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    hiko_kougyoku

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    hiko_kougyoku

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    乃武金
    「龍の刺青を持つ男」④
    ※乃武金と言い張る。
    ※捏造多々あり。かなり自由に書きました。
    ※ いつもと違う雰囲気。
    ※名前付きのモブ有。
    ※流血描写あり。

    龍の刺青を持つ男④  5

     結果として、千日との会話は謎が謎を呼んだだけとも言えるものだったが、龍の刺青の男が生きているかもしれないという小さな灯は乃武綱の意欲を掻き立てるには十分なものだった。
     この十日間は、乃武綱がこれまでの人生の中で最も積極的に働いた期間と言っても過言ではなかった。各地で暴れる手練れの討伐任務は片っ端から引き受け、尸魂界のあちこちを走り回り、倒した人間の背中に龍の刺青がないことを確かめるやいなやすぐに次の任務へと向かう。平素の自堕落さとはうって変わった働きっぷりを見た長次郎と知霧が、どこかで拾い食いでもしておかしくなったのではないかと胡乱な目を向けてきたが構わなかった。やみくもに動き回ることで、龍の刺青の男の手掛かりの欠片だけでも得られればそれで良いと思っていたし、何より気休めになった。
     あの後、約束通りすぐに報告書を提出した乃武綱は、多忙もあってか金勒と顔を合わせていない。それはつまり、金勒と桜達が並び立つ不快な光景を目にすることがなかったということだ。
     俺はこんなに脆弱な人間だったか? あの情けない小僧なんかを敵視し、見かけるたびに腸を煮えくり返る思いをし、躍起になるなんて。いっそのこと一息に叩き切っちまえばいいのに。そんな考えが何度も頭にちらついたが、そうしたところであの神経質な同胞が一層頑なになるのは容易に想像できたし、何より花叢に関する疑問を晴らさぬまま葬り去るのは気分が悪かった。金勒がわざわざ流魂街から連れて来て、どこに行くにも連れ回す青年。無関係のはずの上級貴族――しかも背中に龍の刺青があった男の家に手を合わせるという、不可解な行動……。 
     花叢桜達。あいつは一体何者だ?


     任務から戻るなり元柳斎から呼び出しを受けた乃武綱は、逸る気持ちのまま一番隊舎の執務室に向かう。上座で胡坐をかく元柳斎と、傍に控える長次郎……ここまでは予想通りだ。しかし二人と向かい合って座る射干玉の髪を目にした瞬間、無意識的に息を呑むこととなった。
     そこにいたのは、卯ノ花だった。卯ノ花は真雪のかんばせを少しだけこちらに向けて乃武綱を一瞥したものの、何かを言うことはなく、すぐに興味を失ったように前を見据える。その反応を無言で流した乃武綱は、早く座れと促す元柳斎の視線に従い卯ノ花の隣にどっかりと腰を下ろす。
    「早速だがどちらかに任務を頼みたい」
     早々に口を開いた元柳斎は、厳とした目で乃武綱と卯ノ花を見比べる。過日のやりとりをまるで意に介さない態度に、乃武綱は何かを言う気にはなれなかった。疑問を投げかけたところで素直に答えてくれるとは思えないし、答えの内容はどんなものであっても信じる気にもなれない。
    「流魂街で好き勝手振る舞う人斬りを始末して欲しい」
     人斬りと聞いて乃武綱は向こう鉢巻きで名乗りを上げようと口を開く。しかし言葉を発するよりも先に「私が行きます」と隣で手が挙がった。
    「いや駄目だ、俺が行く」
     乃武綱は負けじと訴え出る。卯ノ花の冷たい視線が頬に刺さった。
    「最近討伐の任務は執行殿が独り占めしているではありませんか。今回は私に譲るべきだと思いますが」
    「こっちはそういうわけにはいかねえんだ」
    「それは私も同じです。いい加減腕が鈍ってしまいそうです」
    「そんなこと言ってるがな、俺は知ってるぜ。お前、夜な夜な瀞霊廷を抜け出して賊を刈ってるんだろ?」
