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    hiko_kougyoku

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    hiko_kougyoku

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    若やまささ+千日、逆骨
    「世のため人のため飯のため」③
    ※やまささと言い張る。
    ※捏造あり。かなり自由に書きました。
    ※名前付きのモブあり。

    世のため人のため飯のため③  3

     館の門は両脇に建てられた親柱と、柱を安定させるためのぬきを通しただけの簡素な造りだったが、荷車の出入りが頻繁ということもあり、貴族の屋敷のものとは遜色ない立派な門であった。門の片側、長次郎の目線よりも低い位置には、ひと一人がかがんで通れるだけの小さな扉が付いている。おそらく、門を開くのは荷車を使う時のみで、中の人間は普段こちらの扉を使用して行き来しているのだろう。
     そんなことを考えながら門を見上げていると、すぐ前の逆骨が長次郎の方を向き、少しばかり潜めた声で言う。
    「良いか、お主は儂らと話を合わせるのじゃぞ。何を思っても決して顔に出すでない」
     瀞霊廷を発ってからはじめての指示に、何故という言葉が浮かんだものの口にする無粋はしない。頷き、表情を引き締めると、逆骨は満足そうに頭を動かし、今度は千日に目配せをする。それを合図に千日は門を叩くと、ごめんください、と声を張り上げた。
     ほどなくして、向こう側から声が返って来た。
    「はい、どちら様でしょうか?」
    小さな扉が細く開かれる。顔を出したのは若い男だった。この館の使用人だろうか。長次郎よりも少しばかり年少であろう、幼さが残る顔立ちの青年は仰々しいいでたちの来訪者に一体何事かと身をこわばらせ、視線をさまよわせていたが、逆骨の顔を認識した途端、あ、と小さくこぼした。「あなたは……!」と扉をくぐって出て来たその顔からはすっかり警戒が払拭され、驚きに上書きされている。
     背中を伸ばした逆骨は青年の顔をまじまじと見返す。
    「おお、お主はあの時の……」
     歓喜が混じった声に、千日がすかさず「大爺様、この者とお知り合いでしょうか?」と疑問を差し込む。それまで逆骨をジジイ呼ばわりしていた千日から出た、『大爺様』という大袈裟な呼び名。一瞬にして貴族のご隠居のような風格を醸し出した逆骨に、胸の辺りでどういうことだと訊きたい気持ちが膨張してゆくのを感じた長次郎だが、言われた通り無表情を作り、なりゆきを見守ることに努める。
    「千日、この若者は儂の命の恩人じゃ。さっきも話したろう? 儂を付きっ切りで看病してくれた……」
     すると、目を丸くした千日は「貴方様が!」と青年を見やる。
    「話には聞いております。うちの大爺様を助けて頂いたそうで……なんとお礼を言えば良いのやら……」
    「いいえ、私は当たり前のことをしたまでです。おじいさま、その後お加減はどうですか?」
    「こんな老人を気遣ってくれるとは、なんと優しい若者じゃ……」
     感極まったといった口ぶりの逆骨は、袖口で目元を押さえる仕草をする。背後に立つ長次郎には、それが嘘泣きだというのはすぐに分かった。逆骨だけでなく千日まで、一体どうしたというのだ。自分は何を見せられているのだと冷めた目を向けていた、その時。扉からもう一人、中年の男が出て来るのが見えた。
     ところどころ白いものが混じっている髪を髷にして結い上げている男は、年齢の割にはがっしりとした体つきをしており、いかにも年季の入った商人といった風貌をしていた。放たれる視線は米粒一つでも見逃しはしないといわんばかりの鋭い光を湛えており、男が現れたことにより一気に重くなった空気に長次郎は、思わずごくりと一つ、生唾を飲み下した。
    清顕きよあき、何を騒いでおる」
     低く発せられた声に、清顕と呼ばれた若者は棒のように直立する。
