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    shiraosann2

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    shiraosann2

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    力尽きました
    元々🏛の死ネタになる予定だったサナトリウムパロの🌱🏛

    中略とかあるけど雰囲気で読んで欲しい

    学祭イベとキャラスト読んで結局8500文字お蔵入りすることにしたんですけど、あまりにもしんどくてですね

    #アルカヴェ
    haikaveh

    やくそく◈◈◈


    「おい、お前さん、あんたここらでは見かけない顔だけど、この街に新しく引っ越しでも?」

    とある片田舎の小さな商店街にて。
    蝉時雨の降り注ぐ中、八百屋の店番をしていた初老の男は目の前に横された買い物籠の中一杯に詰められた野菜やその他の食材と日用雑貨などの値段を計算しながら、その籠を持ってきた青年に尋ねた。
    月白色の銀の髪に翡翠と琥珀の不思議な色をした瞳を持つ青年は明らかにこの周辺に住む人では無い。
    この地域は観光地があるような街でも無いから、こんな所に外からわざわざ人が来る事は殆ど無く、だから不思議に思ったのだ。

    「うん、ここの裏山に療養所があっただろう。そこがもう無くなったので、土地を買って屋敷を立てたんだ。昔あの療養所には世話になったことがあって、終の住処を作るならそこにしようと思ってね」

    青年は財布から顔を上げてそう答える。その場所には青果店の店主は心当たりがあった。

    「ああ、あの綺麗な洋館があるところ?なんでも、有名な建築デザイナーの早逝なさった息子さんが作られた、最初で最期の作品なんだっけか……ああそうだ、いくらお前さんが力持ちでもこの荷物を1人で運ぶのは重いだろう。あそこに立てかけてある自転車もお前さんのだろ?あんな小さい籠にぎちぎちにこれを詰めたら折角の新鮮な野菜が押し潰されて傷んじまう。トラクター出すから送ってやるよ」

    それにしても、お前さんみたいな屈強な青年があの療養所に世話になるような事があったなんてね、あの場所は俺達この街の住人もよく世話になっていたんだよ。まぁもう五年以上前には取り壊されてしまっていたから俺はそうでも無いが、俺のお袋はよく世話になっていたもんだ。

    服の上からでもわかるほど綺麗に浮きでた青年の筋肉質な身体を見やって青果店の主人はそう続ける。それを聞き流しながら彼は嘗てのことを思い出していた。



    思い出すのはもう十数年も昔の話。
    その時の自分は今と違って体が弱く、酷い貧血体質で、ちょっとしたことで熱を出したり倒れたりしていた。だから、しばらくの間片田舎の療養所で静養することになったのだ。

    「アルハイゼン、今日から貴方はここにお世話になるんだよ」

    祖母に手を引かれて、連れて行かれた先に見えたのは見事な庭園だった。
    淡い蒼をした快晴の空の下、厳しい冬の寒さに打ち勝った初春の花々が競い合うように陽の光へ首を伸ばして咲き誇る。
    肥料と濡れた草の香りに混じる甘やかな花の柔らかな香りはこの庭園に咲き誇る草花の生命力を感じさせた。
    黄色い花を咲かせる野草の群れを抜ければ、雛菊の白、苧環と鉄線の藍が自分を出迎える。
    淡紫色のリラの生垣の先には鮮やかな橙色をした蔓薔薇が柔らかに咲き誇っていた。
    遠く生い茂る樫の木の上では鶺鴒だろうか、可憐な鳥の囀りが聞こえる。
    金花藤のアーチを超えた先に見えるのは真っ白な建物。
    柔らかそうな天然芝の敷かれた中庭に張り出したテラスでは何人か年配の人々が本を読むなり毛糸を編むなり昼寝するなりと自由気侭に過ごしている。

    その中で一人、自分よりほんの少しだけ歳上に見える大体十四、十五歳程の少年が何やら机に向かって作業をしているのが目に付いた。
    毛先になるにつれて鳶色味を増すアッシュブロンドを赤いピンで止めて一心不乱に机の上に何かを書き付けている様子だ。
    見たところ彼の以外の人は皆祖母と同じかそれ以上の年配の人ばかりだから彼の存在は少し異質とも思えた。

    建物の中に入れば既に手配等は済んでいたのだろう。
    自分を出迎えたのは白髪に臙脂の瞳をした若い白衣の男性だった。彼に連れられて、館の中に入れば、ツンとした消毒液の匂いが鼻腔をつく。それで確かにここは医療施設だったのだなと改めて実感した。
    出迎えをしてくれた医者に自分の部屋となる場所を案内され、建物内の施設をある程度紹介されれば、あとは夕食の時まで自由時間との事。