    「なんのことやら」
    「とぼけるんじゃねえ」
     相手の目の奥に潜ませている欲望を読み取るかのように、乃武綱は卯ノ花をじとりと睨みつける。感情の抜けた瞳にはただ一つ、枯れることのない戦いへの欲望が滲んでいる。興奮とも、酩酊とも、快楽とも呼べる激情が心臓を激しく揺さぶり、意識の全てが本能に塗り替えられた時の陶酔、死への恐れさえも血液に溶け出すような充足感は、乃武綱の身にも覚えがあった。一度呑まれたら最後、相手を倒すかこちらが倒されるまで止まることのない衝動は、おそらくこの命が尽きる瞬間まで付き合い続けることになるのだろう……。
    「やはりこうなると思っておったわい」
     考えに耽っていると溜息とともに呆れた声が放たれ、場の空気を揺らした。続いて「元柳斎殿、いかがいたしましょう?」と長次郎が尋ね、元柳斎は腕を組んで思案する。やがて、
    「いっそのこと、お主ら二人で行け」
     妥協か諦めか分からない声でそう言った。即座に卯ノ花の「それでは私が斬る分が減ってしまいます」という抗議が飛ぶ。
    「ほう、全ての剣を極めたお主が、乃武綱に後れを取ると申すか?」
    「そんなことはあり得ません……良いでしょう。執行殿の同行を許可します」
    「おい、こっちがおまけみたいな言い方をするな。お前が付いて来ることを認めてやるのは俺だ」
     売り言葉に買い言葉。反射的に割り込んだところで、元柳斎がにやりと笑うのが目の端に映った。
    「決まりじゃな」
     一興とばかりに響いた声に、乃武綱はわずかに眉間に皺を寄せた。なるほど、最初から掌の上で転がされていたってわけか。この狸ジジイめ。頭の中で思いつく限りの悪態を吐いていると、先ほどから不安げにやりとりを見つめていた長次郎が、おずおずと口を開くのが見えた。
    「あの、よりによってこの二人に行かせて良いのでしょうか? 何か問題が起こるのでは……」
     その言葉に、にわかに厳しくなった卯ノ花の視線が長次郎を射抜く。
    「長次郎、よりによってとはどういう意味ですか。まるで私が執行殿のように勝手な人間とでも言いたいのですか?」
     滑らかだが人の心を凍てつかせるような冷たい声に、長次郎はひっと短い悲鳴を上げると、顔をこわばらせたまま俯いてしまう。
    「八千流ちゃんよお、俺がなんだって? 勝手な人間だあ? しょっちゅう隊首会議をさぼって賊の討伐に行くお前に言われたかねえぞ?」
    「執行殿だって報告書をさぼるではないですか」
    「この間はちゃんと出したぜ」
     乃武綱の答えが意外だったのか、卯ノ花は驚いたように目を見開いた。
    「あら珍しい。厳原殿もさぞ喜んだでしょうね」
    「喜びついでに褒美の一つでもくれりゃいいのによ」
    「何を望むのです」
    「何ってそりゃあ……」
     言いかけたところで仰々しい咳払いが聞こえ、二人は言い争っていた口を閉ざす。「それ以上邪な話を続けるならば他のものに行かせるぞ」とぴしゃりと言い放ったのは、放っておけば日が暮れるまで続きそうな口論を止めるためだけではない。眼球だけ動かし、首を傾げる長次郎を見やった乃武綱は次にはすっかり大人しくなった卯ノ花の様子を探る。これ以上元柳斎の機嫌を損ねれば任務が流れてしまうとでも考えたのか、卯ノ花は背筋を伸ばして前に向き直ると、揃えた膝の前に両の手を付きながら「謹んでお受けいたします」と、静かに頭を下げていた。
    「ま、さっさと片付けて来てやるよ」
     素直に従った乃武綱の顔を見た元柳斎は、満足そうに一つ、頷きを返した。


     翌日、北流魂街七十区。どんな手練れが暴れているのか胸を弾ませて向かった乃武綱と卯ノ花だが、実際の人斬りは想像とは遥かにかけ離れていた。
     武器どころか木の棒すらも持たず、悲鳴か喘ぎかも分からぬ声を上げながら逃げ惑う女を追いかけるさまはおおよそ戦いとは言えず、むしろ弱いものをいたぶるのを好む悪趣味なごろつきと形容するに相応しい振る舞いだった。
