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    hiko_kougyoku

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    hiko_kougyoku

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    乃武金
    「龍の刺青を持つ男」②
    ※乃武金と言い張る。
    ※捏造多々あり。かなり自由に書きました。
    ※ いつもと違う雰囲気。
    ※名前付きのモブ有。
    ※流血描写あり。

    龍の刺青を持つ男②  3

     夜の帳はとうに降り、多くの人間が寝静まった頃。普段であれば寝酒を嗜む乃武綱だったがこの時ばかりは違い、七番隊舎を出て一番隊舎へと向かっていた。
     昼間の喧騒はどこへ行ったのか、すれ違う人間どころか木々のざわめきすらも聞こえない、厳かな静謐。あると言えば自分が発する足音と、布と布が触れた時の摩擦音。夜は慣れているはずだが、この夜は苦手だ。思いつつもすっかり熱の抜けた空気が肌に染み込み、その冷たさに頭の中が緩やかに研ぎ澄まされてゆくのを実感していると、鮮明になった思考に突如桜達の顔が差し込まれ、口元を大きく歪めた。
     嫌なもんを思い出しちまった……少しでも気分を晴らそうと遠くに目をやると、ぼう、と小さな明かりが目に飛び込んできた。一番隊舎だ。乃武綱は時間が時間ということもありすでに固く閉じられた正門を通り過ぎ、漆喰の塀伝いに進んで周囲をぐるりと回りこむ。そうして裏に設えられた小さな門から敷地内へと入ると、すぐ目の前に隊舎とは別の建物が現れた。
     元柳斎たっての希望で作られた大浴場は脱衣所や休息場が併設された露天風呂となっており、護廷十三隊の隊士であれば立場関係なく誰でも利用することができる。隊によっては距離があるものの、各隊舎に設えられた風呂場とは設備も規模も比べ物にならないこの大浴場までわざわざ足を運ぶ隊士も少なくはない。無論、隊長も例外ではない。だが隊長格となれば一般隊士と鉢合わせたくはないという本音があるのも事実で、人気のない頃合いを見計らうこともしばしばある。特に金勒などはそうなのだろう。乃武綱でさえ、金勒がここを利用している場面に遭遇したことはない。
     だが、あの三番隊士の話が事実なら、もしかしたら……浮かんでくる疑念に苛立ちまでもが付いてくるのを感じながら建物の中へ足を踏み入れると、脱衣所の前に人影を見つけ、心臓が大きく跳ねるのを感じた。背中を丸め、冷え切った廊下に正座をする姿は懲罰を受ける罪人を連想させるような佇まいだ。それが誰かなど遠目でもすぐに分かった。花叢桜達だった。
     となれば、中には金勒が……予想通りとはいえ実際に目にした瞬間、ふつふつとこみ上げるものがあった。感情のまま荒々しい足音とともに近付くと、それまで床の一点に目を据えていた桜達がこちらに気付き、その顔が凍りつくのが見えた。見上げた瞳の奥には困惑と恐怖が光るのが見て取れ、その弱々しさが金勒の気を引くために被っている猫のように感じた乃武綱は「おい、そこを退け」と低く唸った。
     大袈裟なほどに肩をびくつかせた桜達は、身を固くして乃武綱から目を逸らし、そのまま俯く。さて、小心者のこいつはどう出るか。同胞に絡まれた時のように泣くか、それとも……立ちっぱなしのむかっ腹を抑え込みながら辛抱強く待っていると、やがて消え入りそうな声で「申し訳ありません」という謝罪が返って来た。
    「もうしばらくお待ちください」
    「あ? なんでだよ」
    「金勒様が、入浴されているのです……」
     震えを帯び、小さくなってゆく声に呆れを通り越して笑いがこみ上げてくる。
    「へえ、部下に見張りをさせて悠々と風呂に入るなんざ、あいつも偉くなったもんだな」
