旧友悪友、または先輩後輩「よぉ、デイヴィス」
声をかけるなり隣に座った旧友に、デイヴィス・クルーウェルは大きく舌打ちした。
「どうした? デヴィ?」
ニマニマとこちらを覗き込む顔に一発入れてやりたいが、この場所でそんな事をしたら出禁だ。お気に入りのバーであるだけに、こんな奴の為にマスターのお酒が飲めなくなるのは実に勿体無い。大きく息を吐いて、ウンザリと眉を顰めて振り向いた。
「何の用だ。ルーカス」
言外に、下らない用事だったら鞭の餌食にしてくれると語る物騒に顔にも動じず、ルーカス・ワァーラーは素知らぬ顔でマスターに注文する。
「モヒートを一つ」
「お前、そんな可愛いのを飲む柄だったか?」
学生時代からの腐れ縁というのは厄介だ。性格の変えようがない部分を余すところなく知られている。
「今日は飲みに来たんじゃないからこれで十分だ」
「さてはレディに格好を付けてるな? 誰だ?」
店内を流し見たが、めぼしい相手を見つけられず、ロックグラスの中身を一口煽る。鼻まで抜ける香りが最高だった。
「そんなんじゃねーよ。それに俺は可愛い婚約者一筋だ」
マスターが指で滑らせてきた細長いグラスの中身を半分ほど煽ると、ルーカスは顔を顰めたクルーウェルに反撃に出た。
「デイヴィスこそ、引く手数多だろうに。最近はご無沙汰だって?」
「はん、今は新しく飼い始めた子犬どもの躾で手一杯だ」
「まーだ鞭持ってんのかよ」
「なんだ? これが俺のスタイルだが?」
「へーへー」
学生時代からトレードマークだった鞭捌きに衰えはないらしい。NRCの後輩どもを憐れみながら、ルーカスは本題に入る事にした。
「見覚えあるだろ?」
カウンターに広げられたのは、クルーウェルの筆跡で彩られた紙だった。
魔法インク販売許可書。
魔法士養成学校の教員として、生徒に出す許可書の一種だ。本来国際魔法士資格を持っていないと取り扱えない特殊なインクを、在学中に技術修得のために購入する事が出来るようになる教員発行の許可書。クルーウェルが何十枚と書いてきたこれに、なんの問題があるというのか。
「危険物取扱責任者の国際資格を更新したばかりのデイヴィス・クルーウェル先生?」
許可書の日付とルーカスの言葉に目を見開き、呻きながら手で顔を覆ったところを見るに、心当たりがあるらしい。
「Shit! くそ、俺とした事が」
「ほれ、請求書」
国際資格更新期間は、生徒に購入許可書を発行する事ができない。
見落としがちな事だが、教員をやっている以上、そんな事も言っていられない。救済措置として、特例措置の申請をすれば良い事だったが、今年入学の一年生に手のかかる問題児が多すぎおてすっかり忘れてしまっていた。
「手間をかけたな。ローズハーツのインク購入は大丈夫だったのか?」
「おう、トレイン先生にお越しいただいて許可を貰ったからな」
渡された請求書の金額に眉を顰めながらも、財布を取り出そうとしたクルーウェルの手はその言葉に止まった。
「……は?」
「こえー顔。あの時間に来てくれそうな、危険物取扱責任者の国際資格持ちの先生が他に思い当たるか?」
いくつかの顔が脳裏に思い浮かんでは、バツ印を付けられていく。
「はぁ〜〜! クソが」
セットした髪をぐしゃぐしゃに掻き回して、クルーウェルはギロリと腐れ縁の後輩を見た。
「なんだよ、デヴィ先輩? 迷惑をかけた可哀想な後輩に奢ってくれても良いんだぜ?」
ふざけた呼び方にクルーウェルは思わず腰元の鞭に手が伸びたが、大きく息を吐いてロックグラスを掴んだ。喉を鳴らして中身を一気飲みすると、隣に座る可愛げのない後輩の分も一緒に注文してやる。