     それでも任務は任務。例えやせ細った狼でも、飢えた虎の前では獲物に変わりない。ひと呼吸の間に命を狩る側から狩られる側へと立場が逆転した狼の首を噛み切り、わずかながらでも飢えを満たした気分を味わった乃武綱は、地に伏したばかりの男の着物に手を掛けると、ひと思いに脱がす。そこにあったのは、骨の浮き上がった貧相な背中だけだった。
     刺青がないこと確かめた乃武綱は小さく息を吐いた。こんな屑が龍の刺青の男ではないという安堵と、またはずれを引いてしまったという無念からのものだった。
    「追い剥ぎですか」
     背後から愛想を尽かした声が聞こえ、乃武綱は一瞬手を止めた。屍の身ぐるみを剥がす同胞に冷めた視線を向けているであろう卯ノ花の顔を浮かべ「そんなみみっちいことはしねえよ。調べもんだ」とぶっきらぼうに返す。
    「刺青でも入っていると思いましたか?」
     まっすぐに核心を突いてきた問いに、乃武綱は今度こそ振り向くこととなった。どうやら龍の刺青の男を探している話は、この女の耳にも入っているらしい。こちらの思惑を読み取らんとする黒曜の瞳に薄気味悪いものを感じ、ごくりと生唾を呑んだ。
    「まあな。有効な手がかりもねえんだ。時間はかかるがしらみつぶしに探すしかねえ」
    「気が遠くなる話ですね。あなたらしくもない」
    「しょうがないだろ。それしか方法がねえんだから」
    「その調子では千年走り回っても見つかりませんよ」
     痛いところを容赦なく抉ってきやがる。図星を悟られぬよう視線を逸らしながら「分かんねえだろ、案外すぐに……」と悪あがきを口にすると、負けを認めたくない子どものぐずりを見た大人の、穏やかな笑い声が聞こえて来た。
    「あのお方を探し出すなど、そんな簡単にはいきませんよ」
     続いて発せられた言葉が針のように思考に刺し込まれ、乃武綱は再び卯ノ花を見つめた。
    「おい、お前……龍の刺青の男のこと、知ってんのか」
     震えを帯びながらも断定的な問いに、卯ノ花は「知っていますとも」と深く頷く。
    「一度だけ……護廷十三隊に入るよりも大分前に刀を交えたことがあります。他の人間とは異なり私を女だと侮ることもなく、少しの戯れもなく、御託を述べることもせず……こちらの命を真っ直ぐに刈り取らんと突き進んで来る鋭さは、まるで微々たる月明かりでも燦然と輝く刃のよう。山本殿とはまた違う苛烈さを持つお方でした。あの時の私は久々に愉しむことができました……仕留め損ねましたが」
    「その男、どこにいる?」
     一歩二歩と近付きながら必死に口を動かすと、冷然さを保っていた卯ノ花の顔が喜悦に歪んだ。こいつもこいつで、腹の中が読めない奴だ。にたりと形作られた唇が次には何を言うのかと固唾を飲んで見守っていた乃武綱だったが、敏感になった耳が拾い上げたのは世間話ともいえる雑談だった。
    「そうそう、面白い話があるのですが……」
     馬鹿にしてやがるのか? 若干の苛立ちとともに「それよりも刺青の男だ」と語気を強くして迫るも、卯ノ花はそよともしないまま話を続ける。
    「本日、手練れを始末するという任務は、実はもう一つあるのです」
    「……は?」
    「山本殿はその任務を厳原殿に依頼しておりました」
    「そこにいるってことか?」先回りして尋ねると、卯ノ花は笑みを強くする。それを肯定と解釈した乃武綱は、昨日、自分たちを呼びつけた時の元柳斎の顔を思い出すと、足元に転がった男の顔を見比べる。こんな三下のために総隊長がわざわざ、しかも隊長二人を指名したこと、長次郎が言ったように〝よりによって〟乃武綱と卯ノ花であること、競わせるように二人を煽り立てたこと……引っかかっていたが気にしないようにしていた疑問を思い出すと、一つ一つの結び目をほどくように、慎重に言葉を並べる。
    「……おかしいと思ってたんだ。こんなあっけない任務、俺たちが出るようなもんじゃねえ。あいつの、山本の目論見は余計なことに首を突っ込んでくる俺や血の気の多い卯ノ花を本来の任務から遠ざけること。で、俺たちがこっちに目を向けている間に金勒の方に龍の刺青の男を始末させるって寸法か?」
