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    biommsour

    @biommsour

    過去に書いたものの置き場です

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    大華と龍久

     両親は姉弟に対して、特にその役割や立場を押し付けるような教育方針ではなかったから、龍久ははじめ、大華のことを名前で呼んでいたし、そういう姉弟の関係性について、何も考えたことがなかった。確かに大華は姉であり自分は弟なのだが、この名前の通りに、大きな華の咲くように何事も派手なところのある姉を、そういう姉を持った弟にはよくありがちに、畏れ、圧倒されつつ、一番近くで一番遠巻きに眺めて育ったのだった。他人から見ればよく似ているまごうことなき姉弟は、しかし、本人たちにしてみれば、かなり違うところがあり、姉は常に強く、弟は常に弱かった。
     姉はいつしか龍久が名前で呼んでも反応してくれなくなり、大華をタイガーと読んで呼べと大仰に言い、龍久はちょっと困って、しばらくは姉の変化に戸惑うことになった。名前が変わることはそのまま、ふたりの関係性が変わることだった。別の名前で呼べという癖に、自分は頑なに、なんとか太郎だとか姉の印象丸出しで弟を呼び、正しく名前を呼ぼうとはしなくなっていた。もっとふたりが幼い頃は、姉は龍久と名前で呼んでくれたこともあるはずなのに、それはもう遠くなりはじめた幼少期の、思い出の中だけの出来事で、姉も自分もそこへ戻ることは二度とないのだと、弟はいつも不意に、姉との関係を思い知らされる。
     いつのことだったか、幼い龍久は、遊びに夢中で迷子になったことがあった。こどもの心細さで呼んだのは親よりも姉の名前で、どんどん日が暮れて暗くなっていくその恐ろしさも相まって、弟は、泣きながら姉の名前を呼び、瞳の縁を赤く腫らしたのだった。
    「だから、タイガーと呼べと言ってるだろ」
     自分を見つけてくれたのはやはり姉だったのだが、迷子になった弟を探すときですら、姉は正しく名前を呼ぶことはなく、けれど、自分を見つけたときの姉の眼差しの中には安堵が見え、弟はそれで、何故か奇妙に安心してしまったのだった。
     再び姉が自分の名前を正しく呼ぶ日が来るのかはわからないのだが、だから、その日が来るまで龍久は、姉をそんなふうには、絶対に呼んでやらないのだ。


    ────────────────────


     姉は憤怒の女であった。姉はいつも自らの内部に飽和する強烈な怒りを抑えつけ硬化させた厳格さで生活しているところがあった。
     幼い龍久が描いた、自らの儚い願望が反映されているだけの漫画は、もちろん、幼い自分ではどうにもならない、彼を取り巻く世界からの現実逃避の手段でもあったのだが、龍久は姉という存在の、その圧倒的な恐怖や理不尽さをそっくりそのまま、つまりは写実として『魔人タイガー』を描いていたのだった。比喩どころか、その頃の龍久にとって、大華とは魔人そのものであった。
     姉はその怒りゆえに親しくしていた友人さえも長い間遠ざけていた。その原因が自分だと後々気付いたとき龍久は、姉の怒りの矛先がいつこちらを向き糾弾されるのかとひたすら恐怖し、しばらくは姉の顔が見られなかった。やむを得ず姉と会話しなければならないときには、姉の首から下のあたりにばかり視線を泳がせていた。だから、その頃の姉の印象にはいつも首が無い。
     幸いにもその件で龍久が姉から責められることはなかったが、結果的にただ唯一の友人を遠ざけるはめになってしまったことは、姉にとってよくないことではなかっただろうか。
     龍久は姉をその名で呼ぶことができない。彼女が強要するタイガーという名は、彼にとってはコミュニケーションが不可能な魔的の名であり、彼女は龍久にとって「お姉ちゃん」の響きが表す存在以外の何者でもないからだ。


    ────────────────────


     物心ついた頃から龍久にはその音が絶えず聞こえている。
     敷かれたレールの上を歩くという陳腐な表現は龍久にとっては、文字通り社会の歯車そのものになることを意味していた。龍久が一度も敵わない強者の姉ですら、成長するにつれ自らの身の振り方を考えているらしいことが、振る舞いや言葉の端々に感じられていた。この家に生まれたということが決定付ける龍久や姉の将来は、それこそ、歯車のような精密さで寸分の狂いもなく計画されるものであった。
     けれど龍久は、歯車ではなくひとりの人間でありたかったのだった。
     歯車の意匠を見ればノイローゼ気味なるほど思い詰めて、幼い龍久はそれをノートに描き殴った。だから、あの拙い漫画は龍久の祈りでもあったのだ。
     学校へ通う歳になり、そして遊我たちと一緒に過ごすようになった龍久は、久しくあの、歯車の音を忘れていた。それほどに遊我たちと過ごす日々は楽しいものだったのだ。
     けれど、楽しい時間はいつまでも続かない。そんなことは誰よりもよくわかっていた。だからせめて子どもの現在だけは、祈りが通じて欲しいと願っていたのかもしれない。
     キ、キ、キ、キ、キ、キ、キ、キ、キ、キ、キ、キ………………。
     音がする。龍久の体の、頭の中から、歯車のまわる音が聞こえている。
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    biommsour