    「お、親方……! あの、実はですね……」
     清顕の態度と呼ばれ方からして、どうやらこの男こそが館の主のようだ。なるほど。千日が話していた通り、確かに用心深そうな顔をしている。若者だけであったなら何とか言いくるめれば中に入れたかもしれないが、主人のこの様子では一筋縄ではいかないだろう。こうなれば強硬手段を取るしかないのか、それとも何か良い算段があるとでもいうのか……。
     そんなことを考えていると、親方の目がこちらへと向いた。先ほどの清顕同様一人一人を頭のてっぺんからつま先まで見つめられ、値踏みされているような心地になった長次郎だが、三人の胸元にある紋を目にした瞬間、相手の顔が信じられないものを見たとばかりに青くなってゆくのを見た。
    「それは、四楓院家の紋……」
     威風堂々とした佇まいはどこへ行ったのか、声も唇も、それどころか体でさえも震えていた。そんな親方の反応にそよともせず、千日は悠然と一礼して見せる。
    「お初にお目にかかります。私は四楓院家の当主、千日と申します。こちらは我が家の大爺様、そして同行しておりますのは護衛の忠息でございます。千日、うちの大爺様が清顕殿に命を救っていただいたという話を聞いて、ご挨拶に伺わせていただきました」
     慇懃とした物言いと普段呼ばれない名前に、長次郎は虚をつかれたものの保っていた真顔は崩さない。小さく頭を下げながらもその内側では、だからわざわざ良い装束を着て来たのかと、ここに来るまで何度も浮かべた疑問が解消されたことへの軽い充足があった。
     だが、違和感が完全に解消されたと言い切るのは早計。千日と逆骨はお世辞にも似ているとは言えない。こんな胡散臭い芝居で親方や清顕をごまかし通すことが、果たして可能なのか……。
     不安視していたところで、「き、清顕、どういうことだ!」と親方ががなるのが耳に飛び込んできた。動揺が疑心を上回ったと分かる慌てっぷりの先にいた清顕は、貴族の来訪と親方の剣幕に狼狽えながらも、震える唇を開く。
    「じ、実は数日前、親方が出かけている間にこちらのご老人……いえ、大爺様が館の前で倒れているのを見つけまして……具合が良くなるまで中で看病したのです」
    「なに、儂が出かけている間に、だと?」
     問い質す視線を前に緊張が頂点に達した清顕は、ひくついた唇を「勝手なことをして申し訳ありません!」と勢いよく頭を下げた。その様子に思わずといった顔で一歩踏み出した逆骨は、まあまあと殊更穏やかな声で二人の間に割って入る。
    「親方殿、清顕殿を叱らないでやってくれぬか。この者のおかげで儂はこうして立っていられるのじゃ」
     すかさず、千日が話を引き継ぐ。
    「その日は大爺様が一人で出かけると言って聞かず……帰りが遅いので我々も心配していたのです。夜になってようやく帰って来たところで話を聞いてみれば、この館で助けてもらったとのこと。それでお礼に参った所存です」
     言い切った後に差し出されたのは、来るときに北流魂街八区で購入した、大福が入った風呂敷包みだった。受け取った親方は幾分か落ち着きを取り戻していたものの、未だに信じられないものを見る目を逆骨に向けている。
    「これはこれはご丁寧に……しかし、四楓院家の大爺様ほどのお方が、このような場所まで足を運んで下さるとは……」
    「あの日、清顕殿に助けてもらったにもかかわらずろくに礼もしないままここを出てしまい……だから儂自身、もう一度会って礼をしたかったのです。おいぼれの突然の訪問、どうかお許しくだされ」
     逆骨が話し終えるのを見届けた千日は、自然な様子で空に目を移すと、ああ、とわざとらしく声を漏らし「大爺様、そろそろ」と耳打ちをする。
    「あまり時間を取らせてはご迷惑になりましょう。皆様も忙しいでしょうし」
    「おお、そうじゃ。儂らはここでお暇させていただこう」
