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    あんちょ@supe3kaeshi

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    【うさぎ⑥】塾一彩とうさぎ藍良のパロディ小説。コンセプトバーで働く藍良と、彼目当てに通っちゃう学生の一彩くんのお話。今回は藍良視点。◆◇◆◇9/10追記

    ◆◇今夜もウサギの夢をみる◆◇ Scene.10Scene10. ウサギの独白 ◆◇◆◇


     おれは、アイドルが好きだ。これまでもずっと好きだった。
     小さいころ、テレビの向こうで歌って踊る彼らを見て虜になった。
     子どものおれは歌番組に登場するアイドルたちを見境なく満遍なくチェックして、ノートにびっしりそれぞれの好きなところ、良いところ、プロフィールや歌詞などを書き溜めていった。
     小学校のクラスメイトは皆、カードゲームやシールを集めて、プリントの裏にモンスターの絵を描いて喜んでいたけれど、同じようにおれは、ノートを自作の「アイドル図鑑」にしていた。
     中学生になると好みやこだわりが出てきて、好きなアイドルグループや推しができるようになった。
     高校生になってアルバイトが出来るようになると、アイドルのグッズやアルバム、ライブの円盤を購入できるようになった。アイドルのことを知るたび、お金で買えるものが増えるたび、実際に彼らをこの目で見たいと思うようになった。ライブの現場に行ってサイリウムを振りたい、そう思うようになった。
     大学生になればアルバイトの選択肢も増え、おれの推し活もまあまあ捗るようになった。
     ライブを初めて見たときのことは、今でも忘れられない。同じ空間で、目の前のステージで歌って踊るアイドルたちのパフォーマンス。推しがそこにいるという事実を受け止めるだけで精一杯で、細かいことは正直なにも覚えていないのだけれど「またあそこに行きたい」「また会いたい」と思うようになった。
     そして、部屋のアイドルのポスターやライブのグッズが増えていった。
     身も蓋もないことだけれど、推しを浴びるにはお金が必要だった。

    「働くお店を探しているなら、うちに来ませんか」

     もうすぐ二十歳になる、ある日の夜。
     おれは繁華街でなんとなくバイト先を探していた。
     ホストクラブの看板を眺めて、俺には無理だなぁなんて考えていたら、声をかけられた。
     振り向くとそこには、水色の髪をしたスーツ姿の綺麗なお兄さんが立っていた。
     差し出されたのは、コンセプトバーのショップカードと、その人の名刺だった。

     ウサギさんたちと楽しくおしゃべりやゲームをしながらお酒を飲む、一風変わったコンセプトバー。ウサミミ衣装を身に着けて、お客様をお迎えする。こんな感じのお店なのに、キャストが全員男性なのが珍しい。
     お客様はカウンターで軽く飲むもよし、半個室のソファ席でキャストを指名するも良し。
     コンセプトカフェとガールズバーとキャバクラを全部混ぜた感じのお店。
     昼間のコンセプトカフェにも男性キャストを募集しているお店があったけれど、昼間は大学に通っているおれにとっては夜働けるほうが好都合だった。しかも高時給だから短時間でそれなりにお金がもらえるし、お客さんにいっぱいお酒を注文してもらえたらボーナスも出る。正直、これは良いお店に声をかけてもらえたと思った。衣装もかわいいし。

     おれは小さいころから周りに「かわいい」「綺麗な顔」「女の子みたい」と言われて育ったので、自分がどんな風に見られているのか、どんな顔をしているのかは理解しているつもりだ。おれは母親似で、母親は息子のおれから見ても美人だし。
     子どものころは、この容姿のせいで目立つのが嫌でしょうがなかったけれど、この見た目を活かすならこの店はうってつけだろうと思った。使えるものは、全部使ってやる。

     まずはメニューを覚えてホールの仕事を覚えるように言われた。そうしてお客さんに顔を覚えてもらい、プロフィールカードを見てもらって指名してもらう。
     働き始めて一週間、そろそろプロフィール用の写真を撮ろうかと店長に声をかけられた、丁度そのころ。おれに、初指名が入った。

