唐門解錠【写真】
「暗いところが怖いだって?んじゃあの不法買取店の古倉庫には、一大決心して入ったわけか。色々いたのに良くやるもんだ。見直したよ。」
「い!?」
「んあぁ…すまん、なんでもない。冗談だ。何も問題な…あ、そう言えば少し前に、ストウから写真を貰ってな?これに写ってるのはお前か?」
「心霊写真なら私、見ませんわよ。」
「普通の写真。何も写ってない。」
まぁまぁ、と適当に笑って流したコンスゥは、真新しいアルバムをカワベに渡してやる。カワベは中華粥を食べる手を止めて『心霊写真ではございませんわよね…?』と三度確認し、何も貼られていないアルバムをめくりめくり、たった一枚だけの、日に焼けたモノクロの写真を見つめた。
「…何なんですの、このお写真は。印字は…六十年前かしら…私、まだ産まれておりませんわよ。」
「極東の旧字は読めないんだが、これ写ってるのカワベだろ。制服着てるし、車も今乗ってるのと同じ。」
「そのようですけれど。なんですの、これは。」
「ストウに押し付けられたんだよ。オオヤドリって所からくすねてきたらしい。」
コンスゥは揚げパンをお粥に付けながら、当時のことを思い出すように天井を見上げる。
いつもの様にストウが来て、バディになってと誘われて、前から気になっていた店で夕飯を食べて。少し買い物してからいつも通りに別れ、けれどそのあと呼び出されたので出向いてみたら、前置きもなしに写真を押し付けられた。説明も何もなく、とにかく隠しておいてと繰り返されるだけだった。まぁ隠し事の一つや二つ…と引き受けていたのだが、この写真を受け取った時に思ったのだ。
これやばいのでは?と。
諸々に慣れているコンスゥですらそう感じたのだから、ただの人間であるストウは一体どのように感じていたのだろうか。
「写真の他にも鞄とか古い携帯とか、あと密閉袋入りの靴も渡されたこともある。一応隠してあるが、全部オオヤドリって所から持ってきたやつらしい。それ以外には何も話してくれなくてな。」
「先輩が何も仰らなかった?それは間違いございませんこと?」
「間違いない。なんだ。やっぱりオオヤドリとやらはやばいのか。困るなぁ。私お焚き上げ苦手なんだよ。どうやっても芯が残る…。」
「芯?はよく分かりませんけれど、霊的なやばいではございませんことよ。オオヤドリと言うのは…そうですわね、貴女について話してくれるのなら、オオヤドリについて話して差し上げますわ。私、非常に詳しくてよ?如何?」
「ん、じゃあいいや。これまで通り隠しておけば、一先ずは何も起こらんだろ。」
「ちょっと!」
お待ちなさい!とカワベはアルバムを閉じかけたコンスゥを止める。分かっていたのだろうコンスゥは笑って、尾で椅子を引き寄せると腰を下ろした。白髪に夕日が当たり、柔らかに輝いている。琥珀色の目は鮮やかさを極め、白鱗尾はほんのりと夕日色だ。
「これでも私は極東人受けが良くてな。」
「みたいですわね。」
「だが豹種獣人の反応を見ただろ?私を知った奴は皆あぁやって首筋の毛を逆立てる。知ったつもりの奴もな。」
「あら、コンスゥ貴方もしかして、好かれたい性格だったりされるのかしら。てっきり悠々自適なミステリー獣人かと思っていましたわよ。」
「…そりゃあ、誰しも嫌われたくはないだろう…だから弟の願いも聞いてやったんだよ。可愛い弟だったんだ。んで聞いて、こうなって、でも縁までは切れずに、名前も何も言わないように暮らして百年だ。たった百年。」
───────
【秘め事】
誰にでも秘密はある。
ストウにもカワベにも、コンスゥにも秘密はある。ストウはオオヤドリから見事な手癖で物を盗み出したし、コンスゥはかれこれ百年人間不信で、カワベは身分を偽造して生きてきた。