     上官へのあからさまな侮蔑を真正面から浴びせられたにも関わらず、桜達が何かを言うことはなかった。視線を落とせば膝の上に置かれた手の筋が白く浮かび上がるほど強く握りしめられているのが見えたが、それは憤怒や不服からのものではなくこの場をやり過ごすために耐え忍んでいるに過ぎないということはすぐに分かった。
    「俺は今入りたいんだ。もう一度言う、そこを退け」
     隠しもしない苛立ちに、しかし桜達は引き下がることなく「できません」と必死の懇願を発するばかりだった。徹底的な事なかれ主義にかっと頭が熱くなったのを自覚するよりも前に、乃武綱は飛び掛かるように桜達の胸倉を掴むと、自分の目線の位置まで高々と引き上げた。
    「俺は頼んでいるわけじゃない……これは命令なんだよ、隊長命令」
    「執行隊長、どうか怒りをおさめてください……こんなこと、金勒様に知られたら……」
    「だから何だよ。あいつが怒ろうが叫ぼうが構わねえぜ、なんならここから呼んでやろうか?」
     その言葉が神経を逆撫でたのか、一瞬嫌悪に顔を歪めた桜達は、次の瞬間裡に溜まったものを押し戻すようにぎゅうと唇を引き結んだ。「言いてえことがあるなら言えよ」とさらに煽るが、桜達は無言を返事にするばかり。
     なるほど、このまま金勒が出てくるまで耐えるつもりか。沸騰した思考に浮かんだ結論に、乃武綱の頬がひくりと小刻みに動いた。
    「……斬られても文句は言えねえよな」
     空いている方の手が斬魄刀の鞘を撫でると、言いようのない高揚が掌を起点に皮膚の下を這いずり回り、たちどころに頭蓋の中へと浸透してゆく。ぞわ、と全身へと広がる戦慄は寒気でも、緊張でも、ましてや恐怖でもない。戦いを求める血の一雫が望外の歓喜に奮えているのだ。その本能を表すかのように、乃武綱がにたりと口元に薄笑いを刻むと、それを見た桜達は喉から細い悲鳴を絞り出した。こちらは本物の恐怖だ。
     心臓が血液を送り出すたびに肥大してゆく、戦いへの欲望。その頂点が見えかけた時、首筋に走った殺気に乃武綱の顔から表情が消えた。
    「……俺の部下に何をしている」
     眼球だけを動かし見ると、顎の下に銀色に閃くものがあった。いつの間に出てきたのか、真横まで肉薄した金勒が乃武綱の首に刀を押し当てていたのだ。鋭く向けられた目が、そいつを離さないと斬ると言っているのを聞いた乃武綱は、釈然としないまま桜達を放り出し、しぶしぶ両手を上げる。
    「こいつが邪魔だったから斬ろうとしただけだ」
     軽くせき込む桜達を横目に答えるも、首筋の刀が離れることはない。
    「見張りは俺が命令した。そいつを責めるのは筋違いだ」
    「部下に見張りまでさせるとは、金勒にしては用心深いな。背中に何か隠しているのか?」
    「またその話か、付き合ってられん。花叢は連れて行くぞ」
    「随分とこいつを可愛がってるみてえじゃねえか。お前、こういうなよなよした男が好みなのか?」
     まくしたてると、金勒の目が一層鋭くなった。「……ふざけたことを」と漏らした声が不機嫌というよりも憤怒に近い色を帯びていることは理解できたものの、それが桜達との関係をからかわれたことによるものか、それとも、そもそも昵懇の仲と思われたこと自体に嫌悪を示したのかは、乃武綱には判別できなかった。
    「使えるから傍に置いているだけだ。お前が思っているようなことはない」
    「使える、ねえ……俺に睨まれてビビるような餓鬼が、どう使えるんだか」
     真っ直ぐに見上げていた目が、壁に背を預けた桜達を一瞥する。こちらへの意識が逸れた、隙と言うにはあまりに短い一瞬。自分の斬魄刀を掴んだ乃武綱が、刀身を抜き出しながら首筋の刀を勢いよく弾き上げ、ちょうど三歩分の距離を取ると、金勒は虚を衝かれたように瞠目した。だが、次の瞬間には先程よりも眉間の皺を深くしながら素早く刀を構えなおすともとの殺意を瞳に込め、こちらを睨み返してくる。先に仕掛けるか、仕掛けられるのを待つか。どちらかが少しでも動けば爆発しかねない張り詰めた緊迫感に、廊下の空気がびり、と震えた時だった。