     赤い癖っ毛の、眼鏡の男の子。かなりのイケメン。おれと同い年くらいに見えた。
     お兄さんに連れられて、渋々といった表情でお店に入ってきた。お兄さんのほうは常連さんらしく、まだ店に数回しか出勤していないおれでも顔を見たことがあった。
     お兄さんはカウンターへ、弟さんの方は半個室に連れていかれていた。浮かない顔をしていたけど、緊張してるのかな。そんなことを考えたのは一瞬で、すぐにお店が忙しくなった。
    「『あいら』くん、指名だよ」
    「へ?」
    「8番席のお客様。初指名だね、おめでとう」
     ボーイさんにグーサインを送られた。指名? おれを? だっておれ、まだプロフィール用の写真撮ってないんだけど。聞けば、席の前を通り過ぎたおれを見て指名してくれたらしい。
     どんなお客さんだろう。注文されたレモンサワーを持って、おれは席へと向かった。

     緊張しているのか、綺麗な仏頂面で座っていたのはさっきお店に入ってきた、イケメン兄弟の弟のほうだった。眼鏡と襟付きのシャツ、スラックスという服装から真面目そうな印象を受ける。正直、こういうお店にはあんまり居なさそうな種類の人だった。
     働き始めて一週間のおれでも、お店の客層は何となく理解していた。かわいい男の子が好きなおじさんやおばさん、物珍しさと興味本位で訪れているのがよく分かる、チャラいお兄さんとか。非日常を求めてやってくる、闇を抱えてそうな人とか。

    「おれは『あいら』って言います。きみは名前は何ていうの?」
    「僕の名前は一彩」

     その人は、そのどれにも当てはまらなかった。
     これが、おれがヒロくんと出会った日のこと。



     そのコンセプトバーでの仕事は、とても楽しい。おれに合っているように思う。
     人目を気にせずかわいい衣装が着れるし、みんなおれの見た目を褒めてくれる。前までは「かわいい」とか「綺麗」って言われると、その後についてくる感情が邪魔で素直に喜べなかった。「かわいいね」って言って近づいてくるやつは皆、おれの中身を知ると勝手にがっかりして離れていく。
     本当のおれはアイドルオタクで、卑屈で、わがままで、勉強が苦手な大学生。
     でもこのお店では、素直でいい子のふりをしてお客さんに喜んでもらえればいい。初めて自分の容姿を武器にできたのが嬉しくて、気持ちがよかった。

     ヒロくんは意外にも常連さんになった。
     おじさん、おばさんが多い中、ヒロくんやそのお兄さんみたいな若いお客さんは珍しい。
     ヒロくんは毎回おれを指名してくれた。年が近いし清潔感もあるし、おれのペースに巻き込まれてくれるから、とてもやりやすいお客さんだった。
     大学生だからか、あんまりたくさんのお酒は注文してもらえないけれど、週に1回くらい来てくれるヒロくんはおれにとっては癒し。
     自慢話ばっかりするおじさんとか、「かわいい」と必要以上に連呼するおばさんとかの相手をするのは大変だから、ヒロくんが来てくれる日はその反動で一気に気が抜けた。

    「今日も来てくれてありがとォ、ヒロくん」
    「こちらこそ。顔を見れて良かった」
     そう言って、レモンサワーで乾杯する。もう何度も会っているのに、目が合うと赤くなっちゃうところとか、おれがぐいぐい質問したら狼狽えちゃうところとかが、かわいい。
     ちゃんとお店のルールを守ってくれるところにも好感がもてた。ヒロくんからは絶対におれに触れてこないし、必要以上に自分の話はしない。おれのことを知りたそうにしているけれど、しつこく質問してこない。写真などの有料オプションも少しずつ、一通り楽しんでくれる。時間がきたら話を切り上げてさっさと退室してしまうから、おれのほうが物足りないと感じてしまうくらいだった。

