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    hiko_kougyoku

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    hiko_kougyoku

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    若やまささ+千日、逆骨
    「世のため人のため飯のため」②
    ※やまささと言い張る。
    ※捏造あり。かなり自由に書きました。
    ※名前付きのモブあり。

    世のため人のため飯のため②  2

     夜が明け、前日よりも一段と寒さが厳しくなった朝を迎えた長次郎が言われた通り一番隊舎の門前に向かうと、支度を整えた千日と逆骨が両手を擦り合わせながら立っていた。
    「お、長次郎、やっと来たか。なかなか似合ってるぜ」
     二人とも身にまとっているのはいつもの死覇装ではない。一目で高価なものと分かる装束であった。そしてそれは、長次郎も同じであった。
     千日から着るように渡されたのは鮮やかな縹色の小袖と錫色の袴、そして脛当と動きやすさを重視した服で、手触りの良さと色合いの美しさが見事であった。小袖の両の胸元には紋が二つ織られている。千日の持ち物に描かれているものと同じことから、四楓院の家紋だろうと推測できる。
     普段と同じと言えば、腰に差した斬魄刀のみ。服の上質さと四楓院の紋のせいで心なしか落ち着かない長次郎は、お待たせしました、と一声かけると、二人の身を包む代物に目をやった。
     逆骨が着ている枯色の装束は直垂ひたたれと呼ばれる貴族の礼装である。袴は本来、床に引きずるほど長いはずだが、今回は逆骨に合わせて短く裾を上げてある。背の低い烏帽子と落ち着いた佇まいは一見するとどこかの隠居そのもので、とてもじゃないがおやつを盗み出すような人間とは思えない。
    一方で千日はといえば、襟巻と同じ朱色の小袖と袴、白い羽織、そして金色の耳飾りというなんとも派手ないでたちだった。二人の胸元には例に漏れず家紋が織られていることから、今回の任務は四楓院がらみのものかと考えた長次郎は、「四楓院殿、この格好はどういうわけでしょうか?」と率直な疑問を口にした。
    「今日はとある場所に行く。そのためにわざわざこんな格好をしてもらった」
    「とある場所……貴族の家でしょうか?」
    「いや、違う」
    「どこかのお屋敷で会合でもあるのですか?」
    「それも違う」
     千日が再び首を横に振る。しかしこれほどまでに見事な装束で、四楓院の家紋を背負って赴くのだ。貴族が集まるような正式な場に違いないと考えた長次郎は、あらためて逆骨の装いに目を注ぐ。腰にあるはずのものがないと気付いたのは、すぐ後のことだった。
    「私と四楓院殿には斬魄刀があるのに、逆骨殿は杖のみですね。良いのでしょうか?」
     確かに、神事でもないのに礼装姿で刀を携えるのはいささか物騒だ。だが自分たちは護廷十三隊の人間。死神の証とも言える斬魄刀を持たずに任務へと向かうのは不用心ではないか。思っていたことが表面に出ていたのか、長次郎の顔を見た千日は歯を見せて笑うと、派手やかな見てくれとは裏腹に穏やかさを含んだ声で言った。
    「いいんだ。むしろ、逆骨は刀を持っていたら逆に怪しまれちまう」
     どういうことだ、と訝しんだところで、ヒヒヒ、と笑い声が聞こえた。逆骨のものだ。こちらの反応を面白がっている顔に「逆骨殿はどこに行くかご存知なのですか?」と尋ねれば、逆骨は「そりゃあそうじゃ。儂は一度行ったことがある」と杖の持ち手を撫でる。
    「ま、歩きながら話してやるさ」
     千日がそう締め括ったところで、三人を見送ろうとしたのか、隊舎から元柳斎が出て来た。すぐさま駆け寄った長次郎は、元柳斎の目の前に立つと背筋を真っ直ぐに伸ばし、凛然と声を発した。
