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    あお(蒼原)

    @aohr_damanya_sf

    『SPY×FAMILY』のダミアン×アーニャ(ダミアニャ)の二次創作の小説を上げています。
    基本的には、

    ・自ツイアカで連載中の作品
    ・「供養」(完結の目処が立たなくなった)の作品
    ・一般受けしなさそうな自己満でしかない作品

    を上げます。
    ノーマルで完結しているものはpixivに上げます。

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    あお(蒼原)

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    『SPY×FAMILY』のダミアン×アーニャがメインの長編。
    現在Twitterにて連載中。

    イーデン校卒業目前、ダミアンがアーニャの進路を尋ねたところから始まる、シリアスめなお話。
    まだまだ先ですがハピエンです。

    捏造設定が盛り沢山なのでご注意下さい。

    #スパイファミリー
    spyFamily
    #ダミアニャ成長if
    damianiaGrowthIf
    #アーニャ・フォージャー
    anyaForger
    #ダミアン・デズモンド
    damianDesmond.

    Stand By Me, Stand By You「イーデン卒業したら、遠い国に行こうと思ってる」
    「――え……?」

     放課後。皇帝の学徒インペリアル・スカラー専用棟内の小さな会議室。
     ミーティング用の幅が広いテーブルを挟んだ向こう側に座っている彼女から発せられたそれに、ダミアンは思わず書類から視線を跳ね上げた。
     その視線の先、窓を背に俯き加減で書類の束をトントンと整えていた彼女。普段の大雑把な振る舞いに似合わずきっちり揃えられたその束をそっとテーブルに置いて、顔を上げた。

    「……このまま東国オスタニアに居続けるの、多分辛い。卒業したら家族もいなくなるし」

     そう告げる彼女――アーニャの顔は、急に差し込んできた強い西陽のせいであまり見えない。


    ◆◇◆


    「あーあ、あと1週間で卒業かぁ……」
    「そうだな」

     ここ数ヶ月、ダミアンはアーニャと放課後にこうして2人で皇帝の学徒インペリアル・スカラーにのみ入室が許される会議室に籠って仕事をするのが当たり前になっていた。
     ダミアンは6年生で、アーニャは11年生でそれぞれ皇帝の学徒インペリアル・スカラーになって、今日まで務めを果たしてきた。特に、最高学年になってからは責任も仕事も増大し、会長に就任したダミアンに至っては多忙を極めた。
     だが、卒業まで3ヶ月を切る前に会長交代で退いてからは少しずつ仕事が減り、卒業1週間前となった今はかなり身軽になった。それでも前会長として卒業前日までやることがある。そんなダミアンにアーニャがサポート役を買って出てくれ、必然的にこうして行動を共にする事が増えた。
     だが――そんな日々もあと1週間で終わる。
     正直言うと、名残惜しい。非常に、非常に名残惜しい。ダミアンにとって、彼女と2人で過ごす時間はとても安らかで至福だった。
     でも悲しいかな、卒業したら彼女と共に過ごす事は叶わない。ダミアンは市内にある国内屈指の難関と言われる大学に進学するし、彼女は――

    (そう言えば、フォージャーは卒業後どうするのか聞いていなかったな……)

     思い出す。
     確か、会長の座を退いた頃に尋ねた時は「ん~……」と困ったように唸るだけで、明確な答えがないまま別の話題に移ったのだった。
     だから改めて知りたくて、ダミアンは尋ねた。

    「なぁ、フォージャーは卒業後どうするんだ?」

     その瞬間、書類を揃えていた彼女の手の動きが止まった。それと同時に強ばる表情。

    「……あ、うん……」

     ややあってから返ってきた答えは、またも曖昧だった。

    「まさか、この期に及んでまだ決めていないわけじゃないだろ?」
    「……うん、そうなんだけど……」

     妙に歯切れが悪い。

    「俺には知られたくない、ってか?」
    「……」

     無言。

    (何だよ図星かよ……)

     面白くない。13年間共に過ごして、特に最後の3年間は同じ皇帝の学徒インペリアル・スカラーとしてより多くの時間を共有してきただろうが。そんな俺にも知られたくないってどういう事だよ?
     ダミアンは胸中が陰っていくのを自覚し、それを彼女に悟られまいと、手元の書類に視線を落とした。
     対して彼女も、再び書類を揃える作業を始めたが、口を引き結んでいるその表情で、頭の中では必死に答えをまとめているであろうが見て取れた。
     トントン、トントン、と優しい手つきで書類の端を綺麗に揃えていく。スカラーになってから、難しい事務処理は苦手だからと雑用を買って出ていたうちに、書類整理で紙束を綺麗に揃えるの上手くなったと言う。そんな彼女の手の動きを視界の端に捉えながら答えを待っていると、彼女は意を決したように漸く口を開いた。

    「イーデン卒業したら――」


    ◆◇◆


     強い逆光でダミアンにはアーニャの顔が見えないが、口調のどこかに寂しさを感じる気がするのは気のせいだろうか。
     だが、今のダミアンにはそれに気を掛けている余裕が1ミリもなかった。あまりにも衝撃的だったから。

    東国オスタニアから出るのか……?」

     聞き間違いであってくれ! と強く願ったのに、

    「うん」

     返事は是だった。

    「……な、んで、だよ……? それに、家族もいなくなるってどういう事だ?」
    「そのままの意味。
     ちちは本来の立場に戻って、ははとアーニャはちちと結んだ契約終了。最初の予定通り……じゃなくて、アーニャのために延長したけど」

     契約終了?
     延長?
     一体、何の話をしているんだ……?

     困惑のあまり沈黙するしかないダミアン。彼女は続ける。

    「東西の国が平和になったから、ちちはここにいる必要がなくなった。むしろ、平和が確約した時点ですぐに戻って良かったのに、偉い人にアーニャがイーデンを卒業するまで家族を続けたいってお願いしてくれて、偉い人もいいってしてくれた。
     ――だから、来週の卒業式の日で家族はおしまい。アーニャは1人になる」

     一気に紡ぎ出される言葉は、ダミアンを更に混乱させる。理解が追い付かない。
     硬直したままのダミアンに対して、彼女は書類をまとめる作業を再開した。テーブル上の作業スペース外に避けてあったファイル手元に引き寄せて広げ、揃えた書類をファイリングする。

    「今まではちちとははがそばに居て守ってくれたけど、これからはアーニャが自分で身を守らないといけない。でも、アーニャがこの国で1人だけで生きていくには、ちょっとわけがあってリスクがあるんだ。でも、遠い国なら多分安全。
     それに――じなんの事、卒業したら忘れたい」

     急に放たれた言葉に、ダミアンは耳を疑った。

    「は? 何言って――」
    「婚約者、いるんでしょ?」
    「っ」
    「冬の頃に国内で発表するって」

     ガタン!
     ダミアンは思わず立ち上がった。

    「何でそれ知ってるんだ」

     彼女が言ったそれは事実だった。
     ――東西の国が和平を結んで半年くらい経った頃か。父上から急に呼び出されて顔を合わせるや、ダミアンが西国の高官の令嬢との婚約が決まったと一方的に告げられた。お相手はダミアンと同い年で、2人が現在それぞれ通う学校を卒業した半年後を目処に双方の国で公式発表し、大学卒業後に婚姻するところまで決まっていると言う。

    『そんな話、聞いていません!』
    『言っていなかったからな』
    『結婚は兄貴の方が先でしょう』
    『デミトリアスには、再来年に私の地盤を継いで議員になってもらう。結婚はその後だ』
    『それでもっ――』
    『ダミアン、残念だがお前は政治の世界に向いていない。デミトリアスに及ばずともせめて素質があれば、いずれはデミトリアスの秘書に据える事も考えたがな』
    『……っ!』
    『それについては断念したが、デズモンド家の男が政界に全く関わらないのは大いなる恥になる』
    『――それで、パフォーマンスのために、見ず知らずの御令嬢と政略結婚をしろと……?』
    『お前も結婚とはそういう物だと理解しているだろう?
     まさか、デズモンドを名乗っていながら、結婚相手を自分で選べると思っていたのではあるまい?』
    『――……』
    『結婚後は、デズモンドの血を絶やさぬために子を何人か成せ。それと対外的に夫婦円満を装う事さえすれば、陰で女を何人作ろうが構わんぞ。先方も似たような条件で了承済みだ。
     あぁそれと、お前には大学を出たらデズモンドのグループ企業のどこかをくれてやろう。希望はあるか?』

     ――あぁ、そっち・・・だったのか……。

     ここ数年で父上との関係が昔以上に希薄になったのを感じ取っていたが、自分に対して無関心になったからと思っていた。だが実際は、政界に向かないと見限られていたのが理由だったらしい。父上の中での自分は最早、デズモンド家の種馬程度の存在のようだ。
     それについて今はさておき――