    「お二人とも、何をしているのです!」
     乃武綱の背後で切羽詰まった声が弾けた。長次郎のものだ。一歩間違えば同士討ちにも発展しかねない状況に慌てて駆け寄ってくる音を耳にするも、乃武綱は金勒に目を留めたまま微動だにしない。
    「お止めください、こんなところで刀を抜くなど……」
     言いながら、長次郎は乃武綱の腕を掴む。するとその刺激を起爆剤に、それまできっかけを持っていた闘争心が暴発し、理性よりも先に本能が動き出した。乃武綱は反射的とも言える速さで腕を振りほどく。すると、肘に何かが当たる感触と、呻き声が聞こえた。
     長次郎の顔面に肘が入ったと気付いたのは、直後のことだった。
    「長次郎!」
     咄嗟に振り返ると顔を押さえ、仰向けで床に倒れる姿が目に飛び込んできて、乃武綱は血の気が引くのを自覚した。構えていた刀を放り出して長次郎の傍に膝を付き、痛みに悶える体を起こすべく背中に手を差し入れたところでそれまで一直線に向けられていた殺気が解かれ、刀を鞘に納める音が響いた。
    「行くぞ」
     見ると、金勒がその場を去ろうとしているところだった。逃げられる、という言葉が浮かぶよりも先に「おい、待てよ!」と声を張り上げるも、金勒がこちらを見ることはなかった。真っ直ぐに建物を出ようとする背中を、桜達が小走りで追う。その様子を睨み付けることしかできない乃武綱が、行き場のなくなった苛立ちを腹の底に押し込んでいると、すぐ横で動く気配がした。
    「悪かった、大丈夫か?」
     幾分か冷静さを取り戻した乃武綱が問いかければ、上半身を起こした長次郎は目を何度か瞬かせた後、「はい」とだけ答える。未だ何が起こったか分からないといった顔がこちらを見上げ「一体何があったのですか」と訊いてくるも、いくら相手が長次郎とはいえさすがの乃武綱もつまらない嫉妬話を聞かせる気にはならなかった。
    「ちょっとな……お前も風呂か?」
    「書類を見ていたら遅くなってしまいまして」
     長次郎は詳細を尋ねてくることはせず、誤魔化すような質問にも素直に答えた。乃武綱はその振る舞いに感謝しつつも、こいつはこういうところが聡いと頭の片隅で感心の声を上げる。踏み入ってはならない領域というものを嗅ぎ取り、余計な詮索をしない。なるほど、右腕としての素質が備わりつつある……。
    「そうか。詫びになるか分からねえが、背中、流してやるよ」
     長次郎がそうしてくれるなら、乃武綱もそれ以上語るような愚は犯さない。さっぱりとした顔を作ると、手を貸して長次郎を立たせ、揃って脱衣所の中へと入る。
     隊服を脱ぎ、上官に背中を流してもらうなど恐れ多いと身を引こうとする長次郎を引きずって風呂場に入る。では、と申し訳なさそうに後ろを向いた長次郎の背中を何の気なしにこすっていた乃武綱だが、なだらかな曲線に目立った傷一つないことに、止めていた思考が動き出すのを感じた。
     有嬪の言っていた〝龍の刺青〟。よくよく考えてみれば、背中に彫ってあるというのであれば相当大きなものということになる。だとすれば、当然目立つ。ここにいれば風呂や鍛錬、もしくは怪我の治療など肌をさらす機会は多々あるし、男であれば尚更のこと。にも関わらず今まで一度もその話を聞いたことがないならば、やはり眉唾話なのか。まともに動くようになった思考がはじき出した分析に、そうであって欲しくないという反論がぶつかる音がしたが、あれこれと考えても無駄でしかないというのも分かっている。
     背中に刺青、ねえ……そんな感想を抱きながら、白い背中をそっと撫でる。すると前からふふ、と鼻息が漏れるのが聞こえた。
    「執行殿、くすぐったいです」
     わずかに身を捩った長次郎は、笑い混じりの非難を向ける。「おお、悪い」と言った乃武綱は肌に触れるのをやめると、桶に溜めておいたお湯を掛けて泡を流してやった。
     普段の調子とは違うからか、長次郎が怪訝な目をこちらに向けてくる。
