最初で、最後で、最高の。.
1.
機械操作があまり得意ではない恋人は、ローと出会ってからもずっと、折りたたみ式の古い携帯電話を使っていた。
そんな恋人がやたら高性能のカメラがついた最新式のスマートフォンを持つようになったのは、どうしてもと頼み込んでローが買い与えたからだ。
ところどころ剥げた青色の携帯電話は、当たり前だけれど短いメールと電話の機能しか付いていない。外科医という職業柄、病院内にいるときは電話に出られないことが多い。
しかも、ローが働くのは救急外来のある大きな病院で、昼夜問わず次々と患者が運び込まれて来る。
自分の店を持ちコックとして働いている恋人とは、時間的にすれ違うことも多かった。
着信が残っていたとしてもすぐに掛け直すことも出来ず、たとえ話が出来ても急患の知らせが入れば切ることになり、会話もままならない。
恋人——サンジは、その古い携帯電話を不便だと思ったことはなかったようだが、もっと気軽に連絡をとれるようにしたいというローの頼みを聞き入れてくれたのだ。
自分で代金を払おうとするサンジを制し、機種のことは何もわからないと言うから、色だけは好きなものを選んでもらうことにした。
「これがいい」
青を選ぶと思ったサンジが選んだ、鮮やかな黄色のスマートフォン。サンジの白い手にそれはとてもよく似合っているとローは思った。
メッセージアプリの使い方と、写真の撮り方。
ローがサンジに教えたのはそのふたつだけ。
ほんの少し困ったような顔をしながらも「仕方ねえな」と笑って操作を覚えてくれたサンジは、それからぽつぽつとローに写真を送ってくれるようになった。
太陽がキラキラと反射する水たまり。
真っ青な空に浮かぶ白い雲。
木陰で眠るねこ。
はれた
あついな
ねこいた
変換も何もない簡単なメッセージに添えられていた、いつも少しだけブレている一枚の写真。
これを送るのにサンジはどのくらいの時間を使ってくれていたのだろうか。
両手で慎重にスマートフォンを持って写真を撮り、おぼつかない手つきでポチポチと文字を打ち、撮った写真を添付する。そんなサンジの姿を思い浮かべるだけで、日々の忙しさに荒んだローの心がほわほわとあたたかくなっていく。
サンジが見ている世界を自分も一緒に見ているようで、ローはそれが嬉しかった。
既読を付けて、返事を送る。
話せそうな時間帯であれば屋上へ行って、ローの方からサンジに電話をかけた。
会いたい。
おれも。
ほんの数分の短い会話。
次の休みにはデートをしよう。水族館。プラネタリウム。観たかったアクション映画の続編。新しく出来たカフェ。約束をしたのとほとんど同じ数だけ、その約束は破られていた。
急患が入った。
夜勤を代わることになった。
約束の時間をとっくに過ぎた頃に、ごめんという謝罪とともに送ったメッセージ。
そのどれもこれが全部、ローのせいだったのに、サンジはいつも「仕方ねえな」と笑って、ローを許してくれていた。
ローのためにスマートフォンの操作を覚えてくれた、あのときのように。
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サンジから送られてくる写真がフォルダに少しずつ貯まり始めたのとちょうど同じくらいの時期。
付き合って半年ほど経ったのを期に、ローはサンジに同棲をしたいと打ち明けた。
理由はひとつ。
サンジと過ごす時間が欲しかった。
医者という仕事は自分で選んだ道だったが、好きな相手と思うように触れ合えないことがこんなにも堪えるのだと身をもって感じていたからだ。
サンジと出会う前。
ビタミンサプリをゼリー飲料で流し込む生活をしているときだって辛いと思ったことはなかったのに。
顔が見たい。
話したい。
触れたい。
我慢の限界を超えたローの切々とした訴えにじっと耳を傾けていたサンジは「これから毎日美味い飯食わせてやるからな」と。
子供のように嬉しそうに笑ってくれたのだ。
鰆の西京焼き。豆腐とわかめの味噌汁。ネギと紅生姜の卵焼き。艶々とした炊き立てのご飯。
朝食を食べる習慣がほとんどなかったローがおかわりをしたくなるほど、毎日の食卓に出される食事はどれもこれもが抜群に美味かった。
レストランで出されている料理と違い、サンジがキッチンで作る料理はローのためだけに作られた料理だ。
『クソうめえだろ?』
ふたりで暮らす家のキッチンで、サンジはいつだって、幸せそうに笑ってくれていた。
ひとりだったときは水のペットボトルくらいしか入っていなかった大きな冷蔵庫。サンジと暮らし始めてからは新鮮な食材でいっぱいになり、それからしばらくすると、日持ちするおかずが入ったタッパーがそこに詰め込まれるようになった。
だんだんと仕事が忙しくなり、帰りも遅くなっていったローがいつでも食べられるようにと。作り置いてくれていたその料理を。サンジはひとり、どんな気持ちで食べていたのだろう。
2.