    「婚約の事はまだ漏らしていないはずだぞ」

     この件は、デズモンド家や仕える者でも知っている者は極少数。勿論、口外するような者はいない。
     なのに、何故? しかもよりによって、一番知られたくなかったこいつにっ――

    「アーニャさん、何でもお見通し」
    「婚約は親が勝手に決めた事だ! 俺は認めていない!」
    「でも実際、婚約していて、結婚するんでしょ?」
    「そんなつもりはない! 俺が結婚したいのは――」
    「婚約おめでとう、ダミアン・・・・
    「――っ」

     まるで頭を強く殴られたかのような衝撃を受けた。
     彼女が初めて名前を呼んでくれたのが、こんな最悪な話の最中だなんて――
     眩しかった西陽が校舎の向こうに隠れて、彼女の表情が再び見えるようになった。
     彼女は薄く微笑んでいた。

    「西国の偉い人のお嬢様で、『2人の婚姻は東西の平和の象徴』とかってフレーズも付けて発表するんだっけ? なんかすごい」

     冗談めかして笑いながら、彼女は立ち上がった。書類を綴じ終えたから、ファイルを隣の書庫に戻しに行くのだろう。

    「偉い人のお嬢様なら、じなんにぴったりだ。アーニャみたいな庶民とは大違い」
    「おい――」
    「じなんとはずっとクラスが一緒で、こうやっていっぱいお話してきたけど、本当なら庶民のアーニャが横にいるのはおかしい事だったんだよね」
    「何言って――」
    「じなんが幸せになってくれればアーニャも嬉しいけど……寂しい」
    「……ん?」
    「将来、テレビとか新聞でじなんの婚約とか結婚のニュース見るのを想像したら、胸が痛くなるくらい寂しくて、想像するのやめた」

     彼女はまだ笑っているのに、陰って見えたのは室内が暗くなったからだけではあるまい。

    「じなんには幸せになってほしいけど、見守るのは辛い。だからそれもあって、遠い国に行くの」

    (おい待て)

     ダミアンはアーニャの言葉を胸中で反芻する。

    (俺の婚約とか結婚のニュースを想像すると胸が痛くなる、寂しい、って……。
     それって、つまり、こいつ、俺の事を……?)

     我知れず己の手を握り締める。

    (だったら、だったら尚更っ――)

    「――かせねぇ……」
    「え?」
    「遠い国になんて行かせねぇぞ、アーニャ!」

     ダミアンも初めて彼女を『アーニャ』と呼んだ。
     こんな場面で呼ぶつもりなかった。もっとロマンチックな場面で甘く呼びたかった。でも、もう止まらない。
     彼女の前に立ち塞がって、左腕を掴んだ。彼女の翡翠色の双眸を見据える。

    「俺の幸せは、アーニャと、ずっと死ぬまで隣にいる事なんだよ!」
    「そ、れは、おかしい……」
    「あ おかしい 何がだよ 好きな女と添い遂げたいと思う事のどこがおかしいんだよ」
    「好きな、女……誰」
    「なっ、ここまで言われてまだ分からねぇのかよ お前だよ、アーニャ・フォージャー」
    「……じなん、錯乱してる?」
    「してねぇわド阿呆! ふざけんな! 写真と手紙でしか知らない女と結婚させられてたまるか! そんな相手と結婚して幸せになれるとでも思ってんのか こちとら13年も片思い続けてきたんだ、簡単に諦められるわけねーだろ!」
    「え、と、それって――」
    「黙ってろ! もういい言わせてもらう!」

     掴んでいた彼女の左腕を引き寄せた。するとあっさりダミアンの腕の中におさまる。逃がすもんか、と華奢な彼女の腰と後ろ頭に腕を回して、しっかり胸に押し付けるように抱き締めた。そして――ずっと言いたかった言葉を、静かに告げた。

    「――ずっと好きなんだ。1年生の頃から、ずっと」

     制服越しに感じるアーニャの体温。
     体温が伝わるなら、どうか伝われ、この想いも。

    「愛してるアーニャ。どうか俺と将来結婚してほしい」



    ◆◇◆


    「――ずっと好きなんだ。1年生の頃から、ずっと」

     突然の抱擁。
     続けて、頭上から、そして心からも告げられた。

    「愛してるアーニャ。どうか俺と将来結婚してほしい」
    (愛してるアーニャ。どうか俺と将来結婚してほしい)

     口からの言葉と、心の言葉。一字一句違わぬそれが、アーニャの耳と頭の中に響き、心が大きく震えた。
     愛してるという言葉と結婚を乞う言葉を同時に言われた衝撃は想像以上だった。顔が、と言うか全身が真っ赤になっている気がする。何これすっごく恥ずかしいっ!

    (あ、あばばばばば……!)

     動揺しまくって、ついに思考が意味不明になる。そんなアーニャに気付いていないであろうダミアンは、しっかりと抱き締めたまま続ける。

    「将来、って言うのは、色々外堀を埋めてからにしたいからなんだ。時間かかる事だからまだずっと先になるけどさ、それまでは結婚を前提にした恋人で居てほしい」
    (早まったかな……。でもこいつのさっきの言葉は俺の事を、だよな。なら、今言っておかねーと)

     ――超能力を制御出来るようになり、『閉じる』を会得して数年。以来、他人の心は極力読まないように過ごしてきた。ただ、直接触れている相手の心は聞こえてしまう。
     閉じられるようになってからもこれまでダミアンと触れる場面、例えば軽く手を握る機会も幾度かあったが、『小っさ』『柔らけー』『寒くないのに冷えてんな……』と言った、手に対する感想が聞こえるのが精々。こんな恋愛感情剥き出しにアーニャを見ているなんて思っていなかった。心を読んでしまっていた頃はこんなんじゃなかったはずなのに――

    「お前だって、俺の事好きなんだろ?」
    「……へっ?」
    「俺が婚約したり結婚したりするニュースを想像したら胸が痛くなるくらい寂しかったんだろ? それって、俺の事好きだからじゃね?」

     隠していたつもりだったのに、あっさり彼は突いてきた。と言うか、ダミアンの恋慕がここまでと思っていなかったので、ああいう事言ったところで気付かれないと高を括っていた。アーニャさんしくじった。
     だから、せめてもの抵抗をしてみる。

    「そ、そんな事、ない」
    「じゃあ、何で俺が他の女と結婚するのが嫌なんだ? 俺の事が好きでもないなら、俺が誰と結婚しようが嫌な気持ちにならないだろ?」
    「そ、れは」
    「じゃあ言わせてもらうが、俺はお前が将来、俺以外の誰かと結婚するなんてなったら堪えられない自信があるぞ。考えるだけで胸がすんげぇ痛い。現実になったらしばらく立ち上がれないだろうな。
     そうなるのは、お前の事が好きだからなんだ。俺のこれと、お前の嫌になる気持ち、どこが違う? 同じだろ?」

     一気に畳み掛けられ、アーニャはいよいよ何も言えない。

    「アーニャが俺を選んでくれれば、お前以外の女と婚約も結婚もしないし、東国にいると危険があるなら、それから護ってやる」
    (遠い国になんて行かせるもんか……!)

     抱擁してくる彼の腕に更に力が入る。

    「だから、俺の隣に居てくれっ……」
    (お前がそばにいないなんて堪えられないっ……)

     彼の心から悲痛とさえ言えるような感情。あまりにも強いその奔流に飲み込まれそうだ。
     その奔流を受け止めながら、アーニャはやっぱりじなんが好きだ、と思い知らされていた。
     最初は嫌なヤツってしか思えなかったし、意地悪なことばっかり言ってくるし、俺様野郎だし――他にも色々腹が立つ事がたくさんあった。
     でも、年を重ねるにつれて態度が軟化してきて、口から出る言葉と心の声がちぐはぐなのも減ってきた彼。その頃には認めたくなかったらしい己のアーニャへの恋慕を受け入れていて、態度は素っ気なくても、他の女子へとは違う優しさを見せるようになっていた。
     そんな彼にいつしかアーニャも心を惹かれるようになって……当初は『じなんと仲良くしなきゃ』という使命感と混同しているのかもと悩んだ。でも、彼がアーニャの知らない女子と会話していたり、時々あがった女子との恋の噂でやきもきしたり。逆にアーニャが他所の男子と一緒にいる時、心を読まずとも分かる彼からの嫉妬が嬉しかったり。そんな自分の感情と向き合い、または親友からのアドバイスで、アーニャも彼への恋心を認めた。

     でも――
     自分は元孤児で出自が全く不明だし、西国のスパイであるちちの活動に協力していた。しかも、心が読める魔女・バケモノだ。
     対して彼は、東国で屈指の名門一家の息子。

     釣り合うわけがないのだ。

     だから、言った。

    「結婚は、出来ない……」

     すると、腕を解くやアーニャの両肩を掴んで一旦引き離し、見つめ、いや、睨んできた。

    「何でだよ」
    「何で、って……そもそもじなんには婚約者――」
    「破棄するつもりで、向こうのお嬢さんとも動いている。あっちにも好きな男がいるのに、親が勝手に俺との婚約話を進めてられたから嫌気が差しているらしい」
    「東西の平和の象徴は……」
    「んなモン知るか! 勝手に周りがほざいているだけだ!」
    (東西の平和の象徴なんてどうでもいい! それよりもアーニャなんだよ!)

