血と倫理「俺とティルの子どもも、作ろうと思えば作れるのかな?」
――何言ってんだこいつ。
ティルは呆れた。横でとぼけたように呟く声には、今更ドン引きする気も起きない。
無視をしてがりがりと鉛筆の芯を削っていると、伸びてきた手がカッターを握っている方の手を捕まえてきて、「聞いてる?」と顔を覗かれた。
「っ、あぶねえな!」
「ごめんごめん。でも、ティルが無視するから」
ぱっと離れた指先が、悪びれもなくひらひらと翻された。咎める口調に反して口角は上がっているし、暗く塗りつぶされた瞳は細められていて、光を許す隙がない。いつも通り、何を考えているのか分からない様子は、自分にとって、とても面倒なものだった。だからさっさと躱したくて、微塵も思っていないのに「わりい」と口にする。
「あまりにも馬鹿げたことを言うもんだから、てっきり聞かせるつもりがないのかと思ったんだよ」
「……馬鹿げたこと、ねえ」
イヴァンは変わらず悠々とした態度でこちらを見つめている。だが、口角の歪みが一際くっきりと現れた気がして、もう我慢の限界だと思った。削りかけの鉛筆の芯が折れるのも厭わずにガチャガチャと揃え、少ない荷物をポケットにまとめようとする。そのときだった。
「この前ナリが家に帰ってただろ。そのときに面白いことを聞いたんだって」
「『面白いこと』?」
頷いたイヴァンが次に口にした話題は、ティルの目を見開かせた。
「俺たちの血、なんのために採られてると思う」
「……知らねー」
そんなの知りたくもない。やはり、こいつの話に耳を貸すのは危険だ。セゲインの奴らの目的なんて知ったこっちゃない。だがイヴァンはそう返されるのが分かっていたかのように、そして、自分が答えるのが当然であるかのように話を続けた。それもまた、気に食わない。
「品質チェックだよ。いつも採血前に配られてる紙に書いてあるだろ。読んでないの?」
「あんなん書いたこともねえし」
「あっそ」
ぷ、と頬を膨らませたイヴァンの顔が心底愉快そうに歪んだので、ティルは忽ち苛立ちが抑えられなくなった。
「何がおかしい」
「……いや? 本当に不思議だなと思って。どうせ無理矢理にでも採られるんだから、それくらい協力すれば、ティルが嫌いなセゲインと口を聞くことも、罵声を浴びせられることもないのに」
「……うっせ」
――違う。お前は全然分かってない。
支配と愛玩の延長にある偽りの情けを、なぜ受け入れるのか。それを受容したら最後、自分は自分という個体ではなく、自分以外の存在の付属品に成り下がってしまうというのに。それでも服従を選ぶ気持ちが全然分からないし、分かりたいとも思わない。だから、いくらその合理性を説かれたって、阿呆らしく頷く気はさらさらなかった。
しかし妙なのは、こちらに向けられた黒々とした視線が、なんら不思議そうじゃないことだった。すべて理解していて自分は違う行動を選択している、それが賢いから――そうとでも語りたそうな眼差し。嘲笑うかのようなそれは、自分をひどく惨めにさせる気がして、心底腹が立った。
これ以上相手の調子を乗せるのが嫌で、黙る。イヴァンは暫く黙って、不快な視線だけを寄越していたが、また徐に、口を開いた。
「ナリが聞いたのはね、その血があれば、俺たちを『もう一人』生み出せるかもって話らしいよ」
「……は?」
あまりにも突飛な仮説だった。思わず聞き返したくなってしまうほど。だがすんでのところで止まった。そんなことに興味を示していると思われるのさえ嫌だ。やり方とか、真偽なんてどうでもいい。気色悪い。身体が、本能的に、その話題を拒んでいる。
ティルは立ち上がろうとしたが、できなかった。その瞬間に肩に置かれた手に、ぐっと力を込められて、地面に留められたからだ。
「まあ、一人分じゃ駄目なんだろうけど――ねえ、ティルはどうやって俺たちが生まれてきたか知ってる?」
ずいと迫られて、イヴァンの顔が近づく。咄嗟に闇を飼う眼差しから目を逸らすと、今度はすぐ近くに赤い舌と、凶悪さを象徴する尖った歯が覗いた。込めていた力をなくし、肩から首、そして後頭部へとそっと滑らされた手つき、囁く声に、ぞわりと鳥肌が立った。
問いから連想させる行為について、答える気は起きなかった。すぐに、気色悪い手を振り払って、足がもつれるのも構わずにその傍から逃げて――はあはあと乱れた息を整える頃には、あいつのいない芝生の上に転がっていた。
どくどくと、赤い血を巡らせて自分たちを生かそうとする音が激しくなっている。頭に集まる熱のせいで脳味噌が破裂してしまいそうになるが、それすらも不快な感覚だった。遠くで、あの男が愉快そうに笑うのが聞こえる気がして。
黒々と夜の色をした硬い髪が揺れる。初めてここで会ったときのあいつに似てぼんやりとした瞳が、その隙間から覗く。だが、そこに浮かぶのは、髪とは違う、目立つ色……自分は飽きるほどよく知っているもので。
そこにある芝生の緑でさえこちらを挑発しているような気がして、朝口に詰め込んだものが、腹の奥底から上がってきそうになった。不意に脳裏に過った幻がいやに克明なのも、全部、全部、あいつのせいに違いない。
オレたちと同じように閉じ込められて、生きていく。したくもない想像の先で生まれた産物に、反吐が出た。