     あのジジイ、やっぱり食えねえ野郎だ。だが、その目論見自体が龍の刺青の男の存在証明ということか。ただ一つ、不明な点があると言えば……。
    「山本がそこまでする理由は、一体……」
    「さあ?」
     答えを知ってか知らずか、卯ノ花は笑みを崩さないまま肩をすくめる。この調子じゃ、これ以上の問答は時間の無駄だな。早々にそう判断した乃武綱は、最後に一つ、「あいつの任務の場所はどこだ」とだけ訊いた。卯ノ花は右手を持ち上げ、地平線の向こうを指さしながら答える。
    「……東の三十七区です」


     東流魂街三十七区、流厳。この地域について乃武綱が知っていることと言えば、下層地区ではないものの、峻厳な山々に囲まれた不毛な大地が広がるだけの荒野であるため、人気はないということ。そして、かつて長次郎がわずか一か月で習得した卍解・黄煌厳霊離宮を披露し、元柳斎の額に二本目の傷をつけた場所ということ。
     そういった背景を鑑みれば、なるほど強敵との果し合いには最高の舞台となるわけか。一人納得した乃武綱は、意識を周囲に張り巡らせて金勒の気配を探る。隊長格の霊圧は、相手が意図して隠していない限り自分にも知覚できるはず。しかし実際は、三十七区に入ってしばらくするというのに、金勒の居場所どころか霊力の残滓すらも捕まえることができない。
     卯ノ花め、まさかあいつまで狸になったわけじゃねえだろうな。澱んだ疑念が形になりかけた、その時だった。前方に据えられていた目がぽつりと座り込む人影を捉え、乃武綱はあ、と小さく声を漏らした。
     自分が纏っているものと同じく飾り気のない死覇装と、低い位置で束ねられた墨色の長髪、ひょろりと細い体。見覚えがあるなんてものじゃない。金勒の一歩後ろをついて行く姿を目にするたびに不快感を覚え、そして嫉妬のあまり夢に出てきそうなほど頭の中で何度も思い浮かべた、花叢桜達その人だった。
     手綱の切れた獣のように猛然と駆ける乃武綱に気付いた桜達は、一瞬ぎょっとした顔をした後に立ち上がり、進行を阻もうと立ち塞がる。両手で大事そうに抱えられた白い布が金勒の隊長羽織だと分かったのは、「退け!」と叫んだのとほぼ同時だった。だが相手は「この先に行かせるわけにはいきません」と首を横に振るだけで道を譲る気配がない。仕方なしに立ち止まることとなった乃武綱は、頭いくつぶんか低い桜達を見下ろしながら口を開く。
    「金勒が戦ってるんだろ? 俺も混ぜろよ」
    「なりません!」
     金勒の命令を忠実に守るという使命感に燃えた目が、乃武綱の神経を乱暴に撫で上げた。次々と立ち昇る苛立ちが顔の肉を伝播し、頬をひくりと引き攣らせてゆくのを自覚した乃武綱は、直後頭の片隅で何かが切れる音を聞いた。流れ込んできた衝動のままに腕を振り上げ、一抹の怯えを浮かべた青年の頭を張り飛ばすと、桜達は勢いよく地面に倒れ込んだ。
    「……何度俺の邪魔をしたら気が済むんだよ」
     怒気を露わにした声を出すも、起き上がった桜達は唇を引き結び、じっとこちらを見上げるのみ。てっきり涙の一つでも零すと思っていた乃武綱は、ここに来て垣間見えた忍耐強さに「ほう」と呟いた。
    「同じ三番隊士にからかわれた時みたいにぴいぴい泣かねえのか?」
     その言葉が自分へのあからさまな挑発だと理解したのか、桜達の顔がみるみるうちに赤くなってゆく。が、すぐにもとの顔を作ると、決然と言い放つ。
    「何を言われようとここを通すわけには……金勒様のもとへは行かせません」
    「隊長の俺に盾突くとはいい度胸じゃねえか。俺が金勒に何かするって思ってんのか?」
     桜達のすぐ真横まで歩み寄った乃武綱は、しゃがみ込んで顔を近づける。
    「いっつも傍に置いてもらって、風呂にまで付いていかせてもらって……まさかお前、寝床まで一緒じゃねえだろうな」
     耳元でねっとりと囁きかける。困惑に揺れていた顔が、怒りに塗り込められた。
    「何を仰るのです……不埒なことを……!」
    「媚びを売る以外、お前に取り柄という取り柄はあるのかよ」