     驚いたのは長次郎のほうだった。買い占めの証拠の一つも掴まずに早々に帰ってしまうなど、何のために来たというのだ。任務を遂行せんと息巻いていたのとは対照的に、成果もなく長い山道を戻る自分を頭の中に思い描き、口の中に苦々しいものが広がるのを感じたところで「お待ちくだされ!」と声が上がり、長次郎は伏せかけていた目を再び上げた。親方が、焦りを滲ませた顔で逆骨を見つめている。
    「せっかくいらしてくださったのです、どうぞ中へ。街まで戻るのは難儀でしょう。大したもてなしはできませぬが、どうぞ休んでいってくだされ」
    「お気持ちはありがたいのですが、そこまで世話になるわけには……」
     笑みを湛えたまま千日が固辞したところで、今度はぐう、と間の抜けた音が割り込んできた。腹の虫だということは誰の目にも明らかだった。それが、逆骨のものだということも。
    「いやはや、お恥ずかしい」
    「腹を空かせているならなおさら寄って行ってくだされ。ここにいる清顕はまだ若いですが、飯炊きが得意なのです」
    「未熟ですが、四楓院の大爺様に馳走できるなどこの上ない僥倖。是非腕を振るわせてください」
     清顕の言葉は逆骨たちを館に留めるための思惑が透けて見えるものだったが、同時に、その体の内側で燃える使命感が紛れもない真実だというのは、目の奥で輝く清冽な光を見れば明らかだった。若者の熱意を真正面から受けた逆骨は、感じ入ったとばかりに頷くと、「千日や、ここはお言葉に甘えようぞ」と、促す言葉を口にした。
    「大爺様がそう仰るなら……」
     仕方なしに返された言葉を聞くやいなや目の前の門が開かれ、さあさあこちらへと親方と清顕が手招きをしてくる。難攻不落と思われた館に、こうもたやすく入ることができるのか。内心で唸っていた長次郎だったが、前を歩く千日と逆骨が顔を見合わせ、しめたと言うようににたにた笑っているのを目にすると、二人への尊敬の念が引き潮のように一気に失せてゆくのを感じ、それとわからぬよう溜息を吐いた。


     長次郎たちを母屋の一室に案内した親方と清顕は、すぐに食事の支度のため部屋を後にした。館の人間がいなくなった途端、それまでの貴族の振る舞いを解いてだらしなく足を崩した千日は、部屋を見回していた長次郎に向かって「な、堂々と入れただろ?」と気楽な声を投げてきた。
    「驚きました。しかし不思議な気分です」
    「まあ、人の優しさに付け込んだようなもんだからな」
     片膝を立てた千日は、大あくびをしている逆骨を横目に話を続ける。
    「商売人や立場のある人間なんかは特に、自分の家の前に急病人がいれば助けようと動くことが多い。そのまま死なれたりしたら厄介だし、誰が見ているか分からないから体裁にも関わる。逆骨には何日か前にこの館の前で病人のふりをしてもらい、あの若者に助けてもらった。助けてもらったことで相手への恩を作る。そうすれば、後日改めて訪れても自然ってことだ。向こうからすれば助けた人間が礼に来ただけ。命の恩人だと感謝を向けられて悪い気はしないだろうから警戒も薄れる。そうして顔見知りになったところでどこかへ行った土産だとか、たまたま近くを通りかかったから立ち寄ったと言って何度も足を運べばより親密になれるし、相手の懐にも入りやすくなる。覚えておいて損はないぞ。
     その上、四楓院家の人間だ。商売をやってる人間なら何が何でも繋がりを持っておきたいだろ」
    「館の人間からすると貴族が訪れる、しかも自分に恩を抱いているのをもっけの幸いに親しくなろうとする……」
    「あの様子じゃ四楓院の名の方にばかり目が行ってもともとの用心深さも薄れただろう。貴族も悪くねえな」
    「ですが、私を長次郎ではなく忠息と紹介したのは何故なのでしょうか?」ようやく巡って来た質問の機会を逃さんとばかりに長次郎が身を乗り出せば、千日は細めた目のままじっとこちらを見返しながら「雀部長次郎の名は山本の側近として世間に知られつつあるからだ」と即答した。
    「護廷十三隊の隊長の中でも、貴族の俺や総隊長の山本は多くの人間と接する機会が多い。顔を知られてしまっているんだ。そしてお前は常に山本の傍にある。人々の中にお前の存在が浸透してゆくも当然だ」
     元柳斎が人々からどう見られているかを考える機会はままあれど、自分について鑑みたことがまるでなかった長次郎ははっとするものを感じ、畳の上に目のやり場を求めた。
