ウィル・ナイアー誘拐事件/雷堂ましろ視点ウィル・ナイアーという人は不思議な人だ。
病院に常駐しているわけではないけれど、他の医師からの信頼は厚く、けれど時折子供のような悪戯をして、でもそれが大ごとになりそうだと察すれば率先して謝りに行く。他の人たちを止められなかったのは自分の責任だから怒らないでやってくれと隊長に頼む姿を何度か見たことがある。
聞いた話だけど、この街に来て、この病院で働きだした初日にもう昇格したとかなんとか。いろんな人から話を聞いていると出来ないことはないんじゃないかと思うくらい何でもそつなくこなすのに、かといって自分の能力に驕ること無く、教えを乞わわれれば丁寧に教えるし、自分が知らない知識であれば人に聞く事も躊躇いがない。知らない人を馬鹿にするでもなく、相手を理解しようと丁寧に接してくれる。
物腰は柔らかくて人に怒る事はそうそうないし自分の感情で声を荒げない。緊急時とかには落ち着いた判断ができて、それを行動に移せる。俺自身だって、患者をあと一歩のところで救えないことが何度かあって、落ち込んでいた時にあの人に言葉を掛けてもらった。本人は忘れていたのかなんでしたっけ、なんて言っていたけれど、後悔ばかりでは先に進めないと言われているような気がして、それでどれだけ救われただろう。
隊長は太陽のような人だと勝手に思っているけど、ウィルさんは月のような人だ。決して自分から主張するわけではなく、けれどどうしようもない時手を差し伸べてくれる。暗闇で先行きが分からず、不安になって自分の来た道を戻ろうとした時、ゆっくりと正しい道は此方だとさし示してくれるような、そんな穏やかで優しい人だ。
だからだろう、市民でも犯罪者でも彼に好意的な想いを抱く人は多い。ウィルさんは俺に女性とよく一緒に居ますよね、なんて言っていたけれどそれはウィルさんだってそうだ。みんなでわいわい話している時にふと気づけばあぶれそうになっている人と話しているし(大抵、ももみさんも近くにいるけど)そんな時の相手は大体ウィルさんの困ったような笑い顔にぽーっとしてるように見える。それが、恋人がいる相手ですらそうなんだからあの人の魅力は計り知れない。
けれど、そんな人だから。どこか線引きしているなっていうのは感じる。深い懐で、何でも受け入れるように見える反面、実はこの人は他人を信用してないんじゃないかって。ももみさんを他の救急隊メンバーのように幼い子供と認識しているけれど、子供扱いして甘やかすかと言われたらそうでもないし、誰か1人、仲のいい友人をと聞いてもあの人はきっと困ったように笑う気がする。
人の内側に簡単に入ってくるのに、その内側には誰も入れないんじゃないかって勝手に。
それこそあのももみさんでさえ、他より許容される範囲が広いくらいのもので、誰よりも内側に近い外側にいる。
そう感じるのは、俺に記憶がないからなのか、それとも。
自分からすれば記憶のない状態で、頼れる家族も知り合いもいなかったこのロスサントスで知り合い、俺と縁を結んでくれたみんなが大切な人だと思って接しているけど、なんていうか記憶がないことで無意識のうちにどこか遠慮してしまっているっていうか、いざ、記憶が戻った時に自分がその人を内側だと考えられるのかなって。ずっと不安に思っていて。
ウィルさんはここにくる前の記憶はしっかりあるようだけれど詳しい話はしてくれない。ウィルさんの家族が何人いて、兄弟は、恋人は
時折、冗談を交えた言葉のあちこちに垣間見えるくらいで、そのことを俺たちはずっと寂しく思ってた。
そんなウィルさんが誘拐されたって聞いてびっくりした。だってあの人、なんだかんだ言って警戒心が強くてそういうの関わる前に回避してるイメージがあったから。無線ではずっと神崎先輩がウィルさんの事を呼んでいて、その悲痛な声に普段冗談交じりに笑い合っている彼とのギャップを見て更に驚いて。
そうしている間にももみさんが病院から飛び出していって、そのあと追うように鳥野さんも出ていって、隊長たちが状況を確認してくれているのを、ただ見ている事しかできなかった。
「おい、なにが」
《ピコン》【市民ダウン】
「患者だ、」
さっきまで来ていた患者の対応をしていたらしいカテジが病棟の奥から出てきた。多分、隊長たちの事を聞きたかったんだろうけど街中で出たダウン通知に俺の腕を掴んで救急車に向かって歩いて行った。
その後ろで隊長と医局長も車とヘリに向かって走り出す。俺は、俺は、ウィルさんを助けに行かなくていいんだろうかって、考え込んで動けなかったのに。
