月を飲む夜の街に吹く風が僅かに酒で火照った体をゆっくりと冷やしていく。
救急隊で集まって行った新年を祝うパーティはなかなか楽しいものだった。宴もたけなわ、という所で入ったダウン通知に駆けだそうとしたけれど出られなかったのは私の膝を枕に寝てしまったももみさんがいたから。それ以前に酒が入っている以上救急車に乗ることはしないほうがいいと判断して飲んでいなかったシソジさんとマグナムさんが出ていったのを見送った。とりあえず、支払いは済ませてあったからそれぞれ帰れそうなタイミングで帰ってくれという隊長の言葉に、最初に治先輩とよつはさんが出て行って、病院に戻るというカテジとましろさん、それを送っていくと言ってついていった鳥野さんと医局長、隊長の事を迎えに来たあんずさんが、これからまだ別の集まりがあるというたえこ先輩を連れて行ってしまって、気がつけばももみさんと二人で残されていた。ももみさんも、少し前に冗談めかして飲ませてみたお酒に思いのほかはまってしまい、飲めばべろべろにはなってしまうが楽しんで飲んでいるように見えるので今のところ止めてはいない。
変な絡み方をしてくるわけでもないし、何なら普段の方が絡まれているので今更気にすることでもない。
帰りますよとその小さな肩をゆすれば、眠いのかとろりと溶けた瞳が私を捕えてふにゃりとゆがんだ。こちらの気を知るでもない、喜色を浮かべるそれにただただ苦笑いをこぼして。
「へへ、わぁい」
「こけないでくださいね」
「だぁーいじょうぶだよぉ~ウィルは心配性だなぁ」
「普段と違いますからね。私も、アルコールが入っていますし」
「おそろいだぁ~えへへぇ」
夜の街を二人で歩く。
ついこの間まで雪に埋もれていた道路が見えるようになったものの、まだ空から雪がちらついているのが見える。ロスサントスのこの街は四季にメリハリがありすぎて、それこそアーカムにいた頃よりも困惑することが多い。まぁ車が汚れなくて済むし、スリップによる事故が減ったのは良い事だけれど少し情緒がないと思ってしまったのは仕方のない事だと思う。
とはいえ、さっきも言った通りまだ吐く息は白いし、雨が降った翌朝何かは道路のところどころに氷が張っているのも見かける。地面にあった雪だけがきれいさっぱり消えてしまったことに違和感を感じずにはいられないのだけれど、まぁそのあたりはロスサントスだし仕方ないで片付けられてしまうんだろうなぁなんて思って。
夜とは言え、遅い時間でもないので街灯のほか、店頭の明かりは多くついているから足元に不安はない。かつ、かつ、と音を立てる革靴からひょろりと伸びた私の影と、その周囲を動き回るももみさんの影がくっついては離れて、重なって。
はぁ、と息を吐く。自分の吐いた息が白くなるのを見てマフラーを鼻先まで引き上げてから隣を、というか近くを歩いていたももみさんに視線を向ければ、彼女もたまたま私を見上げていたらしい。目が合った瞬間にえへへぇ、なんてまるで赤子のような笑い声をあげて、腕にしがみついてきた。
「さむい~」
「普段から暖かくした方がいいと言っているでしょう」
「だって可愛くない!」
「そう言われましても。」
「ウィルはね~かっこいいからいいんだよ」
「そうですか」
「そうなんだよ~?ウィルはねぇ、あ、公園だ!」
「自由ですねぇ…」
きゃあーなんて歓声を上げて公園に走っていった背中を遅れて追いかける。ついこの間までこの辺りも色々とイルミネーションで飾られていたけれど今は見る影もない。クリスマスマーケットをしていた辺りはまだ少し装飾が残っているらしいけれどこの公園はちょうど外周に電灯があるくらいなものでもともと陰になっている辺りは薄暗い。公園に置かれた遊具にするすると登っていったももみさんに、ようやく追いつけば、ドーム状になった遊具の上でぼんやりと空を見上げていた。