サンジと出会ったのは今から二年前。
まだローが研修医だった二十四の春のことだ。
ローが住んでいるマンションの最寄駅のロータリー。隣駅にオープン予定だというレストランの宣伝がてら、弁当を売って回っていたサンジに出会えたことは、ローにとって奇跡だったと言える。
「よお、オニーサン」
夜勤明けでクタクタのローを軽妙な口調で呼び止めた男がサンジだった。
長い前髪で片方だけ隠された海色の瞳と、きらきらと輝く蜂蜜色の髪があまりにまぶしくて、思わず目を細めたことを覚えている。
くるんと巻いた不思議なかたちの眉が印象的なその男は、ローのことをじっと見つめたあと、そこで待ってろと言ってごそごそと袋の中に何かを入れて手渡した。
「これ、サービスな」
どうぞご贔屓に、と。
茶色い紙袋がローの手に押し付けられた。
「いや、いらねえ」
「まあまあ。ちゃんと飯食って、いっぱい寝ろよ」
健やかそうな自分の目の下を指差してニヤリと笑ったのは、ローの目の下にくっきりと刻まれた隈のことを言いたかったのだろう。
ほとんど無理矢理押し付けるようにして渡された袋を持ち帰ったのは、単に断るのが面倒なほど疲れていたからだ。家に帰って何気なく開けた袋の中にはラップに包まれた握り飯がふたつ入っていた。
それを見た瞬間。条件反射みたいにぐうっと腹が鳴り、包みを開けてかぶりついたローは「は?」と唸るような声を上げ、そのままガツガツと瞬く間にふたつの握り飯を食い尽くしていた。
胃袋を掴まれるとはこういうことなのかと。
たいして食に興味などなかった自分にそんなこと起こりえるはずがないと思っていたのに、それは間違いだと気付かされた。
絶妙な塩加減。
ほぐしたシャケのちょうどよい塩辛さ。
甘辛い味付けの鶏そぼろ。
何より口の中でほろほろとほどける米粒。
あんなにも美味い握り飯を食べたのは生まれて初めてだったと思う。
あの男が作る料理を他にも食べてみたい。
袋の中に入っていたカードを見て、何とか時間を捻り出しては、オープンしたばかりのサンジのレストランに通い続けた。自分史上類のないほど熱心に。
人懐っこい笑顔。
作り出す料理の味。
口の悪さも、何もかも。
サンジという存在のすべてが、ローの人生を素晴らしいものに変えてくれた。出会って半年後には好きだと伝えて、交際を申し込んだ。恋人になれたときの喜びは言葉で言い表すのも難しい。
腕の中に閉じ込めるようにして抱きしめたサンジが、ローの背中に腕を回してくれたことに、泣きたくなるほどの喜びを感じた。
誰よりも幸せにしたい。
幸せに、出来ていたのだろうか。
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あじさい、もうさいてた
朝露に濡れた青い紫陽花。
写真の中の花は、すでに少し枯れ始めていた。
それは多分。マンションから少し歩いたところにある公園に咲いているものだろう。
紫陽花が咲いたら一緒に見に行こう。
いつだったか。
そんな約束していたのを思い出す。
他にいくつか来ていたサンジからのメッセージにとりあえず既読だけ付けて、ローは慌ただしく次の手術の準備に入った。
手術が終わったあとは事務仕事を片付けて、学会の資料を集め、論文を書く。その合間に仮眠室でわずかばかりの睡眠をとって、術後の経過を診るために担当した患者の病室へと足を運ぶ。
研修医だった頃とは違う忙しさに翻弄されていたローは、このところほとんど家に帰れていなかった。
