砂糖はなくても構わない 恥ずかしげもなくパンツ一枚で早朝のベランダに立つ兄を見て、凛は真っ先にこの人の中には羞恥や情緒というものがないのか、と思った。
昨晩、初めて身体を繋げたというのに起きたら隣に兄がいないものだから寝起きで靄がかかっていた頭も一瞬で冴えてしまった。ベッドから飛び起きてリビングへと向かえば、そこには呑気にベランダに立っている兄の姿。はぁ、と兄にはバレないように小さく安堵のため息をついた。
「おはよ、兄ちゃん」
「おう」
兄はこちらに見向きもせず、ただ青とオレンジのグラデーションがかかった空を眺めていた。兄の背中は色濃く情事の跡を残しており、昨晩の出来事を思い出させる。
「コーヒー飲む?」
「あぁ」
気恥ずかしくて見ていられず、誤魔化すようにキッチンへと足を運んだ。凛は寝起き以外にも理由がありそうな掠れ声で確認すると、ケトルの電源を入れた。その間に二杯分のコーヒー豆を量り、電動のコーヒーミルで砕いていく。勢いよく砕かれたそれは濃く香り、幾分か凛に冷静さを取り戻させる。
凛がそんなことをしてる間に兄が気まぐれで購入した最新式の電気ケトルは既にお湯を沸かし終えており、閑静な部屋の中に軽やかな電子音を響かせていた。
凛にコーヒーを淹れる心得は無い。ドリッパーにコーヒーフィルターをセットして、いつかに見た手順書の記憶を辿りながらそれっぽくお湯を注ぐので手一杯だ。ふっくらと膨らむコーヒー豆の山をぼーっと眺めながら、そこへ静かにお湯を注いでいく。
三度目のお湯を注ぎ終える頃にはすっかりキッチンはコーヒーの香りで満たされていて、蒸し暑さによって感じていた不快感がマシになっていくような気がした。
寝起きから既に蒸し暑さを感じさせる今の時期にゆらりと立つ湯気は余計かと思ったが、まぁ許してくれるだろう。この時期、冷たいもので身体を冷やしがちなのでまだ暑さが厳しくない時刻に温かいものを飲むのも悪くない。本当はただ面倒だっただけだが、それっぽい言い訳をして熱いマグカップを両手にベランダへと向かった。
「はい、兄ちゃん」
おもむろにベランダのサンダルを履いて兄の隣に立つ。サンダルは僅かに小さい。恐らく凛のサンダルは今兄が履いているのだろう。マグカップを受け取った兄は一言礼を言うと、まだ熱いコーヒーに口をつける。
「あちぃ」
「さっき淹れたばかりだから仕方ねぇだろ」
文句は言うくせに未だに視線はベランダの外へ固定されたままで一向にこちらを見やしない兄のあまりの情緒の無さに呆れ、一言くらい文句を付けてやろうと思い凛は視線を横へ向ける────が、文句はあっさり引っ込んだ。
だって凛が隣に視線を向けてみれば、兄は耳まで真っ赤に染めていて、どうして頑なにこちらを見ないのかなんて聞かずとも分かってしまうくらいには赤かったのだ。つい笑みがこぼれるというもの。
「…………兄ちゃん、そんなにあつかった?」
これはちょっとした凛の仕返し。朝起きて隣に兄が居なかったことで少し肝を冷やしたのだ。このくらいは許されるだろう。
「あ?だからそう言って……────っ!」
どうやら兄は凛の視線に含まれる意味合いに気付いたらしい。強く凛を睨みつけて、舌打ちをもらす。
「ははっ、ごめんって」
「……愚弟」
軽く肘で小突かれるのを笑っていなしつつ、まだ冷める気配のないコーヒーを啜る。今日のコーヒーはやけに甘さを含んでいるような気がして、その甘さについ口元を緩めた。