現場に向かいながらカテジにさっきまでの事を話す。救急車の運転をしながらそれでも真剣に話を聞いてくれて、どうしたらいいのか悩んでるんだって心の内を吐露した。
救急車が現場にたどり着き、そこにいたのはてつおさんとぷら子で、なんだか肩の力が抜けてしまった。いつも通り、車を爆速で飛ばしていたのにシートベルトを忘れていたという二人を救急車に乗せて救急車でまた病院に戻って、二人を治療室に運んでベッドに寝かせる。てつおさんはカテジが処置してくれているようなのでぷら子の治療をしようとファーストエイドキットに手を伸ばしていたら、カテジが静かに言葉を漏らした。
「なぁ、ましろ」
カテジの方に視線を向ける。こちらに視線は向いていない。その視線はまっすぐに患者であるてつおさんに向けられたままだ。
「俺たちは、医者だ」
「あぁ。」
「隊長、医局長、ももみ、鳥野、治が向かってるんだろ」
「あと多分、マグナムさんもだな。ロビーに居たはずなのに姿が見えないから」
「マグナムまで行ってんのか。ならよォ、俺たちはあいつらを信じて待てばいいじゃねぇか」
「え、」
「勿論ウィルが心配じゃないわけがない。俺だってすげぇ心配してるけどよ。俺たちみんなで行ったら街のやつらは困るじゃねぇか」
「…そう、だな」
カテジの言う通りだった。救急隊皆がきっとウィルさんの事を同じくらい心配していて、それでも、俺達は医者だから。この街の安全は、俺達にかかっているから
「なぁ、ましろ。俺たちは医者なんだよ」
「そうだな」
「あいつらがウィルを助けに行ってるのだって、俺たちがここに居て、街を任せていいと思ってくれてるからだ」
「、そう、か」
「そうだ。」
《ピコン》【市民ダウン】
ぷら子とてつおさんをロビーに連れて行ったあと、また街の中でダウン通知が出た。受付に居たはずのたえこさんと天羽先輩がいないのを不思議に思いながらまた救急車に向かって駆け出そうとして、この距離ならヘリの方が早いと気づいて踵を返す。カテジもきっと同じことを思ったんだろう、きゅ、と音を立ててターンを決めて屋上に向かうエレベーターホールに向かった。
航空機バイトで事故にあったらしい近藤さん、街中で心なき民にやられたらしい深沢さん、怪我しちゃってねぇなんて言って治療に来たヴァン・ダーマー。住人達はウィルさんが誘拐されている事なんて知らないし、こうやってそれぞれ自分の日常を過ごしている。カテジの言った通り、ウィルさんの事はもちろん心配しているけれど、全員が全員あちらに行ってしまえば困ることになるのは街の住人だということがよく分かった。少し前だって、ハロウィンか何かで救急隊皆で出向いてしまった結果、病院に来た患者の対応が出来なくてちょっとした騒ぎになってしまったし。そのことを思えば、それぞれが信頼してお互いがやるべきことを全うしている今の状態がきっと正しいんだ。
俺にはまだ、判断できる能力とか、そういうのが足りてないんだって、思う。
だからこそ、俺達がピルボックスを支えるんだって言ってくれたカテジがいなきゃ、俺はどうしていいのかわからなかっただろうし。
俺達はバディドクターだ、そういってくれるカテジの背中が今はとても大きく見える。
ピピッ
サー…
無線に音が乗る。勿論ずっと聞こえてはいたのだけれど、その向こうで小さく泣きじゃくるような声が聞こえて。
「…ももみさん?」
『…………ッ、ぃ、る』
『おい、ももみか?どうした?!』
『ウィル、助けだっ、ぅえ゙~~~~~~~~っ……』
「ほんとうですか!!」
『よくやったぞ!!ももみ!!!!』
『ももみ、鳥野!ウィルを連れて早く!病院に!!』
『了解です。ももみパイセン、こっち来てください!』
『どり゙の゙ぐん゙~!!!!!』
ウィルさんが、助かった。それを聞いて、かくん、と足の力が抜けた。病院のロビーの床にしゃがみこんでしまったせいでそこにいた街の住人にはなんだか不思議そうな目で見られてしまったけど、そんなことはもう気にならなくて。
「っ、よか、った、ほんとに、よかった…」
両手で顔を覆って涙を隠す。本当に無事でよかった。
「ましろくん、」
「、シソジ、お前いつの間に」
「宿直室でそのまま寝ちゃってたみたいでね。とりあえずさっきの件。警察に連絡済みだから僕らは頑張ってくれたみんなを迎えなきゃね」
「ッあぁ!」
どこからか出てきたシソジにタオルを渡されて、慌ててそれで顔を拭く。カテジも戻ってきて俺達は拳をこつん、とぶつけ合った。