    「今日もかわいいねぇ、『あいら』ちゃん」

     来た。申し訳ないけど、うんざりしちゃうお客さん。
     おれの指名客で、おれの売上に一番貢献してくれているおじさん。
     年齢は40歳よりは上だろう。良いスーツを身に着けているみたいだけど、小太りな身体では「スラッと着こなしている」とは言い難い。ヒロくんがこだわりなく選んでいるらしいシャツ姿のほうが何倍も綺麗。いや、40代と20代を比べるのは、容赦がなさすぎるかもしれないけれど。
    「今日もカルーアミルクを頼んであげたよ、いっぱい飲んでね」
     乾杯するときに手が触れるように角度を狙ってくるのがもう無理。
     最初に好きなお酒を聞かれたとき、答えたくなくて適当に「何が好きそうに見えますかァ?」なんて聞いてみたら「カルーアミルクとかでしょ」とドヤ顔で言ってきたから、いつの間にかこのおじさんとはカルーアミルクを飲むのが定番になってしまった。
     カルーアミルクのことは好きだけど、このお店のカルーアミルクは、レモンサワーよりアルコール度数が高い。2,3杯で簡単に酔ってしまう。口当たりが濃厚だから1杯で満足するのに、何故かこのおじさんはカルーアミルク1本勝負。なんでだろう、ヒロくんがレモンサワーばっかり頼むのとは印象が全然違う。
     高いお酒飲んだことないでしょ、とか言って高いお酒を頼んでくれるおじさんも居る。そっちのほうがまだ売上になるし、最初に好きなお酒聞かれた時にモエとか言っておけばよかった。
     二杯目のカルーアミルクが運ばれてきたとき、ボーイさんからお酒を受け取っている隙に座る距離を詰めてきた。おれはトランプゲームをすすめるふりをして立ち上がり、もとの距離をとりなおした。

     ただでさえ、客層はおじさんが多めのお店なのに、おれを指名するおじさんはその中でもこってりした人が多いような気がする。他のキャストの話を聞いても、安定して指名をとれていること自体が羨ましいと言われてしまい、とても愚痴を聞いてもらえるような感じじゃなかった。
     おれだって、気まぐれで寄ってみたサラリーマンのお兄さんとか、かわいい物好きのお姉さんグループの接客とかしてみたいんだけど。でもそういうお客さんはリピーターにならないから、結局はしつこく通ってくれるお客さんのほうが売上にはなるのだそうだ。

     シフトの相談を『ひめる』さんにしている時のこと。
     おれについている指名客の何名かが集中して来店する曜日を中心にシフトが組まれているのを見たおれが、思わず疲れを顔に出してしまった。
    「あなたはうちのキャストの中でも、かなり売上が良いですよ」
     そんなことを『ひめる』さんが言ってくれた。
    「もともと普通のお店ではないのです。こういうお店に通う常連さんは、皆それぞれ個性的です」
     言葉を選んでいるけれど、おれの思っていることは伝わっているみたい。
     同時に「おじさんばっかり相手にしていて疲れる」という本音が見透かされて先に話題にされてしまい、言葉にするのを封じられた。
    「あ、週末は多めに入りたいんですけど」
     理由は、ヒロくんが来てくれるのは週末が多いから。大学が終わってからの金曜日か、塾のバイトが終わってからの土日の夕方か。
    「いいでしょう。あなたはうちのエースですから。店長にも『ひめる』から話を通しておきましょう」
     シフトの案を書き込んだタブレットをとじて『ひめる』さんが言った。
    「一彩さんのような若い常連客は珍しいです。あたなが贔屓するのも分かります。ただ、あなたの売上を支えているのは彼だけじゃない。そのことを忘れないでくださいね」
    「はい……わかりました」
     おれが発した言葉はそんなに多くないのに、『ひめる』さんには全部伝わってしまうみたいだった。