    「執行殿、何か悩みですか?」
     立ち入ってはいけない、けれども気になってしかたがない。凛然とした面持ちの裏で、右腕としての長次郎と個人としての長次郎、二つの感情に揺れている。そんな心の機微を読み取った乃武綱は、「まあ悩みっちゃ悩みだな」と返し、湯船に入る。ついて来た長次郎が隣に腰を下ろすのを横目で確かめると、おもむろに「お前さ、背中、綺麗だよな」と切り出した。
    「背中……? それはつまり、傷がないという意味でしょうか?」
    「まあそんな感じだ」
    「確かに私は、元柳斎殿や執行殿ほどの実践経験はなく、これといって大きな怪我もしたことがありません。しかし、今後もこの体を綺麗に保ち続けるつもりは毛頭ございません。どんな強敵であろうと怪我を恐れることなく、果敢に……」
     すっかり逸れてしまった話を、乃武綱は「待て、そういうことじゃねえ」と遮る。なにも傷がないことを咎めているわけじゃない。長次郎のきょとんとした顔に、一つため息を落とすと「お前さ、龍の刺青の男って聞いたことがあるか?」と今日何度も口にした質問を投げかけた。
    「龍の刺青の男、ですか……いえ、私は聞いたことは……」
    「お前も知らねえか。やっぱりくたばっているのか……」
    「有名な方なのですか?」
    「俺も有嬪から聞いた噂話ってだけだから詳しくは知らねえ。なんでもとんでもなく腕が立ち、知る人ぞ知る剣客だそうだ。だが護廷十三隊の設立直後から男の話はぱったりと止み、今や行方知らずに……だからもしかしたら俺らの中に龍の刺青の男とやらが紛れ込んでいるんじゃねえかって踏んでたんだが、どうやら俺の予想は外れそうだ」
     言葉にするたびに重量を増してゆく落胆に耐えられず、乃武綱は岩場にもたれ掛かって夜空を見上げた。闇に満ち満ちた空が、こちらの心情を引き写したように暗鬱と広がっている。小さな星の瞬きすらも飲み込む漆黒をただの噂話を追いかける自分の行く末と重ね合わせてしまい、ますます気落ちした乃武綱は、すぐ傍から聞こえた唸り声に首だけを動かして見た。長次郎は真剣な面持ちで何かを考えている。
    「善定寺殿が言うほどの手練れならば、隊長の誰かが知っていそうですが……」
    「金勒と雨緒紀には聞いた。二人とも知らんと」
     潰されてゆく可能性に、諦めという文字が形になりかけた……その時だった。
    「いっそのこと、元柳斎殿に聞けばよいのではないでしょうか? あのお方なら、何か知っているでしょう」
     何気なく放たれた言葉に、乃武綱は脳内で一つ、強い光が生まれるのを感じた。どうしてそれまで浮かばなかったのだろう……思いがけぬ僥倖に虚脱しきっていた体に力が漲り、勢いのまま立ち上がると、「そうだ! その手があったか!」と両手を強く握りしめながら声を張り上げた。
    「確かに山本ならば、隊長格だけでなく護廷十三隊全隊員のことを把握している。龍の刺青の男がこの中にいれば、当然知っているはずだ! そうでなくてもあいつのところには多くの情報が入ってくる。手掛かりくらいは得られるかもしれん。よし、そうと決まれば……」
     礼を言おうと横を見れば、長次郎は細い眉を吊り上げ、これ以上にないくらい顔を顰めながらこちらを見上げている。驚きや放心などではなく不快をありありと示した表情に、今度は乃武綱が怪訝を浮かべる番になった。
    「……おい、何だその顔は」
    「目の前に突然股間が出てきたら誰でもこういう顔になりますよ。汚いので座るか隠すかしてください」
    「そんな言い方ねえだろ。さっき洗ったから綺麗だよ。よく見てみろ」
     乃武綱が自分の下半身を指さすと、長次郎は今にも吐きそうな顔になる。
    「そういう汚いではなくて……ってちょっと! そんなもの近付けないでください!」
     長次郎の悲鳴交じりの懇願に、大人しく従う乃武綱ではない。にじり寄るとそれに合わせて後ずさる長次郎が面白く、少し前の懊悩はどこへやらにたりと口角を上げる。