    「元柳斎殿、行って参ります」
     漏れ出た息は口元から白く広がり、冷たい空気へと拡散されて消えてゆく。少しの間黙し、直立不動の長次郎を見つめていた元柳斎は、死地へ向かうつわものを連想させる厳粛さに応えるように頷くと、「うむ、くれぐれも気を付けよ」と重々しく言い放つ。その言葉を聞き届け、踵を返そうとしたところで「それと」と付け加えられた声が長次郎を引き留めた。
    「良いか。いくら腹が減っても盗み食いはするでないぞ」
     冗談なのか本気なのか図りかねない厳命に、長次郎が思わず「いたしません!」と叫ぶと、背後で千日と逆骨が声を上げて笑うのが聞こえた。


     目的地に行く前に寄りたい場所がある。そう言った千日に従い北流魂街八区の商人町に向かった長次郎たちは、おおよそ中心部に位置するとある店で足を止めることとなった。
     この辺りは上層地区とはいえ、完全な安全地帯とは言い難い区域だ。そんな中でも掃き清められた店先と埃一つない格子はそれだけで訪れる人間への誠意を漂わせ、静謐ながらも威風堂々たる雰囲気を醸し出していた。ひさしの上に掲げられた看板が、店の高雅さを一層際立たせている。入口の暖簾に揺れる紋が、昨日食べた大福の懐紙に刷られていたものと相違ないことに気付くと、長次郎はようやく、ここがあの大福を売っている和菓子屋だと理解した。
     千日が「ちょっと待ってろ」とだけ告げて店に入ってから、しばらく。恭しく頭を下げる店主とともに出て来た時には、その手には風呂敷包みが下げられていた。
    「中身は……」
    「お前が昨日食ったものと同じ大福だ。美味かったろ?」
     大福のふくよかな甘みと苦々しい思い出が同時によみがえる。用事は終わったと歩き出した千日に「菓子を持っていくということは、どこかにご挨拶に伺うのですか?」と聞いてみた。
    「まあ、近い」
     言いながら意味深な笑みを刻む千日。しかしそれ以上何かを話すことなく歩みを進めるのみ。そのまま四角四面の規則正しい街並みを抜け、見晴らしのよい平野へと出ても一向に理由を教えてくれないことに痺れを切らした長次郎は、鼻歌交じりで歩く千日へ声を投げた。
    「いい加減、教えてくださいよ。今日は任務なのでしょう? 内容くらい私も知っておくべきだと思います」
    「そういじけるなって」
    「いじけたくもなりますよ。逆骨殿も……」
     そう思うでしょう、と同意を求めようと後ろを見た長次郎は、放った声が虚しく響いたことに息を呑んだ。付いてきているはずの人間の姿がないことに、そこではじめて気づいたのだ。
    「逆骨殿?」
     不思議に思いながら遠くへ目を向ける。長次郎たちの遥か後方に、杖に寄りかかるようにしてよろよろと歩く老人の影があった。
    「おおーい。二人とも、待ってくれえ」
     叫びというにはあまりにも細い声が、風に運ばれてくる。
    「もう疲れて足が動かん。長次郎、すまぬが手を貸してくれぬか?」
     満身創痍。悲痛な面持ちと訴えに居ても立っても居られなかった長次郎は、じれったい気持ちをありありと浮かべた千日に「ちょっと行ってきます」とだけ伝えると、制止も聞かずに逆骨へと駆け寄った。
    「逆骨殿、私の腕をお使いください」
     自分の腕を指し示せば、逆骨は微かに笑みを浮かべ、「すまぬ。お主は優しいのう」と手を伸ばしてくる。続いて聞こえた「それに比べて千日は」という子の不出来を咎める老人のぼやきには苦笑するしかなかった。
     恨めしい目で千日を一瞥した逆骨は、杖と長次郎の手を借りながら摺り足でゆっくりと歩きはじめる。その歩幅は長次郎よりも随分と短いもので、最初の数歩はどう合わせるべきか躊躇われてしまった。こちらに寄りかかってくる小さな体は骨と皮の痩身に違わぬ軽さで、元柳斎とは対照的な脆弱な体つきに上官であるにも関わらず庇護しなければならないという使命感すら浮かび上がり、長次郎はふと視線を下にずらした。自分の腕を掴む皺だらけの手は、逆骨が長い年月を生きて来たことを何よりも雄弁に物語っている。