     諦めてくれない。
     えーと、ならば、これでどうだ。少しは心が揺らぐだろう。そこを突いてやる。

    「えっと、アーニャ、じなんに隠している事いっぱいある。嘘もついてる」
    「……ほぅ」
    「あと――ちちとははにも言っていないアーニャの秘密もある」
    「……お前の、秘密……?」
    「うん、アーニャは普通の人と違うの」
    「……まぁ、お前って色々ぶっ飛んでいるよな昔から」
    「うっ……。
     と、とにかく、アーニャは嘘つきだしこんなだからじなんとは結婚出来ない。ごめんなさい!」
    「はぁ そんな――」
    「えっと、今日はアーニャのやるべき仕事終ったから帰る。だから離して!」

     互いの視線がぶつかる。しかしそれも数秒の事で、ダミアンはアーニャの両肩から手を離すと、部屋の荷物置き場に置いてあった2人分の荷物を片手に持ち、戻ってくるやもう片方の手でアーニャの右手首を掴んで、そのまま会議室を出た。

    「ちょっとじなん、どこへ行く」

     ずかずかと大股で廊下を進むダミアンに引っ張られ、アーニャは小走り気味になりながら尋ねる。ダミアンはちらりとアーニャを見るも、すぐに前に向き直ってしまう。無視されたかと思ったが、彼は前を見たまま歩調も緩めず答えた。

    「『密談部屋』だよ。あそこなら外に声が漏れないし、鍵も内側から掛けられて誰も入れないように出来るからな」
    「やだ! 離せ! 帰る!」
    「お前の言う隠し事だの嘘とやらを洗いざらい全部吐けば帰すよ。スクールバスの最終便まであと2時間あるから、素直に吐けば十分間に合うだろ」
    「お、おーぼー!」
    「何とでも言え!」


    ◆◇◆


     さっきダミアンとアーニャがいた会議室は、鍵が掛けられないし、防音性も完全とは言えない程度。別の部屋に数名のスカラーがいたはずだから、廊下で耳をそばだてられたら聞かれてしまうかもしれない。
     と言うことで、今ダミアンがアーニャの手を引いて向かっている先は、同じ建物内のとある会議室の奥にある応接室。その応接室も会議室も防音がしっかりしているし、鍵が掛けられる。会議室の鍵も掛けてしまえば、その奥の応接室での会話を第三者に聞かれる虞がない。その特性からスカラー達の間では『密談部屋』なんて呼ばれていた。
     その密談部屋に入るなり、ダミアンはやや乱暴にアーニャを三人掛けのふかふかソファーに座らせた。尻もちをつくようにソファーに沈んだ彼女は、柔らかさにやや苦戦しながら体勢を直そうとしている。
     その隙にダミアンは、ドアに鍵を掛けて、更にドアの横に置かれていた観葉植物の大きな植木鉢をドアの前に移動させて塞いで見せた。
     これならすぐに逃げ出すなんて出来ないだろうし、こうして分かりやすく見せる事によって、彼女に逃走する気を最初から起こさせない抑止効果の意味もある。
     彼女の方を振り向くと、ちゃんと座り直せていたが、出入り口を塞がれた事が不満なのか、口を尖らせてダミアンを見上げていた。あぁくそ、可愛いなその顔も。

    「――さて、ここなら誰も来ないし聞かれる事も無い。全部言え」
    「………………もくひ。」
    「言うまで帰さない」
    「下校時間になったら帰らされる」
    「だったら場所を移すまでだ。そうだな……近くにデズモンドグループが経営しているホテルがあるから、そこのスイートで延長戦だな。何なら今のうちに押さえておくか? 丁度この部屋には電話があるし」
    「寮の門限……」
    「外泊許可貰う」
    「アーニャ、帰らないとちちが」
    「おっさんには俺から説明して謝る。殴られようが踏みつけられようが覚悟の上だ」
    「…………」
    「んで、他には?」
    「………………無い……」
    「よし、んじゃ改めて」

     ダミアンはふらりと歩き出す。彼女の前に立つや、彼女が座るソファーの背もたれに手をつく。至近距離から見下ろす形で、ダミアンはわざと意地悪な笑顔を見せた。

    「全部吐けよ、アーニャ・フォージャー。でなきゃ、今日は帰さねーからな」


    ◆◇◆


     ダミアンの本気に、アーニャは逃げられない事を悟った。あぁくそ、そんな意地悪く笑うな。

    「――分かった。だからそこどいて」
    「逃げるなよ?」
    「ここまでされたら逃げられない」
    「そうだよ、逃がさねぇ。分かってくれたみたいだな」

     ふん、と鼻で笑ってからようやくダミアンが離れてくれた。でも一歩ずれただけでアーニャの隣に座る。三人掛けのソファーだから狭くないが、居心地は良くない。向かいのソファーに行けと抗議の視線を向けるも、彼はどこ吹く風で受け流されてしまった。

    (……あぁ、もう)

     アーニャは内心で嘆息した。
     読みを誤った。
     彼は、身近な人間から嘘をつかれるのを恐れている節がある。アーニャが嘘をついていると言った事で、ダミアンはショックを受けて自分から離れるのを予想した。ところが、『嘘』よりも『アーニャの秘密』が気になって仕方ないらしい。失敗した。
     ……そんな自分のしくじりを嘆くのと同時に、アーニャは別の思いがあるのも自覚していた。
     学年と年齢が上がるにつれて、彼は変わった。でも自分はずっと嘘つきで秘密を抱えたまま。ちちの任務のためと言え、このままでいいのかという『引っ掛かり』のようなモノが、卒業が近づくにつれ存在を主張しだしてきていた。もしかすると、この『引っ掛かり』を解消したい思いが無意識に働いて、あんな事を口走ってしまったのかも知れない。
     アーニャは内心で『ちち、ごめんなさい』と謝ってから切り出した。

    「――じゃあ、アーニャの家族について話す」
    「あぁ」

     さて、どこから話すか。やっぱり――

    「ははとアーニャは本当の親子じゃない、って話は前に教えたと思うけど……」
    「あぁ、覚えている。おっさ……ロイドさんには亡くなった先妻がいて、お前はその人との子供だって」
    「うん。でも本当は違う。アーニャはちちとも実の親子じゃない」
    「……え?」

     この事実は、対外的な『フォージャー家』の根幹を覆すと言っても過言ではない。いきなりのそれに、ダミアンは明らかに動揺する様子を見せた。

    「アーニャね、バーリントにあった小さい孤児院にいたの」

     告げた途端、ダミアンは更に驚愕した。

    「こ、孤児院、って事は……」
    「うん。アーニャ、元々は孤児」
    「孤児……嘘だろ?」
    「嘘じゃない。だって、ちちとアーニャ、全然似てないでしょ?」
    「そ、れは、まぁ……」
    「13年前、ちちは仕事で、偉い人から何かの目的で・・・・・・イーデンに子供を入学させるよう命令されたんだって」

     東西が平和になったと言え、ちちが西国のスパイだった事は伏せておいた方がいいだろう。でも大きな嘘はバレると後々厄介だ。だから、アーニャは必死に考えながら言葉を選ぶ。

    「でもちちに家族いない。だから仮初めの子供を用意するために孤児院に来た。
     ちちは読み書きが出来る子供を探してたから、アーニャ、それが出来るって必死にアピールして、ちちの子供になる事が決まったの。
     これでちちは子供を手に入れて、アーニャは孤児院から里子に出たかったから叶えられた」

     ちちの心を読んでスパイだと分かり、『わくわくっ』したからちちに取り入ったというのが本当のところだが、孤児院以外で保護対象を求めていたのも事実だったので、まるっきり嘘ではない。

    「そのあと、アーニャがイーデンの筆記試験に合格したから、今度は面接試験で母親が必要になって慌てて探していたら、結婚が遅れてて焦っていたははと出会ったの。
     母親役が欲しかったちちと、パートナー役が欲しかったははの、お互いの利益が一致して2人は偽装結婚」