この中でもっとも可愛らしい秘密はどれか?と問えば、紛れもなくコンスゥのものである。窃盗や偽造に比べれば、人間不信くらいなんてことはなく、少なくとも他人に迷惑はかからない。だがコンスゥは弟に利用されてからというもの、かれこれ百年経っても立ち直れず、名を伏せ種族を誤魔化し隠し続けている。
「ストウは良い先輩だったか?」
「えぇ。素晴しい方でございましてよ。先輩に見初められた貴女なら、誰よりも理解しておられるのではなくて?」
「まぁ、それなりに。」
それなりに。
結局、いつもそれなりだ。それなりに友好関係がありそれなりの信用があり、それなりに頼られている。そしてそれなりに、それなりに…コンスゥはそれなりに振舞ってしまう。
「…?」
何かの異変を見抜いたカワベは、珍しく無遠慮にコンスゥの目を覗き込んだ。琥珀色の目は驚いた様に見開かれたが、すぐニッコリと笑って上手く誤魔化す。誤魔化されてしまったカワベはカツカツと中華粥を完食し、その勢いに任せて『話してくださいまし!』とやや強めの口調で注文をつけた。
「話してくださいまし!」
「何を?」
「何をそんなに恐れていらっしゃるの。」
「そう凄むなって。お前もしや、結構な熱血だな?」
「話をそらなさいで頂けませんこと?」
「そらしてるわけじゃなくて。」
「…コンスゥ、何を言い淀んでおられるの。」
「そりゃあ。まぁ、人が死んでるからなぁ…。」
「本当のことを教えてくださいまし。」
「素直に要求してくるお前の誠意は認めよう。だがな、今考えるべきは…。」
「話を、逸らさないで、くださいまし。」
「…すまん…。」
怖…とコンスゥは小さくなり、白鱗尾をぺしゃりと垂らす。尾を垂らし、食べかけの粥をクルクルと手持ち無沙汰に混ぜ、どう話そうか、どう切り出そうか、話さずに済む方法はないのだろうかと考え始める。だがストウの無言に耐え兼ねて、大きな溜息を一つこぼした。
「そのなぁ…いやな?カワベのことは好きだぞ?でもなぁ…。」
竹の葉がひらりと一枚、カワベの手元に落ちてくる。若い葉には傷一つなく、ほのかに青い香りがした。
「なら私からお話ししますわ。お聞きになって?」
カワベは食後のお茶を注ぎながら、西日に染まる竹林を見やる。
「わたくし、南銀にある古鉄塔守の出なのですけれど、ずっと物知らずな平民のフリをして生きてきましたの。親が錆燋銅に憑かれましてね。わたくし怖くて、逃げたくて。だから一心不乱に遺してもらったものを全部捨てて家を飛び出して以降、名前も苗字も身分も捨てて、必死に生きてきましたわ。けれどこのままですと、古鉄塔守として連れ戻されるのは時間の問題でございますから、コゥウェイに逃亡しようと思いましたのよ。一か八か書類を…お育ちの良さそうな女性の書類を奪いまして、その方は小さく切って捨てまして、証明写真を貼り替えて…アンピールになりましたの。」
コゥウェイに来て失踪なりすれば、そのまま極東から離れられると思ったから。極東のような国民管理システムが普及していないコゥウェイならば人生をやり直せると思ったから、全てを偽造してアンピールになった。
しかし考えが甘かった。
確かに極東からすれば、コゥウェイの社会制度は一時代古いものである。この点についてはカワベの予想通りで、コンスゥを初めとしたコゥウェイ国民は戸籍と言う言葉すら知らなかったのだ。しかしカワベは、コゥウェイの化け物を知らなかった。古鉄塔から逃げたかったのに、古鉄塔以上の存在がいると、コゥウェイに来てから知ってしまった。
