「——着いたぞ。ここが私の屋敷……いや、別荘だ。」
クラージィが顔を上げて二度瞬きをした。
「この規模で別荘か。」
「少々手狭だが、お前と私が身を置くのに困る事はないだろう。」
「手狭なのか、これが。」
クラージィはあたりを見回す。
「まだ全貌を把握できていないが、一般的な家屋より広大な敷地だと思うが。」
クラージィは首を傾げて、
「これは私の認識を正した方がよいのだろうか?」
「…いや、そのままでいい。」
「承知した。」
クラージィが頷くのを横目に、ノースディンがドアを開けた。クラージィを中へ促す。
「よければ、昼に外を出歩いても構わないだろうか?別荘がどんな姿をしているか気になる。」
「構わん。付近なら人間も寄ってこない。お前が見つかることもないだろう。」
ノースディンはクラージィの目を見て、
「お前は眠るのか?」
「睡眠が必要かという意味なら、必要はない。だが眠っているように見せることは可能だ。居眠りもできる。」
生真面目な聖職者が腕を組みながら居眠りしている所を想像して、ノースディンはふふっと笑った。
「そうだ、お前の為にスコーンを焼こう。もう夜も遅いが、夜明け前にはきっと完成して…。」
「私は食事ができない。」
クラージィがノースディンの言葉を遮った。
「ものを咀嚼し、飲み込む動作は可能だ。だがいずれ飲み込んだ食材を排出しなければならない。」
「っ…。あぁ、そうだったな。ロボットに人間の食事など必要ないか。」
ひきつったノースディンの表情を見て、クラージィが静かに言った。
「あなたの心が酷く乱れている。私はあなたのことを傷つけたのだろうか。」
「…気にするな。今のは私が悪い。」
「そうか。」
クラージィはノースディンの言葉をそのまま受け取ったように見えた。
リビングに着くとノースディンは1つの椅子を指して、
「そこに座っていろ。」
クラージィは素直に椅子に腰掛けた。その動きにも不自然さは全く感じられない。机を挟んで反対側にノースディンも腰掛ける。
「人間の食事は必要ない、とあなたは言っていたが。」
クラージィが口を開いた。
「それはある意味では正確な表現だ。私は食事をする必要がない。その代わり、動力源として人間の血液を必要とする。」
「人間の血?」
「ああ。月に一度、ティーカップ1杯程度で構わない。出来るだけ同じ血液型のものが好ましい。クラージィ本人と同じ血液型なら尚良い。あなたは、クラージィの血液型を知っているか。」
「いや。」
「そうか。残念だ。」
少しも眉を動かさないでクラージィは言った。
「なぜクラージィの血液型と同じ血が必要なのだ?」
「動力としての血液にこだわりがあるわけではない。私を動かすためにはティーカップの半分以下の血液量で足りる。血液型を指定する理由はとある機能を十分に活用したいからだ。私には人間と同程度の修復機能が備わっていると言ったが、同じように出血機能も備わっている。正確には出血しているように見せかける機能だが。あなたに見せたように、実際の私には生きた血など流れていない。何らかの原因で出血を伴うケガを負った場合、私は出血をしていなければならない…これで血液の用途が伝わるだろうか。」
「つまり、お前の血に見せかけるために、クラージィと同じ型の血が欲しいというのか?人間に血液型の違いなぞ分かりそうにもないが。」
「出血は、擦過や裂傷だけで発生するものではない。吸血によっても起こりえるものだ。」
ノースディンの動きがぴたりと止まった。
「……お前が吸血される?他の血族どもに?」
「私にはそうなった時の機能が備わっているというだけだ。私はロボットだが、預言者ではない。私が壊れるまでに吸血されない可能性も当然あり得る。」
ノースディンは二度、机を指で叩いた。
「今のお前にも血が流れているのか?それは何の血だ?」
「私は製造されてすぐこちらに来た。血液の補給も行っていない。現在の私に流れている血は、ハカセの能力で造られた血…つまり、クラージィ本人と同じ血液型である可能性が高い。」
ここで成程、とクラージィは頷いた。
「今の私を吸血すれば、クラージィ本人の血液型が分かるかもしれない。」
「そうだな。」
「不必要な確認かもしれないが、あなたは味覚だけで血液型を判別できるのか?」
「確かに要らない確認だな。」
ノースディンは小馬鹿にしたように笑った。
「私ほどの吸血鬼になれば、一口で分かる。——さぁ、立て。お前の血を確かめてやろう。」
クラージィはすっと立ち上がった。その目に——当然だが——吸血に対する恐怖の感情はない。
「首筋を出せ。」
クラージィは襟をぐいと引っ張り、首筋を露出させた。隙間から鎖骨が顔をのぞかせている。ノースディンは喉を鳴らした。あの時のクラージィは死にかけていて、ノースディンは助けることに必死だった。他を考える余裕などなかった。彼の血の味も全く覚えていない。だが今は違う。ここは安全な場所で、クラージィを眺める余裕がある。血の味だってゆっくり味わえるだろう。今のクラージィは健康そのもので、抵抗せずにこちらに首筋を差し出してさえいる。
だが目の前のクラージィは、ロボットなのだ…。
「他に必要な事は?」
固まったままのノースディンにクラージィは首を傾げた。
「…いや、ない。」
ノースディンはクラージィの肩に手を掛けた。襟を伸ばすクラージィの手に自分の手を重ねると、口から牙をのぞかせる。
静かに噛みついたノースディンの喉に流れ込んできたのは温かい血の味だった。
(…これが、クラージィの。クラージィの、味なのか…。)
「どうだろうか。血液型は分かるだろうか?」
噛まれながらも顔色一つ変えないクラージィに、ノースディンは小さく頷いた。宣言通り、一口ほどの吸血に留めてノースディンは首筋から顔を離した。
「お前の血液型は分かった。これと同じ血液型のものを今度から用意しておこう。お前の血に見せかけるためなら、シングルブラッドの方がいいだろう。お前だけが飲むものを用意しておく。」
「感謝する。」
クラージィは礼を言ってから、続けて言った。
「もう一つ、あなたに聞きたいことがある。」
「なんだ。」
「私はあなたのことをなんと呼べばいいだろうか。」
「そんなこと、お前の頭の中に既に入っているだろう。」
「ああ。あなたがハカセに話した内容は全て記憶されている。だが、これは改めて聞かなくてはならないのだ。」
ノースディンは無言で話を促した。
「私の記憶は全てあなたがハカセに語った内容が元になっている。裏を返せば、それ以外のことは入っていない。吸血鬼の能力によって補完されている部分もあるが、あなたがあの日に思い出せなかった事、意図的に言わなかったことなどは全て私が知らない事なのだ。その意味では、私はまだ不完全なロボットだと言える。ハカセと私に使い魔のようなつながりは一切ない。だからあなたが知っていること、思い出したことがあれば私に教えてほしい。私があなた以外の誰かに吹聴することはない。またあなたの知るクラージィと私とで相違があれば伝えてほしい。学習して修正しよう。」
だから改めて、あなたをなんと呼んでいたか教えてくれないか。クラージィはそう言って次の言葉を待った。
「クラージィは、私の事を……。」
逡巡して、ノースディンは答えた。
「私の事を、ノースディンと。…だが私とクラージィは互いに敵だった。だから『あなた』ではなく、『お前』としか呼ばれたことはない。」
「そうか。」
クラージィは0.5秒ほど黙った後で、
「ではお前のことは、ノースディンと。」