だから、最後に届いていた紫陽花の写真が添えられたそのメッセージが、五日も前のものだったことにも気づくこともできなかったのだ。
一緒に暮らし始めてから三ヶ月ほど経ったあたりでサンジが自分の店の営業時間を変えていたのをローは知っていたのに。
水曜と木曜が定休日なのはそのまま。
平日はランチのみ
ディナーは土日に一組だけ。
『ちいさい店だし、ひとりで切り盛りしているからそれくらいがちょうどいいんだよ』
咥えた煙草からぷかりと煙を吐き出してそんなふうに笑っていたけれど、不規則な生活を送るようになったローと少しでも長く過ごすために、サンジは時間を作ろうとしてくれていたのだろう。
全部ちゃんと、わかっていたつもりなのに。
そのやさしさに、きっと自分は甘えていたのだ。
3.
ローが自宅のマンションに戻ったのは、ほぼひと月ぶりのことだった。
立て続けに大きな手術の予定があったうえに、そこに学会への出席が重なってしまい、休みをとることもままならないほど時間に追われていた。
それでも、合間に何度か着替えを取りに戻ったりもしていたから全く帰っていなかったわけではない。
ただ、タイミングが悪くサンジとはすれ違う日々が続いていたせいで、気づけば会えなかった時間と同じだけの時間を会話ひとつなく過ごしてしまっていたのだった。
ようやくスケジュールに余裕が生まれ、久しぶりに休みをとることが出来た。明日はサンジの店も定休日だ。ふたりでゆっくり過ごしたい。
会えなかった時間の分もたくさん抱きしめて、サンジのことをたっぷりと甘やかしてやりたいと思う。
罪滅ぼしというわけではないが、担当している患者に教えてもらった洋菓子の店に立ち寄り、期間限定のゼリーをサンジへの土産に買った。
細かく砕かれた青く透き通ったそのゼリーは紫陽花を模しているのだという。
きらきらとしたそれは、サンジの瞳の色にも似ている気がした。喜んでくれるだろうか。
白い箱を片手に玄関の鍵を開けたローは、部屋の中に入って違和感に首を傾げた。
「…………?」
ローを出迎えたのはサンジではなく、ひんやりとした部屋の空気だった。
サンジが好んで履いている靴はあるのに。
嫌な予感にぞくりと背筋が冷えた。
足早に廊下を進み、リビングに続くドアを開ける。
カーテンが閉まったままの真っ暗なリビング。
僅かに澱んだ空気。
数日キッチンを使った形跡もない。
換気扇の下に置かれた灰皿の中も空っぽだった。
ヘビースモーカーのサンジが家にいて煙草を吸わないはずがない。
ダイニングテーブルに箱を置いたローは、逸る思いで寝室へ向かい閉ざされたドアを開けた。
薄暗い部屋の中に灯る橙色のちいさな電球。
ダブルベッドの隅っこでカタカタと震えながら縮こまるように目を閉じているサンジがいた。
「サンジっ!」
ローの声に反応したサンジの薄いまぶたがゆっくりと開く。
「…………ろー?」
かさかさに掠れたその声が。
苦しげに吐き出される熱い吐息が。
サンジの体調の悪さを物語っていた。
汗でしっとりと張り付いた前髪を掻き分け、額に手を当てる。
「お前、熱が、」
「……へ、いき」
「どうして俺に連絡しなかった」
「だって、ただの、かぜだし……」
空になった水のペットボトルが二本。
その横には風邪薬と解熱剤の入った薬袋が置かれていた。一昨日の日にちが入っているということは、少なくとも二日はこの状態だったのだろう。
隣町のクリニックの名が印刷してあるから、仕事帰りに寄ったのか。客にうつすわけにいかないからと、念のために薬をもらって家に戻り、そのまま高熱を出して寝込んだ可能性が高い。