老翁(ロウオウ、佰担(ビャクタン、呼(コ、府碓(フウス、他三十二の化け物を、コゥウェイは三十六首と呼称していて、古鉄塔守に似た家元が幾つか存在しているのだ。だが家元に産まれさえしなければ、他人事でいられる点は極東と大差ない。コゥウェイにカワベ家が移住してこない限り、カワベは素知らぬ顔をして生きられるだろう。
「古鉄塔守の家系になんて産まれたくなかったのに。わたくし、普通の家で普通に暮らして、普通の人生を歩みたいだけでしてよ?権力や権威だなんて所望してはおりませんし、大成も名声も…興味ありませんわ。」
「欲がないのな。ストウは妙に向上心が強かったが。」
「先輩は組織を変えたいと仰ってましたわ。もっと堅実な組織にしたいと…ではなくて、コンスゥ。」
「ん?」
「ん?じゃございませんわ。」
「んあぁ…お前、本当に粘るなぁ…。」
やれやれと笑って立ち上がったコンスゥは、ギャラリーから借りたまま、返し損ねてしまった太刀に手を伸ばし…コツンッと床を打ち付けて尾を揺らす。
「私は…古鉄塔の裏首、凝津(コルツ)。表の菴浪(アンラン)とは双璧の仲だな。会ったことないけど。会えるもんでもないし。」
「…では、わたくしの…。」
「弁明させてくれ。やったのは表のアンランで、私はこっちのコゥウェイにしか干渉できない。同じ古鉄塔だが何も知らない。」
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【もう一度】
「正しく言えば古鉄塔だった、だな。」
「そもそも古鉄塔って何ですの?」
「その前に少し表を片付けてくる。ホラー苦手なんだろう?ここに来る前に消した方がいいよな?」
「何が来るのか分かりませんけど、是非お願いいたしましてよっ!!」
「閣下がそう仰るなら、ちゃちゃっと片付けてくるかねぇ。」
あははと笑うコンスゥは太刀をふりふり、少し楽しそうに表門のある方へ歩いて行く。カワベはできるだけそちらを見ないようにしつつ、閉じられたアルバムを手に取った。
六十年前の写真に、何故か写っている自分の姿。これをオオヤドリから盗み出したストウは、私腹肥やしの最中だったオオノキに殺された。豹族に襲われて足を失いかけたカワベは、暗闇でも駆け回るコンスゥに守られたが、コンスゥはカワベの両親を憑き殺したアンランの片割れだと白状した。
(錆燋銅…幼いながらに覚えていますわ…真っ赤な空が…あれは朝焼け?夕焼け?どちらでしたっけ…?)
外からは特に何も聞こえない。
戦闘音はおろか、竹の葉を踏み歩く音すら聞こえなかった。まぁカワベは詳しいことを知るつもりすらないので見ざる聞かざるを貫いているが、それでもあまりにも無音が続くと、それはそれで不安になってきてしまう。かと言って見に行こうにも、足を思えば一歩たりとも動くべきではない。
怖い。けれど気になる。
なのにどうにもできない。
カワベは気をもみながら、チラリとそちらを見る。するとひょこりとコンスゥが竹林から顔を出した。
「錆燋銅ってのは、感染症みたいなものだ。」
「…と言うことは、アンランが病原と解釈しても宜しいのかしら?」
「まぁ大体はそんな感じだな。だがアンランにとっては呼吸の副産物。お前が二酸化炭素を出すように、あれは錆燋銅を吐くだけのことだ。悪意はない。」
「薬は…。」
「分からん。そもそも感染症みたいなものであって、正式な病気じゃあない。」
折れた太刀をぽいと捨てて戻ってきたコンスゥは、カワベの疑問に軽く答える。ストウから『本名年齢種族、私生活不詳の獣人』と聞かされていたカワベは拍子抜けしつつも、好機とばかりに質問攻めしてみることにした。
