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    suzushi211

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    suzushi211

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    OP/陸の上で眠れない夢主♀と夜遊びしてるトラファルガー

    #夢

    朝がくるまで一緒にいてね陸の上だと上手に眠れなくなったのはいつからだっけ。
    揺らぎのない寝台の上でまぶたを閉じ、波の音を聞く。深夜の宿はしずかだ。どこかの酒屋の賑わいが風に乗って聞こえてくるくらいに。遠くで波が砂を巻き込み、断崖に打ち付ける音が聞こえるくらいに。
    どうにも今日は――今日も上手く寝付けなさそうだ。耳元に張り付いた波音がノイズみたいで煩わしい。私は諦めて身体を起こした。今のところ、うちの船で女は私だけだから、海の上だろうが陸の上だろうが、いつだってひとり部屋になる。だから起きていたって誰を邪魔することもない。どうせ明日には海の上。無理に寝る必要もないのだ。現に仲間の大半は夜遊びにくり出している。
    だからわたしはベッドの上で膝を抱え、窓から外を見回した。この町はゆるやかな斜面に張り付くように作られている。その高いところにあるこの宿からだと、二階のこの窓からでも町のかたちがよく見えた。
    海賊が立ち寄るような港町というのは大体機能が定まっていて、だからか、文化が違っても同じような景色に見える。市場。宿。酒場。賭場と売春宿。
    大きな市場があるような町は昼間だといいけど、夜になると私は暇だ。酒場は周りの客に海賊団の女だとバレると面倒くさいし、賭け事をやるほどゲームも金も興味ない、女を買う趣味はない。だけどみんな夜はそれぞれにちりぢりになって、私はいつも置いてきぼりだ。なんで海賊の男ってやつはみんなあんなに酒とギャンブルとがセックスが好きなんだ。その上、どれも好まない私を子ども扱いする。
    酒とギャンブルはともかく、私だって男が買えるんだったら一回くらい試してみるのになと前にベポにぼやいたら、普通にドン引きされたのを思い出す。ミンク族の女がいる店があればなという話と何がどう違うんだよ。腑に落ちない。
    どんなことも実際経験してみないとわからないじゃないか。私はみんなが楽しんでいるものが何なのか、ちゃんと知っておきたいだけなのに。試して、向いてないと感じるならそれまでだ。なのにそのチャンスもないままただ子ども扱いだけされるなんて、世界は不平等でできている。
    ぽつぽつと明かりが灯ったままの建物を数えながら、仲間たちがいるのはそれぞれどこだろうと考える。酒場にまだ何人かいるだろうか。気が進まないけれど、そこに行った方が眠れないままよりはマシかもしれない。
    ぼおっと思っていたら、不意に前の通りに人影を見た。胸の奥で心臓の気配。
    その姿かたちを私が見間違えるわけがない。トラファルガー・ロー、――うちのキャプテンだ。
    出かけていくときは誰かと一緒だったのに、こんな夜中にひとりで帰ってくるのか。
    私は迷わずベッドを抜け出した。着のみ着のままで部屋も出て、そのまま急いで、それでも静かに、一階に下りる。
    一階は酒場や食堂になっている宿屋も多いが、この宿は後者だ。昼は賑わうようだが、夜はさっさと店じまいしてしまう。うちはこういう宿を使うことが多い。だいたいの酒場で私が居心地悪く感じているのを、キャプテンが知っているからだと思う。あの人はいつも、やさしい。
    真っ暗でがらんどうの食堂を抜けて玄関の戸も開いてしまう。通りに顔を出すと、ちょうどキャプテンがそこに辿り着いたところだった。
    「おまえ、」
    目が合うなり、その人はちょっと驚いて私を呼んで、またすぐに顔をしかめた。こっちは思い切り口元を緩めてその顔を見上げる。