     おれは夜遅くに帰宅した。すでに寝間着姿の母親がリビングの明かりをつけたまま待っていてくれて、わざわざあたたかい飲み物を出してくれて「おやすみ」と言って寝室へいくのがいつもの流れ。
     おれは母が入れてくれたノンカフェインの紅茶を飲んでほっと息をつき、そのままテーブルに突っ伏した。
     今日は、ヒロくんはお店に来なかった。平日のど真ん中に来ることはあまり無いから、期待はしていなかったけれど、それでも来てくれたら嬉しいなーなんて考えてしまっている。
     でも、お店にとってヒロくんはお客さんのひとりでしかなく、売上で言えばそこまでオイシイお客さんじゃない。そんなことは分かっている。若い常連が珍しいのと、『ひめる』さんがヒロくんのお兄さんと仲が良いみたいだから、その弟のヒロくんも大切にされてはいるし「カワイイ常連さん羨ましい」なんて先輩には言われたりするけれど。
     みんな正直なところ、いっぱいお酒を注文していっぱい遊んでくれる人に来てほしいと思っている。つまり、いっぱいお金を使ってくれる人。

     おれはだいたい週3か週4、多い時は週5で出勤している。
     少ない出勤時間でもそれなりにお金をもらえているのは、おじさん達が通ってくれているおかげ。
     分かってる、ヒロくんはお酒の注文は最低限だし、延長もしない。最初はお兄さんに連れられてイヤイヤっぽかったのに、たまたまおれのことを気に入ってくれて通うようになってくれたのが奇跡のようなものだ。
     ヒロくんみたいな学生さんと長くおしゃべりさせてもらえるのも、他のおじさんがいっぱいおれに貢いでくれているから、大目に見てもらえているだけ。
     同じ時間働くなら、おじさんよりヒロくんとお話するほうがずっといい。けれど、同じ時間働くなら、ヒロくんよりおじさんと話すほうがずっと稼げる。難しいなんて、贅沢な悩みなんだろうな。「かわいい」を演じるのも大変だ。

     ぽこん、とスマホの通知音が鳴る。仕事が終わってからまだ、SNSもメッセージアプリもチェックしていなかった。寝る前の習慣はこなさないと、と思ってスマホを開く。

    『ただいま『あいら』ちゃん。今日もとてもかわいかったよ。いっぱいお話してくれて嬉しかった! こんどは『あいら』ちゃんのこともイロイロ教えてね!』

    『藍良、今お仕事終わったところかい? 僕も今塾から帰ってきたところなんだ。週末はお店に行けそうだよ。おやすみなさい』

     おじさんからのSNSの返信と、ヒロくんからのメッセージ。
     おれはおじさんの返信に「いいね」をして、ヒロくんにお返事を打った。

    『ヒロくんこんばんは。もう寝ちゃった? 週末のシフトを送っておくね』

     会いたいな、ヒロくん。
     ただのお客さんだった君に、いつの間にか「癒し」を求めているおれがいた。



    ◆◇◆◇

     おれのお店への貢献度の順位は、上から数えた方がはやくなった。
     ヒロくんが使ってくれるお金はお店の常連さんの中で一番控えめだけれど、ヒロくんをおれが独占していることで、また売上に貢献できていることで、おれの店での居心地はなんとなく良かった。
     
     ある日、ヒロくんからプライベートで会いたいと誘われた。正直その時は「ついに来たか」と思った。お客さんと店の外で会うことは禁止はされていないけれど、お店で稼ぐことを考えたら普通はナシ。だって、お店に来てくれたらその分お給料になるんだから。そんなことを考えてしまう自分が嫌になって、おれは一瞬だけヒロくんにお返事するのを躊躇った。
     でも。ヒロくんはおれにとって良いお客さんだし、ここまで丁寧に距離を縮めてくれたから、外で会っても絶対変なことはしないだろうという信頼があった。何より、子犬みたいな視線で不安そうに誘ってくるヒロくんを前に断るのも悪い気がして、仕事のあとで良ければと了承した。

