【田中視点】
ふと気付けば、見慣れた庭園のある屋敷の前に居た。
どうしてここに居るのか、俺にも分からない。
それと不思議な事は、もう一つあった。
俺が居たのは夏の筈なのに、どう見ても季節は冬だった。
悴む手に息を当てて、手を揉むように合わせる。
立っていても仕方がないだろうと思い、屋敷に目を向けて門を潜った。
直ぐに目に入ったのは、美しかったと記憶していた庭園だった。
確かこの場所は、昔は手入れの行き届いた美しい庭園だった筈である。
しかし今は家も荒れ果て、庭園も荒廃していたのだ。
「あぁ、そうか。ここは無人なのか」
手入れをする人間も、家に住む人間も居なくなれば荒れ果てるだけだ。
もう一度、はぁっと息を吐けば外の気温と変わらない室温のせいか息は真っ白に染まっていた。
薄暗い屋敷の中に入ると埃っぽさが気になるが、今は気にしていられない。
何故だか、この屋敷に入らなければいけないと誰かに言われている気がするのだ。
裸足で廊下を歩いているせいか、ぺたぺたと足音が響く。
足音など立ててはと思ったが、もう人斬りをしなくていいのだから気にしなくていいかとはたりと思う。
真っ白な息を吐きながら、先生が好きだと言った庭園へと足を進める。
「ん?先生が好きだと思ったんだ?」
どうしてこの場が、先生がお好きだと言った場所だと思ったのだろうか。
俺には先生が好きだと言った場所は、数える程しか知らない。
寧ろ、以蔵の方が好きな場所を知っているだろう。
薄暗い埃っぽい屋敷の中を歩き続け、庭園の見える縁側に辿り着いた。
荒廃しているが、手入れさえちゃんとされていればきっと美しい庭園だったのだろう。
暫く立ち止まってから、縁側に腰を下ろす事にした。
どうせ俺一人なのだから、どんな体勢で居ても構わないだろう。
縁側に座って、刀を横に置いてから目を伏せる。
思えば、こうしてゆっくりと庭園を眺めるのも久しい。
何時も見ていたのは、血塗れの人間と暗闇。
時折、眩しい光を見ると自分が存在しても良いのか分からずに目を背けていた。
人を斬った代償は大きかったなと、苦笑しながら足を投げ出す。
正座をしなくとも、誰にも見られては居ないのだ。
こう言った考えがあるから、俺は根っからの侍ではないのだろう。
先生ならば、きっと人の目がなくともしゃんとして居られる筈だ。
「武市先生……」
吐息と共に呼んだ名前は、真っ白な息と共に消えて逝った。
徐々に曲がっていく腰に、視界がゆらりと揺れていく。
面を外して膝に置くと、零れ落ちた涙が袴を濡らした。
どうして自分がここに居るのか分からなかったが、先生の名前を呼んでから何となく察してしまったのだ。
人から見向きもされずに、荒廃してしまった庭園。
先生に捨てられ、選ばれる事なく自害を選択した己。
正しく、この屋敷と庭園其の物ではないか。
だからこうして、俺は死後にここに呼ばれたのだろう。
全てを察すると、感情が昂り渦巻き涙へと変わる。
嗚咽を付いても、俺一人ならば誰に聞かれる事もない。
ただただ涙を溢しながら、漏れる嗚咽を止める事が出来なかった。
「先生、なごいて。なごいて。おいを」
答える者は、此処には居ない。
何故ならば、此処は人に棄てられた荒廃した庭園。
零れる涙が止まらず、そのまま体勢を崩して縁側にうつ伏せになる。
泣いて泣いて、零れた涙の量を考えるのも止めた時。
俺の意識は一人でに、手放されていた。
此処は寒いなと思いながらも、腫れて重くなった目蓋を落とした。
◆◆◆
【武市視点】
漸く見付けたのは、荒廃してしまった庭園のある屋敷だった。
「田中君、此処の庭園はとても美しかったな」
寂れたこんな場所に彼を一人で置いておくつもりはなかったが、思ったよりも探すのに手間取ってしまったのだ。
数える程しかなかった田中君との思い出の場を一つ一つ巡り、最後に探し当てたのはこの場所だった。
元々感情が昂ると泣いてしまうと言う事は聞いていたが、目を腫らして泣くのは珍しいと思う。
見付けた時は、既に子供のように丸くなって眠ってしまっていた。
埃っぽい縁側に顔を付けているのは良くないと思い、起こさないように頭を膝の上に乗せてやる。
「起きたら泣いた理由を教えてくれるだろうか。もし、君が良ければもう一つ私の気に入っている庭園がある場所に連れていきたいんだ」
腫れた目元を撫でてから、薄く開いている田中君の唇を吸う。
起きて欲しい様な起きて欲しくない様な、そんな複雑な気持ちを表現出来る言葉が見付からない。
「田中君」
名前を呼んでから、もう一度その唇に口付けをした。