「マスター、アオクトリの80年ものを二杯。俺とこいつに」
「はぁ!? そんな度数の高いやつ!」
「良いから奢られろよ、後輩」
ガシリと肩を掴まれた手に込められた力は、どうあってもルーカスを逃さないようだ。
「ほら、請求書の分も払ってやる。貸せ」
財布から取り出したカードを請求書に当ててやれば、小さく認証が光り支払い完了の印字が浮かび上がる。押し付けられた請求書にルーカスが魔法石を翳せば、自動的に複製された請求書が現れる。
「お支払いありがとうございます。今後ともご贔屓に」
どこに持っていたのか、店名が印刷された薄緑の封筒を取り出し、請求書を仕舞ってからクルーウェルに渡す。
「あぁ、ほら飲め」
「俺、可愛い婚約者が家で待ってるんで早く帰りたいんですけど。先輩」
「バッボーイ。誰が逃すか」
店舗保管分の請求書を店に飛ばしてから、可愛げを出しつつ先輩のおねだりしたものの、効果は全く発揮されなかった。
「はぁー、せめてエリンに連絡ぐらいさせてくれますよね?」
「レディはエリンと言うのか。今度挨拶させろ」
「嫌ですよ。先輩に会ったらエリンが汚れます」
「なんだと」
「先輩の女遍歴を知らないとでも思ってるんですか」
インク屋の倅という事で、NRC卒業後も何だかんだで付き合いが長い間柄である。
「それにエリンは未成年なんで、先輩みたいな男には引き合わせられません。教育に悪い」
「教員に向かって教育に悪いとは何だ貴様。と言うかお前その年で未成年の婚約者だと? 犯罪じゃないか。マジカルフォースまで一緒に行ってやる。自首しろ」
「はぁ〜〜〜!? 自分が相手がいないからって、後輩相手に嫉妬は情けないですよ!」
話している内に学生時代の敬語に戻った可愛くない後輩の肩を掴んで、揺さぶる。
「ほら、キリキリ吐け。レディとの出会いから全部だ。先輩の酒の肴を提供しろ」
「なんて横暴な先輩だ。いやだ」
「俺がお前を逃すと思うか?」
「くっそ、バカ力め」
逃げられない事をとうとう認めて、ルーカスは度数の高い酒を一気に煽った。飲まなきゃやってられないとはこの事だ。
カランッとグラスの中で氷が転がる音と共に、ルーカスはこれまでの鬱憤を晴らすように口を開いた。誰かに話したかったのも本当だ。その相手がこの、案外口の固い先輩であるならば、不足はない。マスターは聞こえないのが得意だし、バーの中の情報を漏らすなんて事もしない。手早く二人の周りに某音魔法をかけてから、ルーカスの口は滑らかに動き始めた。
「そもそもエリンは行儀見習いの形式で親に売り飛ばされてこっちに来たんですよ。三女にまで高等教育は受けさせても無駄だって親が考えるような、輝石の国のあそこ出身なんで」
「はぁ!? 輝石の国のあそこか」
クルーウェルの眉間に皺がよる。
「あそこ出身の仔犬どもの躾は手間がかかる」
意識改革というのは教師の手に余るほど大変だが、やらない訳にもいかないのが苦しいところだ。
「存分に鞭を振るえますね」
「馬鹿者。本当に生徒に体罰を与える奴があるか」
「……学生時代の暴れっぷりはどうしたんですか」
「俺も大人になったという事だな」
訝しげな表情が存分に顔に出ていたらしい。先輩の顔が得意げな表情から変わっていくのに、面倒臭いと思いながらも口から出たのは笑い声だった。どうやら良い感じに酔っ払ってきたらしい。
そうして、大人の賑やかな夜が更けていく。
ルーカスからメッセージを受け取ったエリンは早々に床についたが、ルーカスが店に帰れたのは夜も明ける頃だったようだ。