     これだけの高齢、しかも今日は斬魄刀がないとはいえとりわけ重い装束を纏っている。長距離を歩いて疲れるのも無理はないと考える一方で、この調子で任務を完遂することができるのかという不安が思考を侵食するようにじわじわと押し寄せて来る。比較的体力がある千日と自分はまだしも、何故逆骨が……それは任務を受令した昨日から引っかかっていた違和感だった。
     先の滅却師との戦争で、血気に逸り我先にと切りかかる隊長たちとは異なり、影を思わせる密やかさで敵の首を取っていた逆骨。それなりの戦功を挙げたものの、会議を含めた普段の職務ではほとんど存在を感じさせないことから、長次郎は未だその力量を把握できていないのが現状だ。老体を理由に侮っているのではない。逆骨才蔵という人間そのものが蜃気楼のごとくかすみ、はっきりと認識できないように、いくら追いかけてもその本質に指先すらも触れられない気がしてならないのだ。
     言い換えれば、戦いを渇望しているふうには見えない逆骨が、何故護廷十三隊にいるのか分からない。これだけの老躯ならば、絶えず任務や戦いに駆り出される死神でいるよりも流魂街の方が過ごしやすいだろうに……いずれにせよ、今回の任務の件も含め、元柳斎に考えがあるのは間違いない。その考えというものがまるで読めないもどかしさはあるものの、今は目の前の任務に集中するのみと自分を奮い立たせた長次郎は、逆骨を支えながらのどかな平野を進み続ける。
     ようやく追いつき、軽い達成感からほっと息を吐いたところで、腕を組んで待っていた千日がぶっきらぼうにこう言った。
    「ジジイ、早くしねえと置いてくぞ」
    「四楓院殿、そのような言い方は……逆骨殿はもう良いお年ですし、休みながらでないと厳しいのでは」
     とっさに口を突いた声は抗議の色を帯びていた。しかし千日は長次郎に何かを返すことはなく、逆骨に目を据えたまま厳しい口調で問いただす。
    「いい加減、その大根芝居はやめろ。長次郎が気の毒だ」
     「……は?」呆然と放たれた言葉は、ひどく間の抜けたものだった。長次郎は逆骨を見る。やれやれと首を振った逆骨はそれまでの満身創痍顔を引っ込め、平素と変わらぬ好々爺然とした表情を作ると寄りかかっていた体を離し、杖を使わずにすたすたと早足歩き出す。疲労どころか年をも感じさせない軽い足取りを少しの間あんぐりと眺めていた長次郎は、ややあって現実に立ち返ると、木々を揺らすような大声を上げた。
    「……演技だったのですか⁉」
     立ち止まり、振り向いた逆骨は、にたりと口元を歪める。
    「ヒヒッ、すっかり騙されてくれたのう」
    「酷いではないですか! 本気で心配したのですよ!」
     競り上がる鬱積のままに詰め寄るも、逆骨は笑みを深めるばかりで少しも反省の色を見せない。馬耳東風と聞き流される様子を見た千日が「ジジイ、長次郎が可哀想だ」と声を差し込めば、長次郎は助け舟とばかりに顔を上げた。
    「四楓院殿もそう思いますよね?」
     が、千日は首肯することはなかった。それどころか厳しい面持ちを崩さないまま、
    「そうじゃない……そろそろ返してやれ」
     返す? 一体何のことを言っているのか。わけもわからず立ち尽くしていると、逆骨は自分の袖に手を入れ、何かを取り出した。握られていたのは財布だった。
    「私の財布! いつの間に!」
     慌てふためいた長次郎が懐をまさぐるも、財布を入れておいた場所は見事に空っぽであった。「油断大敵、火がぼうぼう……ヒッヒッヒ」と愉しげな声を上げた逆骨は長次郎に財布を返す。
    「案ずるな、中身までは抜いておらぬ。山本からの小遣いまで盗って泣かれでもしたら、さすがの儂も心が痛むでのう……」
     口ぶりから、逆骨にしてみればちょっとした悪戯なのだろう。気が済んだのか、逆骨は大口を開けて笑い声を発すると、先を急がんとばかりに進みはじめる。
    「……な? 川に沈めたくなるだろ?」
