RECALL③いつも通りの時間にアラームが鳴り、意識が浮上する。
見慣れた天井、閉じられたカーテン、付いたままの間接照明。
寝室のベッドには自分のみ。
いつも通りの変わらない光景。
一緒に寝たはずの男の姿は無く、昨日までの出来事は、自分の都合のいい夢だったのかもしれない。
寝起きで覚醒しきっていない思考のまま起床し、顔を洗おうと洗面室に向かう途中、廊下に違和感があった。リビングの扉の窓から明るい光が漏れている。いつもはカーテンが閉まっていて暗い。カーテンの閉め忘れはしていないはずだ。恐る恐るリビングの扉を開けると、カーテンが開け放たれた窓から明るい日差しと共に味噌汁と何かを焼いている匂いが舞い込んできた。
「あ、コイトさんおはようございます。ちょうど今、起こしに行こうかと思っていました」
昨日共に過ごした男、ツキシマがキッチンから出てきた。
ダイニングテーブルには、目玉焼き、焼いたウインナー、カットサラダ、プチトマトが盛られた皿、味噌汁、白飯が盛られた茶碗、昨日色違いで買ったマグカップが並んでいた。出来上がったばかりなのか、皿から白い湯気が揺れている。
「これ…」
昨日、食材は晩飯だけの分しか買っていなかったので、冷蔵庫には何もなかったはずだ。
「えっと…近くのコンビニで朝食になりそうなものをとりあえず買ってきました」
昨夜、財布と部屋の合鍵を渡したので、外出も買い物も可能だ。
たしかに家事代行を依頼したが、朝食を用意するためにわざわざ早朝から買い出しに行くとも思わず、私は驚きあまり一瞬理解ができず、固まってしまった。
「あー、…勝手にすみません、余計なことでしたか?」
私が朝食を食べないと勘違いしたのか、ツキシマが不安げに訪ねてきた。
「いや、ありがとう。朝食を家で食べるのは久しぶりだったから少し驚いただけだ」
実家の朝食は和食中心だった。幼少期は剣道を、中高校はサッカー部で、朝練がある日は米を食べないと昼まで体力が持たなかった。大学に進学してからは一人暮らしを始め、激しい運動をしなくなったので朝は栄養補助食品もしくはゼリー飲料などで済ませていることが多く、不摂生な習慣が身についてしまった。
「いただきます」
ツキシマが用意してくれた朝食に手を合わせて挨拶をした。
「簡単なものですが、召し上がりください」
まずは味噌汁を一口飲み、それからおかずを口へ運んだ。
「うふふ、美味しい」
明るい日差しの中、ツキシマと向かい合って朝食を摂る。温かい食べ物に胃から体中に血液が巡り、じんわりと温まっていくの感じた。温かい朝食を誰かと向かい合って食べるのは久しぶりだった。
物心がついた頃から父は仕事で朝から不在がちで、兄は進学のため上京していたから、食事は母と二人きりが多かった。そんな私にさみしい思いをさせたくなかったのか、母は料理に腕を振るい必ず一緒に食事を取った。それは明治の頃も同じだったので、母には感謝してもしきれない。
私も実家を出てしまい、あの家で母は一人で食事をしていてるのかと思うと胸が痛んだ。疎かになっていた連絡を久しぶりに取ろう、と思った。
「今日はインターンが無いから、晩飯の用意を頼む」
「わかりました。食物アレルギーや苦手な食べ物はありますか?」
「アレルギーはないが…」
苦手な食べ物。鹿児島で食べた、あの方がついた甘い嘘。あんなに好物だったのに今は苦い。
「……月寒あんぱん」
「つ…?何?」
口をついて出てしまった。
「いや、何でもない。なんでも食べられるぞ!」
「…料理の経験は記憶が無いので、あまり期待はしないでください」
「大丈夫だ、ツキシマ!楽しみにしている!」
今日の晩ご飯はどんな料理が出てくるのか、毎日が楽しみだった子供の頃を思い出した。そんな純粋な気持ちを言葉にした。
「あ…、はい…精進します…」
ツキシマは豆鉄砲を食らった鳩のような顔をしていた。
「え?月島軍曹見つかったの?」
目の前で日替わりランチを食べている男、杉元佐一が目を丸くした。
「月島かもしれないし、月島ではないかもしれない」
「何、その哲学っぽいの」
この2日間で起こった出来事を簡潔に話をした。
杉元佐一も明治時代の記憶があった。
杉元は同じ大学、学科は違うが同じ学部に所属している。学年は一つ上。再会したのは1年前、一般教養の講義室だった。
まもなく授業が開始される直前に慌ただしく男が入室してきた。すでに教授も到着していたので、どうしても入り口に注目が集まってしまう。興味があったわけでも何でもないが、男と目が合った。
その男が杉元佐一だった。
樺太先遣隊として、ともに樺太へ渡り、金塊の在処のカギを握るアイヌの少女を探した男ー。