     ははの裏の顔も当然伏せる。

    「入学出来た後、ちちが何かの目的・・・・・を達成して完了したら、ちちとははは夫婦をやめて、アーニャもイーデンを退学してまた孤児院に戻る予定だった。
     でもちち、いざお仕事完了しても、『最初は仕事のためだったけど、親になったからには最低限の責任は取りたい』って偉い人に掛け合って、家族を続けてくれる事になった。ははも、母を続けてくれるって言ってくれた。
     でも、アーニャがイーデンを卒業するまでって条件付き」
    「――……」
    「ちちは東国を離れなくちゃならなくて、ははも色々な問題とか事情でちちについて行く事になった。でもアーニャは無理だった」
    「……どうして、お前だけ? あれだけ仲が良かったじゃないか」
    「ん~……大人の事情?」

     本当のところは、ちちは〈ロイド・フォージャー〉からWISEの諜報員〈黄昏〉に戻り、はははガーデンとWISEの間での密約によりガーデンから脱退し、〈黄昏〉と共に西国に渡り、WISEの協力者となる事になった。ロイドもヨルも、互いと離れがたい想いを募らせた結果である。WISE側も、慢性的な人員不足の中で、〈元・いばら姫〉の身体能力や技術を活用したいという思惑もあるらしい。
     ――もしアーニャも、超能力の件を明かしていれば、ははと同じようにWISEの協力者になれたか、もしくは組織の庇護下に置いてもらえたかも知れない。でも明かしていない以上、『普通の女の子』でしかないアーニャが〈黄昏〉について行くのは無理な話だった。
     アーニャだけ連れて行けない件について、ちちは涙を流して何度も頭を下げてきた。『フォージャー家として共に居られなく申し訳ない』と。ははも、最後の最後までアーニャの母としてそばにいると言ってくれた。しかし、無茶をしがちな〈黄昏〉を支えてほしいとアーニャが懇願し続けたことで、ついにははが折れた。そしてめいっぱい泣いた。

    「大人の事情ってなんだよ」
    「そうとしか言えない。アーニャもそこはあんまり詳しくないもん」

     嘘も方便。
     この辺りの事情は彼に明かせないし、かと言っていい感じの嘘話も思い浮かばなかったので、取り敢えずこれで濁すしかなかった。知らない事にしておけば、ダミアンには追及する術はないのだし。

    「随分無責任じゃないかそれ」
    「アーニャがそれでいいって言った」
    「あーそうかよ……。はぁ……。
     ってかさ、お前の親父さんは精神科医だよな? イーデンに子供を入れるように命令されたとかってなんだよ」
    「ちちはそう言う人」
    「何だそれ」

     彼の疑問はもっともであるが、これ以上追及されたくないので、ここでさっさと区切ってしまっておう。話の主導権はアーニャにある。

    「えっと、ここまでは『フォージャー家の嘘』に関する話。赤の他人同士が、自分の目的のために急遽結成された、期間限定の偽りの家族だったって事、分かった?」
    「あ、あぁ、分かった、けど……」
    「じゃあ、ここからはちちにもははにも言っていない、アーニャの話をする」
    「お、おう……」

     ここからは先は、言うのがとても怖い。でも、どうせ彼との付き合いもあと1週間で終わる。気持ち悪がられようが、蔑まれようが、1週間だ。
     大きく息を吸って……吐いて、アーニャは自分の太股の上に置いた手を握り締めて、切り出した。

    「――アーニャ、孤児院に入る前は研究所にいたの」
    「……研究所?」

     怪訝な表情になるダミアンに、アーニャは頷いた。

    「うん。超能力者を自由に造り出すための研究開発をする施設」
    「……はぁ?」

     胡散臭そうにダミアンは眉をひそめる。確かににわかには信じられない事だろう。でも事実なのだ。

    「確か、大戦・・の頃から続けてる、って大人達が言ってた。
     その頃は『これからの戦争は超能力によって世界の勝者となる』って信じられていたんだって」
    「そんな絵空事……」
    「うん。でも昔のこの国の偉い人はそう考えていたから、大戦が終わっても、西国との開戦に備えてずっと研究していて、ちょっとだけど成功例もあった。
     研究していくうちに、大人より小さい子供の方が成功する可能性が高いのが分かったから、東国のあちこちから小さい子を実験用に連れて来ていたみたい。スラム街とか、研究所の息がかかった孤児院とか、あとお金欲しさに子供を誘拐してきた人から買い取ったり」
    「……い、いや、まさか、この国でそんな非人道的な――」
    「でもさ、じなんは歴史得意だから知ってるでしょ? 大戦の頃、世界中が戦争に勝つために人体実験もしていた話」
    「知、ってる、けど……」
    「東国はしていないと思った?」
    「っ!」
    「歴史の授業で、西国の悪い話は習ったけど、東国のそういう話を習わない事について、変に思わなかった?」

     近代史の授業で、大戦前や大戦中は各国が戦争捕虜や奴隷を手酷く扱い、時にはそう言った人達を人体実験の被検体にしていたと習った。しかし、ここ東国オスタニアでも行われていた事にはちっとも触れなくて、アーニャはひどく冷めた気分で授業を聞いていた。

    「……あー……それ、は……」

     狼狽えるダミアンの声で、アーニャは我に返った。しまった、じなんはちっとも悪くないのに、これじゃ八つ当たりだ。

    「あ、ご、ごめんなさい。
     えっと、えっと、あ、アーニャ、いつからかは覚えてないけど、研究所にいて育った。
     変なお薬の注射されたり、強い電気流されたり、水に沈められたり、真っ暗で寒い部屋に閉じ込められたりする毎日だった」

     呆然としているダミアンに構わず、アーニャは続ける。

    「そういう実験に耐えられなくなって犠牲になった子、数えきれないくらいたくさんいる。
     でも、アーニャは何とか生き残って、超能力者エスパーになった」
    「……って事はお前は、超能力者、なの、か?」
    「うん、他人の心の声が聞こえるの。テレパシー能力」
    「……」

     沈黙するダミアン。戸惑っている。当然だろう。
     ならばこの場で証明してやろう。

    「『冗談言っているのか?』」
    「っ」
    「――って思ったの、当たってる?」
    「……」
    「『当たってるけど、まさか』」
    「……」
    「『そんな事、実際にあるわけない』」
    「……」
    「『でもぴったり合ってる。じゃあ本当に……』」

     ここまでやれば十分証明出来ただろう。アーニャはそっと閉じた・・・

    「もう大丈夫。読まない」
    「……読まない事も出来るのか?」
    「うん、何年か前からね。昔は周りの人の心が勝手に聞こえちゃってたけど、今は聞かないように意識すれば閉じられるようになった。
     でも、強い気持ちとか、アーニャと直接触っている人の声は今でも勝手に聞こえちゃう」

     常に『閉じる』事を意識していなければならず疲れるが、人混みで酔ったり、脳みそがキャパオーバーして鼻血が出てしまう事態がかなり減ったので良しとしている。

    「アーニャのテレパシー能力、偶然だったみたいで、それまで以上に実験増えた。それがつらくてすごく嫌だったから、研究所から逃げたの」

     ――恥辱的な扱いを受けていた事や、研究所から逃げおおせた時などの昏く冷たい記憶が甦ってきたが、今はいい。開きかけた蓋をしっかり閉じて、心の奥底に押し込んだ。

    「脱走に成功したけど、何をどうすればいいのか分からなくて街中を歩いていたら、通りすがりの人に警察へ連れて行かれて、孤児院に入った」
    「じゃあその後親父さんに――」
    「うん。でも、ちちに会ったのは1年くらい後。アーニャ、超能力を隠した方がいいって分からなくて、周りの人の心を読んで喋っていたから、気持ち悪いとか魔女とか言われて、里親からすぐ孤児院に戻されるのを繰り返した」
    「え……」
    「何回か戻されてまた孤児院にいたらちちが来て、6歳の子供を欲しがっている心の声を聞いたから、6歳って嘘をついてちちに拾ってもらった。能力の事は内緒にして」
    「……おい待て。6歳が嘘? じゃあお前、本当は何歳なんだ?」
    「ん~、ちゃんとは分からないけど、多分じなんの2つ下」
    「は? って事は……今、17?」
    「うん」
    「イーデンに入学したのは……4歳?」
    「うん」
    「……マジかよ……」

     ダミアンは絶句する。

    「いや、じゃあ戸籍とか身分証は?」
    「もじゃ……本物そっくりの偽物作れる人がいる」
    「年齢がちゃんと分からない、ってさ、誕生日は? 今までブラックベルからも誕生日祝ってもらったよな」
    「それは、ごめんなさい。誕生日はちちにてきとーに決めてもらった」

     この点については、自分から言い出したわけでなくベッキーから誕生日を尋ねられたのがきっかけだったが、それから毎年同じ日にお祝いしてくれた彼女やダミアンに申し訳なく思っていた。
     何故かバツが悪そうなダミアンと、そんな彼に何を言えばいいのか分からないアーニャ。そのままお互いに沈黙が10秒以上続いた。
     ――そろそろ潮時だろう。アーニャは大きく息を吐いた。

    「――ふぅ。これで約束通り全部話した。だから帰るね」
    「え、あ、おい」

     制止するような様子を見せるダミアンを無視してアーニャは立ち上がった。向かいのソファーに置かれていた自分の荷物を掴み、

    「嘘だらけで幻滅したでしょ? 生まれが全然分からなくて、他人の心が読める女なんて気味悪いでしょ? でも来週の卒業式が終わればもう会わないようにするから、あと1週間我慢して。その間、じなんには近付かないし、心も読まない」

     早口で捲し立てるのは、一秒でも早くダミアンの前から消えたかったから。彼から自分へ負の感情を向けてそれを読み取ってしまう前にここから早く――!