     護廷十三隊総隊長である山本元柳斎重國の右腕。元柳斎の補佐という役割は言うなれば影のようなもので、自分は表立ったものにはならないと勝手に想像していたが、どうやらその考えは実際とは乖離していたようだ。元柳斎の名が尸魂界に流布し、その存在感が増すほど傍らにいる自分も誰かの目に触れ、記憶に残る。
     人から、人へ。
     名もなき若輩者ではなく、雀部長次郎として。
     今まで考えが及ばなかった未熟さを嘲笑うように、実感が重みを増して腹の底へと沈んでいくのを自覚していると「お主は普段『雀部長次郎』と名乗っており、『忠息』の名はあまり使っておらぬだろう。だから今回使わせてもらった」と、逆骨が説明を付け加える声が聞こえた。その言葉に立ち返った長次郎は、鉛の気分を抜くように軽く息を吐く。
    「元柳斎殿と四楓院殿が護廷十三隊の中でもとりわけ顔が広いのは分かりました。他の方々はどうなのでしょうか?」
    「色々、だな。名前だけ知られてる奴、姿だけ知られてる奴、一部の界隈では有名な奴と様々としか言えない。卯ノ花なんかは元は罪人だからならず者の間では良く知られてるだろうし、執行や善定寺はあの見てくれだ。名前よりも外見の方が印象に残りやすいだろうな。
     その点、逆骨は目立った行動をすることはほとんどない。隊首会議にも任務にも顔を滅多に顔を出さねえだろ? 着るものを変えて人ごみに紛れちまえば、逆骨のことを見慣れてる十三番隊の隊士だろうと見つけることはできねえだろうよ」
     そう言われると、長次郎自身も見つけられる自信がない。同時に、長次郎が日ごろから逆骨に対し感じていた得体の知れなさの正体の、その一端が掴めた気がした。
     元柳斎ならば、いかなる障害をも跳ね除ける厳然さ。金勒ならば、些細な過ちも見逃さないという緻密さ。そして卯ノ花ならば、刀を体現しているかのような背中を撫で上げる鋭い冷たさ……人間誰しも空気感や雰囲気と呼ばれるものを纏っており、対峙した時には肌が相手の纏う空気を感じ、意識しないうちに脳へと読み取り、顔や名前といった情報とともに記録しておくことで相手への理解を深めてゆくものである。
     しかし逆骨には、誰しも必ず持っているはずのそれがない。他人に認識されないような、あるいは身を潜めているような希薄さを味方につけていると言っていいほど、存在感がないのだ。だからこそ掴みどころがなく、そして得体の知れないのかもしれない。黙したまま想像を巡らせていると、逆骨の密やかな声が部屋の空気を震わせた。
    「して、これからどうする?」
     核心へ向かおうとする問いに、長次郎は自分の頬が緊張するのを感じた。千日は真剣な眼差しで逆骨と長次郎を見ながら、
    「門から見て一番遠い場所、敷地の奥に大きな蔵がある。そこに米が隠されている可能性が高い」
    「これだけ広い館です。もしかすると地下があるかもしれません。そこには……」
     言いかけた言葉を遮るように、千日の声が割り込んでくる。
    「あったとしても、米屋なら地下には入れない。湿気があるし、ねずみに食われちまうからな」
    「あ……」
     自分の迂闊さに長次郎は一瞬言葉を失うも、すぐに気を取り直す声を出す。「山から見た時に確認できた蔵は三つ……どの蔵に入っているのでしょうか」
    「それは俺にも分からん。そしておそらくだが、もとは質屋の蔵ということもあって鍵がかかってるだろう。だとしたら、まずは鍵を手に入れて……」
     千日はそこで言葉を切ると、立てていた膝を倒して胡坐をかき直す。締め切られた障子戸を一瞥したので長次郎も部屋の外に意識をやると、遠くから廊下を歩く足音が聞こえた。
     ほどなくして、部屋に親方と清顕、そして使用人と思わしき女が膳を運んで来る。麦飯に大根の葉の味噌汁、里芋の煮物、白瓜の漬物、そして粉が吹いたように塩でうっすらと白くなっている梅干し。膳を埋め尽くすように置かれた小鉢に目をしばたかせていると、隣から感嘆の息が漏れたのが分かった。逆骨も長次郎と同じように、しげしげと料理の数々を眺めていた。