     大浴場に響き渡る声を聞きながらも、乃武綱の頭の片隅では明日にでも元柳斎のところに行ってみるか、などと考えていた。


    「長次郎から聞いた。金勒と争ったとな」
     一晩経ち、乃武綱は元柳斎の部屋にいた。と言っても、乃武綱の方から訪ねたのではなく、朝一で呼び出しを食らったためだ。どうせ行かなきゃならねえんだ。こっちから赴こうが呼び出しだろうが同じだと思いながら部屋に行くと、開口一番に夕べの金勒とのことを訊かれてしまい、乃武綱はそれとわからぬよう眉を寄せた。
     長次郎め、余計なことを。大事にしないためというよりも、面倒は避けたいと思っていた乃武綱は、内心でそうごちる。「あいつから仕掛けて来たんだ。俺は喧嘩を買っただけ」と発した声は、自分でも不貞腐れた子どもの響きをしているように聞こえ、ますますばつが悪くなった。
    「ほう、金勒が。珍しいこともあるものだ。して、何がきっかけじゃ」
     まさか金勒が桜達をかばったことに腹を立て、更には煽ったなどとは口を裂けても言えない乃武綱は、「別に、大したことじゃねえよ」と答えを濁した。
    「それよりも山本に訊きたいことがある」
    「何じゃ」
    「お前、龍の刺青を持つ男を知ってるか?」
     元柳斎は黒々とした太眉をわずかに上げる。厳とした双眸に刹那、どう答えようか逡巡する光が灯ったと思えば、次にはこちらを見据えたまま、
    「知っておるとも」
    と重々しく答えた。乃武綱は興奮のあまり身を乗り出す。「この護廷十三隊にいるのか?」と訊き返すも、今度は返事がない。この沈黙は肯定か、それとも何か他の意図があるのか……元柳斎のことだ。無理に口を割らせようとしても頑として答えないだろう。それが分かっている乃武綱は早々に答えを諦めることにした。
    「じゃあ質問を変えるぜ……この世界のどこにいるか教えろよ」
    「お主、その男を見つけ出してどうするつもりじゃ」
    「決まってんだろ。そんなに強い奴が近くにいるかもしれねえんだ。一回やり合う。そして勝ってやるのさ」
    「……喧嘩っ早いところは相変わらずじゃな」
    「だがそのおかげでこうしてここにいるんだ。それはお前が一番良く分かってるだろ?」飄々と切り返せば、元柳斎はふっと頬を緩ませ、顔に微笑を貼り付けた。
    「そうじゃったな」
     溜息混じりの声は、呆れだけではない。ここまで来たら腹を括るしかないという、諦めとも決然ともいえる心情も滲み出ている。ようやく話す気になったか、と期待を込めた乃武綱だが、しかし次には「どこにいるか聞いたところで無駄じゃ。もう会うことはない」と温度の抜けた言葉を耳にする。
     会うことはないとは、一体どういうことだ。混乱しかけた頭に浮かんだ言葉に目の前の男を見返せば、真剣な顔つきになった元柳斎は言葉を選ぶようにゆっくりと唇を動かし、話をはじめる。
    「護廷十三隊ができる少し前のことじゃ。とある上級貴族が屋敷で殺されているのが発見された。そやつは儂の古くからの友人でな……その日はとある人物を紹介してもらうために会う約束だったが、儂が屋敷に着いた時にはもう殺されておったのじゃ」
     突如不穏を帯びた空気に、虚をつかれた思いとなった乃武綱はただただ黙って元柳斎の声を聞いている。
    「屋敷に荒らされた形跡はなく、金目のものも手付かず。その家に仕えていた使用人たちも全員手に掛けられておった。ある者は庭で洗濯物を干している時に襲われ、ある者は昼寝の最中に命を奪われ……皆一様に首を突かれ、死んでいる光景は、普通の者が見れば正気を保ってはいられぬだろう……」
    「そりゃあ気の毒な話だが、俺の話と何の関係が……」
    「儂もその時知ったのだが……殺された貴族の背中には見事な龍の刺青が彫られていたのじゃ」