「ももみさん…?」
「帰りたくないなぁ…」
「どうしてです?」
「みんなでいるの、楽しかったから」
「また明日病院に行けばいるでしょう」
「うん。そうなんだけどね」
「早く帰って、早く休んで、明日になればまた会えるんですから」
「…帰りたくない」
「困りましたね…」
遊具の上で膝を抱えて座ってしまった彼女に、小さくため息を吐いた。さっきまで笑っていたのに一体どうして、なんて首を傾げつつ蹲ってしまったももみの元にゆっくりと近づいた。その肩は小刻みに震えている。よいせ、と遊具にどうにか上って自分の着ていたジャケットをその小さな肩にかけて、隣に座る。
「うぃるぅ…」
「はい」
「うぃるぅ~…」
「もう立派な大人だって言ってたのは、誰でしたかねぇ」
そう言えば、同じ時期にあの病院で働きだしたものの、彼女の就労時間はどのスタッフよりも多いと聞く。もしもこの家に帰りたくないというのがそれに関連するのなら彼女の家に何かあるのだろうか。この年頃の子供といえば普通母親や父親、家族に甘えたい盛りなイメージがある。そもそも、マグナムさんもそうだけれどどうしてこの歳で働こうと思ったのか。ロスサントスには幼いながらにして働く人は何人かいるけれど、趣味があってほしいものがあるとか、そういうのが多い。それに比べてももみさんは目立った趣味もなく、みんなが出かけたいといえばじゃあ私が残ります、なんて言って病院にいることもしばしば。趣味がないと嘆いていたこともあったし、なんて、ぼんやり思考をかなたに飛ばしていたらぽすりと軽い感触に意識が戻って来た。
「ももみさん…?」
「帰りたく、ないの、」
膝に顔を伏せたままのももみさんが私にもたれていて、小さな指先がきゅうと服の裾をつまんでいた。さっきの言葉といい、この行動といい、年齢が年齢なら勘違いされてもおかしくない。ついこの間もそうだったけれど、ここ最近ももみさんは妙に私の家に上がりたがる。年齢が上すぎるとはいえ、異性の家に、それも二人っきりの状態で入るのがそれほど危険なのか、その口を塞いで教え込んでやろうかと視線を顔の辺りに動かせば伏せた顔と腕の隙間からこちらを伺い見ているのに気づいた。その瞳に月が、星が写り込んでキラキラと輝いている。
そうっと、背中を撫でて抱き寄せようとしたとき、私を見ていた瞳が動いてパッと顔が上がった。
「うわぁー!見てウィル!今日お月さまおおきいよ!!」
さっきまでのシリアスな雰囲気は何だったのかと聞きたくなるくらい遊具から飛び降りて機嫌よさそうにニコニコ笑う姿に体の力が抜けた。酒はすっかり抜けてしまっていると思ったのにまだ回っているらしい。毒気を抜かれてしまって盛大にため息を吐いていたらももみさんがその小さな背を精一杯伸ばして月を取ろうとしているのが見えた。
「ねー、取れなーい」
「まぁ、そうでしょうね」
「あんなにおっきいのに!」
「んー!!!っひゃ!?」
ぴょんぴょんと元気に飛び跳ねていたのに、いきなりすとんと地面に座り込んでしまった彼女に、あぁ酒が足にまで来たのだなと思いいたって遊具から腰を上げる。案の定、近づけば立てないよ~と手を伸ばされて仕方がないですねぇ、なんて言って抱き上げた。
「ねぇ、ウィル…」
「どうしました」
「今日だけウィルの家行きたい」
「今日だけで済むんですか?」
「多分無理だけど」
「そういう、素直なところは嫌いじゃないですよ」
抱き上げているせいで随分と近いそのまろい額に口づけを落す。途端に真っ赤になって黙ってしまった彼女に笑ってしまったのは仕方がないというか。これで我慢してくださいね、なんて言って自宅に向かう道を歩き出す。さっきまで感じていた冷えは気づけばどこかに消えてしまっていた。