    「13年間、楽しかったよ。ありがとねじなん。バイバイ」

     何故か緩む自分の涙腺。マズい。堪える顔を見られたくないから彼に背中を向けて、ドアを塞いでいる鉢植えを退かそうとしたが、

    「待て!」

     荷物を持っていない空いていた右手を掴まれた。振り向かないまま問う。

    「……何?」
    「勝手に出て行くな! まだ終わってねーぞ!」
    (ここで手を離したら、こいつは本当に『終わり』にしちまう!)

     振りほどこうとしたのに、必死な思いが伝わってきたので、それが出来なかった。

    「今度は俺の話を聞いてくれ! お前の話聞いたんだから、逆もいいだろ」

     見ずとも感じる有無を言わせない気迫に、アーニャはたじろぐ。

    「言い逃げなんてさせねぇぞ」
    (終らせるもんか! 絶対に終わらせねぇ!)

     なんで、アーニャの手掴んでるの?
     さっき話したでしょ?
     じなんの心の声、聞こえちゃうんだよ?
     気持ち悪いでしょ?
     なのに、なんで――

    「おい、こっち向けよ」
    (もしかして、泣いてるのか……?)

     泣いてない。

    「……顔見せろ」
    (泣かせた……?)

     泣いてないってば。

    「……フォージャー?」
    (俺のせい、だよな)

     違うってば。じなんのせいじゃない。

    「……手、離して」
    「……」
    「じなんの話、聞くから」
    「……分かった」
    (声音……泣いていないっぽいな。良かった)

     ようやく手が解放された。同時に彼の心の声も遠退く。
     こっそり深呼吸してからダミアンの方を向いた。
     アーニャを制止しようとしたためか、彼もソファーから立ち上がってこちらを見ていた。何とも言い難い、複雑そうな面持ちで。

    「じなんの話、何?」
    「あ、えーと……他人の心が読めるんだよな? って事は、俺がずっと……その、お前の事好いていたのも、知っていたのか……?」

     その点は……アーニャとしても非常に気まずい。気まずいが、この期に及んで嘘は言えない。正直に認めた。

    「……うん。ごめん。さっき言った通り、今は制御して聞かないように出来るんだけど、何年か前まではそれ出来なくて丸聞こえだったから」

     いわゆる『不可抗力』である。

    「別に謝る事じゃねーよ。でも……そうか……」
    「嫌でしょ?」
    「いや、そうじゃない。ただ、恥ずかしいだけだ……」

     彼は視線を下に向けて、力なくぽすんとソファーに腰を落とした。それからややあって、アーニャに視線を戻し、

    「今は……読んでいるのか?」
    「ううん、閉じてる」
    「じゃあ、今から俺の心、読んでくれ」

     まさかの彼のそれに、アーニャは文字通り目を丸くした。ややあってから、

    「……何を言ってる?」

     聞き間違いだろうかと思ったが、

    「いいから読め」

     聞き間違いじゃなかった。
     心を読め、なんて一体何のつもりなのか……?

    「……分かった」

     心を読まないようにするのが当たり前だったから、他人から読むように言われて変な気分だ。だが言われた通り、アーニャは抑えていた能力を解放した。

    (……えーと、聞こえているか? 聞こえているなら、そうだな……まぁ一旦座れ)

     本当に聞こえるのかの確認の意味もあるのだろう。アーニャは大人しくさっきまで座っていた彼の隣に座り直した。

    (すげ……やっぱり本当に聞こえているのか。
     じゃあさ……俺からお前に対して、気味悪がっているとか、嫌悪感とか、そういう感じるか?)

     そう言えば……とアーニャは改めてダミアンの気持ちを探って――首を横に振った。

    (……良かった。取り敢えずそれを分かってもらいたかった。
     まぁ、さすがにびっくりはしているが、それだけだ。あと、お前への気持ちが筒抜けだったのが恥ずかしいくらいだな)

     それにアーニャはくすりと笑った。

    (俺の今の率直な気持ち、なんだが……その、事情を知らなかったとは言え、色々貶したりしてすまない。まさか2歳下とは思わなかった。そりゃあ体格が小っこいのも当たり前だし、勉強も追い付くの大変だったよな)

    「それ、じなんが謝る事じゃない」

    (それでもだ。……えーと、ここからは口で言う。閉じてくれ)


    ◆◇◆


     彼女への恋慕とはまた別に、ダミアンは前々から伝えたい事があった。

    「その……悪かった。本当は卒業までに謝りたいと思っていたんだ」

     恥ずかしいので、彼女へ向けていた視線を自分の膝頭に移す。 

    「口では色々貶しちまっていたけど、本当は……か、可愛いって思っていたし、お前と放課後に一緒に勉強したりスカラーの仕事をするのは、結構楽しかった」
    「……うん」

     デズモンド家の次男として見てくる者の前では、デズモンド家の次男としての振る舞いをしなければならない。だけど、アーニャの前ではそんなモノなど必要なくて、2人だけならガキのような応酬をしたり、時には弱音を吐いたりもした。

    「多分、フォージャーがいなかったら、俺はもっと捻くれて傲慢な人間になっていたと思う。
     周りは俺の『家』しか見えていないヤツばかりだったし、俺も相手を『家』で判断していた」

     入学式の日、『親の仕事のレベル次第では友達に加えてやってもいい』なんてほざいていた自分を殴りたい。6歳にしてこんなクソ生意気なガキ、そうそういないだろう。

    「でもお前は、俺の『家』なんて全然気にしないでズケズケ踏み込んでくるし、邪険に扱ってもまた寄ってくるし、俺の事これでもかってくらいに巻き込んで振り回すし。滅茶苦茶なヤツだったよ」
    「……ねぇ、アーニャの事バカにしているのか?」
    「心外だな。褒めているんだが」
    「……むぅ」

     可愛い拗ね方に、ダミアンは思わず吹いた。そしてやっと彼女へ視線を向ける。

    「本当だぞ。
     とにかくさ、『デズモンド』に気を遣って接してくるヤツばかりだったけど、そんなの気にしないヤツもいるんだって認識したのはお前が初めてだったんだ。
     何て言うか……ただの『俺』を見てくれているみたいで、嬉しかった」

     そこからダミアンの、長い長い片想いが始まったのだ。

    「お前がいてくれたから、今の俺がいる。
     色々気付かせてくれて、本当にありがとう」

     ――あぁ、やっと言えた。

     茶化さず、自分の言葉で、しっかりアーニャの目を見て、言えた。
     そのまま見つめていると、彼女の顔が急にぶわっと赤くなって、顔ごと視線を背けられた。

    「?」 
    「……あ、う、なんか、じなんにそんな顔でそんな事言われると……照れる」
    「『そんな顔』?」

     尋ねると、彼女は目線だけこちらに向けて、ぼそりと言った。

    「……なんか、すごく優しくて、あったかい笑顔」
    「え」
    「じなん、そんな顔出来たんだね」

     言われた途端、何故か沸き上がる羞恥心。え、俺、どんな顔だったんだ
     恥ずかしくて思わず片腕で顔を覆うが隠しきれるわけがなく。誤魔化そうとダミアンもそっぽ向く。こうなるとどんな顔をしたらいいか分からなくなっていた。

    「あ、いや、その」
    「なぜじなんがここで照れる?」
    「わ、分かんねぇよ自分でもっ」

     狼狽えるしかないこの状況。さっきはキメられたはずなのに、全て台無しだ。

    「あぁクソっ、この後も真面目に言いたい事あるのに……」
    「え? 何?」

     彼女を見ると、きょとんとした顔でダミアンを見ていた。ついさっき顔を赤くしたくせに、もう殆んど普段の顔色に戻っていた。切り替えが早い。

    「あぁ、まぁ、その、なんだ……一方的に感じるかもしれないが、俺はお前に報いたいと思っているんだ。
     ――そこでなんだが」

     ダミアンは一旦区切る。腕を下ろし俯いて深呼吸をする。息を吐き出しながら胸の内の羞恥心も吐き出す。もう一度深呼吸して、気持ちをリセット。顔に集まっていた熱も引いたであろう。顔を上げて彼女を見た。

