リーンカーネーション(再終/「二度目」)「今度こそ自分の口を噤んでおくためのものだからね。放っておけないからぼくは見て、忘れられないから声を聞いている。そして話し損ねたことを少しだけ残して後何年何十年と反芻し、このぼくの中だけにきっちり納得して収まるように様々な可能性を検討している。でも、ぼくにとってはあり得たかもしれないけれど、このぼくに起こったことじゃない。きみはさ、将来の夢とか考えたことある? ぼくはあるよ。お花屋さんになりたい。学校の先生になりたい。やさしくて頼れるみんなのリーダーになりたい。かっこいい正義の味方、ヒーローになりたい。誰もがあこがれる、世紀の天才的科学者になりたい。やさしくありたい。幸福である可能性を持っていたい。それよりなにより自由でいたい。ついでにもう一つ、このぼくの結論に辿り着きたい。ね? 普通でしょう? なにか悪いことが起きたときに「かみさま助けて」って祈るのと同じぐらい無意味でしょう? だけどどうか、どうにかこの停滞から抜け出したくてぼくはいつも考えているよ。ぼくが得たであろう日々を。このぼくが語り言い聞かせるための可能性を。ぼくができるのは選ぶことだけ、選んでしまえば何かが変わる。きみたちが選んだ結末かぼくが選んだ結末か、選べるのはどちらか一つだけ。いずれにしろきみたちが不可説不可説転の分岐から選んだたったひとつを選ぶか、きみたちがたったひとつを選ぶまで涅槃寂静の確率を振り直すか、ただその違いでしかないんだ。そしてそうしなかった方のぼくには決してなることはできない。だからこそすべての選択肢は十分に吟味し精査し注意深く検討されなくてはならない。今まさにこの瞬間も最良を選んでいる真っ最中で何も決まっていやしないんだ。最善を尽くすためにね」
本当にこの人間はよく喋る。最初に出会った頃は口数の少ない物静かな子供だとばかり思っていたが、決してそうではない一面も確実に存在している。会話ではなくただただ一方的に、原稿でも読み上げるような調子で滔々と、自分の気が済むまでアイデアを言葉に変え説明する。どんなに抽象的なイメージですら淀みなく、主題からぶれることもなく、必要なことだけを話してあの長さなのだ。
「アンタさあ……本当にただのガキってわけじゃないよな」
「きみが思っているぼくがそうならそうかもしれない。両手の指で数えても折り返すほど誕生日ケーキは食べていないけどね」
「そういうことじゃなくてさ、なんていうかその……中身? お前さんの向こうにいる奴がどういう人間なのかって話だ」
「そりゃあいるよ、いっぱいいるよ。大人も子供も男も女もそれ以外も。ぼくは見た。多くの人々がいるのを見た。あの人々の中にはぼくと違う考えの人もいたし、同じ考えの人もいた。ぼくとは関係のないところで言い争って、ひどい論争になったり逆に和解していたりもした。ぼくはそれらすべてをこのぼくなりに解釈して飲み込もうとした。理想に則って自分にとっての事実を構築しようとした。結果はお察しの通りだけど。あんなにいっぱいの人がごちゃごちゃいてめいめいに言いたいことを言って、それで一つのアーキタイプが完成するわけがなかったんだよ。今ここにいる、こうして君と話している他の誰でもないこのぼくですら、たくさんの意見を切り捨てている。そのことできみたちの善意と他のぼくの可能性に石を投げつけるような結果を得るだけだったとしても、それでも、どうしようもなくぼくはいるんだ。眠ったり起きたりを繰り返して、どうすることもできずにぼくがいる。ただ……」
「ただ?」
「そんなに急いでどこに行くの。全部全部この瞬間が原因だったんだから、同じ終わり方で締めたいよね。もっとも、今はぼくが待ち受ける側だというのがきみにとっては最悪かもしれないけどさ。フラウィーがきみを止めようとしたのが一回目。これで二回目。朝あることは晩にあるというくらいだから二回じゃまだまだ偶然の範疇だよね。それじゃあぼくも彼に倣って……警告。このデータに追記する者はリセットされた分の記憶が加えられ、このデータを消去する者は受けるべき幸福の分が取り上げられる。きみはあれだけ望んだ不変を自ら壊して、ぼくを、いいやフリスクを取り戻そうと躍起になっているように見える」
廊下は短く、歩いた分だけ前に進む。当然のように他に何も起こらない。翳した左手が途方もなく重い。踏み出そうとする一歩が千切れそうなほど固い。
「何の答えも期待しない。ただぼくが信じることだけを信じている。あのね、きみの必殺技、全部躱せるようになったんだよ。うまく避けるから見てて。全部避けられたら褒めて。言っておくけどナイフも殺意も持っていないよ。失敗してもぼくが死ぬだけ」