ひとりきりで、心細かっただろう。
「ろー」
「ん?どうした?」
普段はサンジよりもローの方が体温が高いのに、額に当てた手のひらに気持ちよさそうに目を細める姿に胸が締め付けられる。
望むことを何でも聞いて、叶えてやりたい。
「…………おかえり」
ふにゃっと眉を下げて、ただそれだけ言ってそのまますうっと寝入ってしまったサンジの白い手を握り、祈るように自分の額にそれを押し当てる。
水仕事が多く、冷え性のサンジのいつもはひんやりとしているその手が。今は、ひどく熱い。
「何やってんだ、俺は」
サンジの冷えた手を握り、あたためてやるのが自分の役目だと。誰よりもそばにいて、何よりも大事にしようと決めていたのに。あまりの不甲斐なさに、自分自身をぶん殴りたい気持ちだった。
--------
「…………ん、」
「起きたのか」
用意していたスポーツドリンクで水分を取らせると、またサンジの身体をベッドに横たえた。
「……ありがとな」
「たいしたことはしちゃいねェよ」
サンジが寝入ってしまったあと、ローは汗で濡れた身体を丁寧に拭き清め、パジャマを着替えさせて、ベッドシーツを新しいものと替えていた。
それから、身体が冷えないように布団をかけ直し、ふうふうと苦しげな様子で眠るサンジに「すぐ戻る」と言い置いて、駅前のコンビニに走った。
それはもう、全力で。
スポーツドリンクと氷を購入し、エレベーターを待つのももどかしく、階段を駆け上がって部屋に戻る。買ってきた氷をサラダボウルの中にぶち撒けて氷水を作り、冷やしたタオルをサンジの熱い額に乗せ、ふっと少しだけ緩んだ表情に安堵して寝室を出たローは、そこでようやく一本電話をかけることが出来たのだ。
「ろー、しごとは」
「辞めた」
電話をかけた先は、職場である病院だ。
流石にすぐに辞めるのは無理だったが、あり余っていた有給はここぞとばかりにもぎ取ったし、引き継ぎが終わり次第本当に辞める予定だ。
「でも、だって…だいじな」
「お前より大事なモンなんか何もねェよ」
医者として働く場所は他にいくらでもある。
何なら郊外にクリニックのひとつ建てられるくらいの貯金もあった。
戸惑った顔を見せるサンジを安心させるために、熱を持った頬を慈しむように撫でる。
「パン粥ってのを作ってみたんだが、食えそうならあとで温め直して持ってくる」
「ぱんがゆ……」
「味見もしたし悪くはないと、思う……多分。自信はねェが……」
本当はコンビニでレトルトの粥でも買ってくればよかったのに、優秀であるはずのローの頭からすっぽりと抜け落ちていた。
病院に電話を掛けた後にそれを思い出したローは、すぐに粥の作り方を調べ始めた。
炊飯器を使えば米から簡単に作れるのにまず驚き、色々と作り方や味付けを調べている時にパン粥なるものに辿り着いた。
幸いにもサンジが買い置きしていた食パンと牛乳があったから、あとは何とかなるだろうと。
小鍋に牛乳を入れて火にかけて、塩とこしょうを軽く振って、沸騰直前で火を止める。レシピに書いてあるとおりに実行しながら、ちぎった食パンをその鍋に加えて、軽くかき混ぜて蓋をした。
少し時間を置くと書かれたのを見て、詳しい時間を書けよと理不尽なことを思ったりしながらも、その間にもう一度サンジの様子を見に行って、ダイニングテーブルの上に置きっぱなしだった紫陽花のゼリーを冷蔵庫に入れておいた。
とりあえずそこまでしてから恐る恐る蓋を開けてみると、白い湯気がほわっと立ち上がり、あたたかい牛乳をたっぷりと吸い込んだパンは、レシピの画像と同じようにふっくらと膨らんでいた。