    「ほう、これは見事じゃ……お主が?」
    「はい。お口に合えば良いのですが……」
     身を固くする清顕に笑みを返した逆骨は祈るように両手を合わせると、まず最初に味噌汁を啜る。次いで千日と長次郎も料理に箸を付けるのを見届けると、使用人の女は静かに退出していった。残った親方と清顕の、沙汰を待つ兵士を思わせる緊迫した眼差しを一直線に受け、なんとも落ち着かない心地で口を動かしていた長次郎は、逆骨が「うまいのう。これほどまでの腕とは……お主、どこかで修業をしておったか?」と感心した声を上げるのを聞いた。
    「実は、ここに来る前は料亭の下働きをしておりました」
    「どこの料亭じゃ?」
    「五区にあります、早緑という店でして……」
    「早緑と言えば、あの鬼瓦のような顔をした主人が切り盛りをしておる……」
     「ご存知なのですか?」驚いたのか、清顕はひときわ大きな声で尋ねてくる。逆骨は「知っておるとも」と力強く返す。
    「あの主人は、気は難しいが料理には真摯に向き合う……そういう男じゃ」
    「ええ、ええ、その通りです。とにかく厳しい人で、米の一粒でも無駄にすれば途端に拳が飛んできました。当時はただただおっかないとびくびくしていましたが、今思えば、あの人が言っていたことは飯炊きには……いや、生きるためにはどれも大切なことでした。しかし次第に早緑の経営が傾き、店にいた奉公人が次々と暇を出されてしまい、そして私の番になってしまい、路頭に迷うことに……。途方に暮れていたところで店に米を仕入れていた親方に拾われ、ここでお世話になる次第となりました」
    「それは気の毒じゃのう。しかし親方殿にとっては良い縁だったということじゃな」
     照れ笑いした親方が、人差し指で頬を掻く。
    「この細っこい腕には力仕事は任せられませんが、飯炊きやら掃除やら良く動いてくれます。おかげでこの館もいつも綺麗なままです」
    「縁の下の力持ちなのじゃな。若いのに素晴らしい。うちの者たちにも爪の垢を煎じて飲ませたいものよ。忠息、お主も見習え」
     引き合いに出されるとは思わずすっかり気を抜いていた長次郎は、あやうく味噌汁を噴き出しそうになりながらも「は、精進します」と平静を装って答えてみせた。長次郎の動揺を知る由もない親方の目には、一見冷静な受け答えを貴族特有の余裕に映ったのかもしれない。「いやいや、そこまで言ってもらえるほどでは」と上擦った声には、恐縮と謙遜の両方が入り混じっていた。
    「そう言う四楓院家の当主殿も、たいそうご立派で。確か、護廷十三隊の隊長に任ぜられたとか……」
     貴族に取り入ろうとする人間には珍しく、親方の言葉には首筋に貼りつくようないやらしい羨望も皮肉も、それどころか阿諛さえも感じない、さっぱりとした響きをしていた。他人の持つ能力や権力といったものを手放しでほめることができる素直さ、とでも言うべきなのだろうか。なんなんだ、この違和感は。長次郎が毒気を抜かれた気分で親方を凝視していると、逆骨がちらと千日を一瞥するのが目の端に見えた。
    「うちの倅は、見た目は軽薄じゃが実力は折り紙付き。山本殿の力になれるよう、儂も期待をしておるところじゃ」
     逆骨が小さく頷くと、千日が間髪入れずに続ける。
    「最初、総隊長殿からお話を頂いた時は驚きましたが、この力を必要とされるのは私だけでなく四楓院家としても非常に喜ばしいこと。尸魂界の発展のために身命を賭したいと思っております」
     少なからず本心も含まれているのだろうが、それにしてもここまで滞りなく美辞麗句を口にすることができるのは、本音と建前を使い分ける場面を多く踏んでいる千日だからこそ為せる技だろうか。しかし逆に言えば、言葉選びの一つにさえ気を使わねばならぬ世界に身を置いていることと同義とも言える。貴族の家を象徴する人間の言葉は時に武器となり、そして瑕疵にもなる。いかなる時も付け入る隙を見せてはならない。だから例え腹では憤怒を燃やせども、顔は菩薩の笑みを湛えねばならない……。