     ヒロくんはお店にも来てくれて、仕事のあとは駅まで送ってくれて、外でもご飯を奢ってくれるようになった。
     ヒロくんからのスキンシップは無いし、そのくせおれに何かを期待するような視線をいつも向けられていた。おれが揶揄うと分かりやすく狼狽えたりして、それが気分が良かった。
     たまたま休日に外で会った日は、自分で言うのもなんだけどヒロくんはとても運が良いなと思った。おれの時間をヒロくんにどの程度合わせるのか迷っているところだったから「外で会うなら仕事のあと」という条件を出したのに、この日ばかりは完全なプライベートでの食事となった。
     ヒロくんはその日もご飯を奢ってくれようとしたけれど、仕事モードではない時に人にお金を出してもらうのには気が引けた。お店のキャストとしてお客さんに貢いでもらうなら、絶対奢られていたほうが得なのに、ヒロくんにはそうさせたくないと思った。
     おれの中にもなんとなく、人に甘えすぎてはいけないという意識があったのだろう。それと、ヒロくんにそこまで尽くしてもらえるような人じゃないのに、という自信の無さもあったんだと思う。

     ヒロくんはおれのアイドル好きという趣味にも興味を持ってくれた。おれの趣味を理解しようとして無理をしているだけかもしれないけど、それでも嬉しかった。
     おれが複数口応募しても当たらなかったライブをヒロくんが当ててくれた時は、完全にヒロくんに心を許していたと思う。

    「どうしたの? 『あいら』ちゃん。今日はいつもの元気が無いよ?」
     おれはハッとして、顔を上げた。おれのお客さんの中で一番このお店に通ってくれているおじさんが、おれの顔を覗き込んでいた。 
    「え、ごめんなさい。そう見えましたァ?」
     おれは笑顔を作って答える。いけない、今は仕事中だった。
     今日は、おれがカルーアミルクを好きだと勘違いしているおじさんが仕事帰りに寄ってくれた日。予約が入っているのを見たときはちょっとだけ疲れてしまったけれど、それが顔に出たわけではないとだけ言い訳したい。けれど、目の前にいるおじさん以外の人のことを考えてしまっていたことは、反省しないといけない。
    「好きなものを注文していいよ。おじさんが奢っちゃうからね」
    「いいんですかァ? じゃあ今日はコーヒーカクテルがいいなァ。にがーいやつねェ」
     今日は何となく、苦いものを飲みたい気分だった。おれはおじさんとコーヒーカクテルで乾杯をした。


     おれは、ヒロくんとライブに行った日の夜に完全にやらかしてしまった。
     ヒロくんが当ててくれたチケットで、おれはセンターステージ近くの席でライブを観ることが出来た。近くで観る推しは本当に格好良くて、綺麗で、目の前で観られることをただただ喜んだ。
     隣にいるヒロくんのことを気に掛ける余裕がなくて、おれは途中で「ヒロくんも楽しい!?」と声をかけた以外にヒロくんの顔を見た記憶がない。
     推しを目の前に横にいる人を気にする余裕がないことは許して欲しいんだけど、それでもおれはヒロくんの横ではしゃぎすぎたと反省した。あれはライブ初見のヒロくんを完全に置いていくはしゃぎっぷりだった。
     ライブはすごく楽しかったけれど、ライブ後にどことなくヒロくんとの距離が遠くなってしまったような気がした。せっかくおれのためにチケットを当ててくれたのに、面白くない思いをさせたかもしれないと思って焦った。
     おれはいつもこうだ。アイドルのことになると、これまで気を付けていたことが頭から飛んじゃう。

     帰りに土砂降りが降っていて、電車やタクシーが使えないことをこれ幸いと、ヒロくんをホテルに誘った。ヒロくんはおれのことをどうこうしないっていう信頼もあったし、いっそどうにかなってしまえという賭けもあった。
     おれとヒロくんの関係、進展するにも後退するにも、何かあるなら今だと思ったのだ。
     結局おれの軽率な行動は、ヒロくんを傷つけてしまったかもしれなかった。
     ヒロくんがおれのことを気に入ってくれていることに甘えて、調子に乗ってしまった。