    「さっきの、お前の生い立ちの話に戻りたいんだが、いいか?」

     尋ねると、アーニャの表情に緊張が走った。

    「……うん」
    「さっき、一人で東国にいるのはリスクがあるってような事言っていたよな。それは、例の『研究所』が絡んでいるのか?」
    「……うん。アーニャ、もしかするとその研究所の人に今も追われているかもしれない」
    「と言うことは、その研究所、今も残っているのか?」
    「分からない……」
    「場所は?」
    「覚えてない。山の中だったって事しか……」
    「どうやって脱走したんだ?」
    「アーニャがギリギリ通れた排気ダクト? が、外から出入りするトラックの待機所と繋がっていたから、そこを使ってトラックに潜り込んだ」
    「……それ、3歳くらいでやったのか?」
    「うん」
    「……」

     ダミアンは閉口した。
     ナーサリー時代の自分がそんな事が出来るだろうかと考えてみたが、否だ。彼女には、勉強とは違う部分の賢さと行動力、そして度胸が備わっている。勉強しかして来なかったダミアンは多分敵わない。

    (……ほんっと、スゲー女だわ)

     内心で思わず笑ってしまった。
     思い返せば、1年の時に遭ったバスジャックの時、犯行リーダーと対峙し、挙げ句にリーダーを投降させるなんてとんでもない事をしていたが、以前にそれだけの経験をしていたなら、あれくらい何て事ないのかもしれない。
     それはさておき。

    「――取り敢えず分かった」

     告げる。それからダミアンは脳内をフル回転させ始めた。

    「悪い、このまま少し考える時間をくれないか?」
    「え、あ、うん……」

     考えをまとめたい。ダミアンは黙考した。


    ◆◇◆


     アーニャはちらりとダミアンを盗み見た。
     彼から『少し考える時間をくれ』と言われて、1分半が過ぎただろうか。難しい顔で、視線を自分の膝辺りに落とし、顎に手を当てて、時折小さく何かを呟いている。
     こういう時の彼の脳内は、目まぐるしく高速で動いているのをアーニャは知っていた。以前に彼がこうなった時、興味本位で思考を覗き見してみたが、声や映像が恐ろしい速さで上下左右に流れてて、全く読み取れなかった。ちちと似たタイプである。

    「――よし、決めた」

     まだ2分も経っていないだろうに、もう考えがまとまったのか。一体何を考えて決めたのだろう。

    「なぁフォー……じゃない、アーニャ、俺の話を聞いてほしい」
    「……う、うん」

     真面目な面持ちで、しかも再びファーストネーム呼びをされたものだから、アーニャの心臓が1度大きく高鳴る。何となく居ずまいを整えてから彼を見た。

    「まず確認だが、卒業したらすぐに東国を出るのか?」
    「ううん……まだどこに行くかはっきり決めてない。決めてから出る」

     ファミリータイプだった今までの住まいから、単身者用のアパートに引っ越すことにしてて、既に契約して荷物も少しずつ移している。生活費はWISEから『協力謝礼金』をたっぷり頂いていているので、しばらくそれで賄わせてもらいつつ、どこかでアルバイトでもしながら数ヶ月以内で行き先を決めて、渡航し、そこで生活基盤を整える算段をしている。

    「じゃあ、まだ猶予あるんだな……」

     安堵した様子を見せる。そして、

    「アーニャ、卒業の日から2……いや、1ヶ月待ってくれないか?」
    「1ヶ月? ……うん、待てるけど……えっと、なんで?」

     すると、彼は琥珀色の双眸に強い意思を込めて告げた。

    「その間に、お前の懸案事項を片付ける」
    「けんあんじこう……?」

     意図が分からずおうむ返しに問う。

    「お前が東国を離れたい理由は、俺の婚約と結婚話が嫌なのと、研究所に今も追われているかもしれないから、だよな?」
    「……うん」
    「じゃあ、それがなくなれば、東国ここを出る理由もなくなるよな?」

     その問いに、アーニャは改めて考える。
     東国は生まれ育った故郷。愛着や思い出があるから離れる寂しさはあるし、自分で決めた事と言え、言語も文化も未知の土地で一人で生きていく不安がないわけではない。
     現状では、研究所に追われている可能性も、彼の婚約結婚話が消えてなくなるわけがないので、東国から出る事ばかり考えていたが――もしそれらがなくなれば――

    「……えっと……そう、かもしれない……」
    「よし、それならひと月の間に、婚約話と研究所を両方ぶっ潰してくる」

     アーニャは思わず立ち上がった。

    「そ、そんなの無理! そもそも研究所なんてどうやって調べるの」

     何しろ、あの研究は国家機密。東国でも指折りの情報屋のもじゃもじゃですら手がかりを得られなかったと言うのに。

    「んー、まぁアテはある。任せろ」
    「で、でも――」
    「なぁアーニャ、俺、今まで口だけだった事あったか? 大見得切ってそれっきりだった事あったか?」

     学年で最初に皇帝の学徒インペリアル・スカラーになると常日頃言ってて、その通り学年最速で達成した。
     学年首席を標榜し、その通り年間首席の座を守り続けた。
     皇帝の学徒の会長に就いて、不合理な校則撤廃などの改革を宣言し、その通りいくつもの改革を成し遂げた。

    「…………ない……と思う、けど」
    「だろ? 俺は有言実行の男だ。
     だから、さっき言った事もやってみせる」

     自信満々な表情。普段のアーニャだったら、嫌味ったらしいと感じただろう。でも今は、すごく頼もしくて、カッコよく見えて仕方ないのは何故だろう。

    「……なんで……」
    「ん?」
    「……なんでそこまでアーニャのためにやってくれるの?」
    「あ? んなモン決まってんだろ」

     そこまで言うと、膝の上にあったアーニャの手をそっと取ってきた。そして、彼の強い眼差しがアーニャの目をしっかり捉えて、断言した。

    「お前の事が好きだからだよ」
    「……それだけ?」
    「『それだけ?』って十分な動機になるだろうが」

     真顔で言われ……アーニャは再び顔に血流が集まって行くのを自覚した。は、恥ずかしい! 顔が熱い!

    「ん? 何だよ、照れてんのか?」

     今度はからかうように笑うダミアン。

    「さっきも思ったけど、お前、照れると可愛いな」
    (自分では『アーニャさん可愛いだろ?』とかよく言ってたクセに、言われる事には耐性ないんだな。可愛いヤツ)
    「~~っ」

     手を取られているから、彼の思考が流れてくる。強制的にどんどん爆弾を投げ込んで来るダミアンに、アーニャはまたもパニックになりかける。

    (お、動揺しているな。可愛い。もっと言ってみるか? そうだな――)

    「い、言わないで! ってか、アーニャの手を握ったまま変な事考えないで!」
    「ん? 変な事じゃないだろ別に。好きな女を可愛いって思うのは」
    「やめろ! 離せ! 帰る!」
    「あー、分かった、悪かった。やめるからもうちょっとここにいてくれ」

     言うなりやっと手を離してくれた。すぐさまアーニャは手を引っ込めて、胸の上に置く。そんなアーニャにダミアンは、くっくっくっ、と笑いを堪える様に言う。

    「面白いな、これ」
    「お、面白くない! 悪用しないで!」
    「悪用なのか?」
    「アーニャには悪用! 禁止!」
    「そうか、そりゃ残念だ」

     アーニャの禁止令守ってくれなさそうな表情。絶対にまたやるつもりだ。
     超能力の事を明かせば離れて行くと思っていたのに、まさか受け入れた上に、能力を悪用して来るなんて。完全に想定外である。

    「まぁ、冗談はこれくらいにして、だ」

     ダミアンは笑みを消して、改めてアーニャに向き合う。

    「なぁ、真面目な話、俺のそばにいてくれないか?
     さっき、お前から遠くに行く話をされた時、目の前が真っ暗になるくらいショックだった。イーデンを卒業してからも、毎日会えなくても今までみたいな関係が続くと思っていたんだよ。バカだよな」

     彼は、両肘を両膝について手を組み、俯く。

    「でも、そうじゃない、って現実を叩きつけられて、やっと気付いた。
     しかも、アーニャがすんげー重たい事ずっと抱えていたのに、13年間も近くにいて1ミリも見抜けなかった自分に反吐が出た」

     それはダミアンの責任じゃない。隠していたのはアーニャの方だ。なのに何故彼が悔やむのだろう……?