     ならば、今の千日の思考領域は、使用人を手放しで褒められ、隠しきれない歓喜を表情の端々に滲ませているこの男をどのように分析しているのだろうか。本当にこの男が金儲けのために米の買い占めを進めているのかという猜疑は、果たして自分だけが抱いた違和感なのだろうか……。
    「親方、只今戻りました」
     戸が桟を滑る音とともに、別の男の声が聞こえた。たくし上げた小袖に股引という格好の、体格の良い男が部屋の入口で膝をついていた。男の帰りを待っていたのか、親方は即座に腰を上げると。今度は愛想笑いのような曖昧な顔をしながら「少し席を外させてもらいます」と断りを入れ、そそくさと部屋から出ていってしまった。
    「親方殿は忙しいのう」
     漬物をかじりながら、逆骨が清顕に言う。
    「普通であればここまで動き回る必要はないのでしょうけど、館のことは全て把握しておかないと気が済まない性分のようで」
     苦笑混じりの話に、長次郎の頭の中には金勒の顔が浮かんだ。とすると、何かと気苦労も多いのかもしれない。もっとも、先ほどの男を含めた館の人間の折り目正しい振る舞いを見ていると、問題を起こすような輩はいないように見えるのだが。
    「ところで、ここは何の商売をしておるのじゃ? これだけ広い場所を使うとなると、材木の管理か、あるいは質屋か……」
     何食わぬ顔を作る逆骨の問いに、長次郎の肌にびりりと緊張が走る。そういえば、自分たちはこの館のことを何も知らないという体で来ているのだ。思い出しつつ見れば、千日も表情を変えないままであったが、瞳に獲物に狙いを定める獣を連想させる鋭さを宿しながら、清顕の反応を待っている。
    「ここは米屋です」
    「ほう、米屋か。それにしては随分と山奥にあるのう」
    「ええ、本来であれば街のほうにあるべきなのでしょうが、事情がありまして。実は以前、この館は質屋として使われていたと聞いております。しかしその時の主人が病でなくなり、ちょうど米屋として店を大きくしたいと考えていた親方が借り受けたとのことです」
    「確かに街のほうではおいそれと店を大きくすることはできんからのう。不便ではあるが、そこに目をつぶればこういう場所も悪くないのかもしれない……しかし米屋とは大変な商売じゃな。何せ米は食事以外に酒や菓子を作るのにも使われる。農民からも買い付けなければならぬものだから、あちこち歩き回る必要がある。そなたら米屋には儂らも世話になっているから頭が上がらぬ」
     緩やかに同意しながらも、逆骨は清顕から目を逸らさない。
    「最近では米の価格が高騰しておると聞いておる。我が家でも仕入れ値が張ることで頭を抱えていたところじゃ……のう、千日」
    「大爺様の言う通りです。我々だけでなく使用人も食べるものですから、切り詰めるにもなかなか難しい話でして」
     言葉を挟むことなく、清顕は膝の上に置かれた手に目を落としたまま逆骨の話に耳を傾けていた。よく見れば清顕の手は白くかさついており、花弁のような赤い筋がいくつも散っている。あかぎれだ。節々に目立つ傷がぱっくりと開くほどに握りしめられた手は小さく震えている。
    「作物というのは自然の如何によって作られる質も量も変わる。だからある程度の値の上がり下がりは仕方のないもの。だが……聞くところによれば不当に買い占め、ふっかけた値で売っている商人もいるらしいではないか。そうやって自分たちのことしか考えぬ不届き者には心が痛む」
     話を終えた逆骨は、「うむ、つい語り過ぎてしまったようじゃ。すまぬのう」と締めくくると、湯飲みに残った最後の茶を飲み干し、膳に置く。いつのまにか部屋の空気が冷たさを増しているのは、年寄りの世間話を装った追及のせいだろう。
     しばらくの間、誰も何も言うこともなく、箸を動かす音と咀嚼音しかない重い沈黙が続いた。部屋の外からも音はなく、長次郎は目だけを動かして千日と逆骨の顔を盗み見る。二人とも何食わぬ顔で食事をとっており、言葉を発する気配はない。
     何を考えているのか掴めない不安のまま無言で口を動かしていると、悄然と俯いていた清顕が「いいえ、仰る通りです」とこぼす声がした。