「古鉄塔は何ですの?」
「古鉄塔は古鉄塔だが?」
「そうではなくて、おわかりになるかしら。」
「アンランの巣。鉄塔の格子具合いが丁度結界代わりになるもんだから、気に入ってるんじゃないか?ずーっとあの鉄塔の中に亜空間の巣を張るくらいだ。相当に気に入ってると思うぞ。」
「貴方は何ですの。」
「コンスゥ。」
この名前気に入ってるんだ、とコンスゥが笑う。茜に染まっていた竹林は次第に暗くなり、竹の葉の先がじんわりと銀色に輝き出した。
地下大国コゥウェイには日光も月光も、地表の一個下に広がる地下世界、零一層の一部にしか届かない。リィンオユのある零四層からは光はおろか空そのものすら拝めないのだが、代わりに鉱石が光ってくれるのだ。輝鉱石と呼ばれるこれは生活に欠かせない資源であり、極東国で言う電灯の代わりとなっていた。
「ネファユカさーん、お届け物でーす!頼まれてた古い本!」
「ん、キツツキの坊。さすが早いな。」
「これでも本屋のバイトだからさ!使いっ走りはお手の物っ。」
「偉いもんだ。お前ついこの前までまこーんなにちっさい雛鳥だったのにな。偉いもんだからお駄賃やろう。美味しいものでも食べておいで。」
「ありがとござしゃす!」
バッと東屋に入ってきて、バッと出ていったキツツキの獣人に救われたコンスゥは、さぁてと…と呟いて大きなビーズクッションに埋もれる。そのままカワベの視線をスルーし続け、部屋着を毛布代わりに寝てしまった。
ベッドの上には〈お届け物〉の風呂敷包みが置きっぱなしにされていて、まるで『開いてどうぞ?』とばかりである。この頃にはとうに遠慮も何もなくなっていたカワベは、随分と重い包を引き寄せて物色させてもらう事にした。
包みを開けば、古い本が現れる。
虫除けの香が鼻をつく、ざらりとした表紙の分厚い本だ。開けば達筆な筆使いがページを占領し、まるで古い古い巻物を開いてしまったかのような錯覚に陥る。普通、現代の極東人なら解読不可の崩し文字。なのにカワベはスラスラと読み進めていた。
「……その巨躯は霧中の山脈に似て、幽幽と地の底に鎮座せり…鱗は輝き、腕には金を抱き、けして嘶くことはない…その御名はコルウェイルツ。コゥウェイの柱が一体である…。」
そう、コルウェイルツだ。
六十年前の極東で、カワベの目の前に現れた獣人コルウェイルツ。当時のカワベはとっくに成人して、一人暮らしを謳歌していた。特に特別な人生ではない、普通の日々を送っていた。いつも通りの茜空は世界を染め上げ、たった一つの異点としてコルウェイルツを極東に招いた。
「もう一度、挑もうとしているなどとは、まさかと思いますけど言いませんよね?」
「!?」
「シー、静かに。コルツ姉様が起きてしまう。忠告しておきますよ、人間。先の人間のようになりたくなければ、このまま大人しくしていなさい。どうせ貴女は極東に帰れない。ここで姉様の同居人として、それなりに暮らすのが最良の選択でしょう。」
「…。」
「貴女がコルツ姉様の所有物として大人しくしている限り、総本山領府も霧護ノ大宮も、何もしませんよ。それどころか金銭から何から、至れり尽くせりで支援してくれるでしょう。」
「そこまでしてでも、コンスゥをあの姿のままでいさせたいのかしら。」
「えぇ。人丈で可愛らしいではありませんか。人のように笑い、暮らし、美味しいものを食べ、可愛らしい服をお召しになっておられる。可愛いのだから、可愛いままで居て欲しいと思うのは当然では?」
「本人の意思を聞きなさい。」
「意思を持ったのも、今のお身体になったからこそ。戻ってしまったらもう一度足りとも、世に関心を示すことは無くなるでしょう。」