っている顔を見ていると、彼は僕が喜ぶのを心から嬉しがっているのは自明だった。
可愛い人だ。今ここで履いて駆け出すパフォーマンスをしてあげたくなるくらい。
「……来年のバレンタインは、二つ用意しないと」
「じゃあ俺もだ」
「そうしたら来年こそ僕もホワイトデーを用意しなきゃ」
「それなら、俺も……」
どこかで折れてと窘めようとしたところで、不意に、フィガロが近づいてきた。ああこれは、と思うのと同時に、唇を啄まれる。
丁寧にちゅっと音を鳴らして離れていくのが、気障で、憎たらしい。なのに、当然のように受け入れてしまうのが不思議だった。それどころか、次に何を言い出されるのかも、察しがついていて。
「じゃあ、今年はこれで。ありがとう」
いつの間にか格好がついた笑みに切り替わった顔に向けて、唇をぐっと結ぶ。それから咄嗟に返せたのは、意地だった。
「こんなのでいいんだ」
「……ううん」
まさか、と呟きながら、フィガロは目を丸くしていた。間もなく捕まえてくる両腕に収まってあげて、そこで初めて、溜飲が下がる。
彼のように格好をつけることはできない。でも、差し出したら喜ぶものを一つ、確実に、知っていた。