軽く感動しながらスプーンで掬ってひとくち食べてみたが、これなら喉に痛みがあったとしても食べやすいだろう。
少し甘くしてもいいと書いてあるから、サンジの好みを聞いて蜂蜜を足してみてもいい。
コックであるサンジのように気の利いたアレンジは出来ないけれど、そんなふうにして何とかひとりで作り上げたものだ。
「……おまえぱんきらいなのになぁ」
ローの話を聞いていたサンジが、空気に溶けてしまいそうなほどやわらかな口調でつぶやいた。
骨ばっているだけのローの手の甲をどこか愛おしげに撫でながら。まだ熱いその指を握り返すと、ふへへと嬉しそうに笑う。
「…………」
なぜサンジがそんなことを言ったのかローにはわからなかった。パンが嫌いだと言ったことは一度もない。現にサンジのレストランでサンドイッチを食べたことだってある。
最初に注文したときはひどく驚いたような顔をしていたけれど、その後からは米が中心だったローのための料理のレパートリーに、パンを使ったものが加わるようになった。
他の誰かとローを間違えている様子もない。
サンジの瞳は今もまっすぐにローだけを見てくれているのだから。
「ろー」
蜂蜜色の髪を撫でていると、熱に浮かされて潤んだブルーの瞳がゆっくりと瞬いた。
その眦から、つうっと涙がひと粒こぼれ落ちる。
熱のせいで真っ赤になった頬を静かに伝っていくそれは——。
「……おれさぁ……ほんとは、さびしかった」
ずっと、さびしかったよ。
ローの手をきゅうっと握りながら、サンジは子供のような声でそう言った。
いつも楽しそうに笑っていたサンジが。
泣きながら、淋しいと。
そんな思いをさせたのは、他ならぬロー自身だ。
ふたりで眠るために買ったこのベッドで、ひとり眠る夜を何度過ごさせたのか。
熱にうなされながら、ローのことを呼んだのかもしれない。考えただけで、胸が張り裂けそうなほど苦しくなった。
「…………っ、悪かった。許してくれ……」
ぐっと喉が詰まって思うように言葉が出ない。
言わなければならないことは山ほどあるのに。
鼻の奥がツンと痛くなり、言葉の代わりのようにシルバーグレーの瞳からも涙が零れ落ちた。
ローの瞳から零れたそれはサンジの頬にぽつりと落ちて、ふたりぶんの涙が混ざり合い、ひとつになって流れていく。
「ろー」
「うん」
「ろぉ」
確かめるように何度も名を呼ぶサンジの乾いたくちびるに、自分のそれをそっと押し当てる。
「かぜうつっちまう」
「いいよ、それでも」
もう一度くちびるを合わせると、ふふっと微かに笑ったサンジは疲れたのか、さっきよりもずっと穏やかな表情で寝息を立てていた。
♡
「あれは焼魚か、刺身か」
「アジは焼いた方が好きだけど、新鮮なやつはたたきにしても美味えよな。大葉とか生姜とか。薬味たっぷり混ぜてさ」
「どっちもいいな。今度、作ってくれ」
「ん。あ、ほらあそこ。いわしのつみれ汁も作ってやるよ」
手を繋いで歩きながら大きな水槽の前で立ち止まり、サンジとふたりでそんな話をする。
泳いでいる魚を見ては、料理の話をして。あれは美味かった。それも食べたい。なんて、おおよそ水族館でするような話題でもないことを。
平日の昼間は人もまばらだ。誰もふたりの会話など聞いてはいないだろう。
まあ、聞かれて困ることもない。
クラゲがぷかぷかと浮かぶ他より薄暗い展示通路では、誰も通らないのをいいことにキスだってしたのだから。舌を絡めた、濃厚なやつを。