    「おかえりなさい、キャプテン」
    「おかえり、じゃねェよ。何時だと思ってんだ」
    呆れた声。
    「キャプテンにそれ言われる筋合い、ないなあ」
    「……つうかおまえそれ寝間着だろ。そんな格好で出歩くな」
    「わっ」
    キャプテンは私の文句を無視して、代わりに脱いだ自分の上着を当たり前みたいに私の背中からかぶせてきた。寝間着って言っても大きめのTシャツとハーフパンツなのに。宿か外にら出たわけでもないのに。
    何か文句を言ってやろうと思うがキャプテンの手が離れていくので、上着を落っことさないようにしょうがなく自分の身体を巻き込む。
    少しのぬくもりと一緒に、ふわりと、嗅ぎ慣れない香りが鼻をくすぐる。
    「……女のひとのにおいだ」
    「げ」
    思ったことをそのまま口に出したら、キャプテンはにわかにばつの悪そうな顔をした。でも手が出てこないので、それをいいことに私は上着のあわせのところを鼻先に引き寄せてみる。
    くすぐったいようなパウダリーな香り。お酒のにおいも煙草のにおいもしないのに、誰かの香水だけが移っている。どこから帰ってきたところなのかは明白だった。
    「だからひとりで帰ってきたのかあ」
    からかうように言ってやると目の前の人はますます居心地を悪そうにして、それでも私から上着を取り返そうとはしなかった。キャプテンはちょっと唇をとがらせたままで私を追い越して、後ろ手に戸を閉める。その背中もやっぱり居心地が悪そうなので、おもしろい。私には大きすぎる上着の中で私は忍び笑いをした。
    「キャプテンも女のひとを買ったりするんだなあ」
    初めてバレてしまったような反応をキャプテンがするものだから、私もあたかも初めて知ったかのように言ってやる。
    「いいだろ、別に。ガキじゃねえんだから」
    すたすたと歩いて行くキャプテンは振り返らない。私は駆け足で後を追って、階段を上がる。
    「別に責めてないし、私がキャプテンにそんなことで言い訳されるいわれもないですけど」
    「……それはそうだが……」
    じゃあなんでそんなにばつが悪そうなんですか。私が問う前に、肩越しに振り返られて、目が合った。
    「おまえはこんな時間まで何してたんだ」
    「寝付けなくてぼーっとしてただけ。窓の外見てたらキャプテンが帰ってくるのが見えたから」
    ありのままに答えただけなのに、キャプテンの眉間に皺が寄る。小言を言われる予感。私はまた大きい上着の襟元をぎゅっと引き寄せた。先手必勝で口を開く。
    「こんな時間に帰ってくる人に夜更かしを責められるいわれもないですけどね」
    「ああ、そうだな」
    ため息。その顔に、屁理屈め、と書いてあるような気がした。キャプテンの足は迷わず、私の部屋を追い越していく。キャプテンの上着を被ったままの私は、止められないのをいいことにその後に続く。こぢんまりした宿だから、あっという間に一番奥の、キャプテンが借りてる部屋に辿り着いた。
    鍵をガチャガチャやりながら、キャプテンはそれでも私を追い返そうとも上着を取り返そうともしない。だからどうしたものかと、ドアが開いてキャプテンが部屋に入るのをそのまま眺めていたら、怪訝な顔で手招きされた。
    「何してんだ。入れよ」
    「入りまーす」
    キャプテンの命令なら断る理由がない。私は女の人のにおいがする上着と一緒に、のこのことキャプテンの部屋にお邪魔した。



    宿の規模にもよるけれど、うちで個室を取るのは女ひとりの私とキャプテンだけだ。キャプテンはやっぱりキャプテンなので、なるたけグレードの高い部屋を押さえている。
    といってもここは安宿なので、キャプテンの部屋も私の部屋も内装は大して変わらなかった。ちょっと広くてちょっとベッドが大きい程度だろう。