杉元佐一だと認識した瞬間、頭から冷水をかけられたような衝撃が走った。頭の中が真っ白になり、悪寒に襲われ小刻みに手が震え出した。
それでも他人の空似かと思い、震える体を抑制し、すれ違いざまに「私はお前に刺されたことを覚えているぞ」と鎌をかけたら、「俺はお前に初対面で撃たれたこと忘れてねぇからな」と返答され、取っ組み合い寸前になった。
杉元は明治の記憶がどこまであるのか分からないが聞くつもりもない。それでも記憶があるもの同士、たまに学食で食事を取ったりしているが決して親しいわけではない。
今日は「話がある」と杉元を呼び出したが断ってきたので、昼食をおごってやると連絡を入れた途端、ホイホイと出てきやがった。単純な男だ。
「あー!情報量が多すぎてツッコミが追い付かねぇ!」
杉元が頭を抱え悶えた。
理解が追い付かないのだろう、馬鹿だから。
「それさぁ、詐欺とか疑わなかったわけ?」
ツキシマに指摘された事を杉元にも同じ指摘を受け、癪に触った。
作り込まれた詐欺師は事細かく対策を立ててくる。それがやっかいなことも、小さな隙を見逃さないことも私自身経験をしている。
「お前、それが白石だったら盗られて逃げられってからな!」
刺青囚人の一人、白石由竹。
転生しているのかわからないが、私が今まで明治時代に出会った人物で、現代で出会ったのは自分の家族と杉元だけだ。
「倒れていたのが白石だったら放っておく」
正解だな、と杉元が笑う。
「ま、あいつ金塊持ち出して王国作ったくれぇだからな」
ボソボソと何かを言っていたがあまりにも小さい声だったので明確に聞き取れなかった。
「つく?…何て?」
「それよりさ、その後どーしたんだよ」
話をはぐらかされ、話題はツキシマに戻った。
「一緒に寝た」
「ん?」
「だから、一緒に寝た」
「…え?え?待って!行きずりの男といきなり同衾…?」
口をつけていたカフェオレが気管支に入り盛大に噎せた。
杉元の誤解を招かねない発言に咳き込みながら反論した。
「ちっ、違うわ!バカタレ!私の住居はゲストルームがないから、同じベッドで寝ただけだ!」
寝室に置いているベッドはクイーンサイズで男二人が寝ても問題がない。しかしツキシマはリビングのソファもしくは寝室の床で寝ると言い張った。布団は一揃いしかない。
これから本格的に冬が到来する。北海道や樺太とは違い凍死することはないが、それでも風邪をひいてしまうかもしれない。共寝を断固拒否するツキシマに、風邪をひいたら保険証もないのに病院で受診する気か、負担額を私に支払わせるつもりか、そもそも私に風邪を移す気か、と問い詰めたら納得はしていない様子だったが承諾した。
樺太に渡った時は雑魚寝をしたし、今更同じベッドで寝るくらい何も問題はなかった。
「それにお前とも寝たこともあるだろう、不本意だったがな!」
「ちょっ!お前!寝てねぇし!言い方!」
お互いヒートアップし、席を立っていがみ合っているのを周囲が注目していることに気が付き、咳払いをして二人とも静かに腰を下ろした。
「まぁ、ツキシマさんの身内とかが探してるかもしれないし、向こうも生活があるだろうし、悠長なことを言ってる場合じゃねぇよな」
杉元のくせに真っ当なことを言う。
「んで、これからどうす」
「鯉登くん」
杉元の話を遮るように、同じゼミ(だったと思う)の女子が声をかけてきた。
私の正面に座っていた杉元を一目して
「あ、何か大事な話してた?」
邪魔してごめん、と謝る女子に、いいや、と軽く否定し、続きを促した。
「この間のビジコンの選考結果教えてくれって、先生探してたよ」
応募したビジネスコンテストは、まず書類選考が行われる。審査が通過したものに対し、二次審査の面接があり、最終審査は審査員の前でプレゼンテーションを行う流れになっている。優秀者には賞金が出るので、同じ学科の中に個人やグループで応募した者もいる。
私も個人で応募し一次審査が通った。
「わかった。研究室に行く」
「相変わらず、お忙しいことで」
嫌味を無視して席を立った。
「鯉登」
去り際に杉元が神妙な顔つきで声をかけてきた。
「…あんま、無理すんなよ」
相変わらずおせっかいな性格だ。
「お前に言われなくてもわかっているわ、アホ元」
「うるせえッ!バカボンボン!」
空になった紙コップを投げつけてきたので、握りつぶしてゴミ箱に捨てた。
午後の講義が終了し、いつものように大学の図書館に向かった。図書館は地下も含め6階建ての施設で、経済・経営学部関連の書籍が集まっている最上階奥の窓側にあるキャレル席が私の定位置だ。インターンが無い日はここで授業課題や資格勉強をするのが日課になっている。
ページをめくる音、書架に本を戻す音、パソコンのキーを叩く音、筆記をしている音。静かな雑音が館内に響き渡る。
