刹那の再会朝、雨音に誘われるように目が覚めた。雨が窓を叩く音は、子供の頃に遊んだ太鼓の音に似ているなぁと雨の日の度に思う。
んん、と軽く伸びをしてむくりと起き上がった。自他ともに認めるほど、俺は寝起きが良い。基本的に意識が覚醒したらすぐに動ける俺を、眠そうなバデーニさんに恨めしく指摘されたのは昨年二人で行った温泉旅行だったな。
横を見ると、すやすやとバデーニさんが眠っている。「朝起きてまず何をする?」というあるあるな質問があるけれど、俺の場合は「隣で可愛い寝顔を見せて眠るバデーニさんを見ること」だ。
起き上がった上半身と反対に、布団に包まれている下半身は温かい。普段は体温が低いバデーニさんも体温の高い自分の隣で眠るからか、寝ている間はいつもより高くて安心する。自分の体温に加えてバデーニさんの少しぬくい温かさが、彼が生きていることを証明していて愛おしい。自然と口角が上がった。
ぱらぱらぱらっ
雨が窓を叩く音でハッと意識が戻った。時計を見ると、起きた時間から十分も経っている。寝ている彼を見つめていたら時間はあっという間だ。今日は特に急ぎの予定はないけれど、バデーニさんは俺の作る朝食をいつも(一見分かりにくいけど)喜んでくれるから、休日でも早く起きるのは苦ではない。今日はどんな表情と言葉で喜んでくれるかな。楽しみを胸にベッドから出ようとした、その時だった。
「ゔ、う…ッ」
雨音が踊る穏やかな寝室に、似つかわない呻き声。思わず振り返えると、先ほどまで童話のお姫様のようにすやすや眠っていたバデーニさんが、縋るようにシーツを掴み眉間に皺を寄せて魘されていた。
「うぅ、ッは…」
「バデーニさん。…バデーニさん」
名前を呼びながら揺すり起こす。
お願い、起きて。あなたの苦しむ顔は見たくないんです。
そう願いを込めて数回呼びかけると、バデーニさんはハッと息を呑み勢いよく起き上がった。
急に起き上がったものだから普段は後頭部に沿うように綺麗に整えられている髪の毛が、ところどころぴょこんと跳ねていて可愛らしい。
「バデーニさん、大丈夫ですか?」
「…オクジーくんか」
「ぇ、」
そう安心したのも束の間、バデーニさんの一言に咄嗟に違和感を感じた。そして、愛する人が自分の名前を呼んでくれたことに対して違和感を覚えることにも、違和感を感じた。
「なぜこんな時間に納屋にいる?穴掘りはどうした」
「え…?」
思わず身構えた。目の前にいるのは本当にバデーニさん?いや、バデーニさんなのは確かだ。ただ、なんというか、どこか懐かしさを覚える。
誰も寄せ付けないこの雰囲気と声。俺はこのバデーニさんを知っている。
ぱらぱらぱらぱら
「ん、今日は雨か?作業出来ないなら仕方ないが
人が居ては研究の気が散る。向こうの納屋に行ってくれ」
追い払うように手を振るバデーニを見て色んなことが一気に頭を駆け巡る。
納屋、穴掘り、研究…間違いない、六百年前の話をしている。寝ぼけているのか?寝ぼけているにしては口調がハッキリしてるけど、ていうか前世の記憶が混在することってあるんだ、人間の脳って不思議だな、んーとこれ戻るのか?戻らなかったらどうしよう、いや昔のバデーニさんも好きだけどそういう問題じゃないし…
「なんだ、まだ用か?配給のパンならまだだぞ」
「あ、えーと…」
「どうしても、と言う、なら…、クラボフスキさん、に…、ん…」
「…あ、あれ?バデーニさん?」
俺がぐるぐると考えていると、バデーニさんの様子が変わった。
うつらうつらと船を漕いで
そしてそのまま、
すー、すー…
「…寝た?」
ベッドの上で修行僧のようにあぐらをかいたまま、可愛いつむじを俺に見せながら再び眠ってしまった。
再び静寂が寝室に戻る。
「え、えーっと?バデーニさん?起きて?」
気持ちよく寝ているのに申し訳ないと思いつつ、今の彼の状況を把握したくてゆさゆさと揺さぶった。
すると
「ん…なに…オクジーくん?」
あ、バデーニさんだ。現世の、バデーニさん。直感でわかった。
先ほど感じた違和感は何処へやら、あまり寝起きの良くない彼はぼうっと俺を見ている。
「どうした?ふあぁ…怖い夢でも見たか」
「あぁ、いえ、その。うーんと、大丈夫です」
「そうか…。ん?なぜ私は座ってる?」
寝ていたはずなのになぜ起き上がっているのかキョロキョロと不思議がっている彼に、気になって聞いてみた。
「あの、バデーニさん。今日夢とか見ました?」
「夢…?あー、見た気がする。なんだったか…」
顎に手をあてて思い出そうとした時
ぱらぱらぱらっ
風が強まり、窓の方から雨の打ち付ける音がした。
その音にハッとして振り向いたバデーニさんは
ああ、そうだと息を吐いた
「夢じゃないが、デジャブだな」
「…というと」
「六百年前の…こんな雨の日。雨で作業が出来ない君が私のいる納屋に来て。私は『配給はまだだが、どうしても欲しいならクラボフスキさんの所へ行け』…と言ったことがある」
君は覚えてないだろうがな。
そうバデーニさんは楽しそうに微笑んだ
驚いた。いまバデーニさんがデジャブを感じた俺との思い出は、さっき寝ぼけていた(?)バデーニさんが話していたことと同じ…。
「で?なんでそんなこと聞くんだ」
「あぁいえ、えっと、バデーニさんも夢とか見るのかな〜って」
苦し紛れの言い訳をすると怪訝な顔をされたが、俺はなんだか嬉しかった。
バデーニさん、ちゃんと帰れたかな
自然とそう思った。そしてそれに違和感は感じない。
根拠はないけれど、きっとあのバデーニさんは寝ぼけてたとかじゃなく、あの時代のバデーニさんだったんだ。
人間の脳の可能性か、はたまた神様の気まぐれか。
「なに笑ってるんだ」
「え、笑ってました?」
「ああ。古い友人に、久しぶりに再会したような顔だ」
その言葉に目を見開いた。
古い友人。友人…と言っていいのだろうか。あの時の彼を。
階級も立場も頭の中身も、何もかも自分と違った彼を。
でも、
「そう、ですね。」
時間にして一分にも満たなかった再会だったけれど、会話のキャッチボールは出来なかったけれど
「懐かしい人に会えました」
時代が変わっても、あなたに対する気持ちは変わらない。
俺を救ってくれた、愛してくれた、愛しの人。六百年前の彼にまた会えるか分からないけれど、神様の気まぐれがあれば、いつかまた…
字を書けるようになった俺は、あなたと星の話がしたいんです。そう六百年前に思いを馳せた。
「ところでバデーニさん、俺とした会話、全部覚えてるんですか?」
「は?」
「いや、さっきの。雨の日なんていくらでもあったのに、覚えていたから。すごく印象的な何かがあったわけでもないのになと思って」
「…」
「…」
「……」
「……バデーニさん?」
「………お腹空いた」
「あっ、ご飯作ります」