     返す言葉もない、といったふうに目を伏せた桜達に、乃武綱はとどめとばかりに畳みかける。
    「卯ノ花のように剣の腕が立つわけじゃねえ、雨緒紀のように頭が回るわけじゃねえ、有嬪のように力があるわけでも、千日のように探索が得意というわけでもねえ。ましてや、霊力が高いわけでもねえ。なのに、なんでお前は金勒の傍に置いてもらえるんだよ。そこは、その場所は、お前のような能無しが立っていい場所じゃねえんだよ」
     完全な八つ当たりだ。思考領域の中のまだ冷静な部分が、そう判断する声が聞こえる。ならばもし、花叢桜達という人間が長次郎のように真面目で実力もあり、どんな相手にも臆さぬ強さを持つ死神だったならどうだろう。剣の腕が立ったなら? 頭が回る人間なら? ……おそらく、どんなに有能な人間だったとしても、自分以外の誰かが金勒の隣を歩くことを許せない。金勒が誰かに執着することも、誰かのものになることも……。
    「……あいつは俺のものだ」
     乾燥した空気に霧散する、欲にまみれた声。立ち上がり、斬魄刀を引き抜いた乃武綱は、「まあ、どうでもいい」と、その切っ先を真っ直ぐに桜達へと向けた。
    「とにかく俺はここを通りたい……お前を斬ってでもな」
     桜達の肩がびくりと跳ねる。見開かれた目に映っていた恐怖が、瞳の奥へと引いてゆく。ぎり、と強く歯を噛み締める音が聞こえたかと思えば、桜達は勢いよく立ち上がり、鞘から刀を抜き出した。
     次の瞬間、刀を振り回しながら捨て身とばかりにこちらへ飛び掛かってきた。振り下ろされた一打を刀で受けた乃武綱は、続けて大ぶりな動きで繰り出された横なぎを一歩引くことで避けると、にっと笑いをこぼして見せた。
    「はっ、何だよ。戦えるじゃねえか!」
     たかが刀一本を両手で、しかも丸太を振り回すように重々しく扱うさまは、桜達の戦闘能力のなさを如実に物語っていた。規則性のない動きは型も構えもあったものじゃない。追い詰められた獣の抵抗を思わせるがむしゃらぶりは、しかし乃武綱の胸を昂らせるには十分だった。
     強い者を追い求める。確かにそうだ。強さを求める。これもその通りだ。だからと言って、乃武綱が唾棄するのは弱い人間ではない。ましてや無能な人間でもない。何かを得るために手を伸ばそうとせず、守るために立ち上がろうとせず、侮られ貶められようと這いつくばったまま……すなわち戦おうともしない人間を嫌悪している。諦めるとは精神の敗北。秀でたものがなくとも、腐らず前に進もうとする気概を持たぬ愚か者に、この世界を生き抜く資格はない……。
     目玉を串刺しにせんとばかりの突きを、強めの力で弾く。刀身から柄へと響く衝撃に痛みを感じたのか、顔を歪め、刀を握る手に視線を落とした桜達は間合いを取るため数歩分後ろへ下がる。次には赤くなった左の掌を乃武綱の方へ向け、全身を声にして叫んだ。
    「破道の三十二、《黄火閃》!」
     通常、黄火閃は自分の体よりも太い衝撃波を敵に食らわせる鬼道だ。大多数の雑魚を掃討する効果があるだけでなく、目くらましにもなるという非常に使い勝手のよい術であるが、桜達のそれは黄火閃と呼ぶにはあまりにお粗末な規模であった。せいぜい小規模な花火程度。本来の威力には程遠い貧弱な出来を、乃武綱は鼻で笑った。
    「なんだそのへっぴり鬼道は! 金勒の教え方も下手くそだな!」
    「あのお方から教わったものではありません!」
    「へえ、じゃあなんだ、見よう見真似で覚えたっていうのかよ!」
    「それの何が悪いのですか!」
     負けじと放たれた声に、浴びせようと思っていた罵詈雑言の数々は一瞬にして吹き飛ばされ、頭から消えてしまった。その理由は、桜達の見せた表情に言いようのない悲痛を見たからだけではない。言葉の端々から感じていた不審が集積し、一つの疑問へと姿を変えたからだ。
     自分だけではなく他人にも厳しいことで有名な金勒が、部下に、しかも側近として従わせている人間に戦う術すら教えていない? 護廷十三隊という戦闘集団に引き入れたのは他ならぬ金勒自身だというのに。桜達を任務には連れて行かないつもりか。いや、そこまで行くと寵愛や厚遇を通り越して不当な扱いと呼べるものとなってしまう。厳原隊長は花叢を嫌っていて、わざと小間使いのようなことをさせているのではないか、と話した三番隊士の声が脳内に反響し、乃武綱ははっとする。
