クレープ最寄り駅で電車を降りると、夏のはじまりの匂いがした。
思わず空を見上げると空は青から夕焼け色にグラデーションになっていて、随分日が伸びたなと感じる。
普段は勤め先の大学を夜に出ることが多いから、この時間に家に帰ることは珍しかった。
改札を通り、出口に向かおうとすると後ろからバデーニさん!と聞き慣れた声に呼び止められる。
「オクジーくん」
高い位置で結んだ髪を犬のしっぽのように揺らしながら、彼―オクジーくんが駆け寄って来た。
彼は今日夜までバイトかと思っていたが。
「よかった、同じ電車だったんですね」
「君、いま帰りか?」
「はい。今日は早く終わって」
そうか、と返事をして2人並んで歩き出す。
今日の彼は私が以前にプレゼントした濃い赤のニットを着ていて、昔の…600年前の彼を思い起こさせる。そして、それが彼にとても似合っていた。
たわいもない話をしながら横断歩道を渡ると、何やら甘くて香ばしい香りが鼻を擽った。
「あ、今日クレープの日ですよ」
「クレープの日?」
聞き慣れない単語を思わず復唱すると、ほらあそこ、とオクジーくんが指さす。
そこには白い車体をピンクや黄色で可愛らしく塗装したキッチンカーがあった。
公園の近くなので小さい子どもや、学生がワイワイと周りに列をなしている。
「毎週火曜と金曜は、ああしてクレープ屋さんが来るんです」
「へえ、いつの間に…」
ワゴンに近づくと、車体の側面に食品サンプルがメニューの代わりとして飾られていた。
恐らく定番のチョコバナナ、イチゴ、ミカンといったフルーツと生クリームのメニューのほか、もはやパフェなのではないかと疑問を呈したくなるほどにアイスや生クリームがこれでもかと乗っている種類もある。
スイーツ系の下にはレタスとトマトをツナと一緒にクレープで巻いた、サラダラップもあった。その隣はハムエッグ、ソーセージ…
ほう、クレープと聞くと甘いスイーツを思い浮かべるが、最近はこういった食事系のものもあるのか。
「…あの、せっかくだし、食べます?」
「は?」
「いえ、気になるのかなと」
物珍しくジッ…と見つめていたのを、食べたいのを我慢している幼子のように捉えたのか、オクジーくんが提案してきた。
「…こういった屋台の食事は、口にしない」
「あ…そ、そうですよね。すみません」
「でも、」
そそくさと通り過ぎようとした彼の袖をきゅ、と掴んだ。
「今日は君と一緒だし、食べてみたい」
私一人じゃ、絶対食べなかったけれど。
君と一緒なら初めての経験も、例えそれがどんな結果になろうとも、良い思い出になるだろうから。
「どうぞ、バデーニさんの分です」
「ありがとう」
先程の会話をして、オクジーくんがすぐ買って来てくれた。
食べ歩きはお互い気が進まなかったので、近くのガードレールを椅子代わりにして腰を下ろす。
「「いただきます」」
オクジーくんは生クリームたっぷりのミックスベリークレープ。
私は先ほどサンプルを見て気になった照り焼きチキンマヨクレープ。
1口食べると、香ばしいクレープ生地とともに照り焼きソースとマヨネーズがあまじょっぱく絡み、それをみずみずしいレタスがさっぱりとした後味に仕上げている。
「どうですか?」
「思っていたより、美味しい」
「よかった」
感想を嘘偽りなく言うと、少しホッとしたように彼もクレープに齧り付いた。
2人並んで黙々とクレープを食べる。
ふと周りを見ると、制服を着た男女がクレープを片手に楽しそうに歩いて行った。
学校帰り、勉学で忙しい学生たちの束の間のデートだろう。
微笑ましいなと思いつつ、想い合っている者同士が一緒にクレープを食べている、というシチュエーションを考えると、我々も同じだと気が付いた。
デート…と呼んでいいのか分からない。
たまたま駅で会って一緒に帰っていた途中なのだから。
まあ、でも。
寄り道と呼ぶのが正しいと思うが、デートということにしておこう。
「俺、クレープ食べたの久しぶりでした」
食べ終わってゴミを捨て、随分暗くなった道を歩き出す。
「たまにはこういうのも良くないですか?」
「そうだな。屋台というのは衛生面が少し気になるが、非日常感を味わえて新鮮だった」
今日思ったが、オクジーくんは屋台という食事環境が好きらしい。
君の新しい部分を知れて満足感を感じつつ、ずっと思っていたことを伝えた。
「味に問題は無かったし、こういった経験も新鮮だったんだが」
「?、はい」
「食べれば食べるほど、君の作った料理が食べたくなった」
だから早く帰ろう、と続けようとしたのだが
オクジーくんが着いて来ていないことに気が付いた。
後ろを振り向くと、何やら口元に手をやって俯いている。
「どうした!?やはりさっきのクレープに何か、」
「ちがっ、違います、全然大丈夫」
駆け寄ると慌てた様子で大丈夫大丈夫と制し、ふ〜っと深く息を吐いた。
なんだ?たまにオクジーくんは昔のように奇行に走る。
不思議そうに彼を見つめていると、よし、と気を取り直したように顔を上げた。
「早く帰りましょう。すぐ、夕飯作ります」
「ああ、よろしく…?」
よく分からないが、今日のオクジーくんは私の好きなものを作ってくれるんじゃないかと
不思議とそう思った。
「おい、なんだそのだらしのない顔は。公衆の面前だぞ」
「すいませんっ!」