「ここの水族館。シャチだけいないのが残念だったよな」
のんびりと寛ぐシロクマとペンギンの餌やりを見たあと。休憩所のベンチに座ってアイスティーを飲んでいたサンジがふとそんなことを言った。
「……シャチが好きなのか?」
何故かほんの一瞬モヤついた気分になって、思わず眉を顰めながら聞けば、ふはっと笑ったサンジは「おれはローが好きだよ」と答えてくれる。
たまらずぎゅうっとサンジを抱きしめたローは、蜂蜜色のまるい頭のてっぺんに何度もキスを落とす。
「こら、ばかっ」
クスクスとくすぐったそうに身を捩るのがかわいくて、今すぐ家に連れ帰りたくなってしまう。
「なあ、そろそろ帰らねえ?」
ぽそりとサンジがつぶやく。さらさらでつやつやの髪の隙間からちらりと覗く耳が赤い。
「帰って、ナニしたいんだ?」
その耳にくちびるを寄せてわざとらしくそう言えば、腕の中の身体が「んっ」とちいさく声を上げてぴくりと反応を見せる。
「てめえ、からかってんな」
「はは、お前がかわいい反応するからつい」
「くそう……」
「否定はしねェんだな」
むむっと唸るのがまたかわいくて、蜂蜜色の髪をこれでもかというほど撫で回すと、懐いた仔猫のように目を閉じて気持ちよさそうな顔を見せた。
そうやってまるっきり無防備に甘えてくれる恋人と過ごせる日々の幸福感を胸の内で噛みしめる。
「なあ、ロー」
ぱちりと開いた青がローを見つめる。
それからきょろきょろと素早く周囲を見回して。
「おれ、最高に幸せかも」
泣きたくなるほど綺麗に笑いながら。
ローの頬を両手で挟むようにして、ちゅっとちいさくキスをしてくれた。
--------
【読まなくていいあとがきのようなもの】
↓以下(というより書いたの全部)幻覚です↓
「仕方ねえな」って笑って許してるサンジくん。
あまりに健気でかわいいけど、恋に溺れるあまり従順に尽くしてたとか、嫌われたくないと思って我慢してたってことじゃなくてね。
海賊だったころは逆にローの方が、そうやってサンジくんのことを許してくれていたんだろうなって思いまして。(個人の妄言です)
お互いに自分の仲間が一番大事だし、優先するのは当たり前。
別々の船に乗っていて、気軽に会えないけど、ローは船長だし多少の融通は効くと思う。
でもサンジくんはコックだから、みんなの食事の準備をするっていう役割がまずあって。
たとえばふたりでいても、仲間の誰かがお腹空かせたりしてサンジくんを呼んだらほっとけないし、一緒に街を歩いてても安い食材が売ってる店を見つけたら立ち寄るし、食費のこととか考えてもっと安い食材があるかもって、そっちに気を取られちゃう。
限られた少ない時間の中でも、その全部をローのために使うことの出来ないサンジくん。
本当は独り占めしたいけど、そういうの全部含めてサンジくんのこと愛しいって思って「仕方ねェな」って笑って許してくれてたローの優しさをちゃんとわかって覚えてて、だから今度はサンジくんがローに対して同じことをしていたというわけです。
ローの仕事が忙しくて淋しかったのは確かだけど、愛されてることはちゃんと感じてて、お医者さんが大変なこともサンジくんは理解してるからね。
もしここまで読んでくださってる方がいたら、いつもいちゃいちゃしてるふたりしか書かないくせに急に何言ってんだこいつ…って感じだと思うんですけど、私もそう思ってるので許されたい。
ローサンっていいね♡
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