チョコレートシロップ ぴちゃりぴちゃり、と舌が指先を舐めている。
右手にはジョン。左手には若造。真ん中に困惑している私。
「おかわり!」
「ヌヌヌリ!」
「はいはい」
要請に、カップに人差し指をいれる。そこには、たっぷりのチョコレートシロップ。それを塗りつけてから、また二人へ差し出した。
ジョンは可愛らしく一生懸命に舐めだし、若造は口に入れると、一心不乱舐めまわす。
どうしてこうなった。
思い出すのは、二時間前くらい前。
「バレンタインデー! だ! チョコレートを渡せ!」
「唐突になに」
ギルドへ出向いて、皆さんへチョコを配ったその帰り。
いつものように食事を終えて、さぁ寛ぐか……と、なったところで唐突にロナルド君がそう叫んだ。
「チョコならさっきギルドで食べたろう」
「あれは友チョコだろ! 俺とおまえ、恋人! 本命チョコ! ギブミーチョコ!」
「うるっさ」
いや、チョコはちゃんと用意してあるんだけど、雰囲気と言うモノがあるだろう。
君ならきっと、ロマンチックなものを好むだろうと思っていたから、静かな部屋で二人きりのときに渡してやろうと思っていたのに。
それとも、私たちにはそういう甘い空気は必要ない、と言うことだろうか。
それなら節分のように、顔面にチョコでも叩きつけてやろうか。
泣いて喜んでむさぼり食えばいいさ。
「も、もうすぐ十四日が終っちまうだろ……なのにおまえ、ギルド行くって言うし、友チョコ配るし……俺、わざわざ今日休み取ったのに……」
そんな事をつらつらと考えていると、徐々に若造が涙目になっていく。
「嘘だろ君、それで休みいれたの!?」
あのワーカーホリックな君が!?
「そうだよぉ! いつ渡されてもいいように、ずっと待ってたんだぜ!?
ジョンに渡した時にくれるのかと思ってたけど、また後でって言われるし、待ってたらギルド行くし!」
「そ、それはごめんね?」
いやまさか、そこまで期待していたとは思わなかったというか。
そう言えばなんか、カレンダーの前でそわそわしていたし、やたらチョコについてビミョーな豆知識を話していたけど。
「そんなに欲しかったの?」
「当たり前だろ……おまえの……こ、恋人からのチョコだもん……
あれ? 恋人だよな?」
途中で自信を無くすな。
二ヶ月前に君から告白してきて、オッケーしたし、キスもエッチもしただろ。まだ片手の指で数える程度だけど。
「そ、そう。ええとじゃあ、実はちゃんと用意してあるから……食べる?」
「食べる! けど、それはそれとして、お詫びチョコも食べたいぜ!」
「なんだ、お詫びチョコって」
「俺を悲しませた詫びに、体にチョコつけて舐めさせるとか」
「却下だ、馬鹿者。衛生的にアウトだ。あと、ベタベタして不快で私が死ぬ。それに食材を粗末に扱うことは、断じて許さん」
誰が洗濯と掃除すると思っているんだ。私だぞ。
「無駄にしないもん! 全部綺麗に舐めとるもん!」
「もんじゃないっていってんだよ! 普通に食え!」
キッチンから、隠していたチョコレートテリーヌを一切れ出して、目の前へと差し出せば、ぱくんと一口。
「うめえ!」
「良かったな! おかわりは!?」
もはや雰囲気もへったくれもない。なんだコレ。
きみはこんなバレンタインで良かったのかね?
私だからいいものの、普通の女性ならアウトだぞ。
「うまいけど! あとでおかわりもするけど! それはそれとして、ドラ公とチョコレートプレイがしたい!!」
プレイって言っちゃったよ。
「さっきも言ったが、お断りだ。というか、初めてのバレンタインなんだから、初回は普通で満足してくれ」
回を重ねていく度にポンチになるなら、それはそれで面白いんだけど。某ハロウィンイベントのように、ある意味トラウマみたいなことにさえならなければ。
「じゃあせめて指でいいから! 先っぽだけでいいから!」
「その言い方やめろ!」
そのままぎゃあぎゃあ言い合ったが、ゴリラが一歩も引かないので仕方なく。
ほんっとーに仕方なく。
大変不本意だが、チョコレートシロップで手を打ってもらうことにした。
パンケーキ用に買っておいたものが、よもやこんないかがわしい使い方をされるだなんて。
席について、シロップに指を浸して差し出す。
「……はい」
「もっと可愛らしく言って」
「……ロナルド君、あ~ん♡」
「あーん♡」
バカップルかな。
普段が普段だから、こういうのはなんだか慣れない。ジョンならともかく、ロナルド君だもの。
恋人、と彼は言うけれど、甘い空気になるようなことは稀。照れてしまうのか、いい雰囲気になると拳が出たり、ポンチ発言が飛び出して私が爆笑してしまうので。
強いて言うなら、彼が甘くなるのはベッドの上でくらいだ。
それ以外はいつも通り。
私達らしいといえば、私達らしいので、別にいいんだけど。
他の人たちに、恋人になりました、なんて言っても多分誰も信じないだろうなぁ。
長年の幼なじみが恋人になる、とかいうパターンだと、こんな空気感なのかもしれない。
とはいえ熟年夫婦感があろうが、ケンカップルだろうが、離婚寸前でも絶縁前でもない。
できたてほやほや……熱々……そこそこ……ええと……初々しいカップルのはずだ。
なので、このドラドラちゃんが盛り上げてやろうと思ったのだ。
せめてムードを作ってやらなければ、バレンタインだって楽しめないんじゃないかって思っていたのに。
雰囲気すっ飛ばして、チョコレートプレイ云々だものな。
エッチな事を覚えたばかりだからか?