    『僕が君に気があるのを分かっていて、こういうことをしているの?』

     ああ、見事にしっかりと釘を刺されたなと思った。
     ヒロくんはおれに誘われたら嬉しいだろうって、自惚れがあった。ソファにおれの手を縫い付けるヒロくんの手。ヒロくんの心の痛みみたいなものが、手首の痛みと一緒に伝わってきた。
     おれの心のどこかに、ヒロくんの気持ちを利用しようとする気持ちがあって、それをヒロくんに見透かされてしまったんだろう。

     ヒロくんは優しいからおれに謝らせてくれたし、言い訳も聞いてくれた。幸い気まずいまま別れることにならなかったのは、ヒロくんのおかげ。
     今日もヒロくんは塾のバイトが終わった後にお店に予約を入れてくれている。ラストまでお店で過ごして、お店のあとはおれがお茶に誘って、改めて謝ろう。

     そんなことを考えながらおれは、おじさんの自慢話に大袈裟な相槌を打っていた。おじさんが喜んでくれそうな笑顔と声で、調子のいいことをいっぱい言った。
     おじさん相手にはこうして、簡単に嘘の自分を演じることが出来ているのに、最近どうしてか、ヒロくんに対してそれができない。

     おれはおじさんを見送った後、控室でヒロくんをお迎えするために身支度を整えた。
     衣装を隅々までチェックして、髪のセットをしなおす。ウサギの耳の角度も直して、メイクも直す。とびきりかわいくしてから、ヒロくんにメッセージを送ろうと思ってスマホを手に取った。
     予約の時間が近づいていること、来店をお待ちしているということを、おれはお客さんには欠かさず送っている。ヒロくんにももちろんそうしている。
     ヒロくんとのトーク画面はホテルを出た朝、お互い無事に自宅に着いたことを報告しあった所で終わっているはずだった。

    『ごめん藍良、体調を崩してしまって今日は行けない』

     驚いて、控室にあるパソコンで予約票を確認する。確かに『天城一彩様 キャンセル』の文字があった。ライブのあと大雨に打たれたし、ヒロくんはお風呂の順番をおれに譲ってくれた。そのせいで体調を崩したとしか思えなかった。
    『ヒロくん、体調はどう?』
     すぐに既読がついて、返信が来る。
    『大丈夫だよ。でも塾を休んでしまったから、お店には行けない』
     寝込むほどではないということだろうか。続けて、またヒロくんからのメッセージが送られて来た。
    『藍良に会いたかった。今度の週末に必ず予約するからね』
     おれはヒロくんに『お大事にね』とメッセージを送って、シフト表を確認する。
     ヒロくんの予約がキャンセルになったことで、あと一人お客さんをお迎えすることができる。普通ならここで新規のお客さんに着いて指名客を増やす努力をするか、普通にホールやカウンターの仕事をしてシフトの時間いっぱい働くかなんだけど。どうしよう、今すぐお店を出てヒロくんのお見舞いに行きたい。でも、ヒロくんのお家がどこにあるのか、おれは知らないし……。

     控室から出ると、丁度『ひめる』さんがヒロくんが空けた予約の埋め合わせをどうするかの確認に来ていた。目の前に突然現れた背の高いウサギをおれは見上げる。整った切れ長の目が伏せられていると、余計綺麗に見えた。
    「一彩様のキャンセル連絡は見ましたか?」
    「はい」
    「代わりに一彩様のお兄さんが来られるようですが、いいですか?」
    「え? なんでですか?」
     思わず聞き返すと、『ひめる』さんのクールな表情が少しだけ崩れる。多分笑われたのかもしれないが、続いて窘めるように言われた。
    「なんでかは『ひめる』には分かりかねますが……、キャンセルの埋め合わせのつもりでは?」
     『ひめる』さんが淡々とタブレットの操作をする。ヒロくんのお兄さんはお店で時々見かけるけれど、いつもカウンターでお酒を飲んでいるから挨拶程度の接客しかしたことがない。指名で入店するのを見たこともない。
     ヒロくんの代わりとはいえ、この店で初めての指名をおれにしてくれるってこと? 当日キャンセルはなかなかすぐに埋められないから助かるけれど。
     もちろんお断りするわけにはいかないので、おれはヒロくんのお兄さんの指名を受けると返事をした。