    「私は、そういった人間の悪行はいずれ詳らかになり、罰が下ると思っています。そうでなければ、真っ当な人間が浮かばれませんから……」
     耳朶を打った声には、どうあがいても消えることのない後ろめたさに心をすり減らされている人間の悲痛さのようなものが込められており、長次郎は澱んでいた疑念が濃くなってゆくのを自覚した。
    「……そうじゃな」
     逆骨が、しみじみといった響きで同意する。そうして湯飲みの中を覗き込むと、
    「茶のお代わりをくれぬか」
    「は、はい。只今……」
     清顕が脇に置いてあった鉄瓶に手を伸ばしかけるも、逆骨は首を横に振る。
    「すまぬが葉を変えてはくれぬか。儂は濃い茶が好みじゃ」
     長次郎も湯飲みを見る。言われてみれば出涸らしとまではいかないものの、茶の色は薄い。「失礼しました、すぐにお持ちします」と応じた清顕が部屋を飛び出し、足音が遠ざかるのを聞き届けたところで、「お前にしては良く口が動くな」とぶっきらぼうな声が放り込まれた。千日だ。
    「お主も喋りたかったのか?」
    「まさか。そんなことよりジジイ、早緑に行ったことあんのか? あそこは貴族が贔屓にしている店だぞ?」
    「いや、ない」
    「行ったことがあるような口ぶりだったじゃねえか」
    「昔あのあたりをうろついていたことがあってのう……こういった話にはちっとばかし事実を混ぜるのが良いのじゃ」
    「そうか……あと一つ」千日は言うやいなや、逆骨の頭をわし掴む。
    「誰の見た目が軽薄だって?」
    「おお、怖い怖い」
     ヒヒッ、と独特の引きつり笑いが部屋の空気を弛緩させたことに内心で安堵した長次郎は、このままやらせておけば逆骨を堀に沈めかねない千日を止めるべく口を開いた。
    「お二人とも、言い合っている場合ではありません。親方殿も清顕殿も離れた今が好機と言えましょう。証拠を掴むべく動き出したほうが良いかと」
     その一言で冷静さを取り戻したのか、はっとした顔をした千日が逆骨の頭から手を離す。「そうだな、すまん」と軽く詫びる声とは反対に、逆骨がやれやれという顔を作ったのが見えた。
    「全く、若いもんはせっかちじゃのう」
    「お前みたいにのんびりしてたら日が暮れちまうからな」
    「日が暮れたなら泊めてもらえばよい。ほれ、長次郎の卍解ならば雷の一つや二つ落とせるじゃろう。危ないから泊めてくれと頼めば一晩くらい……」
     「元柳斎殿のために修得した卍解をそんなことに使わないでください」とたしなめたところで、逆骨はようやく軽口をしまいこむ。
    「しょうがないのう。ならば儂が探ってくるとしよう」
    「ジジイ、俺が……」
     重々しく立ち上がるのを見た千日が腰を浮かせようとする。手で制した逆骨は、千日と長次郎の顔をじとりと見比べ、言う。
    「お主らはまず飯を食え。良いか、決して残すでないぞ」
     顔には笑みが貼り付いたままだったが、目には何かを訴えかける強い意思があった。その言わんとしていることが汲み取れないうちに逆骨は部屋を出て行き、後には曖昧な空気だけが残されることとなった。
     見ると、逆骨の茶碗には米粒一つ残っていない。
    「逆骨殿に任せて良いのでしょうか」
    「ふざけたことばかり言ってるが、あれでも山本が目を付けた護廷十三隊の隊長だ。何かしら考えがあるんだろ」
     長次郎の問いかけに答えた千日は、大口を開けて煮物を頬張る。そうして二人の膳が空になったところで、長次郎はずっと気がかりだったことを口にした。
    「四楓院殿は、逆骨殿のことを信用してらっしゃるのですか?」
    「それなりにな。お前は違うのか?」
    「いえ、そういうわけではありませんが……正直、私は逆骨殿が分かりません。どういうわけか得体が知れない人間に思えてしまうのです。ええと、何と言うのでしょうか、逆骨殿は、他の皆さんとは違うというか……あんな風に飄々としているのも、笑みを浮かべているのも全て偽りで、言動全てに裏があるのではと勘繰ってしまうのです」
