散り逝く7予想以上の働きをしてくれた丹羽君に、私は心から満足をしていた。
失脚させられる前に彼を捕まえて、田中君の元に置いて正解だったと確信した。
襖が閉まり丹羽君の気配が消えたのを確認してから、部屋に残された田中君に視線を向ける。
私と目が合うと、田中君は体を小さくして視線を逸らす。
何故だか分からないが、どうやら田中君は私に怒られると思っている様だった。
「田中君」
「はっ、はい!」
試しに声を掛けてみると、予想通りびくっと体を跳ねさせて背筋を正す。
大方、丹羽君を使った事が私に知られてしまったからだろう。
これは早めに誤解を解かねば、田中君は朝まで正座したまま反省し続ける事が目に見えて分かる。
「田中君。丹羽君に命令を下したらしいが、部下を持つとはそう言う事だ。君は今まで、私の下に就いていたからね。部下を持つ事があっても、自分で命令を下すことはなかっただろ。丹羽君は君のいい練習相手になっている様で、私も安心したよ」
「いえ、俺一人で解決出来ずに申し訳御座いません。丹羽にも部下である自分を頼れと言われてしまい」
「それでいいんだよ、田中君。君はもう士官だ。君一人で部下を纏めて、時には命を賭させる判断もしなければならない。だから、今は部下の動かし方を学ぶといい」
今の内であれば、多少の失敗も目は瞑られる。
出来れば私が近くに居て学ばせてやりたかったが、失脚させられた今となってはしてやれる事がない。
それが歯痒く思いながらも、成長を見れるだけでもいいと思う事にした。
着物を擦りながら田中君へと近付くと、田中君が私から逃げる様に後ろへと下がる。
「田中君?」
「武市先生!俺が遊郭の決まりを知らずに、一度目から床を共にしてしまい申し訳御座いません!まだ二回目ですので、会話のみでお願いしたく」
嫌がられた訳ではない事に安心しつつ、田中君が下手に知識を付けたのは丹羽君以外に居ない。
余計な事を吹き込まないで欲しかったが、知ってしまったのならば仕方がないだろう。
その作法は、太夫と呼ばれる花魁に適用される物だと私も認識している。
「君が望むなら、話だけしようか」
田中君の事だから、私が何を言っても無駄だろう。
ならば、私を買った田中君の望み通りにするのも遊女の務めだ。
田中君の隣に座り、煙管に手を伸ばしながら少尉になった感想を問い掛けた。
「士官の仕事はどうだ?」
「はい!書類仕事が多く、訓練も大変ですが遣り甲斐もあります。先生がお忙しい中、俺に気を遣って頂いていた事が分かり、感服しております」
「書類仕事?少尉の君にか?」
書類仕事が多いと聞いて、思わず聞き返してしまった。
少尉に渡る書類は、そこまではない筈だった。
精々下から来る書類に目を通して、上に流す位の簡単な書類処理が主である。
「はい、中には中尉、大尉の印が必要な物もありますが」
田中君が素直に話してくれた事で、仕事を押し付けられている事が分かった。
特例で少尉になった田中君が気に入らないのか、はたまた私が憎ければ全てが憎いのか。
そのどちらも当てはまるのだろうと考えながら、田中君の耳に顔を近付ける。
「書類の何枚かを持って来れそうなら、持ってきなさい。私も確認したい事がある。もし、田中君が出来ない様であれば丹羽君に頼むように」
「しかし、書類の半数は機密書類になります。簡単には持ち出す事は出来ませんよ、先生。それに、丹羽に頼むにしても事が知られれば立場が」
流石の田中君もこれには抵抗があるのか、珍しく私に抗議をした。
少しずつではあるが、士官としての心掛けが生まれているのはいい事である。
「私は遊郭へと落とされたが、籍はまだ軍にある。失脚させたとは言え、大将閣下への連絡がまだ滞っていてね。だから、私は別の第七師団へ籍を移されている事になっている」
失脚したのは、飽くまでも私が所属していた師団の一部しか知らない。
上層部へは、私の失脚理由が決まらないのかまだである様だった。
それを知ったのは、この遊郭の女将からである。
何故知っているのかと言えば、ここは軍の御用達の遊郭だ。
口を滑らせる者が多く、遊女達すら呆れている始末だ。
遊女の口から女将へと伝わり、最終的に私へと伝わる。
遊郭に落とされた時はどうしたものかと思ったが、予想していた通り情報と言う情報が筒抜けの場所だった。
存外、この場に居るのも悪くはないとさえ思えてきている。
「それは知りませんでした。しかし第七師団は、北海道ですよ?」
「だからさ。電報を打っても、まだ時間が掛かる。あぁ、忘れていた。田中君、富子に私は急な異動で北海道に居ると伝えてくれないか?彼女に連絡する前に、こちらに来てしまったからね」
重要な事を漸く思い出し、田中君に富子宛の文を手渡す。
日付は丁度、私が失脚させられた日にしてある。
既に富子の元へ行ったと言う田中君に、荷物整理をしている時に見付けたと言う様に伝えた。
他にも色々と会話をしていたが、田中君が珍しく目を擦り出す。
慣れない事を続けているから、疲れたのだろう。
敷かれている布団を指差して、田中君に声を掛けた。
「田中君、疲れているのならそこで寝なさい。私は此方で外を見ているから」
「しかし」
「体調管理も士官の仕事だ」
寝ようとしない田中君を説き伏せて、布団に入れさせてから煙管を咥える。
ふぅっと紫煙を吐き出し、何一つとして分かっていない軍内部に口角が上がっていくのだった。