     同じく上機嫌の背中を眺めていた千日の声に、長次郎は大きく頷くことしかできなかった。


     平野を過ぎると山に差し掛かる。あまり人の往来はないのか、道という道は人がようやくすれ違える幅の獣道しかなく、北からの寒風が木々の間を吹き抜ける中、一行は逆骨を先頭に千日、長次郎の順に一列になって進む。
     山道とは言っても、斜面を横断するように設けられた平坦な道のため、それほど苦ではなかった。左側に見える傾斜からは樹皮が剥き出しになった木が、地面とはおおよそ垂直とは言えない角度で生えている。葉が落ち切った枝が伸びる先には薄い色をした空が広がっていた。空気が冷え切っているせいか、降り注ぐ日の光にぬくもりはない。
     何か羽織るものがあれば良かったか。そんなことを考えていたところで、一番前の逆骨が道を左に逸れ、傾斜を登っていくのが目に入ってきた。何事かと聞くよりも前に千日も逆骨の後をついて行ったので、長次郎も大人しく続くことにする。
     急な登り、加えて落ち葉や枝で隠れた岩々のせいで足場はかなり悪く、足の指先まで力を込めて転ばないように踏ん張るので精一杯だった。頭を上げて見ると、逆骨も千日も慣れた足取りでひょいひょいと山を登っている。後れを取るわけには行かないと内心で気合いを入れ、必死になって足を動かしていると、自分たちが落ち葉を踏む乾いた音しかない静寂に、千日の声が落ちた。
    「長次郎、お前、米は好きか?」
     斜面を登っていることを感じさせない、安定した声。質問の意図が読めない長次郎は、「まあ、普通に」と率直な答えを返す。
    「普通か。じゃあ食えなくなったらどうする?」
    「それは困ります! お腹が空いてしまいますから……」
     勢いで言ったものの、とんでもなく幼稚なことを口にしているのではないかという考えがよぎり、長次郎はそこで話を切った。言葉の最後から溌剌さが失われていったのは、一気に押し寄せた羞恥と、萎んでいく自信からだった。しかし憂慮はあくまで憂慮でしかなく、その返しで良かったようで、千日が満足そうに笑む気配がした。
    「そう、飯が食えなきゃ腹が減る。当然の摂理だ。では何故俺たちは腹が減るか? それは霊力を持っているから。霊力を持った人間は、その力を使うと腹が減るのはお前も知っているよな。流魂街にいる人間も同じだ。死神になっていないだけで霊力を持つ奴はいて、そういう人間は腹が減ったら飯を食う。それ以外にも、現世から来た奴も食事を取る。向こうでは必ず食事をするんだろ? その時の名残で飯を食うらしい」
    「それは分かりますけど、いきなり何を……」そこまで言ったところで、前を歩いていた逆骨が立ち止まる。どうやら傾斜を登り切ったようだ。頂上からの風景を眺めようと千日の横から顔を出した長次郎は、びゅうびゅうと音を立てて襲い来る風の洗礼を受け、咄嗟に近くの木に掴まった。
     山は途切れていた。大型の虚にざっくりと抉られたような崖が、長次郎の目の前にあったのだ。山というものが皆一様にお椀をひっくり返したような形をしているという先入観にとらわれていた長次郎は、突如現れた絶壁に一瞬戦慄したが、すぐに深呼吸をして体の隅々まで酸素を送り込むと、逆骨と千日に倣い崖下を覗き込む。
     かなりの距離を登って来たつもりだが、それほど高い山ではなかったようだ。崖の下には土色か灰色か分からない木々が立ち並び、そこが芽吹きの季節であれば、鮮やかな深緑が広がる豊かな森であることを教えてくれる。こんな山奥に何があるのか。思案していると、千日が長次郎にも分かるよう森の一点を指さし、言った。
    「今回の目的地はあそこだ」
     目を凝らして見ると、ここからそう遠くない場所に開けた土地があった。そこにあるのは館だった。周囲には水を湛えた堀があり、石垣が突き出し、白壁の塀が広大な敷地を囲んでいる。正面と思われる場所に門があり、堀を渡るための橋がある。そうして塀の中にあるのは屋敷と、厩、長屋、蔵と思われる重厚な建物が三つ。屋敷の裏手には池らしきものが見える。
