リメンバー・リセット・リトライ_3 回らない頭で、シライは足の向くままに進んだ結果。気がつけばシライは公園のベンチで呆然と鳩を眺めていた。
来る途中でわずかに残った意識のまま買った最近気に入っているメーカーのイチゴミルクが手元にあるが、どこで買ったのかすら思い出せない。かろうじて店員と会話をした記憶はあるから、きっと本部近くのコンビニだろう。
口に含んだイチゴミルクの味もロクにわからないまま、シライは漫然と腹を満たす。
正直、胃にまだ残っている味噌汁のことを考えればすでには腹は膨らんでいたが、何かを飲んで気を紛らわせてければやっていられなかった。
「いったい、何なんだ……」
グルグルと「もしかして」と「それはない」の疑念と否定を交互に繰り返しながら百面相をしているその姿は、控えめに言って不審者だ。誰も自ら話しかけようとする人はいないだろう。もし普段のシライを知っている人間だとしても、明らかに様子がおかしい姿をみれば声をかけるのは躊躇うだろう。
だが、彼女は違った。
「あら、シライ。クロノと一緒にいなくてもいいの?」
突如出てきたクロノの名前にドキリと心臓が跳ね上がる。ループを繰り返していた思考を切り上げ、慌てて顔を上げる。視界に入ってきた名前の通り黄色い髪を持つ少女の姿に、思わず詰めていた息をシライは知らず知らずのうちに吐き出していた。
「レモンか……」
転がり出るように呼ばれた自身の名に応えることなく、アンドロイドたる彼女は遠慮などはまるでないようにシライの隣に腰かけ、こちらをジッと見上げた。その姿をわずかに不審に思いながらも、シライはイチゴミルクを持ち上げる。
「一緒に……て、師弟だからって一緒にいるように指定されているわけじゃねえだろ」
「でも、貴方達交尾したんでしょ」
「ブッ!ゲホッ!ゲホッ!」
唐突に落とされたクラスター爆弾に、口に含んだイチゴミルクは見事に気管支に入り込んだ。
レモンの言葉に反論や対処をしようにも、シライは目を白黒させながら咳き込み続けるしかできない。身体をくの字に折り曲げたシライに、レモンは「貴方、大丈夫?」と素知らぬ顔でタオルを差し出し背中を摩ってくる。
一体誰のせいだと思っているのだろうか。
ゼェ、ハァ、と呼吸をなんとか落ち着けたシライは、息も絶え絶えにレモンに問いかけた。
「交尾って……!?あの交尾か!?」
「どの交尾も行為としては一つしかないじゃない。それとも定義が必要?」
「ど、……どっちだ!?」
「人間の交尾にどっちもこっちもないじゃない」
シライの素っ頓狂な質問にレモンは淡々と答える。かみ合っていない会話に気がつくこともなく、シライの脳みそはグルグルと空回りを始めていく。まだ冷静になれていないのかもしれない。
だが、今のシライには現状分析を冷静に出来る余裕はまるでなかった。
──朝起きた時、けつに違和感はなかった。そうなればやはり自分が……!?
まさかの妄想が現実だった衝撃にシライの手からイチゴミルクのパックがするりと抜け落ちる。レモンが咄嗟に受け止め「シライ、落としたわよ」とかけた声もまるで耳に入ってこなかった。
──お、思い出せ思い出せ思い出せ!なんでそんな羨まし……じゃなくて重要なこと忘れたんだ!?
頭を抱えながら、シライは先ほどまで以上に挙動不審にブツブツと呟く。隣に腰掛けているレモンの見た目も相待っていつ警察に通報されてもおかしくはない。そんなシライを気にかけることもなく、レモンは淡々と言葉を続ける。
「でも、公衆の面前であんなことをするのは良くないと思うわ」
「公衆の面前で!?」
「それに、人目もはばからないのもどうかと思う。アカバが暴れて大変だったのよ」
「人目も憚らずに!?」
レモンの言葉に本部で向けられた女性の冷たい視線を思い出す。それは……すでに社会的死を迎えているのではないか!?