    「見抜けなかったばかりかさ、人生の悩みとかそう言うモノから遠い所にいて、能天気に生きていそうとか勝手に思って、勝手に羨ましがってた。
     隠し事も嘘をつくのも下手クソだと思ってたけど、全然そんなことなかったんだな……」

     そこで彼は言葉を区切り、視線をアーニャに戻した。 

    「ずっと長く続けてきたんだからさ、もう、嘘をつくのも、隠すのも、俺の前ではやめて欲しい。
     そして、さ」

     無意識に腕を下ろしていたアーニャの手を再び取るダミアン。

    「今まで独りで抱えてきた事、これからは俺に話してくれないか? 能力の事とかさ、嫌じゃなければ教えてくれ」

     口調は優しいのに、見つめてくる双眸は有無を言わせぬと言わんばかりの強さを湛えていた。
     ――瞬間、アーニャの中で何かが『パリッ』と、まるで卵の殻にヒビが入ったような音が聞こえたような気がした。
     これからは自分一人、いや、『独り』で生きていかなきゃいけないからと、『独りは嫌だ』と泣きじゃくる弱い自分を何かで隠して、強い自分で在ろうと決めた。
     独り立ちの準備を進めながら、弱い自分を覆う何かを十重二十重にして、いつしか見えなくなって、弱い自分を忘れていた。
     ――それなのに、ダミアンの声と想いが、折角覆った何かを瓦解させようとしてくる。
     まずい、このままじゃ――決意が、揺らいじゃう!

    「……それ、は、じな、ダミアンの負担になる……」
    「負担なんかじゃねぇ。知りたいんだよ、アーニャの事。
     これでもまだ俺に負担とか言うなら、俺の事もアーニャに話す。誰にも話していない俺が抱えてきた事をさ。これならお互い様だ」
    「お互い様……」
    「そうだ。話せる範囲でいいから、分かち合おうぜ。
     ……それと、さ……」

     アーニャの手を取っていたダミアンの手に力が入ったと感じた次の瞬間、アーニャは引き寄せられてダミアンの胸の中にいた。

    「フォージャー家はなくなってしまうけど、俺のそばにいてくれる限り、アーニャを独りになんてさせない」

     ――もう言わないで。アーニャ、独りになる覚悟したのに。独りで生きていくって、決めたのにっ――
     そんな強がりとは裏腹に、今度こそ、アーニャの涙腺が決壊した。彼の制服が汚れてしまうと分かっていても、止まらない。
     そして、涙腺と共に、ついにアーニャの心も決壊した。抑え込んでいた『弱い自分』が一気に胸の中を埋め尽くし、

    「……アーニャ、本当は独りになるの、寂しかったっ……」

     胸が詰まって吐き出さずにいられなくて、ダミアンに縋り付いてしまった。そんなアーニャの心情を察したのか、ダミアンの腕に力がこもった。

    「うん」
    「また独りになるの、嫌だった……」
    「うん」
    「ダミアンの事も忘れたくない……」
    「そうか」
    「アーニャ、ダミアンのそばに居ていいの……?」
    「当たり前だ。むしろ俺の方がアーニャのそばに居たい」
    「でも、アーニャは魔女――」
    「あ? 魔女? お前、サソリ捕まえて食うとか、アヤシい薬でも作ってんのか?」
    「そんな事しない……」
    「じゃあ魔女でも何でもない。普通と変わらないじゃねーか」

     顔を上げる。すぐ目の前には、穏やかな表情のダミアンが見下ろしていた。

    「……ふつう……?」
    「人には特技があるだろ? 運動が得意とか、歌が上手いとか。お前は、『心を読める』って特技を持った、普通の人間だ」
    「……それ、結構むちゃくちゃ」
    「悪いか?」
    「……ううん、悪くない」

     一旦アーニャは顔を下に向けた。鼻をすすって、

    「強引なとこ、ダミアンらしい」

     見上げて笑って見せて、ダミアンの背中に腕を回した。


    ◆◇◆


     気が付けば、バスの最終便の時間が迫っていた。
     2人は密談部屋を後にして、バス停に向かって歩いていた。
     この時間に外を歩いている生徒は少ないし暗い。学校の敷地内とは言え、距離があるし危ないからとダミアンはアーニャをバス停まで送ると申し出て――人目がないのをいいことに、ダミアンはアーニャの手を繋いでいた。

    「――訊いてもいいか?」

     道すがら、ダミアンはふと浮かんだ疑問を尋ねてみる。

    「ん? 何?」
    「心を読める超能力の事、何で教えてくれたんだ? 隠し通す事も出来ただろ?」

     彼女の卒業後の進路を知りたかった事から始まった、彼女の秘密の暴露話だが、いくらでも誤魔化して家族の事や超能力を明かさずとも済んだのではないのか。

    「それは……ん~……ダミアンだったから、かな」
    「俺?」
    「中等部後半くらいから、ダミアンの心の中、すごく優しくなって、アーニャの事大切に想ってくれているの伝わってた。
     だから、これだけ想ってくれるのに、嘘をつき続けるの嫌になったの。
     アーニャをずっと想い続けてくれたから、せめてものアーニャなりの誠意のつもり。あと1週間で卒業だから、気味悪がられたり嫌われたりしてもいいや、って」
    「そうか……」

     中等部後半――それは、ようやくダミアンがアーニャへ恋慕を認めた頃だ。それまでは彼女に対するそれを認めたくなくて、照れ隠しもあって意地の悪い態度を取ってしまっていた。しかし、アーニャが男子生徒から交際を申し込まれる事が徐々に増えて、彼女が男子に呼び出される度に焦燥感に苛まれ、それがどんどん強まっていく事で、ついにダミアンは白旗を上げて認めた。『俺は、アーニャ・フォージャーが好きなんだ』と。
     それからは、彼女に嫌われたくなくないから意地悪な態度は極力取らず、沸き上がる彼女への好意も否定せずに受け入れる事にした。

    「……ふぅん、そうだったんだ」
    「あ、俺の考え読んだな?」
    「さっき言ったじゃん、直接触れていると聞こえちゃうって。嫌なら手を離して」
    「断る。繋いでいたい」

     読まれるなんてもう今更だ。それに、折角こうして手を繁げる関係になったのだから、暫く堪能させてほしい。

    「た、堪能って……」
    「ん?」
    「そ、そういう事あんまり考えないで……」

     暗がりだから分かりづらいが、それでもこの至近距離だから、彼女が赤面しているのが見えた。
     ウブな反応、マジ可愛い。ヤバい、また抱き締めたい。
     あんな真面目な話をした後だと言うのに、想いが通じたからだろうか。そっち方面の箍と螺数本がどこかに吹っ飛んだかもしれない。今までは彼女にそういう事・・・・・を意識しないようにしていたが、ダミアンとて健全な男子だ。好きな女子に対してあれやこれやの欲望はある。今は抱き締めたいところで留まっているが、そのうち――

    「~~っ、いー加減に、しろ!」

     アーニャが絶叫と共に繋いでいた手を大きく振った事で、手が離れてしまった。

    「んだよ……」
    「もう停留所近いし、並んでる人がいるの見えるもん! あ、バス来た!」

     言うや、まばゆい一対のヘッドライトと共に低めのエンジン音が停留所に向かって来るのが見えた。手繋ぎタイムもここまでか。

    「送ってありがと。ここまででだいじょぶ」
    「そうか。気を付けて帰れよ」
    「うん。じゃあ――」
    「アーニャ!」
    「なぁに?」
    「……話してくれて、ありがとな」
    「……ダミアンも、話を聞いてくれてありがとう」
    「あぁ。またな」

     何気ない別れの言葉のつもりで発したそれに、彼女は目を見開いた。しかしそれは一瞬の事で、

    「……うん、またね」

     嬉しそうに微笑んだ。

     アーニャが乗ったバスを見送ってから、ダミアンは踵を返した。急ぎ足で寮に戻り、個室に入るや、照明を点けるより前に、設けられている電話の受話器を取って、求める人物に直接繋がる番号のダイヤルを回した。

    「――あ、兄貴? 久し振り。今、大丈夫か? ……あぁ、まぁな。……うん、早速だけどさ、急ぎで兄貴に協力してもらいたい事があるんだ。出来れば明日にでも会えないか? ……そう、父上には内緒で。……それと、父上の書斎に――」



    ◆◇◆


     卒業式は恙無く終わった。

     13年という長い年月を共に過ごした級友達とも、今日でお別れ。
     みんなと一頻り、笑って、泣いて、別れを惜しんだ後、アーニャは1人、とある場所までやってきた。
     学校の裏庭の一角。
     古びて今は閉ざされているが、かつては実際に使われていたと言う旧教会の横手に、この裏庭はあった。
     校舎から少し離れている上に、古びた佇まいが何処か不気味さを醸しているので、ここに来る人は殆んど居ない。
     建物を見上げていると――