    自分の荷物をある程度整理し終えたので、余った時間でする事も無いしと、施設案内の際に存在を知った図書室に赴けば、本棚のすぐ近く、長机といくつか椅子が置かれたそこには先客が一人いた。
    先程見かけた金髪の少年だ。
    相変わらず何か描き物に励んでいる彼の傍でなにか目ぼしい本は無いかと本棚を行き来していれば、背後から声をかけられる。

    「ねぇ君、今日来たばかりの子だよね?どんな本を探しているんだい?僕でよければ探すのを手伝うよ」

    あっ、そうだ、名乗り忘れてた。僕の名前はカーヴェ、君は?
    椅子から立ち上がってそう言うと、つかつかとこちらへ歩み寄って彼は手を差し出す。

    「俺はアルハイゼンという。……本は、特にこれと言ったものを探していた訳では無いけど、面白いものは無いか探していたんだ」

    恐る恐る手をこちらも差し出せば彼はその手を取って柔らかく握りしめた。
    華奢な指先は少しだけひんやりとしていて、その冷たさが少し心地良かった。

    「へぇ、アルハイゼンくんって言うんだね。これからよろしく。………面白い本、か、僕の知る範囲ではここら辺の本が割と読まれているかな」

    文庫はこっち、図鑑や雑誌はこっち、ここら辺は生物学とか病気の本とかがあってこっちは料理や手芸の本があるよ。

    そう言いながらぱたぱたと彼は自分の手を引いて案内する。左右から飛び出た一対の触覚みたいな彼の髪の毛の一房が彼の動きに合わせて緩やかに動く様は野原を踊る金色の蝶、或いは極楽鳥の飾羽を思わせた。
    さて、図書室には様々な本の収まった本棚があったが、その中でひとつ異質な本棚があった。そこには様々な大きさのノートが並べられていて、少し気になって一つノートを引き抜き中をパラパラと検分してみれば、それは誰かの手書きの日記だった。
    それも、闘病した記録を書き記したようなものだ。日記の最後の日付は随分と昔で止まっていた。

    「……この手記の持ち主は?自分の書いた日記など他の人に読まれたい様なものでも無いだろうに」

    聞けば少し寂しそうな顔でカーヴェは窓の外を見やる。なにか、もう二度と出会えない人を懐かしむようなそんな表情だった。

    「ああ、そのノートか。……みんな遠い所に行ってしまったんだ。ここは療養所だけど、ホスピスでもあるから。家族がいない人も多くて、けれど、捨ててしまうのは忍びなくて、ここに遺してあるんだってさ」

    遠いところに行った、というのが死の婉曲表現であることは何となく理解できた。
    そして何故か、自分とはたった二三歩の距離しかない場所に立つ、自分とほぼ同世代の彼がどこか遠い所にいるような、そんな奇妙な感覚を覚えた。


    (中略)


    小さな事件が起きたのはそんなある日の事だった。
    この広い療養所の構造を覚えるには一番良いだろうとカーヴェが言ってきたから、たまには悪くないだろうと二人で隠れんぼをしていたのだ。

    「君の負けだ、カーヴェ」
    「ああ、わかった、わかってるよ。次の鬼は僕だったよな?………その前にちょっと休んでもいいか?少し、疲れた」

    その言葉に僅かに眉根を寄せる。
    まだ遊び始めてからそんなに経っていないというのに。しかも誘ってきたのは自分じゃなくて彼の方なのに。
    そんなほんの僅かに心に湧いた不満が不意に口をついた。

    「君は先程までそこでずっとじっとしていただけだろう?どこに疲れる要素があるんだ?ほら立ってくれ」

    そう言って廊下にぺたりとへたり混んだカーヴェの右腕をぐいと掴み取る。

    きっとそれがいけなかった。

    「やっ……!やめて、やめてくれっ……!」

    澄んだ紅玉髄の瞳が零れそうな程に大きく見開かれる。
    一体何をそこに見たのか、そう叫ぶとカーヴェは自分の腕を掴んだ手を遮二無二振りほどいた。
    それは聞いたことの無い、本気の拒絶で悲痛な声だった。
    同時、ドンッとアルハイゼンは存外強い力で突き飛ばされた。突然の事だったから受け身なんて取れる筈もなく、廊下の手摺に強かに背中と腕をぶつけた。
    痛い、冗談抜きに息が詰まる。どうして。

