【ひいあい】レモンのつもり ヒロくんが買い物に行こうって言うからついてきただけなのに、さっきからおればっかり試着している。
場所はいつものショッピングモール。ヒロくんがまっすぐ服屋に入った時は、てっきりヒロくんの服を選ぶんだと思っていたのに。
「藍良、これを着てみて」
そう言ってヒロくんが持ってくるのは、レモンイエローのシャツにブラウス。時々レモン柄のものを目敏く見つけては嬉しそうに押しつけてくる。
おれはヒロくんが持ってきた服を持って試着室に入り、それらを身につけてみた。
全体的にレモンの模様が入っているシャツにカーキ色のパンツ。おれの髪色と瞳の色にも合っていて、ヒロくんにしてはちゃんとしたコーデにしてくれていた。
ヒロくんのくせに、最近は服選びもまともになっている。
「着れたかい?」
外から声がかかったので、おれは鏡でもう一度全身を確認してからカーテンを開けた。おれの姿を見た瞬間、ヒロくんが頬を紅潮させて喜ぶ。
「よく似合っているよ藍良! すごくかわいいよ」
素直に褒められるとやっぱり悪い気はしなくて、おれは自分の顔が熱くなっているのを認めざるを得ない。
「そ、そう?」
「うん! 今日はその格好で隣を歩いて欲しいよ」
そうやって乗せられて、結局そのままお会計。
ヒロくんの大好きなレモン柄。味や香りだけじゃなくて、服やアクセのモチーフとしても好きみたい。それも自分で着るんじゃなくておれに着せるのはどういうつもりなんだろう。
気づいたら今日はヒロくんの基準でおれの身につけるものを買っている。今まで着ていた服は丁寧に紙袋にしまわれて、ヒロくんが持ってくれた。
ヒロくんのお望み通り、今日はレモン柄の服でデートになりそう。
季節柄、店頭にはレモン柄のアイテムやレモン味のスイーツが多く並ぶ。遠目に黄色を見つけてはヒロくんがそれがレモンかどうかをチェックする。好きなモチーフがあるとテンションが上がる気持ちは良く分かるので、おれもレモンを見つけるたびにヒロくんに報告した。
その後立ち寄った喫茶店では、二人でレモンチーズケーキを注文した。表に季節限定メニューとして看板が出ているのを見つけた時には、二人とも店内へと足が向いていたのだ。
デザートの時はレモンを使ったメニューがあると、ヒロくんの注文も早く決まるから助かる。
ケーキを食べているヒロくんの写真を撮ってALKALOIDのグループチャットにシェアする。先輩たちが既読をつけてすぐに「楽しんでください」というメッセージとスタンプを送ってくれた。
「藍良のことも撮っていい?」
ヒロくんがスマホを持って首をかしげている姿を、不覚にもかわいいと思ってしまう。
おれはケーキを食べていた口元を拭いてリップを塗り直し、ヒロくんが構えるカメラの前で一番かわいい顔をしてあげる。
ケーキは食べかけちゃったからフレームから外すけど、おれがさっき買ったばっかりのレモン柄のブラウスを着ているから画面映えはするだろう。
ちゃっかりシャッターが二回切られて、ヒロくんが画面を満足そうに眺める。
「かわいく撮れたァ? おれにも送って」
「うん、どこにもアップしないでね」
「それおれの台詞だから」
アプリを操作している間も、愛おしそうに画面を見ているヒロくん。こっちまで頬が熱くなる。
おれのこと大好きじゃん。知ってるけど、知らないふりをしている。多分、ヒロくんも。
二人きりで出かけることが増えても、距離が近くなっても、ヒロくんの視線が熱くても、おれの鼓動が高鳴っても。
おれたちの関係にまだ納得のいく名前がついていない。
「藍良ごめん、必要な本を思い出したからちょっとだけ待っていて」
本屋の前を通りかかった時、ヒロくんが「あ」と言って立ち止まった。
デート中におれを一人にしていいんだァ、なんて考えが浮かんでちょっとだけ口角を上げる。そうは言っても忙しいアイドルのたまの休日だもん。用事はまとめて済ませたいのも分かる。
おれは申し訳なさそうに早足で本屋の奥へ行くヒロくんを見送ってから、隣の雑貨屋さんに入った。おれも何か買い物する用事があったかもしれないけど、買い物に出た時に限って忘れてるよね。
雑貨屋さんの入口のコーナーはやっぱりレモンづくし。レモン柄の文房具、レモン柄のエプロン、レモンの入浴剤。とにかくレモンというレモンが一カ所に集められていた。
ノック部分に小さいレモンのミニチュアのついた、ちょっと学校では使いづらそうなボールペン。輪切りのレモンの形をしたコースターやふきんなど実用的そうなものもある。