    「……付いてきたのか、じなん」
    「悪いか?」
    「ううん」

     後からダミアンがやって来ていた。
     気配は感じていたから、嫌だったらとっくに止めている。

    「……ここ、よく来ていたよなお前」

     彼はアーニャの隣に立つと、同じく建物を見上げた。
     かつて、ダミアンもここに来ては共に寛ぐ事があった。彼も人に囲まれる事が多くて疲れたからと言って。

    「うん、ここは人が来ないから、頭の中休めるのに丁度よかった」
    「そうだったな」
    「でも、こことも今日でお別れだから、最後の見納めに来た」

     建物の傍の1つしかない古びたべンチに、つかず離れずの距離で座っては、取り留めのない会話をしたり、読書をしたり、時には昼食を摂るアーニャの隣で、勉強で睡眠不足なダミアンが仮眠を取る、なんて事もあった。

    「ここも、じなんとの大切な思い出の場所だから」
    「あぁ。俺も同じだ」

     ダミアンはアーニャの手を握った。
     1週間前のあの日以降、彼は人目がない所ではこうしてアーニャの手を握って来るようになった。最初は小っ恥ずかしかったが、やっと慣れてきたところである。

    「教会、か……」

    (教会と言えば、夫婦になる男女が互いを永遠に愛すると神の前で宣誓する場所。
     ――結婚はまだ先だけど、約束と愛を誓うには丁度いいな)

     読むつもりなかったのに、手を繋いでいるものだからダミアンの思考が流れてきて、アーニャはドキリとした。

    「なぁ、俺がこの前お前に宣言した事、覚えているよな?」
    「――うん、覚えてる」
    「逃げないで待ってろよ」
    「うぃ」
    「かなり頑張らねぇとなぁ」
    「出来そう?」
    「やるさ。言っただろ、俺は有言実行の男だ。
     ――やるけど、さ」

     そこで、ダミアンはアーニャの手に指を絡めて握り直してきた。アーニャは彼を見る。

    「じなん……?」
    「頑張るからさ、一つ頼みたい」
    「な、何?」

     どこか改まったような言い方に、アーニャは戸惑う。一方の彼は、頬を紅潮させて口を引き結んでいたものの、ふぅ、と大きく息をついて、向き直った。

    「アーニャと、キス、したい」
    「……ふぇ」

     突然のそれに、アーニャは変な声を上げてしまった。顔が熱い! 多分、目の前の彼より顔が赤くなってる。

    「これから俺、お前の事でかなり頑張らないといけないんだぞ。モチベーションのためと言うか、しばらく会えない分の補充というかさ」
    「……っ」
    「勿論、アーニャが嫌じゃなければでいい。嫌だったら――」
    「い、嫌なわけないじゃん」
    「 本当か」
    「ア、アーニャだって、じ、ダミアンの事、その、す、好きだし、アーニャのためにいっぱい色々頑張ってくれるんだし。
     ……だから、いいよ」

     ざぁっ、と新緑の風が吹き抜けていった。二人の髪がなびき、スカラーのマントがはためく。
     やがて風は鳴りを潜め、打って変わって、二人の周囲でさわさわと枝葉を撫でる音を奏で出す。
     ダミアンはアーニャから手を離し、代わりにその手をアーニャの頬にそっと添えた。その時の彼の表情は、先週見た、あの優しくて温かな微笑みと同じだった。

    「なぁ、もう一度言ってくれないか?」
    「えっと、何を?」
    「俺の事、何?」
    「……ダミアンの事、好き……」
    「俺もだよ、アーニャ。
     ――愛してる」

     言葉と共に、ダミアンの顔がゆっくり降りて来る。アーニャは目を閉じ――一呼吸置いて、唇が重なり合った。

    (あぁ、好きだ、好きだ。愛してるアーニャ。絶対に離さない)

     重なった唇から流れ込んできた彼の『声』は、とても甘くて、とてもくすぐったくて。
     でも、とても心地よかった。
     彼となら、ずっとこうしていてもいい――。

     どのくらいしていたか――長いような短いような時が流れて、ダミアンがそっと離れた。それに合わせて目を開けると、鼻先が触れそうなほどの至近距離から、熱っぽい琥珀色の双眸がアーニャを見つめていた。

    (あ、あばばばっ)

     近すぎる距離と向けられる熱に、アーニャは更なる羞恥心を覚えた。この強すぎる感情をどうにかしたくて、彼から半歩下がろうと左足を僅かに動かした瞬間、まるで見透かしたかのようなタイミングで、ダミアンがガバッと強く抱き締めてきた。

    「んぎゅ、ダミアン苦し――」
    「あぁくそ! 可愛い過ぎるだろお前!」
    「ひゃ」
    「ダメだ足りねー!」
    「な、何が?」
    「もう1回だ!」
    「え、待ってダミアンんっ――」

     ファーストキスのすぐ後に交わされたセカンドキスは、熱くて、長くて、深くて、どろどろに甘かった。


    ◆◇◆


     バーリント市内の、単身の若者向けのとあるアパートにアーニャが移り住んでひと月を迎えた朝。

    「――ちち、はは、ボンド、おはよー」

     寝惚け眼をこすりつつ起き上がると、ベッド脇のカラーボックスの上に立ててある写真に呼び掛けた。ロイド、ヨル、アーニャ、そしてボンドが揃って写った家族写真が収まっている。
     この写真は、アーニャがイーデン校を卒業する半年前くらいの、ボンドが虹の橋を渡る直前に撮った。高齢のボンドが自身の旅立ちが近い事を予知能力でアーニャに知らせて来たので、慌てて両親に頼み込んで撮影に至った。寂しいが、大切な写真の一つだ。

     洗面台で顔を洗って、そのままキッチンへ向かって、日課になっているホットココアの準備を始めた。
     ココアを淹れてくれるははも、美味しいご飯を作ってくれるちちも、今はいない。だから全部自分でやらなくちゃ。
     一人暮らし出来るよう、ちちとはははたくさんの事を教え込んでくれた。それと並行して護身術も。お陰で一通りの家事をこなせるようになったし、先日は暴漢に襲われそうになるも軽くいなして捕まえ、警察に突き出してやった。
     困る事は少ない。それでも寂しさは募る。一晩中部屋の明かりをつけっぱなしにして朝を迎えた事もしばしばだ。
     だがきっと、それもいつしかなくなるのだろう。

     出来上がったホットココアに口を付けつつ、季節的にアイスココアに切り替えようかなと思いながら、壁のカレンダーに視線を合わせた。
     赤いペンで大きくマルを書き込まれた日付がある。

    (いよいよ今日かぁ)

     今日は、ダミアンと約束した日である。


    ◆◇◆


    【バーリント駅前広場 午前10時】

     2日前、アーニャが住むアパートのポストに、それだけが書かれたメモが投函されていた。
     署名もないそれだったが、筆跡で誰が書いたものなのか一瞬で分かった。お手本のような、流麗でしっかりしたその筆跡は、アーニャにとって見慣れたものであり、久し振りに見るものでもあった。

    「――ダミアン、本当にやったんだ」

     きっとこのメモは、『約束を果たしたぞ』という意味もあって待ち合わせを指定して来たのだろう。胸の中がじんわり熱くなってきて、目元の涙腺が緩みかけたが、アーニャは深呼吸して堪えた。

    『次に会うのは、約束の日だからな!』

     卒業式の後、彼はアーニャに背中を向けてイーデン校を去った。
     それからずっと、ダミアンとは会う事も手紙も電話もしていない。彼がそうしてくれと言ったから。
     だから、アーニャはこの日を楽しみにしていた。
     だが、同時に怖くもあった。

    (でも、じなん……ダミアンはアーニャのために頑張ってくれた。逃げるわけにはいかない)

     怖じ気づく心を叱咤して、アーニャは出掛ける準備をする。
     まず何を着て行こうか。ははがいた時は色々相談出来たが、今は自分で決めなければ。

    (今日は少し暑くなるらしいから半袖でいっか。スカートは……)

     と吟味しながら選んだのは、胸元にフリルがあしらわれたノースリーブの白ブラウスに、膝丈でネイビーカラーのフレアスカートにした。念のため、持っていくショルダーバッグにサマーカーディガンを入れておこう。
     一応、軽くメイクもする。ベッキーに色々教わっておいて良かった。
     あ、と思い出して壁の時計を見た。9時40分。ヤバい、ここから駅前広場まで10分はかかるのに!
     バタバタとしちゃって、ちちがいたら呆れられそうだな、と思いつつ、アーニャは部屋を後にした。


    〈続く〉
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