この君の宣ふこと
人はすべて、つくろふところあるはわろしとて、
いと白らかに笑みつつ、この虫どもを、朝夕に愛したまふ。
*
宮仕の女たちが、とりどりに重ねた衣から女袴へと装いを変えるようになって数年。内侍は小走りに庭に向いている一室へと向かった。はしたないと咎められるべき行為だが、ここに勤めている人間は少ない。一人であれやこれやとこなさねばならないから、足は自然と早くなるのだった。それに、
「ああ、また」
内侍ががんと言ってやらないと、主人は仕えの者に意地悪をしがちだった。飴色に磨かれた板の並ぶ縁側で、背を丸めつつ外に向かって腰掛ける青年の横には、ぴったりと背筋を伸ばした少年が困り顔で座っていた。その黒頭に、主人がひょいひょいと乗せているのは、おそらくは銀杏の葉にくっついていた烏毛虫。一匹、二匹と数が増えていく。
「非道いまねを、もう」
「かわいいじゃん。ちっちゃくて、うねうねして。よく似合う」
「毎度申し上げていますけど、近侍の可愛がり方が間違っています」
内侍は濃緑の毛虫たちを柔らかい黒髪から掬い上げ、庭に逃がしてやった。その様を眺める他の子女たちがいないことは幸いだった。きっと悲鳴を上げるばかりか、内侍までもを恐ろしい虫扱いして、後ずさって逃げていただろうから。
「わたしたちがこちらに上がる前は、きちんと清めを終えているのに。あーあ、土までついちゃって」
「別に寝起きのまま来てくれていいけど」
「典礼に則って、礼儀としてやってるんです」
「ただのお名目だろ。こんな山奥にまで様子見にくる物好きもいないってのに、毎朝毎朝ムダな苦労、大変だね」
「まったくです。苦労をさらに無駄にされると、すっごく腹が立つのでやめてください」
「コマは気にしないし、俺に逆らったりしないもんね?」
「はい、しません」
黒髪の少年は、童の名残がある幼なげな顔に笑顔を浮かべた。細い首と喉元は、糊のきいた真っ白な長襟が覆っていて、釦の上に青色の襟飾がきつく締められていた。主人がそれを乱暴に引っ張って伸ばし、まだ残っていたらしい毛虫を服の中に放り込もうとしているのを見咎め、内侍は「もう!」と声を荒げた。
「本当にどうしようもないなぁ。それに、ちゃんと名前で呼んであげてください」
「別に名前なんてねぇ。きみ、ゆくゆく俺の影になるんでしょ? どうせいつか死ぬんだし、呼ばれ方なんてどうでもいいよね?」
「はい、構いません」
またしても穏やかな、澄んだ水のような笑顔を向けられたので、主人もにっこりと、舌打ちでもしたいのをあえて控えたような優しい笑顔を返した。
「こら、脅すな」
「うちの内侍の口が悪い」
「あなたは性格が最悪です。反省してください」
「だけどこの中で一番タチが悪いのって、実はコマじゃないかな」
「こんな健気な小さい子に」
むっとした内侍が黒い頭を胸に抱き寄せ、責めるように主人を睨みつけた。どんな頼み事にも命令にも「はい」と素直に応じる少年を、密かに弟のように慕っているのだ。内侍は森の中にあるうら寂れた邸宅において、ほとんどの場合、主人よりも少年の味方だった。
「いいや、コマが一等だよ。だって昨日顔を見せなかったのは、潔斎をしていたからなんだろ?」
「それは、まあ、そうですけど」
「っていうか、一日かそこいらで落とせる血の穢れじゃないだろうに、平気な顔して俺のところに上がってくるなんて、大概頭がいかれてるよね」
少年がおろおろと狼狽えた。けれどそれは話の内容によるものではなく、主人がうんざりとした口調であることに対してだったので、
「うわ、自覚ないんだ」
主人はさらに呆れた。
「お、お咎めでしょうか」
「いいえ、お役目をよく果たしたぞと、褒められているのです。よしよし。おやつに甘瓜切ってあげるね」
「俺も食べるからコマが切って。内侍にやらせると食べるところが無くなる」
「どういう意味だこらぁ!」
「切るのは玄人に任せた方がいいってことだよ」
「はい。おれ、そういうの得意なので」
「どうせ下手ですよ、厨仕事できませんよ。悪かったですね」
「よくこの仕事就けたよね」
「とびっきりの推薦状がありましたので!」
やいのやいのと賑やかな応酬を繰り広げている二人の間と長い廊下を抜け、少年は倉にある籐編みの果物籠から、なるべく熟れていそうな、美味しそうだと思える瓜を選んで、戸棚から小皿も取り出して戻った。二人はまだぎゃいぎゃいと——声が乱暴なのは主に内侍の方なのだけれど——言い合っていた。その隣に正座して、手をするすると動かしていると、
「あ、それ仕事用じゃないだろうね」
主人がわずかに焦った声を上げた。
「これはただの包丁です。研ぎが甘いでしょう? この鋼は粘りがあるやつですから、鋭くしすぎるのには向かないんです」
「お前に常識があってよかったよ」
皮肉は通じなかったようで、少年は首を傾げたが、手は滑らかに動かし続けた。
「見ればすぐ分かるのに。研ぎもできない皇子さまはこれだから」
「いや分からないのが普通だから」
「立香はとっても上手なんです。割り入れがないものは始末が悪いと錆びるんですよ。そうならずに、いつも同じ状態に刃を仕上げています。たいしたもんです」
「きみら、じいさんどもに影響されすぎ」
少年と内侍が、どうしてだか誇らしげに頬を輝かせた。それぞれの郷里は離れているが、どちらも鉄を鍛える山里の出身であるらしい。
「おじいさん、元気かなー。思い出したら帰りたくなっちゃうなあ。赤い錬鉄、槌の律動、ぴかぴかの火花……ふへへ……」
主人がぱかっと口を開けた。そこに少年が切り身の果物をころりと入れてやる。内侍はうっとりと思い出に浸っていたので、自堕落な食事の態度は叱られなかったものの、のちに分け前の分配が明らかにおかしいと、文句を言われる羽目になるのだった。