バーには、様々なお客さんが来るものだ。
入ってきて早々、常連客の女性は俺に聞いてよと叫んできた。
「いらっしゃいま」
「聞いてよー、髙羽さぁん!!」
「今度はどうしたの?」
カウンター席に座ったと同時に、恋人にフラれた話を始める女性。
確か付き合ったのが、三ヶ月くらい前の話だから早いとも遅いとも言えない。
「でね、酒が強い女はちょっとって!ちょっとって何よ!」
「あー、男って見栄っ張りだしねぇ。酒豪の女の子を前に飲むのは、気が引けるのかも?あとは雰囲気とかあるんじゃない?」
酔わせて良い雰囲気にしたい男は知っているが、それは相手が酒に弱いか普通くらいの強さが前提である。
だから、彼女みたいに酒豪タイプだと気後れするのだろう。
そもそも酒は楽しく飲むものだから、性行為とかの導入に使うのはどうかと思うのが俺の率直な意見ではある。
「芋焼酎のお湯割り、そんなに駄目かなぁ」
「駄目だと思うよ、それは」
酒豪に囲まれて育った彼女にとって、ロック以外は弱い酒と見なしているのも原因だとは思う。
余程ショックだったのか、注文もせずに話続ける彼女にぴったりのカクテルを作っていく。
最初にソーサー型のシャンパングラスの縁をライムで擦り、塩でスノースタイルにする。
テキーラ、ホワイトキュラソー、ライムジュースをクラッシュドライアイスに注ぎ差し出す。
「はい。フローズンマルガリータ。カクテル言葉は、元気出してって意味だから。それに、フローズンだからさっぱりするよ?」
テキーラを使うお酒ではあるが、彼女なら早々酔うことはない。
安全面を考慮した上で、今の彼女にぴったりのカクテルとして提供した。
「うー、髙羽さん。たまにこう言う事するから好きになりそうになるんですけど!!」
カクテルを片手に机をバンバン叩いて、俺にそんな事を言うから流石に焦り始めてしまう。
そもそも俺は言う程モテていないし、売れない芸人な時点でアウトな方だ。
いや、それ以前にカミングアウトはしていないが、相方兼恋人が居るからお断りの選択肢しかない。
彼女がこう言う事を言うのは、大抵お酒が入っている時な事をふと思い出す。
店に来る前に既に飲んでいたのかなと心配になり、バーカウンターから身を乗り出して声を掛ける。
「ちょ、落ち着いてって。大丈夫?」
「ね、髙羽さん!付き合おうよ!!」
「バーテンダーさん、彼女。凄い酔ってるみたいだけど、大丈夫?」
古い常連客なら、この女性が言っている事が冗談である事は分かっている。
でもまだ常連になって日の浅いこの男には、本気か冗談か分からない。
バーカウンターに手を付いた俺の手を握る先を見て、まず何て説明をしようかと考えた。
俺と同じく視界を埋める塩顔のイケメンに、女の子も硬直している。
酔いが一気に冷めたのか、女の子は羂索を見て気まずそうに名前を呼ぶ。
「あ……羂索さん?」
「こんばんは、沙原さん。髙羽を借りるけどいいかな」
「どうぞどうぞ!髙羽さん、これ頂きますね!」
女の子、沙原さんは、俺が出したフローズンマルガリータを飲みながらペコペコと頭を下げる。
羂索が何時もの席に向かうから、俺も一緒に移動した。
たまたま出勤していたマスターが、ひょこっとバックヤードから出てきてバーに立ち始めていた。
「あれ、マスター?」
「いいから、羂索君のお相手しな」
あからさまに不機嫌な羂索を横目で見て、マスターに頭を下げてから羂索の前に立つ。
「ホーセズネックでいい?」
「他で。私のために作ったカクテルがいいな、言ってる意味分かるよね?」
静かに機嫌が悪いオーラを出してくる羂索に、返す言葉が見付からない。
冗談でも恋人が口説かれていたら、嫌になるだろう。
それより、羂索にも嫉妬心があると気付いて顔がにやけてしまう。
必死に取り繕うとするけど、羂索がカウンターを指でトントンと叩くから表情を真顔に戻す。
俺は俺で、目の前の恋人の機嫌を取らなければならない。
今の羂索にぴったりのカクテルは、どれかと酒が並ぶ棚を見詰めて腕を組む。
在り来たりな恋の意味のカクテルでは、羂索は満足しない事は分かっている。
それなら、羂索も驚く様なカクテル言葉を持つカクテルを作るべきだ。
うーんと悩んでいた時に、マスターにマンハッタンを頼む人の声が聞こえてきた。
瞬間、俺が作るべきカクテルが浮かんで組んでいた手を離す。
「決まった」
カクテルのレシピを頭で思い浮かべながら、カクテル言葉と繋げていく。
今回は羂索が嫉妬したのだから、俺の返答はこれでいいだろう。
酒棚からスコッチ、スイートベルモット、アロマティックビターズ、レッドチェリーを用意する。
カクテルグラスに注ぎ入れて、ステアしてからレッドチェリーを飾り付けた。
そのまま羂索の元へと差し出して、バーテンダーの顔ではなくちゃんと羂索の恋人の表情でカクテル名を告げた。
「お待たせ。ロブロイ。意味は」
「貴方の心を奪いたいだっけ?」
言い切る前に、嬉しそうに表情を緩めた羂索に答えられてしまった。
そうですーと言えば、羂索がグラスを取って一口飲む。
強い酒ではあるが、甘味があるから飲みやすいタイプだ。
だから飲み過ぎると、知らない間に酔ってしまうカクテルの一つである。
「で、私の心を奪って君はどうしたいの?」
「お店なのでノーコメントで」
「手厳しいね。終わるの待ってるよ」
グラスに残っているロブロイを飲む羂索を見つめていると、マスターから声を掛けられた。
「髙羽君、今日は上がりで」
「え!?まだ始まったばかりですよ!?」
「もう君、仕事にならないから帰りなよ。黒見君呼ぶから」
マスターに言われたら、仕事を上がるしかない。
況してや、先輩を呼ぶと言われたら後に引く事が出来なかった。
「良かったね。それじゃ、私の心を奪って貰おうかな」
心底楽しそうに笑っている羂索に、着替えるから待ってて欲しいと言ってからバックヤードへと向かった。
この後、多分俺は羂索の家に連れて行かれるだろう。
「明日、起きれるといいんだけど」
バーテンダーの制服を脱ぎながら、少しだけ期待している自分の頭を壁に打ち付けた。
「あれで髙羽さん、隠せてると思ってるのかな」
「さぁ?」
グラスを拭きながら、髙羽君が来るのを待っている羂索君へと視線を向ける。
ずっと彼が髙羽君を探しているのは知っていたけど、僕は敢えて黙っていた。
「けんちゃのうんめーのひちょなの!ふみくゅは!なのに、いにゃのぉ!!」
幼い頃は良く、親父さんを毎回困らせていた羂索君も今では立派な若頭になっている。
あの頃から髙羽君の事を言っていた羂索君に、僕がヒントなんて与えるものじゃない。
そう思って黙っていたけど、傑君の方が先に見付けてしまったらしく神様も酷いことをすると笑ったものだった。
でもちゃんと髙羽君の心を射止めた所を見れば、確かに羂索君の方が運命だったのかもしれない。
「はぁ、髙羽さん狙ってたのに」
「羂索君に聞かれると大変だから、ここではしーだよ?」
唇に指を当てて沙原ちゃんのお口を閉じさせて、無駄な殺生が起きない様に羂索君にウインクを送ったのだった。