    「……カーヴェ?」
    「あ、ぁ……」

    自分は何か間違ったことをしてしまったのだろうか?己の非を探して彼の方を見やれば、酷く怯えた様な、それでいて己のしてしまった事を畏れる様な紅い双眸がこちらを見返してくる。やがて彼は恐る恐る後退りすると、くるりと踵を返して、そして階段の方へ走って消えていった。

    それから暫く自分が彼の姿を見掛けることは無かった。





    キィ、と扉の軋む音が背後でして、何かと顔を上げてみれば、最近見かけなかった彼が部屋の扉を開けた所だった。
    紅いピンで留められた少し色褪せたアッシュブロンドに、こちらを見遣る柘榴石のあかい双眸は、少し窶れているようにも見えて、普段の闊達さはどこにも無い。

    「久しぶりだね、アルハイゼン」
    「……カーヴェ」

    一週間ぶりに姿を現した彼は酷く痩せていた。部屋に取り付けられた手摺を握り締める生白い腕は最後に会った時よりも一周り程細くなったように思える。お世辞にも良い顔色とは言えない血の気の無い顔をくしゃりと笑みに歪ませて、彼は手摺を握っていないもう片方の手をこちらに差し出した。

    「暫く会えなくてごめんよ。少し忙しかったんだ。ねぇ、図書室に行こうよ。話したいことがあるんだ」
    「……うん。わかった」

    握りしめた指先はやっぱりこの前よりも細ばんでいて、酷く冷たかった。
    まだ午前の早い時間だからか、図書室には人気はなく、窓から差し込む陽の光が宙を舞う細かな埃をちらちらと照らしている。
    古びたインクと紙の甘やかな香りがうっすら漂う部屋の中で木霊すのは、カーヴェが筆を動かす音と自分が本の頁を繰る音と自分達の息遣いだけ。

    暫くして、その静寂を切り裂くように、彼は少し思い詰めた様子で申し訳なさそうに口を開いた。

    「……こないだは突き飛ばしたりなんかして悪かった。痛かっただろう」
    「別に、俺は気にしてない」

    彼に突き飛ばされぶつけた所は痣になることもなかったし、もう痛みも無い。それより自分はあの時の彼の怯えたような表情が強く頭に残っていた。きっとあの時の自分はしてはいけない、彼の心の柔らかな部分に土足で踏み込むような事をしてしまったのだろう。

    「そう……なら良かった。でも本当にごめん。もう二度としないよ」

    再び二人の間に降りるのは静寂。
    それが破られたのは、どれほど時間が経った頃だろうか、自分が陽の温もりと本の香り、隣から聞こえる、規則正しく滑らかに紙の上を行き来する鉛筆の優しい音にあてられて、うたた寝しかけていた時だった。

    ガタンッ、という何かの倒れるけたたましい音が隣からして、意識がふっと微睡みから現実に引き戻される。
    隣に居たはずの彼の姿は消えていて、先程まで彼の座っていた椅子がひっくり返っていた。その横で本人は胸元を押さえて咳き込みながら倒れている。

    「カーヴェ、君、大丈夫か?」

    抱え起こせば、う、という小さな呻き声とともに薄らと瞼が持ち上げられて紅色の双眸がぼんやりとこちらに向けられる。
    玉のような冷や汗が白皙の額に浮かんでいた。
    壊れた笛の音のような喘鳴の下、途切れ途切れに彼は言う。

    「は、だい、じょうぶ。ただの、発作、だから」

    そう言って彼は首元のペンダントを震える手で掴む。
    銀色の筒の側面には彼の名前が掘られていて、それがピルケースの一種なのは見て取れた。
    緩慢な動作でその蓋を外そうとする彼の代わりにその中を開ければ、そこから出てきたのは白い錠剤。表面にあるニトロの文字で、それが舌下錠と呼ばれるものなのは一目でわかった。
    意識を飛ばしかけている彼の口の中に親指を入れてこじ開け、そっと指先に乗せたその白い錠剤を薄い舌の下に差し込んでやった。

    ごめん

    聞こえるか聞こえないかの小さな声で彼は呟く。生理的なものか感情的なものかどちらともつかない涙が浮かぶ紅の双眸には、後悔のような感情が滲んでいた。ふつ、とその色が不意に揺らいで瞼が降ろされる。軽く開かれたままの口の端には咳のし過ぎでか、淡紅色の泡が滲んでいた。
    大丈夫な訳が無い。触れた指先は氷のように冷えていて彼の唇は真っ青だ。