    PASTあいゆオンリーの無配でした。ありがとうございました!
    愛の生活「久しぶりだな、この部屋もさ」
     久しぶり、というAiの言葉に、いったいどれほどの感慨が込められているのだろうか、と遊作は思い、けれど、いちいち感傷じみた気持ちを浮かべてAiを見つめるのは、なんというか、それは違う、と自分に言い聞かせて、ただ、そうだな、と彼は返事をした。
     心が壊れるかのような別離からしばらくして、Aiはひっそりと、遊作のもとへ帰ってきた。帰ってきたというのが正しいのか、遊作はこれから考え続けなければならない、と思っている。あのとき、Aiは遊作の目の前で、遊作の選択で、消滅したからだった。繋がりの途切れる瞬間を見た。あれは、確かに死だった。
     Aiは、体重を掛けると金属のフレームが軋んで耳障りな音をたてる質素なベッドに座って、壁の方へ視線を向けていた。ところどころ塗装が剥げた壁は内部のブロックが露出している。Aiの過ごしてきたシミュレーションという那由多の時間に比べたなら、まだ新しいと言えるかもしれないこの部屋の壁にも、遊作やAiやロボッピや、その前の住人たちの時間が、埃やシミとなり、キズや塗装の剥がれとなって、確かに堆積しているのだ、と遊作は考え、やはり、自分は幾らか感傷的になっているのだと自覚した。
    1969

    biommsour

    PAST以前ラキカで公開したロアロミの再録です
    「わたし、けっこう料理が上手くなったと思うんだけど……」
    「この惨状を見てもそう言えるワケ?」
     一般的に料理とは、鍋から噴水のようにあふれ出し、部屋を汚したりするものではないとロアは思うのだが、ロミンにとってはそうでもないらしい。
     彼女はその壊滅的な料理のセンスでロアの部屋をカレーの海に沈め(るだけならまだしもマンションごとカレー浸しにして管理組合にひどく怒られた)たのだが、そんなことではめげないらしく、初めて作ったカレーが案外好評だったのが相当な自信になったようで、それから今にいたるまで、彼女はときおり彼の部屋に、ただ、カレーを作りにくる。
     ロミンがカレーと呼ぶ極彩色は、刺激を与えなければ鍋の中にとどまっているところまで来たが(?)ほとんど爆発物だと思って取り扱わないと危険なそれを料理と呼ぶのが適当なのか、ロアは途中から考えるのをやめ、そのくせ、口に入れてしまえばわりといける味で、だから彼は、もう少しバンド活動を広げて、まだ一応は賃貸だったこの部屋くらいはせめて買い取らなければと、ふたたび鍋から噴き上がりはじめたカレーを見て、思ったりする。
    3748

    biommsour

    PAST大華と龍久
     両親は姉弟に対して、特にその役割や立場を押し付けるような教育方針ではなかったから、龍久ははじめ、大華のことを名前で呼んでいたし、そういう姉弟の関係性について、何も考えたことがなかった。確かに大華は姉であり自分は弟なのだが、この名前の通りに、大きな華の咲くように何事も派手なところのある姉を、そういう姉を持った弟にはよくありがちに、畏れ、圧倒されつつ、一番近くで一番遠巻きに眺めて育ったのだった。他人から見ればよく似ているまごうことなき姉弟は、しかし、本人たちにしてみれば、かなり違うところがあり、姉は常に強く、弟は常に弱かった。
     姉はいつしか龍久が名前で呼んでも反応してくれなくなり、大華をタイガーと読んで呼べと大仰に言い、龍久はちょっと困って、しばらくは姉の変化に戸惑うことになった。名前が変わることはそのまま、ふたりの関係性が変わることだった。別の名前で呼べという癖に、自分は頑なに、なんとか太郎だとか姉の印象丸出しで弟を呼び、正しく名前を呼ぼうとはしなくなっていた。もっとふたりが幼い頃は、姉は龍久と名前で呼んでくれたこともあるはずなのに、それはもう遠くなりはじめた幼少期の、思い出の中だけの出来事で、姉も自分もそこへ戻ることは二度とないのだと、弟はいつも不意に、姉との関係を思い知らされる。
    2060

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