     立派な館だが、貴族の屋敷というより詰め所に近い様相を呈している。不思議に思いながら眺めていると、千日が説明のための口を開いた。
    「ここは、かつては質屋を生業とする一族の館だった。手広く商売をしていたようでな、さっき立ち寄った北流魂街八区以外の人間からの依頼にも応えていたようだ。しかし十年ほど前に主人が流行り病にかかり他界。それから質屋は立ち行かなくなり、親族も奉公人もここを離れ、最後には空き家となった……が、その後流魂街で米屋を営んでいた男が使用人とともにここに移り住み、商売をはじめた」
     質屋とは、生活用品を担保に金を貸すことを生業とする人間を指す。担保にしたものの価値から貸すことのできる額が決まるため、持ち込まれるものは衣類や刀、壺といったものが多いが、中には箪笥や家の戸などの大掛かりなもの、珍しい例では馬などを質に出す者もいるとのことだ。そう考えると、これだけ大きな館を構えるのも納得できる。
     一方で米屋とは、農民から米を買い付けて精米をし、人々に売ることを仕事とする。そのためどこにどれだけの耕作地があるか調べ上げ、収穫量を把握し、場合によっては売ってもらえるよう農民たちと交渉もしなければならないと聞いたことがある。
    「一言に米屋と言っても結構大変だぜ? 米の収穫高を知るにはいろんなところを渡り歩かなきゃならねえからな。それに、農民から嫌われちまえば米を売ってもらえない、つまりは店の売り物が確保できねえんだから商売にならない。商売にならないってことは食っていけないに等しい。金だけでない繋がり……お互いの信頼関係があってこその商売だ」
     信頼。芥ばかりが目に付く流魂街にはおおよそ似つかわしくない言葉に、長次郎は返す言葉が見つからなかった。信じなければ生きられない。この世界において、そんな綺麗ごとが果たして通用するのだろうか。隠密の嗅覚が長次郎の中で澱む疑念を嗅ぎ取ったのか、千日は言葉を付け加える。
    「……と言っても、米が作られるのは流魂街でもごくわずか、各地方の上層地区だけ。下層の地区だと治安が悪すぎて作物を育てるどころじゃねえんだ。作った端から盗られたり、荒らされたりしちまう。ある程度の節制と道徳心がなければ成り立たない」
     つまりは、略奪や殺人が日常茶飯事と言われる下層地区では信頼どころの話ではないということか。食べるために誰かを騙し、盗み、そして時には殺しまで起こる。死と隣り合わせの毎日を、長次郎は知らない。命がけで主を護ることは知っていても、命がけで自らを生かす術は知らない。その脆弱で終わりの見えない道には、一体どれだけの屍が横たわっているのだろうか。
     下層地区の悲惨さに感傷に浸っている暇はなかった。一度長次郎を見やった千日は、本題とばかりに話を続けた。
    「ユーハバッハ率いる滅却師の侵攻時、主な被害は瀞霊廷ではあったものの、その外側……流魂街でも戦争による混乱が多くみられた。大地が踏み荒らされたせいで耕作地も減っただけでなく不作も重なり、米の収穫量が大きく減少。そんな折に、米商人たちは買い占めをはじめた」
    「そんな……なんのために……」
    「米が出回らなくなると価格は自然と高騰する。つまりは……」
     千日の助言に、閃いた長次郎は答える。「米を高く売る機会を狙っていたのですね」
    「そうだ。そんな状態がかれこれ数年続いていたが……ここ最近で状況は変わった。長次郎、生活必需品である米が高騰しました。さて、文句を言いたくなるのは誰だ」
    「買い手です」
    「正解。少し前の話だが、北流魂街のとある地区の住民が米の高騰の不満を持ち、米屋に押し入って店を壊したことがあった。煽られるように他の地区の人間も立ち上がり、同様の混乱が起きたため米の買い占めは早々に終息した……ただ一つ、ここを除いては」
     そこまで話した千日は、館に向けていた目を鋭くする。