    キャプテンがランプに灯りを入れて、それがぼんやり浮かび上がる。入れと言われて入ったはいいものの、理由がよくわからない私はドアのところで突っ立って、キャプテンの影が床に伸びるを見ていた。テーブルに置きっぱなしだったグラスをふたつ並べながら、その目がこっちを見る。こっちに来いという意味だと解釈して、ようやく踏み出した。
    「お酒でも付き合ってくれるんですか」
    「寝酒は健康に悪いからやめとけ」
    「お医者さんみたいなこと言う……」
    「みたいも何も、俺は医者だ」
    「今は海賊じゃないんすか」
    「海賊で医者」
    益体のないことを言ってる間にキャプテンはやっぱり置きっぱなしだった水差しからそれぞれのグラスに水を注いで、自分はいっぺんに半分くらいを飲み干した。そしてもうひとつのグラスを置いたところの椅子を引く。
    「寝付けねェ夜に飲むなら、本当はホットミルクとかなんだけどな」
    「そんなことで夜中に宿の人を起こすのは悪いですもんねえ」
    上着を落とさないようにしながら、私はキャプテンの引いた椅子に腰を下ろした。
    「それで、お医者サマは眠れなくてかわいそーな私に寝付きをよくするお薬とかくれるんですか」
    「この時間にそんなもん飲んだら出航の時間に間に合わなくなるぞ」
    ぎい、と椅子の脚と床が擦れる音がした。キャプテンはわざわざ向かいにあった椅子を私の隣まで引いてきて、そこに腰を落ち着ける。酒や薬で寝かしつけようというわけじゃなく、寝付けない私の話し相手になってくれるということらしい。ばかに親切だ。私はグラスに口をつけながら、またくすくす笑った。
    「それは私を置いていく絶好のチャンスですね」
    「なんでおまえはすぐそういうことを言うんだ……」
    「キャプテンが困るかと思って」
    案の定わかりやすく困った顔をされて、いい気分だ。何度同じようなやりとりをしても、この人は毎回ちゃんとこうやって困った顔をしてくれる。だったら私を船の末っ子みたいな扱いをするのもやめてくれればいいのに。いや、まあ、確かに年齢は一番下なんだけれども。
    航海が続くほどに、海賊団が大きくなるほどに、キャプテンの賞金額が上がるほどに、キャプテンの、それからシャチとペンギンとベポの、私に対する態度はどんどん――こんな言い方は嫌だけど――過保護になっているような気がする。そりゃあ、まあ、確かに私は酒も煙草もギャンブルもろくに嗜まず、セックスも知らない女だけれど。戦うのだってそんなに得意じゃないかもしれないけれど。同じように旅をして、同じように歳を取っているはずなのに。
    肩に引っかけたままの上着がまたずり落ちそうになって、私は諦めて袖に腕を通すことにした。別に肌寒いわけでも何でもないけれど、まだ返せと言われていないんだから、羽織るなり着るなりしていた方が良いんだろう。肩幅も袖の長さも全然合わないだぼだぼの上着は羽織ってしまうと余計に香水のかおりが強くなったようで、私はちょっとだけ眉を寄せた。こんなに他人に濃くうつるくらいに香水をつけるのは、きっと当人の鼻にも主張が強いに違いない。これも仕事の一貫なら、大変な仕事だ。
    どんな人がこの香水をつけていたんだろう。肩がずり落ちないように胸のボタンもひとつ留めてから、私はキャプテンの方を見やった。背もたれにどっかり体重を預けて腕を組んで、こっちを見ているキャプテンの眉間には皺が寄っている。そんな顔で見られるいわれはないんだけどな、と思うと同時に、またちょっとからかってやりたい気持ちにもなる。
    私はテーブルに肘をつきながらキャプテンの方を覗き込むように乗り出した。「ねえキャプテン」なるべく素っ頓狂な調子で声をかける。
    「女のひとを買うときのお金って、時間あたりいくらとかで決まってるんですか」
    「は?」
    キャプテンは低い声で言って、眉間の皺を余計に深くした。
    「なんだその質問」
    質問に質問を返すキャプテンに、私はへらへら笑ってやる。
