産まれ落ちた事を祝福されとも、生み落とされた事を感謝する事はない。
物心が付く前から、父と体を寄せ合う母が妬ましくて仕方がなかった。
どうしてなのかと言われると、上手く説明が出来ずただ飲み込む事しか出来なかった。
ある時、父に手を引かれて買い物に行った母を迎えに行った際に立ち寄った本屋の中でその答えを知る事になったのだ。
「たけち、はんぺいた……僕の、いや私の本当の名前だ」
歴史書の中にあった一冊の本は、年齢的に読むのが難しい本ではあったが自然と手が伸びる。
表紙を捲り、今まで父に抱いていた感情の答えを探す。
この本ならば、知りたい事が載っている。
そんな気がしてならなくて、目的の事が載っているベージを探して捲り続けた。
「あった」
漸く見付けた感情の答えに、初めて私の自我が確定した気がしたのだ。
父への感情も私の中にあった違和感も全て、この本を読んで解消する事が出来た。
もう少し読み進めようと思うと、後ろから抱き上げられて慌てて本を掴み直す。
「その本は難しいだろ。向こうに絵本があったから、そっちに行こうか」
「うん、おとうさん」
掴んでいた本を父は痛ませない様に受け取り、私をだっこしたまた器用に本を戻す。
生前と変わらない太い首に抱き付き、頬を寄せて普段と変わらず甘える。
「おとーさん」
「どうした?」
「大好きだよ」
「俺も瑞山が大好きだぞ」
私と視線を合わせて、屈託のない笑みを向ける田中君を今だけは父と呼ぶ。
大好きの意味は、きっと既に意味が違っている。
だが、今はそれを言っても仕方がないのも分かっているから何も言わない。
抱き付いたまま降りようとしない私に、田中君は仕方ないなと言って抱っこを続けながら母親を迎えに行く。
これから、父である田中君を手に入れるために私は画策しなければならない。
一瞬ではあるが、田中君を悲しませてしまう事に心を痛めつつも邪魔物を排除する為に有効な手を考えた。
ゆっくりと徐々に確実に、家庭は壊れていく。
私が最初にしたのは、母を家庭内で追い詰めて行く。
父が居る前では子供のまま接し、母だけの前では武市半平太の記憶のまま接する。
最初は母の訴えを聞いていた父も、徐々に対応に困り始めたのか私を母から離す対応しか出来なかった。
撮影しているのだろうなと言う時は普通の子供として接し、撮影を止めた時は武市半平太に戻る事を繰り返した。
母は徐々に精神を病み始め、私の面倒を見るのをやめ始めていった。
特に母は頼れる人間が居なかったのか、外へと救いを求めてホストクラブへ入れ込み始めた。
この頃になると、仕事から帰ってきた田中君が暗い部屋で一人で居る私を何度も目撃する事となった。
「今日も母さんは」
居ないのかと聞く田中君の腰に抱き付き、涙声で母の浮気を訴える。
ご飯も作ってくれないとネグレクトされている事も伝えると田中君の顔が険しくなり、その目には涙が浮かんでいた。
嗚呼、泣かないでくれ田中君。
私を抱き締めた田中君は、荒れた台所を泣きながら片付けてから冷蔵庫を開く。
「昨日は、瑞山が食べたいもの作ってやるからな」
「有り難う、おとうさん」
もう少しで父を手に入れられると思うと、ゾクゾクと背中に電流が走る。
食べたい物を聞かれ、田中君が作るなら何でも良いと言って台所の傍から離れなかった。
そんな私を田中君は、寂しかったのだろうと思って時折頭を撫でてくれた。
違うんだ、田中君。
私は漸く君を手に入れられると思うと、嬉しくて仕方がないんだ。
母親の事を思って泣いている田中君が、少し気に入らないがその内消えるモノに嫉妬しても仕方がない。
本の少しの我慢で、全てが手に入る。
「おとうさん、おとうさんは僕の事、好き?」
「あぁ、大好きだ。どんなモノよりも俺の宝物だ」
料理を作っている手を止めて、私を抱き締めてくれた田中君を抱き締め返した。
暫くしてから田中君と母の離婚が決まり、どう考えても父親である田中君に親権が行った。
母は慰謝料を支払う約束をして、私との面会も要らないと言って消えていった。
田中君が私の手を握り、泣いていいと言ったが泣く理由が私にはない。
邪魔物が消えただけなのだから、喜ぶ方が正しいだろう。
しかし、ここで喜んでは田中君に怪しまれてしまうのは確実だった。
だから、少しだけ寂しそうな顔をしながら首を横に振る。
「お父さんが居れば、僕は大丈夫だよ」
そう田中君さえ居れば、私には何の問題もないのだ。
田中君は、母と別れてから再婚の話は一同もしなかった。
母の代わりは出来ないがが、気付けば口癖になっていた田中君に何時も私は大丈夫と告げていた。
母親が居なくとも、田中君が居るならそれでいい。
弁当を作る為に早起きをし、学校行事も出来るだけ出席してくれた。
それは全て、私のために行ってくれている事だと思うと何とも言えない昂揚感に包まれる。
田中君、田中君。
こうして本当の血の繋がりを得てしまった事は、私としては神の選択ミスだと思う。
中学に入る前に、田中君を抱く夢を見て夢精した。
起きて濡れた下着とズボンを洗おうとして、田中君に見付かり男同士であるのに何処か気まずくなってしまった。
「あー、その。そう言う歳になったって事だから」
「……大丈夫だ、よ」
気まずくなったのは夢精をしたからではなく、今からでも田中君を抱く事が出来ると分かったからだ。
そんなことを知らない田中君は、私の頭を撫でてまた父親の笑みを向けている。
その笑う顔に唇を寄せたなら、田中君はどんな顔をするのだろう。
母親だったあの女と重ねたその唇を、早く私と唇に塗り替えたい。
あの女を抱いたその体を、私が抱いたらどんな反応をするのだろうか。
早く知りたいと思いながら、まだ時期ではないと目を瞑る事にした。
◆◆◆
私が高校生になり、だいぶ落ち着いた頃。
夕飯を食べていた田中君から、意外な事を聞かれた。
「瑞山、恋人とか出来たのか?」
「いないよ、父さん」
「そうか。友達とご飯とか食べたかったら、俺に気にせずに食べてきて」
「僕は、父さんと食べるご飯が一番好きだから。父さん、もしかして再婚するつもりなのかな」
ご飯を食べながら、田中君に問い掛けて視線を向ける。
あれから大分時も経っているし、田中君なら引く手数多だろう。
私が視線を向けると田中君は、首を横に振って違うと否定した。
「もう結婚はしないつもりだ。ただ、お前も年頃だから好いた子が居れば」
「父さん。僕は、父さんが大好きだよ」
脈略もない俺の言葉に、田中君は同意しながら止めていた手を動かしておかずに手を伸ばした。
その手を上から握って、ふっと笑って絡ませる様に握る。
「瑞山?」
「僕は、父さんの事を性的な意味で好いているんだ。これで分かって貰えるかな、新兵衛」
田中君が作ってくれた料理が食べれる様に退けながら、驚いたままの唇に触れるだけのキスをした。