     話すにつれて弱くなってゆく声は、自信のなさの表れだった。自分でも何が言いたいのか分からなくなり、いたたまれなさに顔に熱が集まるのを感じた長次郎が視線を動かすと、真剣な面持ちの千日と目が合った。何の根拠もない空想話を遮ることも、笑うこともせず聞いていた千日は、考えるそぶりをみせると、ややあって、
    「その直感は間違っちゃいねえ。あのジジイの生い立ちからして、自分の弱みだとか本心というものを決して見せず、それでいて目の前の人間から欲しい情報を引き出す術に長けているのは事実だ。本当に、食えない野郎だぜ」
     そう言えば、逆骨は護廷十三隊に入る前はどのような生活をしていたのだろう。他の隊長の過去を把握しているわけではないが、それでも何かしら刀を振るっていたのだろうというのは容易に想像できる。しかし見てくれのせいもあって逆骨が浪人や用心棒だったとは思えないし、力で他人を虐げていたようにも見えない。戦いを楽しむことも、命を奪うことに愉悦するとも思えない……。
    「逆骨殿は……」
     尋ねようとしたのと、部屋の戸が開く音は重なったのは偶然だった。清顕が戻って来たのだ。
    「えっと、大爺様は……」
     すかさず千日が「厠へ行きました」と誤魔化しを述べる。
    「それは大変。この館は広いですから迷ってしまうでしょう。すぐに……」
     顔に焦りを浮かべ、踵を返そうとした清顕に向かって、千日は「ああ、良いのです。おそらく誰かに聞いていることでしょう」と気楽を装った声を放った。しかし、と呟かれた声色には逆骨を気遣う心情が多分に含まれており、その厚意を無下にできないと考えたのか、千日は努めて穏やかな笑みを浮かべ、清顕を足止めするための言葉を重ねた。
    「どうかお気になさらず。いやあ、勝手にすみませんな。うちの大爺様はああ見えて石頭でして、一度言い出したらてこでも動かないことがあるので私も手を焼くことがあるのですよ」
     ところどころ棘を感じる物言いに、軽薄と言われた仕返しか? と勘繰ってしまったのは、千日と逆骨のやりとりに慣れてしまった証だろうか。いずれにせよ、このまま部屋でじっとしていてもどうにもならないと考えた長次郎は「ならば私が迎えに行って参ります」とだけ声を掛けると、二人の返事も待たずに部屋を出た。
     頭の中には、自分も何かをしなければというじれったさがあった。しかしそれ以上に、逆骨を一人にしておくことにどうしようもない胸騒ぎを覚えた長次郎は、その予感が杞憂であることを祈りながら廊下を進む足を速めた。

    《続く》
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    hiko_kougyoku

    DONE若やまささ+千日、逆骨
    「世のため人のため飯のため」④
    ※やまささと言い張る。
    ※捏造あり。かなり自由に書きました。
    ※名前付きのモブあり。
    世のため人のため飯のため④  4

     逆骨の霊圧を辿ろうと意識を集中させるも、それらしき気配を捕まえることは叶わなかった。そういう時に考えられるのは、何らかの理由で相手が戦闘不能になった場合――そこには死亡も含まれる――だが、老齢とはいえ、隊長格である逆骨が一般人相手に敗北するなどまずあり得ない。となると、残るは本人が意識的に霊圧を抑えている可能性か……。何故わざわざ自分を見つけにくくするようなことを、と懐疑半分、不満半分のぼやきを内心で吐きながら、長次郎は屋敷をあてもなく進む。
     なるべく使用人の目に触れないよう、人が少なそうな箇所を選んで探索するも、いかんせん数が多いのか、何度か使用人たちと鉢合わせるはめになってしまった。そのたびに長次郎は心臓を縮ませながらも人の良い笑みを浮かべ、「清顕殿を探しております」とその場しのぎの口上でやり過ごしているうちに元いた部屋から離れてゆき、広大な庭が目の前に現れた。どうやら表である門の方ではなく、敷地の裏手へと出たようだ。
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