目についたのは、レモンの香りのデオドラントスプレー。テスターがあったので軽く腕に吹きかけてみたら、爽やかで甘酸っぱい香りがした。
これ、ヒロくん好きそうだなあ。気づいたら、おれもそんなことを考えちゃってる。
本を買って急いで戻ってきたヒロくんと合流して、おれ達はショッピングモールを出た。アイドルの休日はあっという間だ。帰ってからもやることはあるし、おれたちは早めに帰路につくことにした。
星奏館に着いてからも、なんとなく別れがたいのかヒロくんはおれを中庭に誘導した。夕陽が建物の向こうに沈み、あたりが少し暗くなる。
「いい匂いがするね、藍良」
ベンチに座った途端、ヒロくんがおれの顔を覗き込んで来る。匂いの出所を探すようにおれのことをじろじろ見る。
「え? ああ、さっきヒロくんを待ってる時に試供品で……」
おれはスプレーしたほうの腕をヒロくんに見せる。
「お店を出た時に気づいたよ」
ヒロくんがおれの手をとって、レモンの香りを確かめるように、顔を近づけてくる。手首にヒロくんの吐息を感じて、おれは慌てて手を引っ込めた。
「ヒロくん、だめ!」
「ごめん、つい……」
焦ったように謝ったくせに、ヒロくんはにこにこしている。悔しい。おればっかりドキドキしてるみたいじゃん。
おれはヒロくんに嗅がれたほうの腕を、もう片方の腕で抱える。ヒロくんに触れられたところを意識しないように、おれは自分の鞄に乱暴に手を突っ込んだ。中にある袋に入ったそれを掴む。
「これ! 今日の服を選んでくれたお礼」
勢いよく突きだしたら、それをヒロくんの胸に押し付けてしまった。おれなんかの力じゃびくともしないし、全然痛くなさそうなのがまた悔しい。
ヒロくんは子どもみたいな表情で中身を確認した。
中に入っているのは、おれがお店で試したレモンのデオドラントスプレー。ヒロくんはパッケージのレモンのイラストを眺める。
「これ、いいの?」
「うん。香り気に入ったみたいだし」
よかった、喜んでくれたみたい。ラッピングしてもらう時間はなかったからそのままだけど。何を渡されたのかすぐに分かって、おれも反応がすぐ見れて良かったかも。
「ありがとう。でもこれは藍良に使ってほしいよ」
「え?」
予想外の反応をされておれは戸惑う。でも、言われてみればヒロくんが言いそうなことでもあった。
「ヒロくんにあげたんだからもらってよ。好きでしょ? レモンの香り」
「もちろん好きだよ。だからこそ藍良がいいんだけど」
こいつ、それどういう意味で言ってるんだ。そんなのもう、だいたい分かってるんだけど言ってやらない。悔しい。
レモンの匂いまでつけて、おれをどうするつもり?
ああでも、今回はおれが自分からつけたんだった。
おれは顔が熱くなるのを止められなくて、その顔を見られたくなくて俯いた。そのままヒロくんの方へ手を押し返す。
「……ある」
「え?」
「おれの分もある。同じの買ったから」
おれは鞄の中から、もうひとつそれを出した。
二つ買って、ひとつはおれが使おうと思っていた。
「おれとおそろい」
「嬉しいよ、藍良」
まあ、そうだろうねェ。そう思ったから、おれもこんな思い切ったプレゼントをしてみたわけだし。
おれの方こそ自分からヒロくんの好きな匂いでおそろいになって、どういうつもりなんだか。
ヒロくんが優しい目でおれの目を見つめてきた。やっぱりいつも顔が近い。
でもなんだか空気がいつもと違うような気がして、おれはそれから逃げるように立ち上がった。
ヒロくんを振り返った時、ベンチの横幅のわりにくっついて座っていたことに気づいてまた恥ずかしくなる。
最近はもう慣れちゃってたけど、改めてヒロくんの距離感を確認してしまった。
「もう部屋に戻ろう、ヒロくん」
「そうだね。手を繋いでもいい?」
「……ちょっとだけね」
おれが答えるとすぐに、ヒロくんが手を握ってくれた。
ちょっとだけって言ったのに、寮の入口が近づいてもヒロくんは手を離してくれなくて、結局廊下で別れるまで手を繋いだままだった。
これはもう、お互いに言い逃れできないところまできてると思うんだけど。どっちが先に言うかみたいになってると思うんですけど。
でもヒロくんは何も言ってくれないし、おれも自分から言うのはなんだか負けたみたいでイヤなので言わないつもり。
だからおれたちはまだこのままでいい。
こういう、お互いの出方を窺っている時間も悪くないから。
おわり