    「大人を呼んでくるから、君はここで待っていてくれ」

    脱力した細い身体を机の足に凭れ掛けさせ、既に聞こえているかは分からないがそう告げ、急いでその場を後にする。
    暫く走り続けていれば、廊下を歩いていた白衣の若い男性を見つけたので、事情を話し始めた所で不意にくらりと視界が揺れた。
    ずっと走っていたからか、心臓の音が煩くて血が頭に上っているのかそれともその逆なのか、それも分からないほど頭が酷くぼんやりとしている。
    思えばこんなに走ったのは久しぶりだ。
    ここに来てから今までずっと何もなかったからすっかり忘れていたが、自分は貧血体質だった。そこまで思い出したところで視界は闇に閉ざされた。

    次に目が覚めたときにはベッドの上で、窓から差し込む西日が部屋を赤く染め上げていた。

    「あ、やっと起きたんだね。今回は事情が事情だったから大目に見るけれど、廊下を走っては駄目だということは忘れないで、君も病人なんだから。……それとありがとう。君がカーヴェのことを教えてくれなければ彼は今頃助からなかったかもしれない」

    部屋の入口の方から声がしてそちらを見遣れば先程声をかけた若い医者だった。
    しなやかな緑の黒髪をした彼は呆れたように嘆息し、つかつかと窓辺へ歩み寄る。燃えるような橙の陽に照らし出された横顔には安堵の色が見て取れた。

    「彼には一昨日から体調が落ち着くまでは絶対安静で、極力ベッドからも出るなと言っていたんだ。だから悪いけど暫くはどこかに行く誘いを受けても断ってくれると助かる。あんな風に何回も倒れられたら僕だって敵わないから」
    「あいつは……?」

    無事だったのか?というこちらの意図をくみ取ったのか、医者はこちらに顔だけ振り向いて柔らかな笑みを浮かべる。

    「まだ寝ているけど、一先ずは大丈夫だよ」
    「………それで、何回もっていうのは」

    そう問えば、ほんの少し言うか言わまいか思案して、結局伝える事にしたのだろう。窓の外を見ながら彼は口を開いた。

    「……丁度十日ほど前に酷い発作を起こしてね、一昨日まで歩くことはおろかベッドから起き上がれる状態ですらなかったんだ。彼」
    「…………」

    遠慮なくこちらを振り回してくるカーヴェの溌剌とした様子しか知らなかったから、その言葉はあまりに意外だった。
    それと同時にえも言えぬ安堵が胸に広がるのを感じた。彼と会う事が出来なかったのは、彼が自分を拒んでいた訳ではなくて、単純に人に会えるような状況じゃなかったからだと。

    「……貴方はあいつの事をよく知っているんですか?」
    「まぁ長い付き合いではあるよ。彼がここに来たのとほぼ同じ時から僕はここで働いているからね。今年で丁度十年になる」
    「十年……」

    どおりで彼はこの建物についてよく知っていた訳だ。
    どこに何が置かれているかを詳しく知っていたり、他の入居者である老人達からも一目置かれているのは彼が一番長くこの施設に居るからなのだろう。

    「物心ついた時からずっとここにいるから、ここの外に出たことがないんだよ、彼。だから外から来た人にはいつも興味津々だし、自分と歳が近くてしかも年下の君のことは弟分みたいに思っているんじゃないかな」

    割と君に対しては無遠慮に振舞っているように見えるけれど、悪いやつじゃないんだ。
    ……じゃあ、僕はこれで失礼するよ。

    そう言って医者は部屋を去っていった。
    彼が閉めていった自分の部屋の扉を見ながら、随分と自分はカーヴェのことを知らないんだな、とふと思う。
    ここに来てから彼はほぼ毎日この部屋に来たし、一番話をしていた相手も彼だが、いつも彼の方からこの部屋に来るから、自分は彼の寝泊まりしている部屋すら知らない。
    だから体調が優れない時に彼がしてきたようにそこに押しかけてその手を握っていてやることも出来ない。
    そもそもつい先程彼が倒れるまで、あんなに元気ななりをして、どうしてこんな所で療養しているんだとさえ思っていた程だ。彼の抱えている病のことすら自分は知らなかった。