    「将来どこかで女が男を買えるような店を見つけたときの参考にしようと思って」
    ベポには見るからにドン引きされた話だったけれど、キャプテンはそういう反応をしなかった。眉間の皺をそのままに椅子から背中を離して、こっちをじとりと睨む。
    「――もしこの先そういう店があってもおまえが使うのは許可しねェ」
    「えっ、私が男のひと買おうと思ったらキャプテンの許可がいるの!?」
    思ったより大真面目に返されて、私の方が面食らう。
    「当たり前だ」
    「ええ……そんな……何の権限があって……」
    「おまえがうちの船員で、おれがおまえの船長だからで十分だろ、それは」
    「それにしたってなんで私だけ!?みんな女の子のいるお店好きじゃん!自分は買ってんじゃん!こんな香水のにおいそのままで帰ってきてるじゃん!」
    長すぎる上着の袖をばたばたさせると、こっちを睨む顔がまたじわじわとばつが悪そうになった。結局は皺の寄った眉間に手を当てて、キャプテンはわざわざ馬鹿でかくため息を吐く。上手く私を言いくるめる方法は思いつかなかったらしい。
    「――とにかく絶対許可しないからな。これは船長命令」
    「それはまた私のことを置いていく口実ができますね」
    「背く前提かよ。なんでおまえはいつもそうやって妙に意志が固いんだ……」
    二回目のため息。無事にまた私はキャプテンを困らせることに成功してしまった。
    「で、料金設定はどうなってるんですか」
    「どうしても答えなきゃダメか?それ」
    「だって気になるんですもん。一晩あたりなんですか?だったらこんな時間に帰ってきちゃもったいなくないですか?」
    夜は確かに遅いが、朝が来るのはまだ遠い。ちゃんと相手の顔を見るにはランプが必要な時間だ。私はテーブルの上で組んだ両腕を枕にして、ちょっと俯くキャプテンの顔の影がランプの明かりでゆらゆらするのを見た。眉の影、まぶたの影、鼻の影、唇の影。じっと見ているとちらりとだけ目が合って、キャプテンはまた息を吐いた。
    「……この辺は大体一晩単位みたいだったな……」
    そうして物凄く苦々しく答えてくれる。
    「へー」
    私は腕に顎を埋めるように、できるだけさりげなく口元を隠した。なんだか口元が本気で緩んできてしまったので。なんやかんやできちんと私の相手をしてくれるキャプテンは、やさしい。
    「じゃあやっぱ朝まで時間使わないとお金もったいないんじゃないですか」
    「おまえそれちゃんと意味分かって言ってるのか?」
    「わかってますよ?具体的な感じで話しましょうか?」
    「……それはいい。つうかマジで何になるんだこの話」
    「私はお金の有意義な使い方の話をですね……」
    顔を埋めた上着からは知らない女のひとのにおい。こんな風に香りがうつるにはそれなりの接触が必要だろうということは、日頃香水を使わない私にだってわかる。
    「……有意義、ねえ」
    椅子のきしむ音と一緒に、キャプテンがつぶやいた。その背丈には小さい椅子に背中を預けて、キャプテンはどこかに目を伏せる。
    「商売女と朝まで一緒にいるのは時間の使い方としては有意義とは思えねェんだよな」
    それはぽつりと吐き出したにしては、いやに露悪的な表現だった。
    「向こうも客と朝まで一緒にいるよりか、さっさと一晩の仕事が切り上がったほうが有意義だろ。ふたり目の客も捕まえられるかもしれねェし」
    続けられた言葉も妙にとげがあるように聞こえて、それは私の胸のどこかに刺さった。この人がこんなことを言うのは、聞きたくなかったかもしれない。――自分で聞いておきながら。私は上着の袖に頬ずりをする。
    「そういう仕事の人も、お客さんがキャプテンだったら朝まで一緒にいたいんじゃないですかね」
    「は?」
    「だからもうちょっと一緒にいようよ~って抱きつかれたりしたでしょ?」