続々とレモンからもたらされる衝撃の情報に処理が追いつかない。そんなシライをみて、やっとレモンは疑問に思ったのかこてんと首を傾げた。
「どうしてさっきから疑問形なのかしら」
「そ、それは……気にしないでくれ……木みたいに」
酒に飲まれて記憶を失いましたとは死んでも口にできない。
「その割にはさっきから心拍数が上がりっぱなしだけど……」
「ハハハ、ちょっとここ暑いからじゃないか? ほら、いい天気だし!」
「今日は曇り空でここはベンチの日陰で風が肌寒いくらいよ。熱でもあるんじゃない?」
淡々と詰め寄るレモンにシライは勘弁してくれと縋りたい気分だった。縋ったところで彼女はきっと追及の手を緩めることはしないだろうが。
「シライ……本当は体調が悪いんじゃないの?」
レモンが射貫くようにシライを見上げる。言葉の端に心配の色が乗っているのに罪悪感を抱きながら、シライは思わず視線を逸らしてしまった。
「昨日もかなり飲まされていたじゃない。成人男性が摂取しても問題ないアルコール量は大幅に超えていたんだから、もう少し安静にしていたほうがいいわ」
「二日酔いはもう治っているからそんなに心配いら、ねえ…………まて、レモン。お前、昨日の飲み会にいたのか?」
ピタリと、動きを止めたシライは、ブリキのようにぎこちない動きでレモンを見下ろした。きょとんとした表情を浮かべて、レモンは淡々と答える。
「いたも何も私たちを呼び出したのは貴方じゃない」
数舜、鳩の間抜けな鳴き声が二人の間に落ちた。
「…………俺?」
「もしかして覚えてないの?」
呆れたようなレモンの声に、はじかれたようにポケットのなかでスリープしていたクロホンを叩き起こす。クロホンの文句もスルーして通話履歴を確認すれば、上からクロノの名前がずらっと並んだ後、スクロールしていけばアカバとレモンの名前が昨日の夜の時間に残っていた。
「なんだこの履歴……電話に出れなかったわけじゃないよな?」
「その様子じゃ、私たちが会場に着くまでクロノに鬼電かけていたのも覚えてなさそうね」
「は?」
ポカンと口を開け、間抜けに固まったシライを見上げるレモンの目は、どこか据わっているように見える。
「折角三人でお泊り会を開いていたというのに……貴方が真剣な声で今すぐ来いっていうから慌てて指定場所に行けば宴会場で、どんちゃん騒ぎに巻き込まれた気持ちわかるかしら」
「え! あ、す……スミマセンデシタ」
俺も混ざろよ!とまろびでそうになった言葉は、レモンの絶対零度の瞳によって謝罪へと変わった。
「別にいいわ。それに、その様子だと何一つ覚えてなさそうだもの」
「誠にその通りでございます……」
深々と頭を下げながら、シライは己の至らなさに小さくなる。言い訳をさせてもらえば、不可抗力。強制的に飲ませてきたやつらが悪いと主張したいところだが、途中から自分でも羽目を外して飲んでいたのは確かだ。
「これに懲りたら、限界までお酒を飲まない事ね。急性アルコール中毒の危険性は言わずもがなだけど、貴方がお酒で死ぬなんてシャレにならないもの」
「肝に銘じておく……」
反省は朝から死ぬほどしたが、後悔は今まで以上にしている。その酒のせいで朝から体調が悪かったのだし、クロノの様子もおかしく……というか十中八九レモンの言葉から察するに襲っている。確実に。
その瞬間、シライの頭からザァッと血の気が引いた。
──俺はもしかしなくても告白もまともにせずに手を出したクズなんじゃないか?
今朝のクロノも、アイツは優しいから俺に気を使っただけかもしれない。
「行かねえと……」
「どこに?」
フラフラと立ち上がったシライにレモンは不思議そうに尋ねた。それに振り返ることなく背を向けたシライはイチゴミルクを飲み干すとゴミ箱に投げ捨て一歩踏み出した。
「クロノのところに決まってんだろ!」
当てがあるのかすらもわからないまま鳩をかき分けてシライは駆けだしていく。
どんどんと小さくなるシライの背中を見送りながら、レモンはポツリと呟いた。
「それにしても不思議ね。キス一つであんなにも大慌てするなんて」
公園に舞い降りてくる鳩を眺めながら、レモンは首を傾げた。
「シライは敬虔な信徒だったりしたのかしら?」