    「暴動から逃れたこの米屋は、新たにこの館を拠点として商売を再開。金の呪縛から逃れられなかったのか、買い占めを続けた。が、以前のようにおおっぴらには行わない、巧妙なやり口を使うようになった。例えば貴族の屋敷から大量の注文が入ったとか、護廷十三隊の任務における兵糧が必要などと嘘を吐いて同業者からも買い占めていたらしい。そして馴染みの客に高値で売っていた、とのこと。見ての通り大きな館だ。相当な量の米を保管できる」
    「ですが、そんなことを続ければ以前のように文句が出たり、不満のはけ口になってしまうのでは?」
    「普通はな。でもそこは頭を使っている。ここの米屋はな、取引相手を貴族に絞ったんだ」
     取引相手を貴族にしたからと言って、何故不満の解消に繋がるのだろう。いまいちぴんと来ない答えに長次郎が首を傾げていると、「これは貴族特有なんだが」と続ける声が降って来た。
    「基本的に貴族というのは欲しいものがある時は屋敷に商人を呼んで買い物をする。長次郎たちみたいに街に行っていろんな店を見てまわるってことはしないのさ。特に米の場合は重たいし、一度に買う量も多い。だから直接運ばせる家がほとんどだ。現に四楓院家も、贔屓の商人に品物を持って来させている。
     つまりは、屋敷に出入りする商人が提示する値段が全てなんだ。流魂街や庶民の暮らしに興味もない貴族なんかは米の値が多少高くとも『そういうもの』だと納得してしまうってわけさ」
    「米の相場を知らない貴族がいるということですか?」
    「俺みたいに街を歩かなきゃ知る機会もないだろ。この館の連中はそういう世間知らずの家を選んで取引を行い、吹っ掛けた値段で米を売っている。高いだとかケチをつけようものならこの家の財政は傾いているなんて噂を流されかねないし、体面が悪くなる。だから迂闊に高いだのなんだの口には出せねえってことだ。
     実を言うと、今回の件を知ったのも四楓院が懇意にしている家からの相談だった。うちは米の仕入れ値がやけに高い。おたくはどうだと。で、よくよく聞いてみればおかしい部分があったから調べたら……というわけだ」
     貴族は、その言葉一つで家の名を汚すこともあれば、行い一つで家の名声を博することもある。すなわち、個人の感情だけでなく家の行く先を見据えて振る舞わなければならない。護廷十三隊の隊長としての千日は子どもの無邪気さを失わない飄々とした兄貴分の顔で接してくれるが、四楓院家当主として正式な場に赴くことがあれば一変、若者特有の軽薄さを引っ込め、老獪をも唸らせる粛然さで場の空気を支配する。四楓院に生まれた千日が長い間かけて培ってきた生き方なのだろう。
     そうして貴族としての個を理解している千日だからこそ、米屋にぼったくられた貴族を愚かだと笑うことはしないが、同情もしないのだろう。この世界において知らないということはそれだけで罪だ。騙され、泣いているだけではなにも変わらない。世を渡り歩く頭がなければいずれ凋落するという理は、貴族にも、護廷十三隊にも当てはまる……。
     逡巡していると、館の門が開き、荷車が出てくるのが見えた。三人ほどの男が付き歩いている荷車は、橋を渡ると山道を進み、森の中へと消えてゆく。その様子を見届けた千日は、「街に買い付けに行くつもりだ」と苦々しく漏らす。
    「今年の米の価格はまだ落ち着いているが、冬はもうすぐそこ。秋に収穫した新米も出回っていることから、奴らは買い占めに奔走しているらしい。流魂街の米屋に出入りをしているのをうちの隠密たちが確かめた。もしここで買い占めが起きれば、北流魂街の米は再び高騰する。何としても食い止めなければ」
    「ここまで調べが付いているのに、捕まえることができないのですか?」
    「今話したことはあくまでうちの隠密たちが調べた情報。実際に買い占められている米を見たわけじゃねえんだ。話だけで確実な証拠が得られていない。だから、中に入って現場を押さえる必要がある」
     確証のない中、むやみやたらと取り締まることができない。それは理解できるのだが、長次郎には釈然としないものがあった。