     放たれた言葉に、乃武綱は絶句した。龍の刺青の男が死んだ。その事実が脳内で反響し、心臓が脈打つたびに重量を増す実感に、くらりとした頭を手で押さえる。衝撃と失望のあまりしばらく呆然としていた乃武綱は、やがて数度目を瞬かせると、じわじわと染み出す動揺を隠すように「でもよ、龍の刺青の男はそれはそれは腕が立つって聞いたぜ。貴族なんかが本当にそうなのかよ」と絞り出すことしかできなかった、
    「あの者も刀の扱いには長けておった」
     元柳斎の返答が、衝撃に追い打ちをかける。
    「……誰が殺した」
    「殺した人間はすでに現場を離れた後だった。屋敷は郊外にあったこともあり、目撃者もおらず。時間が経った今でも見つかったという話は聞かぬ……」
     訥々と語られる言葉が、悄然とした空気に霧散する。内容の陰惨さよりも、自分が求めていたものが指の間からあっさりとすり抜けてしまった虚しさが不快な苦みとして口内に広がってゆく。「死んだ、か……」と小さく呟いた声は、自分でも驚くほど力をなくしていた。
    「諦めるんじゃな」
     もう話すことはないとばかりに掛けられた一言に、乃武綱はそれ以上何かを言う気にはならず、うなだれたまま部屋を出た。戸を閉めてその場を離れ、一人になったところで思い出したように競り上がった、叫び出したい衝動。その激情を頭を乱暴に掻くことでやり過ごしていると、ふと誰かの視線を感じ、乃武綱は顔を上げた。
     廊下の角に立ち尽くす長次郎が、じっとこちらを見つめていたのだ。乃武綱がいるとは思っていなかったのか、人が完全に油断していた時に見せるぽかんとした顔は、目が合って数瞬後、まずいと言わんばかりに歪み、みるみるうちに青ざめる。
     長次郎、と名前を呼ぼうとした時だった。こちらに背を向けた長次郎は、どたどたと足音が立つのも構わず一目散に廊下を駆ける。
    「おいこら、ちょっと待て!」
     考えるよりも先に足が動いた乃武綱が、ふわふわと揺れる白い髪を追いかけながら叫ぶと、前からひぃ、と細い悲鳴が聞こえる。
    「追いかけて来ないでください!」
    「お前が逃げるからだろ! というかお前、山本に夕べのこと密告しただろ!」
    「密告など人聞きの悪い! 報告ですよ!」
    「屁理屈を言うな!」
     本気で怒りを覚えていたわけではなく、どちかといえば八つ当たりかうっぷん晴らしに近い行為だった。結局長次郎が音を上げるまで一番隊舎中を駆けずり回った乃武綱だが、しかし一度生まれた沈鬱さはいつまでも胸の奥に澱んだままだった。

    《続く》
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    hiko_kougyoku

    DONE若やまささ+千日、逆骨
    「世のため人のため飯のため」④
    ※やまささと言い張る。
    ※捏造あり。かなり自由に書きました。
    ※名前付きのモブあり。
    世のため人のため飯のため④  4

     逆骨の霊圧を辿ろうと意識を集中させるも、それらしき気配を捕まえることは叶わなかった。そういう時に考えられるのは、何らかの理由で相手が戦闘不能になった場合――そこには死亡も含まれる――だが、老齢とはいえ、隊長格である逆骨が一般人相手に敗北するなどまずあり得ない。となると、残るは本人が意識的に霊圧を抑えている可能性か……。何故わざわざ自分を見つけにくくするようなことを、と懐疑半分、不満半分のぼやきを内心で吐きながら、長次郎は屋敷をあてもなく進む。
     なるべく使用人の目に触れないよう、人が少なそうな箇所を選んで探索するも、いかんせん数が多いのか、何度か使用人たちと鉢合わせるはめになってしまった。そのたびに長次郎は心臓を縮ませながらも人の良い笑みを浮かべ、「清顕殿を探しております」とその場しのぎの口上でやり過ごしているうちに元いた部屋から離れてゆき、広大な庭が目の前に現れた。どうやら表である門の方ではなく、敷地の裏手へと出たようだ。
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