    上着にべったり香水のかおりが残るくらいには。
    その光景を想像するのは簡単で、だから余計になんだか嫌な気持ちになった。
    「……そういうのはリップサービスって言うんだ」
    キャプテンは呆れたような声で言う。
    「いやあ、本気だと思うなあ」
    だってキャプテン、かっこいいし。強いし。頭いいし。やさしいし。
    私は顔の全部を腕の中に閉じ込めてしまう。キャプテンのことを見てると、もっといろいろ問いただしてしまいそうな気がした。答えを聞いて自分が嫌な気持ちになりそうなことばかりを。

    海賊が陸で女を買うのは当たり前のことだと、堂々と言う人がいる。男っていうのはそういうものなんだと。船の上じゃ発散できないものを発散する場所が必要なんだと。
    その話が本当か嘘かは私にはわからない。私は男じゃないし。セックスの経験もないし。けれど、わざわざ女のひとにお金を払うようなことをしているのを、私に隠そうとするような海賊の男のことは、私はこの世でキャプテンひとりしか知らない。みんな別にあけっぴろげにしているわけではない。でも、キャプテンみたいに隠そうとして、気付かれたらばつが悪そうにする人は他にいない。
    その上、相手の女のひとをわざわざ悪いように言うなんて、すごく変な話だ。

    顔を埋めたところは、まだおしろいと花の混ざったような香りが消えていない。顔も知らないこの香りの持ち主を思うと、私はうらやましいような気にも、同情するような気にもなる。私だって思いっきりキャプテンに抱きついてみたりしたい。でも、そのあとひとりで置いていかれるのはきっと寂しい。朝まで一緒にいる価値がないなんて言われたくはない。じゃあキャプテンは何にお金を払ったの。そうしなきゃいけない理由があるの?
    だんだん気持ちがもつれてくる。くすぐったくなるような香りは、不快なわけじゃない。なんだかまぶたも重くなってくるような、やさしい香りだ。
    「――おい?」
    キャプテンの怪訝そうな声が聞こえる。私は胸の奥のざわめくのが嫌で、ぎゅっと目を瞑った。そして腕の中でぼそぼそ言う。
    「……そんな嫌そ~にお金と時間使うんだったら、私と朝まで一緒におしゃべりとかしてくれたらいいのに……。私はお金取らないし……むしろ払うし……」
    それはキャプテンにとって、こそこそ女のひとを買うよりも価値のないことなのかもしれないけれど。私にとってはすごく有意義だ。ひとりで眠れず朝を待つよりずっといい。私のためにそっちを選んでくれればいいのに。いつだって。
    向こうで椅子のきしむ音がした。キャプテンが、テーブルに突っ伏す私のそばで立ち止まるのがわかる。その指先が、私の髪の毛の先に触れたことも。
    「おい。寝るならベッド使え。風邪引くぞ」
    さっきの私のつぶやきは、キャプテンの耳には届かなかったのかもしれない。落っこちてきたのはキャプテンのやさしい声だった。まさに寝る子をあやすような。私は余っている上着の袖を握りしめながら、顔は上げずに首を振る。
    「もう眠くて部屋に戻れないので私はここで寝ます……」
    今度はちゃんと聞こえるようにと声を吐き出す。別にこのままここで寝てしまおうなんてつもりはなかったけれど、これ以上キャプテンと話しているのも嫌だし、ひとりで部屋に帰るのはもっと嫌だった。テーブルに突っ伏してどうにか寝ようとしている方がいい。
    「……ったく」
    舌打ちのようなひとり言が聞こえて、まぶたの向こうが暗くなるのがわかった。キャプテンがランプを消してくれたんだろう。足音と一緒にその気配が少し遠ざかって、また小さく声がする。
    「――シャンブルズ」
    その能力だったら私をテーブルから引き剥がして部屋に強制送還もできるはずなのに、そうされた気配はない。キャプテンは何をしたんだろう?気になるけれど顔を上げられずにいると、背中にもう一枚何かをかぶせられて、それから頭の上に手を置かれた。