資料も参考書も揃い、静かすぎず落ち着いて作業ができるので気に入っている。
館内に流れてきたチャイムで集中が途切れ、顔を上げて窓の外を見るとすっかり暗くなっていたので時間を確認すると18時を少し回っていた。いつもは閉館時間の22時までいるのだが、ツキシマに夕飯の準備を頼んでいたのを思い出し、机に出していたパソコンを鞄に仕舞い、本を書架に戻し、大学を後にした。住処まで大学から徒歩10分程度の距離だ。
『18時半には家に着く』
携帯端末を操作し、部屋で使用しているスマートスピーカーへ送信した。
ツキシマとの連絡手段がないのは心もとないので、昨日の買い物時に新しい携帯端末を契約しようとしたら全力で拒否されてしまった。なので部屋で使用しているスマートスピーカーで対応することになった。簡単なメッセージのやり取りなら可能だ。
しばらくしてメッセージアプリの受信音が鳴った。
『かしこまりました』
大変堅苦しい返信内容に失笑してしまう。
今はもう私はお前の上官ではないんだがな。
玄関の扉を開けると、リビングの扉の窓から明るい光が漏れている。リビングの扉を開けるとキッチンからツキシマが出てきた。部屋は料理の匂いと温かい空気で満ちていた。ツキシマの顔を見たら肩の力がストンと抜けた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
ダイニングテーブルにはすでに箸と色違いのマグカップが並べてあった。
「すぐに飯は食えますが、どうしますか?」
「温かいうちに食べたい!」
すぐ戻るから仕度して待っちょいて、と寝室へ向かった。鞄を置き、コートを脱いでハンガーかけに戻し、それから洗面台で手洗いうがいをして再びリビングへ戻ると、湯気立った晩飯が用意されていた。
今日のメニューは豚の生姜焼きだ。付け合わせに千切りキャベツ、ほうれん草のおひたし、豆腐とわかめの味噌汁というTHE定番中の定番メニューだ。
飯の量はこれくらいでいいですか、と茶碗に山盛りされたので半分減らすように指示した。現役の学生アスリートならともかく、さすがにその量は食べられる自信がない。
ツキシマが席に着いたので、向かい合って二人で手を合わせる。
「いただきます」
最初に味噌汁をすすり、米を一口食べ、メインディッシュの生姜焼きを口に運んだ。
生姜の香りが染み込んだたれが肉に絡みしっかりと味付けされていて、これは飯が進む!
「味はいかがですか?」
「美味しい!」
お互いの声が被ってしまい、あ、と顔を見合わせた。ツキシマの反応が可笑しくてつい笑みがこぼれてしまった。
「美味いぞ!ツキシマぁ!」
「あ、ありがとうございます。レシピ通りにつくったので、大丈夫とは思いましたが、お気に召していだいてよかったです」
ツキシマも生姜焼きを口に運び咀嚼して、ちょっと味が濃かったですかね、と首を傾げた。
「うんにゃ!飯に合ってちょうどいい!」
さすがに山盛りにされた米を食べるのは無理だが、十分に米をかきこみたくなる味付けだった。
「定番中の定番ですが、これなら米好きのコイトさんの口に合うかな、と…」
「ん?」
「え?」
私自身、米好きと言った覚えはないが、白米が好きだった月島軍曹を思って、ついツキシマにも気持ちを押し付けてしまっていた。
「もちろん好きだが、…ツキシマは好きか?」
「え…ええ、まぁ。好き、だと思います」
「そうか、私の地元に美味い漬物があってな、今日注文したんだ。ツキシマにも食べてほしい」
自分が美味いと思うものを誰かと共有できる楽しみがあるのは健康的だ。そしてこんな気持ちになるのも久しぶりだった。
「楽しみだな!」
「コイトさん、ノート一冊余っていませんか?」
食事も終わり、片付けがひと段落したところでツキシマが尋ねてきた。
「ノート?」
講義内容はタブレットに書き込みをしているため、ノートは全くと言っていいほど使用していない。
寝室の本棚から数年前に買って未使用のノートが一冊見あったので渡した。
ツキシマは両手でノートを受け取り、礼を言った。
「何に使うんだ?」
「日ごとのレシートを貼って、使用金額を明確にしておきます」
「ないごて?」
「あなたからお預かりしている大切なお金なので、きちんと管理します」
漬物が届いたら、領収書はちゃんと渡してください、と、夕飯時に話したことも抜かりなく言われた。
必要経費だからそんな厳格に計算をしなくてもいいのに真面目にもほどがある。
明治の頃も月島軍曹に「無駄遣いをするな」と何度も釘を刺された。そんな真面目なところも似ていて好ましく感じた。
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④に続く