いやでも、この奇行も、バレンタインというものに夢をみているからかもしれないし。
早い話が浮かれているってことだろうか。
でなければ、仕事人間の彼がこの日のために休みをいれたり、こんなアホな行為を思いつくわけがない。
やれやれ、仕方がない。
可愛い恋人の願いは叶えてあげよう。
少なくとも、彼が私に飽きるまでは。
「ほら、あーん」
「あー」
全身に塗りたくるのはごめんだが。まぁ指なら。
これで、ロナルド君が満足してくれるなら、それでいい。
プレイはさておき、そういう雰囲気になるなら、それはそれで吝かではないし。
だって恋人だし。別に嫌いじゃないし。そう言うときは、なんか、その、甘えさせてくれるので。
甘やかす事も大好きだけど、甘えるのだって好きなんだよね。
私が甘えられるひとなんて限られているけれど、そう言う意味で甘えられるのは、ロナルド君だけだし。
舌先で舐めた後に、口の中に招かれる。
ちゅっと吸った後にも、舌で丁寧に舐めてきて。
その舌の動きが、どうしても肌を合わせるときの様子を思い出させてくるので、なんとなく気まずい。
なんだこれ、わざとか?
「ヌヌイヌー……ヌァ!?」
と、それまで出かけていたジョンが紙袋を引っ張りながら元気良く入ってきて……三人とも固まった。
ジョンは私達の関係を知っている。だって告白の時一緒にいたから。
彼の許しもあって、晴れてつき合えることになったのだし。
「……あ、えーと、その」
「ヌヌヌヌヌン、ヌヌイーーー!!!」
『ええー!?』
ズルいのこれ!?
「ヌンヌ! ヌンヌ! ヌンヌ!」
「わーー!? ちょっと落ち着いてくれジョーーーン!」
我も我もとローリングしながら訴えてくる使い魔を宥めて、説明し──
『それならヌンもやらないといけませんよね?
ヌンも大切なドラルク様の指から、チョコをもらうべきですよね?』
そう言われてしまえば、断るわけにも行かず。
結果、両手に花状態になってしまった。
ふたりとも、子猫みたいだなぁ。なんて、いつかみたヌーチューブの動画を思い出す。
食事をしないシャーシャー威嚇する子猫のために、指先にチューヌをつけて、舐めさせて……
ジョンはともかく、ロナルド君はそういう可愛さのない舐め方だけど。
いちいちエッチなんだよね。舐め方が。
ロナルド君は子猫なんかじゃない。
その証拠に、青い瞳に少しずつ色が混じってきている。
彼もまた、ふたりだけの秘め事を思い出しているのかもしれない。
……私、意外にエッチだったんだな。
こんなのロナルド君とお付き合いしていなかったら、永遠にわからなかったかもしれない。
……若造め。いつまで私といてくれるのかわからないのに、私をこんなにしおってからに。
ああ、でもロナルド君をこんなふうにしたのは私なんだから、お互い様かなぁ。
「……ロナルド君て」
「んぁ?」
「私のこと、ちゃんと好きなんだねぇ……」
しみじみ言えば、ふたりが固まった。
いや、だってさぁ。
あんなにおっぱいおっぱい言っていた子が、私の体を知ったらこんなになっちゃったんだよ。
そもそもできるかどうかって話だったし。
へんなに、萎えるもので私の体のことを言っていたのは、いつのことだったかな。
うーん、懐かしい。
「……ドラ公」
「うん?」
「予備室いくぞ」
「それはいいけど……カップ洗っちゃうから待っててね」
ついでに手も洗いたい。ベタベタしてて気持ち悪い。
あと一週間ぶりだし、お風呂とか入って準備したほうがいいかな。
「……ジョンさん。俺ちょっとドラ公にわかってもらわないといけないみたいなんで、暫く篭もりますね……」
「ヌ……ヌリヌヌヌイヌヌヌヌ……」
「善処します」
「ヌッヌヌヌ、ヌヌヌヌヌヌ……」
……この時、ざぁざぁと流れる水音で、なにを言っているのか聞き取れなかったけど、何故かジョンが憐憫の眼差しを向けていたことに気がついて首を傾げていた。
気がついていたら、失言をしていたことに気がつき、逃げ出していたかもしれない。
なのに。
「お待たせ~!
ね、せっかくだから一緒にお風呂はいろルド君♡」
「おお、いいぜ。すみからすみまで洗ってやるからな」
「えー? ロナルド君てばえっち~」
なんて呑気に返し、散々わからせられたうえに、気絶。
その間にシンヨコ中に恋人宣言して回られたうえに、一族にも結婚を前提としたお付き合いをしてもらっています。なんてRiNEをしていたらしく。
その事を一切知らない私に、半田君から、
「結婚式にはセロリタワーを作ってサプライズをしてやりたい」
という謎メッセージが送られてきて、目を覚まして早々に首を傾げることになるのだけれど。
後で事態を知って、そのサプライズに私も乗っかることにした。
……私が一緒にいるときに、そういうことをしたまえよ、バカルド君。