     これではまるで、桜達をあえて能無しのままにして、文字通りただ生かしているだけではないか。こちらの動きが止まったのを好機と見たのか、桜達が二発目の鬼道を打とうと構えるのを目の端に捉えた乃武綱は、何かを考える先に瞬歩で桜達へ近付くと、がら空きになったみぞおちに拳を叩き込んだ。
     宙を舞った後地面を転がった体は、痛みのせいかしばらく起き上がることはなかった。口の端から涎を滴らせ、ふうふうと苦しげな呼吸を繰り返す顔を、乃武綱はどこか他人事のように眺めていた。
    「……お前、何でここに来た」
     やがて落とした問いに、答えはなかった。「何故お前は護廷十三隊にいる!」と声を荒げたところでようやく頭を動かしてこちらを見上げた桜達は、痛みのあまり竦んでしまった肺を広げるようにゆっくりと息を吸うと、「生き延びる、ためです……」と呻き混じりの声で言う。
    「生き延びる……仕事が欲しかったのか?」
    「いえ……ここに来なければ、殺されてしまうところでしたから……」
    「誰かに命を狙われているのか?」
     三度問うも、またしても口が閉ざされる。乃武綱は構わず続ける。
    「千日から聞いたぜ。この間、西流魂街のとある貴族の屋敷に行ったんだってな。龍の刺青の男が殺された曰く付きの場所で、真面目な顔して手を合わせていたって。なあ、あの家はお前と関係があんのか?」
     そこまで聞いた桜達は、観念したとばかりに一度目を閉じると、痛みに耐えながら緩慢に身を起こしその場に跪座する。すべての咎を白日の下に晒された罪人が赦しを乞うような姿にかえってやりきれない気持ちが浮かんでしまった乃武綱は、「あの家は」と切り出された声を聞いた。
    「……百々様は、父の友人でした。屋敷には私も何度かお邪魔させていただいたことがありまして……あの方には父の仕事を斡旋してもらったり、面倒を見てもらっておりました。それが、父のせいであのような最期となってしまって……」
    「ってことはあれか、お前の親父さんがその貴族を殺したんだな」
    「それは……違います! 百々様ほどの剣の腕を持つお方を、武器を持ったこともない私の父が殺せるわけがございません!」
    「じゃあ誰が貴族を殺したんだよ。その言い草だとお前、知ってるんだろ?」
     地面を見つめていた目が、乃武綱へと向けられる。「言います、知っていることを全てお話しますから……私の頼みを聞いてくださいませんか」震える唇から紡がれた懇願が耳朶に絡みつく。
    「……頼み?」
    「ええ。私を、護廷十三隊から逃がして欲しいのです」
     思わぬ言葉に、乃武綱は息を呑んだ。
    「逃がすって、そりゃあ」
    「出た後は、もうここには戻ってきません。誰も足を踏み入れないような山奥でひっそりと暮らし、二度と執行隊長の前にも姿を現しません」
    「それ、あの堅物眼鏡が許すと思うか?」
     押し黙った桜達の、深刻な表情が答えだった。その沈痛さに先ほどまでの苛立ちが抜け、代わりに憐れみや情けといった切実な感情が胸を占めるのを感じた乃武綱は「分かった」と一言了承の意を伝えた。確かに金勒への説得は骨が折れる。しかし桜達を見ているとどういうわけか何とかしてやらなければならないという気持ちになってしまう。
     乃武綱の心情を察したのか、桜達のほうもまた、軽い頷きを返した。そうして全てを詳らかにしようと口を開いた時だった。本来の落ち着きを取り戻していた桜達の顔が無を宿し、そうしてみるみるうちに恐怖へと変化していったのだ。驚愕、苦悶、絶望。血の気を失いつつある肌と眼球が飛び出るほど見開かれた目を直視した乃武綱は、一瞬何が起きたのか思考が追い付かなかった。
     目線をわずかに下げる。桜達の喉から刀が生えていた。いや、違う。背後から刺されたのだ。神経質そうな顔に、憤怒を湛えた上官によって。
    「金勒様、どうして……」