    「それは私たちが手を出すべきことでしょうか。北流魂街を管理する有力貴族や他の米商人たちもいるのでしょう? 彼らに任せるというのは……」
     「それが常道だが、今回はちゃんとした理由がある」長次郎の言葉を遮るように言った千日は、左手の人差し指を立てながら説明を続ける。
    「まず一つは護廷十三隊があえて介入することにより俺たちの存在を示すということ。尸魂界には未だ俺たちに不信感を持つ人間は多い。そんな状況が続いちまえば、任務や警護の際もいろいろやりにくい。この一件を解決することにより、その不信感を少しでも払拭できればと思っている」
     今度は中指が動く。立てられた指が二本になった。
    「そしてもう一つ……これが一番大きな理由だが、実は護廷十三隊は北流魂街の米屋から米を仕入れている。だからこれ以上価格が上がると資金繰りが難しくなり、最悪の場合買えなくなる。北流魂街以外から買うって言うのも手だが、他の地域だと護廷十三隊ほどの規模の米を扱う店がなかなかなく、探すのに苦労する。だから……」
    「私たちの食事のため、ですか……」
     無意識にこぼした声に誰に向けたものでもない非難が混じっていると自覚したのは、一瞬後のことだった。はっとした長次郎が顔を上げる。長次郎の反応を予想していたのか、やはりという顔をした千日が「納得いかねえって顔してるな」と声を掛けて来た。怒りを含んだ声色ではない。しかし図らずも上官に盾突く形となってしまったことへの後悔が一気に押し寄せ、その勢いのまま背中をぴんと伸ばした長次郎は、「いえ、そういうわけでは」と弁解の言葉を口にする。
    「ただ、自分たちの利のために動くようで心が痛むといいますか……」
     そこまで言ったところで、引きつった笑い声が聞こえて来た。それまで黙って話を聞いていた逆骨だ。なにが可笑しいのか、逆骨は目をこれでもかと細め、満面の笑みを浮かべながら長次郎に言う。
    「ならばお主のも分かりやすく言うてやろう。米が買えぬということは、山本が飯を食えぬということじゃ」
     可哀想じゃのう、と続けられる声に、長次郎は頭が冷えていくのが分かった。反感や立腹からではない。恐怖だ。
    「元柳斎殿が……」
    「そう。考えてもみろ。日々尸魂界の平穏のために奔走している山本の、力の源である米の不当な高騰を阻止できる機会意をみすみす逃すというのか? お主は右腕として、山本にひもじい思いをさせるつもりか? ……それは違うじゃろう。儂らは何も米を独り占めしようとしているわけではない。護廷十三隊だけでなく、北流魂街の人間も含めた皆が公正に米を買えるようにするだけ……それもあくまで穏便な方法でじゃ。それのどこに後ろめたいものがある」
     その言葉に、長次郎は頭を強く殴られた心地になった。脳裏に元柳斎の姿が蘇る。生命の源とも言える飯を食えないということは、衰退の一途を辿るということ。弱り、衰え、そうして刀も振るうこともできず膝を付く主の姿を想像した長次郎は、下げていた拳を力強く握りしめた。
    「……元柳斎殿がお腹を空かせるなど、許せません」
     自分は影となり、元柳斎を支えると誓った。それは何も武働きだけではない。真似事などではなく、手が回らないところを補ってこその右腕。逆骨の言う通り、元柳斎にひもじい思いをさせるなど言語道断である。
    「世のため人のため、そして元柳斎殿の飯のため、必ずや買い占めの証拠を掴みましょう!」
     握った拳を胸の辺りまで持ち上げ、決然と言い放つと、長次郎は目に焼き付けんばかりに館を睨みつける。腹の底からすぐにでも駆け出したい衝動が競り上がり、心臓の音に合わせて全身を巡ってゆくのをじっと耐えていると、千日が「いい心掛けだ。さて、ここで長次郎に問題だ」と、熱を冷ますような声を差し込んだ。
    「証拠を掴むためには館に入る必要がある。しかしこの米屋の主人は用心深く、敷地のあちこちに見張りがいる。入る場所は正面の門しかないが……実はこの間うちの隠密が油売りに扮して訪れた時も、門から一歩も入ることができなかった。さて、そんな場所にはどうやって入る?」