    自分は彼を何も知らないんだ。そんな事が頭の片隅に残ってて結局気絶するように寝落ちるまで離れてくれなかった。
    翌日の午前。部屋に運ばれてきた朝食を食べ終え、歯を磨きに手洗い場まで行こうとして、部屋の扉に患者の名前の書かれた板が貼り出してあるのを見つけた。
    昨日は貧血を起こして倒れはしたものの、あれは慣れない運動をしたからだろう、あの後丸一日寝てしまったのもあってか、体調は思っていた程悪くはない。
    身支度を整えて、扉のネームプレートから彼の名前を探していけば、存外早くその部屋を見つけることが出来た。
    自分の部屋の斜向かいにある少し広めの個室だ。ノックをしたものの返事は無く、そっと扉を引けば、ツンとした消毒液の香りが自分を出迎えた。
    部屋の真ん中にはドラフターが置かれ、その隣にある机の上には、書きかけの図面と製図用の道具が所狭しと並べられていて、部屋のあちこちに書き終わった図面が張り出されている。
    その奥の薄桃色のカーテンが降ろされた窓の傍、呼吸器への負担を下げる為だろうか、少し傾斜がつけられたベッドの上に彼は寝かされていた。
    布団の上に力なく投げ出された華奢な左手には、今は点滴の針が入れられていて固定の為にと巻かれた包帯の白が痛々しい。
    けれど、そっと手の平を重ねてみれば、少しひんやりとしていたものの、あの時の氷の冷たさは嘘のようで、そのささやかな温もりにそっと胸を撫で下ろす。真っ青だった薄い唇も淡い桃色を取り戻していた。
    知らず、彼の手を握る自分の手に力が加わっていたのだろう、起こしてしまったのか、不意に彼はゆっくりと目を開けた。アッシュブロンドの長い睫毛が少し震えながら持ち上がり、その下から起き抜けの、まだぼんやりとした柘榴石の紅が現れる。虚ろな真紅はこちらに向けられてからゆっくりと焦点を引き結んだ。

    「………あるはいぜん?……来てくれたのか」

    けほ、と小さな咳を一つ零して、静かに彼はそう口にする。
    首肯すれば、ふ、と彼は笑みを浮かべた。
    柔和な中にどこかほんの少しだけ翳りの混じった笑みは、それから直ぐに申し訳なさげな表情に変わる。

    「すまない、迷惑を掛けたね」

    あんな見苦しい姿、あまり見せたくなかったのに。

    その言葉で、あの時紅い瞳に宿っていた後悔の色の理由がやっとわかった。
    元気そうに見えていたのはきっと、見えていたじゃなくて、見せていたんだと理解した。

    「……君がよく俺の読書の邪魔をしてくるのに比べれば大したことない」
    「それは、君が、借りた本を辺りに散らかしているから、片付けろって、しているだけだろ?……僕は、気になるんだよ、ああいうの」

    あれから一日経ったとは言え、まだ本調子では無いのだろう、少し喋っただけだというのに既に息が上擦りかけている。
    あまり長く話すのは彼の体に毒だ。暫くしたら部屋に戻ろう。そう思ったところで、よっこらせと彼は上体を持ち上げてベッドに備え付けられているオーバーテーブルに手を伸ばす。
    その上にあるのは描きかけの図面……というよりアイデア出しのための絵だった。

    「きみ、これは?」
    「ここ最近、何も作業できていなかったから。描かないと」

    まだ休んでいた方が良いのでは無いかと、咎めるようにそう尋ねれば、返ってきたのは、何かに駆られるような焦るような声音だった。

    「……何故?」
    「お義父さんに、見捨てられる」
    「それは、どういう意味だ?」

    あー……君になら、話してもいっか。
    少し逡巡するかのような苦笑いを浮かべ、彼が話し始めたのは自分の身の上についてだった。

    生まれつき僕は心臓が周りの人よりも弱くてね、とても手のかかる子供だったんだ。だけど、僕の生まれた家はそんなに裕福じゃなかったから僕の事を手放す機会を伺っていたみたい。でも、ある時僕の描いた絵が偶然とある有名な建築デザイナーの目に止まってね、デザインの才能があるって言われたんだ。それで今の僕はその人の養子になってる、らしい。
    養子縁組が決まる頃には既に僕はこの施設に居たし、その人に会ったことは無くって、写真で一度顔を見ただけだから、あまり実感は湧かないんだけどさ。……まぁ実の父母の顔も僕はもう覚えてないから余り変わらないね。
    僕の治療費は全部その人が出してくれている見たいんだ、彼の貰ってきた依頼を僕が手伝う代わりにね。
    だから、僕は、描かないと、描き続けないと、期待に応えないと、有用性を示さないと、治療費を出して貰えなくなってしまう。
    それに何より期待を裏切りたくないんだ。会ったことも無いとは言え、本当の両親にも見捨てられるような僕を初めて信頼してくれた人だから。





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