     桜達の喘ぎが、風の中へと溶けてゆく。口の端には赤いものが混じった泡が溢れている。
    「私を生かしてくれると……父や百々様のようにはしないと……そう仰ったではないですか……!」
    「最初に言っただろう。余計なことは口にするな、と。だがお前は喋ろうとした……俺の過去を、こいつに」
     言い終わるやいなや刀を抜いた金勒は、細い悲鳴を上げ倒れ込む桜達に路傍の石を見るような冷ややかな視線を注いでいた。
    「おい、金勒……あんなに連れ回していた部下じゃねえか。なにも殺すことは……」
     混乱していた頭を制し、やっとの思いで声を出すと、金勒の冷たい目が、乃武綱へと移る。
    「使えると思ったから使っていただけだ。だが……俺の命令に背くならば、もう不要だ」
     言うと、金勒はよろめく桜達の胸を貫いた。もう叫ぶ気力も残っていないのか、小さく呻きを上げながら身を捩っていた桜達は、数度足をばたつかせたのを最後に動かなくなり、波が引くような静けさで呼吸を止めた。血だまりの中、恐怖から脱却し、永遠の安寧へと旅立った顔が涙で濡れているのを確かめた乃武綱がただ呆然と立ち尽くしていると、目の前から「裏切りものはいらない」と無感情な声が聞こえた。
     桜達から視線を引きはがし、金勒に目を据える。闇色の死覇装のそこここに一際黒い染みが飛んでいるのが見えた。血だ。おそらく手練れを始末した時のものだろう。羽織がないせいでいくぶんか細く見える体から、鉛のような霊圧が染み出すのを肌で感じ思わず唾を飲み込むと、金勒はおもむろに「……執行、お前は龍の刺青の男の行方を知りたがっていたな」と問いかけてきた。
    「どうだ、ここで俺と斬り合うのは。お前が生き残れたら教えてやろう」
     眼鏡の向こうにあったのは猛禽類の目だった。こちらを捕食せんばかりに輝く双眸に揺らめくのは他でもない、戦いへの陶酔、魂の高揚だった。冷めやらぬ熱に浸っていたいという欲望。命の奪い合いに魅入られた人間が見せる狂気。
     なるほど、護廷十三隊の隊長に選ばれただけのことはある。これが金勒の本性ということか。歪みに歪んだ熱情に、腹の底がずくりと疼くのを感じた乃武綱は「やっぱり知ってたのかよ、お前」と歯を見せて笑う。金勒のほうも口元にうそ寒い笑みを刻む。
     乃武綱は、相手の目の奥に潜む本心を探るように見つめながら、両手で斬魄刀の柄を握り、顔の真横で構える。
    「悪くねえ話だ。その約束、忘れるなよ?」
     柄に指を這わせた金勒へと高らかに放った声が、宣言になった。

    《続く》
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    hiko_kougyoku

    DONE若やまささ+千日、逆骨
    「世のため人のため飯のため」④
    ※やまささと言い張る。
    ※捏造あり。かなり自由に書きました。
    ※名前付きのモブあり。
    世のため人のため飯のため④  4

     逆骨の霊圧を辿ろうと意識を集中させるも、それらしき気配を捕まえることは叶わなかった。そういう時に考えられるのは、何らかの理由で相手が戦闘不能になった場合――そこには死亡も含まれる――だが、老齢とはいえ、隊長格である逆骨が一般人相手に敗北するなどまずあり得ない。となると、残るは本人が意識的に霊圧を抑えている可能性か……。何故わざわざ自分を見つけにくくするようなことを、と懐疑半分、不満半分のぼやきを内心で吐きながら、長次郎は屋敷をあてもなく進む。
     なるべく使用人の目に触れないよう、人が少なそうな箇所を選んで探索するも、いかんせん数が多いのか、何度か使用人たちと鉢合わせるはめになってしまった。そのたびに長次郎は心臓を縮ませながらも人の良い笑みを浮かべ、「清顕殿を探しております」とその場しのぎの口上でやり過ごしているうちに元いた部屋から離れてゆき、広大な庭が目の前に現れた。どうやら表である門の方ではなく、敷地の裏手へと出たようだ。
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