     思いもよらない問いかけに、長次郎の興奮は急速に冷めてゆく。どうやって? 千日の問いかけが思考を占めゆく中、しばらくの間沈思すると、長次郎はおそるおそる答えた。
    「堀を泳ぎ、石垣と塀を登って入るとか……」
    「それじゃあ泳いでいる間に見つかってしまうわい」
     逆骨が笑いながら指摘する。確かにそうだ、と納得しながらも、負けじと言葉を返す。
    「ならば瞬歩を使い、素早く中へと入りましょう」
    「さっきも言ったが、敷地のいたるところに見張りがいる。そいつらの目をかいくぐって入るのは相当の運を味方につける必要があるぜ」
    「で、では、地中深くに穴を掘って、館の下から入りましょう!」
    「もぐらじゃねえんだぞ……お前、やけくそになってるな?」
     図星を突かれ、言葉に詰まった長次郎は、絞り出すように「他に手があるとは思えません……」とだけ言うと、力なく肩を落とすことしかできなかった。情けないやら恥ずかしいやらで膨張していた勢いがするすると萎むのを自覚していると、あまりの意気消沈ぶりを見かねた逆骨が思わずといった様子で口を出す。
    「お主の言う方法じゃと忍び込むことばかりではないか。まるで儂らが盗みなどという悪事を働くみたいじゃのう」
    「ですが、忍び込む以外だと正面の門から入るしか方法が浮かびません……」
     何気なく放った言葉だが、千日から返って来たのは「当たりだ」の一言だった。
    「……はい?」
     自分の耳が信じられなくなった長次郎が頓狂な声で聞き返すと、「門から入るんだ、堂々と」と言葉が重ねられる。
    「正確に言えば、入れてもらうんだ」
     自信満々な物言いが逆に滑稽にも思えた長次郎は、自分の口から失笑が漏れる音を聞いた。自然と頬が引き攣っていくのが分かる。きっと今の自分の顔を鏡で見てみれば、何を言っているんだと言いたげな皮肉じみた笑みを浮かべていることだろう。
    「先程四楓院殿も言ったでしょう? 館の主人は用心深いと。それなのに正面から中に、しかも入れてもらうんですか?」
    「まあ見てろって。ジジイがあらかじめ準備をしておいてくれたからな」
    「逆骨殿が?」
     長次郎は逆骨に目を向ける。長次郎と視線を合わせた逆骨は、目に鈍い光を輝かせるとにやりとねばっこい笑みを顔に浮かべた。

    《続く》
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    hiko_kougyoku

    DONE若やまささ+千日、逆骨
    「世のため人のため飯のため」④
    ※やまささと言い張る。
    ※捏造あり。かなり自由に書きました。
    ※名前付きのモブあり。
    世のため人のため飯のため④  4

     逆骨の霊圧を辿ろうと意識を集中させるも、それらしき気配を捕まえることは叶わなかった。そういう時に考えられるのは、何らかの理由で相手が戦闘不能になった場合――そこには死亡も含まれる――だが、老齢とはいえ、隊長格である逆骨が一般人相手に敗北するなどまずあり得ない。となると、残るは本人が意識的に霊圧を抑えている可能性か……。何故わざわざ自分を見つけにくくするようなことを、と懐疑半分、不満半分のぼやきを内心で吐きながら、長次郎は屋敷をあてもなく進む。
     なるべく使用人の目に触れないよう、人が少なそうな箇所を選んで探索するも、いかんせん数が多いのか、何度か使用人たちと鉢合わせるはめになってしまった。そのたびに長次郎は心臓を縮ませながらも人の良い笑みを浮かべ、「清顕殿を探しております」とその場しのぎの口上でやり過ごしているうちに元いた部屋から離れてゆき、広大な庭が目の前に現れた。どうやら表である門の方ではなく、敷地の裏手へと出たようだ。
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