Distiller(仮)-3「……それでここに来たってわけね」
簡単に経緯を話すと腑に落ちたようにシエルは言った。腕組みこそしているものの、少しも驚いた様子も憤る様子もない。
「すまない……エックスさまの居場所さえ解ればいい、長居するつもりはない」
「それじゃあなおさら中に入った方がいいわ。落ち着いて話すどころじゃなくなっちゃう」
そう言って彼女は屋内へと招き入れた。周囲の住民らしき人間もレプリロイドもさして気にも止めていないようであることが引っかかったが、シエルが急かすので大人しく従うことにした。
通された部屋は明るくどことなく無機質で、しかし懐かしさを覚えた。かつてのシエルの自室そっくりだったからだ。幼児が好むような玩具の代わりに大量の開発機材とモニターに囲まれて育ったシエルには、こちらの方が自然なことなのかもしれない。
それでも変化は見て取れる。植物を挿したガラス瓶が窓際に飾られていたり、いつかの日の撮影データを映した電子パネルが机の上に置かれていたりした。
「お客さまなんて滅多に来ないからいつも椅子の用意を忘れちゃうのよ。これで良ければ、座って」
そう言って折りたたみ式のスツールを物置から引っ張り出してきた。
「そんなに悠長にしている時間はないんだが……」
「だからこそ、よ。エックスはどこにも逃げたりしないわ。いい? 最初に伝えておくべきことがあるの。……彼は『エックスさま』なのよ。もちろん、今も。その名前を呼びながら歩いているだけで人々を寄せてしまうわ。あなたにとっては不服でしょうけど、彼を探しているなんて言ってはだめ」
シエルはモニターにどこかの地図を映す。
「エックスの現在地はここ。……数日前からずっとその辺りにいるの。応答はないけど、生きてはいるはず」
「何故助けに行かない」
「放っておくしかないわ。彼の敵だった私が知っていていい情報じゃないのよ」
彼女個人の感情はそこになく、淡々と事実だけを説明した。ぞっとするほど冷たい声だった。
「余程のことがなければ私は動けない。私からお願いできる元レジスタンスの皆だってそう。もし彼らが快く引き受けてくれても、周りは彼らの行動を信じるひとたちだけじゃないの」
「難癖をつけて暴動の原因になる、か……ネオ・アルカディアの奴らならやりそうなことだ」
シエルが頷く。基本的なネオ・アルカディアの思想として、敵対者に容赦はない。むしろイレギュラーを処分したい背景があるから容赦どころの話ではないのだ。そして例外はなく廃棄処理場へ送られる。運良く逃げ延びた者がかつてのレジスタンスだ。
エネルギー枯渇問題は解決しつつあるのに、人々はそう変われない。お前はどうかと聞かれれば、自分もその思考が完全に抜けたと言い切れない。
「彼の居場所を正確に把握しているひとなんて私ともうひとり……そうね、もうひとりしかいないわね。彼とは好きな時に連絡を取ることができないし、向こうも向こうで私が動けないことを知っているから、本当のところは今どんな状態であるか知りようがないのよ。ただの気まぐれの滞在か、何かがあってそこから動けないか、他に理由があるのかすら解らないの。でも、生きてはいる」
彼女はもうひとり、のところでやや言い淀んだ。他に誰か知っている者がいないか考えている様子だった。
「どうしてそう言い切れる?」
「ごめんなさい。それは言えないわ」
「何か理由でもあるのか」
「それも答えられない。本来私から理由を話せないことさえ言うべきじゃないの。理由は存在しないことと同じことにしておかないと、エックスの意志一つすら彼の思う通りにならなくなってしまうもの。私が言えるのは、これだけ。……信じられないなら見に行くのはどう? あなたほどの立場なら世界中のどこを歩いたって平気よ」