    やさしい手つき。
    背中にかぶせられたのが、ブランケットなのもすぐにわかった。私の部屋から持ってきたのかもしれない。私を部屋に帰すんじゃなくて。
    キャプテンの手がそっと私の頭を撫でる。もう私が寝付いてると思っているのかもしれない。いくら子ども扱いでも、さすがにこんな触られ方はめっきりされていない。
    心臓がどきどきうるさくなってくる。まさか触れられているところからキャプテンに聞こえやしないだろうかと不安になるくらいに。
    「おやすみ」
    そしてやわらかい声が、ほんの少しのため息と一緒に落ちてくる。
    どういう意味のため息で、どんな顔して言ったんだろう。
    キャプテンの手のひらと気配が離れて行ってからも、私はまぶたの裏でいろいろ想像した。結局答えは出ないまま、気付くと睡魔に手を引かれていた。



    頬に触れられた感触で、意識が不意に浮上した。
    重たいまぶたを持ち上げると、窓からの光が目に眩しい。朝の光だ。それでここが船の上でないことを思い出す。
    「おはよう」
    声の方へ、頬に触れている手の持ち主を辿るように視線をやる。やさしいまなざしがそこにある。
    「キャプテン……?」
    その人をボンヤリと呼んだら、撫でられていた頬を思い切りつまみ上げられた。痛みが一気に神経を走る。
    「いだっ!?」
    「ベッドの上ではそうじゃねェだろって何回言わせんだ?オイ」
    「いたいいたい!ごめんなさい!わかってます!ちょっと寝ぼけただけです!だからそんなドスのきいた声やめて!つねらないで!ロー!」
    マットレスを叩いて暴れたらすぐに解放された。ついでに深いため息の音。すっかり目の覚めた私はまだひりひりする自分の頬を撫でた。
    「ひどい……朝からDVを受けた……」
    「起こしてやったのに寝ぼけたことをいうからだろ」
    「私には寝ぼける権利もないんだ……」
    めそめそ泣き真似をしながら枕に頬ずりする。隣で横になったまま頬杖をついているキャプテン――じゃなくてローは、呆れ顔でこっちを見下ろしている。
    「寝ぼけて出てくるのが未だにそっちなのが気にくわねェ」
    なんなら舌打ちまでされた。ひどい。
    「だってキャプテンって呼んでた期間の方が長いし……ていうか今もキャプテンって呼ぶ方が多い……」
    「じゃあもう金輪際それで呼ぶな」
    「横暴~!……というか常日頃から私だけが船長を名前で呼んでたら……それは……あんまりにあけすけすぎるというか……今更だけど……うう……」
    「いいからさっさと起きて仕度しろ。朝飯のあとすぐ出る予定だろ」
    「めんどくさい……まだねむい……」
    「もっと目が覚めるようなことが必要か?」
    「いやそれは結構です」
    低い声とその手つきに身の危険を感じて私はすぐさま起き上がった。今の絶対ROOM展開する気だったぞこの人。なんかこう、ショックで目が覚めるようなことをする気だったぞ。身体のどっかの部位を持って行く系とか切り離す系のやつで。
    おかしい。まだ日の浅い恋人同士が同じベッドで朝を迎えるってなんかもっと甘い感じになるものじゃないのか。いくら恋人以前の付き合いが長いと言ったって。
    腑に落ちない気持ちで、私は床に散らばっているものから自分の下着を拾っては身につけて行く。
    人を急かしたくせにローはまだ素っ裸だしベッドに横たわったままだ。頬杖だけをついてこっちを眺めて、どこか感慨深そうに言う。
    「おまえ、前は誰より早く起きてたのにな」
    「あれは早く起きてたっていうか……寝てなかったっていうか…・・」
    以前は、というか、ついこの間まではそうだった。誰より早く動き出して全員に一番におはようを言って回っていた。
    陸の上ではよく眠れなかった。