     しばらくして、ヒロくんのお兄さんである天城燐音さんが来店した。
     ヒロくんと同じ赤髪、よく似た瞳。兄弟だなと思うには充分似ていたけれど、ヒロくんとお兄さんは雰囲気が随分違う。
     背がすごく高いからかな、ちょっとだけ高圧的に見える。アクセサリーを一杯つけて、テカテカとした革ジャンを着こなしていて、眼鏡とシャツにスラックスというヒロくんのスタイルとは真逆だった。
     そういえば、ヒロくんが片耳だけピアスをしているのはお兄さんの影響なのかな。
     お兄さんが注文したカシスオレンジを持って席に行くと、ソファの背もたれに肘を置いて寛いでいた。これもお行儀良く座っているヒロくんとは対照的。
    「よォ、藍ちゃん。弟くんがドタキャンしちまって悪いなァ」
     ちゃんと話すのは初めてなのに、もう渾名をつけられていた。それだけでヒロくんとおれの話をしているのが分かって、少し恥ずかしくなる。
     でも、最初にカシスオレンジを注文してくれたのは、多分ヒロくんから聞いてそうしているからだろうし、見た目とは裏腹に話しやすそうで安心した。
     そして、ヒロくんがそうであるように、お兄さんもお店の常連さんの中では若い層にあたる。しかも誰も指名しないものだから、キャストの中ではこの人の指名は誰が取るのかとちょっとした話題になっていた。まさか兄弟二人とも、おれを指名することになるなんて。
    「ヒロくん、体調大丈夫なんですかァ?」
     おれは二人分のカシオレをテーブルに置いてソファに座る。ヒロくんにそうするみたいに、最初に座った位置からお尻ひとつ分距離を詰めようとしたら、お兄さんが手のひらをおれに見せるようにしてそれを制した。
     たったそれだけで『俺はあくまでも弟の代わり』という気づかいのようなものを感じる。
    「さァ、ここ数日は会ってねえからなあ。今日あいつから連絡来たんだよ、移るといけないから帰ってくるなってよ」
     それでついでに、代わりにお店に行くことを頼まれたのだそうだ。
     今ここに居るはずのヒロくんの代わりに、お兄さんが居る。おれは今この時にヒロくんのお兄さんに会えたこと、きっとこれには意味があるんだって、根拠のないことを思った。
     ヒロくんに会いたい。今すぐ。そしてそれを叶えてくれるのは今目の前にいる一人だけだ。
    「あの」
     おれは目の前でカシオレを飲むお兄さんの革ジャンの袖を、ぐいと引っ張った。

    「ヒロくんのお見舞いに、行きたいんですけど」
     
     お兄さんの目が、何か面白いものを見つけたみたいに笑った。
     笑い方は全然似てないのに、やっぱりヒロくんと目が似ていると、そう思った。



    つづく
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    ◆◇今夜もウサギの夢をみる◆◇ Scene.10Scene10. ウサギの独白 ◆◇◆◇


     おれは、アイドルが好きだ。これまでもずっと好きだった。
     小さいころ、テレビの向こうで歌って踊る彼らを見て虜になった。
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     中学生になると好みやこだわりが出てきて、好きなアイドルグループや推しができるようになった。
     高校生になってアルバイトが出来るようになると、アイドルのグッズやアルバム、ライブの円盤を購入できるようになった。アイドルのことを知るたび、お金で買えるものが増えるたび、実際に彼らをこの目で見たいと思うようになった。ライブの現場に行ってサイリウムを振りたい、そう思うようになった。
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