武市に説明したのは、カルデアでは良くある霊基の異常だけ伝えた。
霊基異常については現れる症状は区々で、いつ誰に起きるか分からない。
大体は数日で終わったりするが、長引く時は長引くとだけ伝えた。
直ぐに治す方法の一つに魔力供給があるが、敢えてそれは言うのを止めておく事にした。
「カルデアの召喚は、通常の聖杯戦争とは異なると確かに聞いたな。それなら、田中君も暫くすれば元に戻ると言う訳か」
「戻らんかった事例は今ん所はないき。新兵衛なら、数日で戻ると思っちょたらええ」
意外にもすんなりと武市は、新兵衛の身に起きた事を理解はしてくれた。
次に説明するとするなら、あの新兵衛には記憶がない事だろう。
それを説明する前に、新兵衛の泣き声と一緒に龍馬がわしを呼ぶ声が聞こえて来た。
嫌な予感がして武市と立ち止まると、新兵衛の脇の下に手を入れて持ち上げている龍馬と隣に浮いているお竜の姿が目に入って来た。
「以蔵さーん、わしには子守りなん無理ぜよー!」
「いぞー兄さぁ!」
今にも泣きそうな龍馬とあやしているのか分からないお竜に、泣きじゃくってわしを呼んでいる新兵衛を龍馬から受け取る。
期待はしていなかったが、ここまで期待を裏切らない龍馬に突っ込む気力さえ失って泣いている新兵衛をあやす。
「兄さぁっ、どこ行っちょったと」
わしの首に抱き付いて、泣きながら叫ぶ新兵衛の背中を撫でて何度も謝る。
泣いている龍馬は一先ず無視して、隣で目を見開いている武市へと視線を向けた。
「言い忘れちょった。今の新兵衛には、武市先生の記憶もないき」
「本当なのか?」
「わしは嘘が吐けん。新兵衛の反応見て、おまんなら分からんか?」
上から覗き込む武市に、それは駄目だと言うのが遅れてしまった。
顔を出した新兵衛が、武市の顔を見て更に泣き出す。
人見知りする時期に、突然知らない大人が現れたら泣き出すに決まっている。
新兵衛に泣かれたのが、武市にとってどれだけの衝撃だったのかはわしにも分からない。
新兵衛が泣き止むまで一人にさせてくれと頼み、一度わしの部屋に戻る事にした。
その間、新兵衛はわしの着物を掴んだまま離そうとはしなかった。
龍馬に預けるのは早すぎたかと思いつつも、寝具に座って膝に新兵衛を座らせる。
「新兵衛、泣き止み。すまんのぉ、武市先生と話があったき」
置いて行った理由を話して、まだ涙を零す新兵衛が落ち着くのを待ってやった。
ここで急かしたら、混乱して更に泣いてしまう。
「新兵衛、もう兄やんは何処も行かん。安心し」
膝に座った新兵衛を抱き締めてやりながら、ふと武市の前で新兵衛がわしを兄と呼んだ事を思い出す。
生前、新兵衛は武市の義弟になっていた。
だから、わしを兄と呼ぶより武市の方を兄と呼ぶ方が正しい。
流石の武市も子供の新兵衛に、自分が兄だと迫る事はないだろう。
「兄さ、兄さ」
「ん?あぁ、何じゃ」
ぐいぐいとわしの袖を引っ張り、不安そうな目をしてわしをみあげる新兵衛が目に入る。
「もう何処にも行かん?」
「おう。新兵衛とずっと一緒におるぞ」
不安そうな新兵衛を抱き締めてから、脇腹を擽ると新兵衛がケタケタと笑う。
弟が小さかった頃もこうしていた事を思い出し、懐かしさを感じていると視線を感じて顔を上げた。
「ひえ……」
いつの間にか開かれた扉の向こうに、武市と龍馬が立っていた。
新兵衛を驚かせて、また泣かすのは可哀想ではある。
「兄さ?」
「あー、新兵衛。さっきおまんとおった龍馬と武市先生が会いにきちょるが……大丈夫か?」
わしに抱き付いたまま、後ろを振り向いて二人の姿を凝視してからわしに視線を向けた。
「ん、兄さおっなら大丈夫」
「ほうかほうか。新兵衛、武市先生の前だけではわしの事は以蔵って呼べ。面倒になるき」
不思議そうな顔をしながら頷く新兵衛の頭を撫でてから、入ってもいいと視線で答えると二人は部屋に入ってきた。
龍馬はごめんと伝えてきたが、多分武市が聞かなかったのだろう。
自分を忘れている新兵衛と対面した武市は、新兵衛と視線を合わせてから肩を掴む。
当然、驚いてびくつく新兵衛が、わしに助けを求める様にこちらを向いてしまう。
「武市っ、新兵衛になに」
「田中君。君の義兄は私だ。以蔵ではない」
あまりの剣幕に、新兵衛が声も出さずに泣き出したのは言うまでもなかった。