    みんなと同じような遊びができないことが寂しくて。寝ている間に私だけ置いて行かれるんじゃないかと不安で。大好きな人が、誰か知らない女のひとと一緒にいるかもしれないのが、嫌で。
    船の上だったら何にも怖くないのに、陸だと怖いことばっかりだった。
    今だって、自分のそういうところは変わってはいないと思う。ただ、頼まなくても朝までローが一緒にいてくれるから、怖い思いをせずに済んでいるだけだ。
    ――なんて、正直に言ったら、この人は胸を痛めるんじゃないかな。
    それくらいの想像ができるようになっている私は、本当のことは口に出さないことにした。
    「まあようやく私も陸に慣れてきたってことでね……」
    「おまえはまだ陸の上にいた時期の方が全然長いだろ」
    「どわっ!?」
    軽口に真剣に返された上、いきなり後ろから抱きすくめられて驚いた。体格差のせいで後ろから来られるとほとんどのしかかられるのと同じだ。頬に髭が擦れてちくちくしたと思ったのも束の間で、次の瞬間には耳元に触れるくらいに唇を寄せられる。
    「そこは俺がいるからだと言え」
    「あ、そっちが正解か……」
    「は?」
    「いや、なんでもないデス……」
    まだ服を着ていない背中に直接体温を感じる。着替えている途中の手もローに捕まえられて、私はしょうがなくその腕の中に収まった。大きい手の長い指が私の指先を撫でる。ばかみたいにやさしい手つきとその切りそろえられた爪のかたちをぼんやり眺める。
    「そういや、キャプ……じゃなくて、ローも、あれだよね、最近しないよね」
    「何を」
    「夜遊び」
    「……今はおまえがいるんだから、しねェだろ、そりゃ」
    呆れている声と一緒にまた頬がくっつけられた。ぐいぐいと押しつけられるのでその顔を見てやれない。私も同じくらいにその顔を押し返す。
    「私は前からずっとウェルカムでしたけど~?」
    「嘘吐け。それは『朝まで一緒におしゃべりしてほしい』だったろ」
    はたと離れた顔がこっちを覗き込んで、目が合う。私はぱちぱちと瞬いた。
    「ええ?なんですかそれ?そんなこと言いました、私?」
    「……言った」
    そうだっけ。思い出せずに首を傾げる。目の前の眉間にみるみる皺が寄っていくのが見えた。どういう感情?
    「ごめんなさい、いまいち思い出せないんですけど」
    「……おまえって女は……」
    もの凄く声を低めて呻いたローが眉間に手を当てる。そんなリアクションされても、思い出せないんだからしょうがない。馬鹿に大きいため息まで吐かれた。
    「ええ~……。ていうか、私とそういう話したなら、もっとしてくれたらよかったのに。朝までおしゃべり」
    海賊団の規模が大きくなってからは宿で夜更かしに付き合ってくれるメンツも増えたけれど、キャプテンが構ってくれた記憶はあんまりないぞ。文句を言ったら顔を覆っていた手が離れて、またローと目が合った。じとりと睨まれる。
    「おしゃべりだけで朝まで持つかよ。ガキじゃねェんだから」
    「そうですか?私は話したいこといっぱいありますけどね。今も昔も」
    「……本当におまえは今も昔も人の気も知らねえで呑気だよな……」
    「どういう意味ですかそれ」
    「もういい」
    一方的に会話を打ち切られてしまった。ローは私の肩口に顔を埋めて、ついでに思い切り体重をかけてくる。
    「重たいんですけど~……」
    「ちょうどいいからもうちょっと味わっとけ」
    「何を?」
    ふん、と鼻を鳴らす音だけが聞こえて、具体的な答えは返ってこない。私はローの体重に耐えるしかなくなって、しょうがなく自分の記憶を遡ることにした。朝まで一緒にいてほしいだなんて、そんな話をしたことが本当にあったんだろうかと。
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