一つの事件が起きて、その事件について調べるのが俺等の仕事ではある。
それでも今回の事件は俺も土方さんも、深く追求するのを躊躇った。
「監察官が浮気の末に、相手と心中って。何とも言えない事件ですね、土方さん」
一応他殺の疑いがないかと言う理由で、現場に呼ばれたが特にこれと言って他殺の疑いはなかった。
土方さんも細かく調べている様ではあったが、他殺に繋がる証拠はない様だった。
「疑いの余地がねぇが。その疑いの余地の無さが、逆におかしいって言いたそうだな」
「そりゃぁねぇ。こうも心中だけにしか見えないってのも怪しいですし。何より浮気が本気なら、奥さんと別れればいいだけじゃないですか?」
「婿養子でも無ければ、妻の実家が強い訳でもねぇ。なのに心中するってのが俺も怪しいとは思っていた。水商売の女が理由にしても、心中に至る要因としては薄い」
土方さんの言う通り、この心中には決定的な理由が足りないのだ。
心中する理由を第三者が探るのは、幾ら何でも無粋ではある。
しかし、俺等は職業柄そう言った面も疑って掛からねばならない。
改めて遺体へと視線を向けて、互いの腕を結ぶたリボンと女の首に付けられた痛々しい傷口。
そして、心中をした男。
監査官の一人である田中新兵衛の喉には、深々と出刃包丁が突き刺さっていた。
「男の方は即死ですね。女の方は」
「眠剤を飲んで意識が朦朧としている時に、大方介錯でも頼んだんだろ。切り口に躊躇いがねぇのが証拠だ」
テーブルには、遺書と最期に呑んだと思われる酒の入ったグラスが二つあった。
二つあったグラスの傍には、使われた痕跡のある睡眠薬も一緒に置かれていた。
状況を見て女の方に睡眠薬を飲ませてから、寝ている間に首を掻っ切ったのだろう。
部屋に目を向ければ、飛び散った血痕を鑑識が調べている。
他に調べるとするなら、田中の妻と心中した女の職場だろう。
現場で調べる事も無くなったのもあり、二人で現場を引き上げようとした時だった。
「この度は、部下の不始末の対応をさせて申し訳ない」
田中の直属の上司である武市瑞山が、現場に足を運んできたのだ。
監察官が現場に来る事事態珍しいが、今回は死んだ田中も監察官である。
俺と土方さんに一礼した武市は、遺体の確認に来たと話していた。
遺体を確認した武市は、目を伏せてからベランダへと向かっていく。
土方さんと視線を合わせ、武市からも何か聞ければと思いベランダへと向かった。
俺と土方さんがベランダに着いた時には、武市は奥に佇み景色を見つめながら胸ポケットに手を入れていた。
胸ポケットから出てきたのは、何の変哲もない煙草。
吸い慣れた手付きで、煙草を抜き出し口に咥えて高そうなジッポで火を着ける。
紫煙が燻らせている武市に声を掛けようとして、伸ばした手が止まった。
咥えた煙草を離して指で挟んだ状態で空を見上げていた武市の目から、一筋の涙が溢れ落ちていた。
でもそれも一瞬ですぐに拭われて、涙の跡すら見えなかった。
俺と土方さんに気付いたのか、武市が煙草を携帯灰皿に押し付けてからこちらを振り向く。
「何か?」
突然の事声を掛けられて、何を言うか考えてなかったのもあり咄嗟に声が出なかった。
「お前、わざわざ部下の死体確認しに来たみてぇだが……毎回やってんのか?」
俺の代わりに、土方さんが武市に声を掛けていた。
武市は突然聞かれた事に少し驚いていたが、真っ直ぐこちらを見つめて口を開く。
「いや、今回が初めてだ。特に今回は部下の死によって警察まで動かしてしまったから、特別対応をしただけだが……これは聴取か?」
土方さんと武市の間に冷たい空気が走り、何か動きがあれば何時でも動けるように構える。
「形式上って事くらい、監察官のお前なら知ってるだろ。おい。斎藤、女の店から当たるぞ」
「はいはい、行きますよっと。それじゃ、武市さんまた」
特にこれと言って何かする訳でもない土方さんは、俺を呼びながら玄関へと向かって歩き始めていた。
一度武市に頭を下げてから、土方さんを追い掛けながら小声で問い掛ける。
「土方さん、深く聞かなくて良かったんですか?」
「確かめてぇ事がある。あいつから深く聞くのはそれからだ」
俺が思っている疑問は、土方さんも同じだったらしい。