RECALL②俺は今、目の前の若者、コイトオトノシンに振り回されている。
住み込みの家事代行を提案され、記憶喪失の上に無一文な俺に拒否権はなかった。
それから「お前」のままでは落ち着かないと、俺は「ツキシマ」と名付けられた。
そして半強制的な交渉成立後、新宿の有名デパートに強引に連れ出された。
「かわいい」「かっこいい」「これが似合っている」と、着せ替え人形のようにとっかえひっかえ服や靴を試着させられている。
試着室で服の値札を見て眩暈がした。0の数が多い。
俺は自分の記憶だけが抜け落ちているだけで、物の価値観は変わっていないような気がする。服一着に何万円も使ったことはない。多分。
要りません、と震えながら返却してもコイトさんは一切聞かず勝手に会計を済ませている。
「コイトさん、ちょっと待ってください!」
文句も口出しもできない身分だが、20歳の学生に支払いをさせているのが居たたまれない。金の工面ができたら必ず返金すると伝えたら
「私と服をシェアしたらいいだろう」と返答され、何も言えなくなった。
あれよあれよという間に荷物は増えていき、ブランド名が印字された紙袋は両手で収まり切れなくなった。
勝手に会計して、目を離した隙にどこかへ行っている。こんな所で置いていかれたら敵わない。
「ひとりで行くな!」
はぐれない様に必死に探して追いかける。
面倒くさい…
鯉登音之進 20歳
有名私立大学 経営学部3年生(実年齢よりも上に見てしまったので学生証の提示をされた。)
父は鯉登グループの社長、13歳年上の兄は取締役。
兄が住んでいたマンション(高級)を譲り受け、現在独り暮らし。
大学の授業、資格取得やビジネスコンペなどにも力を入れ、それ以外にも社会勉強の一環として週2~3回ほど企業の有給インターンシップにも参加。多忙な日々を送っているためマンションには、ほぼ寝に帰っているような生活らしい。
この人は人を疑うことを知らないのか。身元不明の人間に個人情報をペラペラと喋って何を考えているのか。
「俺が詐欺師か誘拐犯だったらどうするつもりだ」と半ば呆れながら呟いたら、彼の澄んだ目が一瞬にして曇った。そんな顔をされるなんて露程も思わず、余計なことを言ったと即謝罪した。警告のつもりが恩を仇で返してしまった。そんな顔をさせたかったわけではない。自分の言葉に罪悪感と後悔が蝕み、胸の奥に黒いもやもやとしたものが渦巻いていた。
その後すぐに「買い物へ行こう」と何事もなかった様に彼は切り替えた。
「ツキシマぁ!疲れた!休憩するぞ!」
そんな俺の心配をよそに、次の目的地へ連行された。
有名コーヒーショップの新作のなんとかが食べたかったと嬉しそうにニコニコして頬張る姿は年相応、いや年下に見えた。
「ツキシマも食べろ!」
ホイップクリームをすくったスプーンを俺の口元へ押し付けてくる。所謂「あーん」の格好だ。
自分の年齢はもちろん覚えていないが、鏡に映った自分の顔を見ると30代半ばくらいだろうか。そんな男と若い男のあーんは絵面的にアウトだろ…
「いりません」「食べろ」の攻防をしばらく繰り返し、最終的に強引に口の中へクリームを放り込まれた。
「甘いな!」
この人の無邪気な笑顔が眩しすぎて目がくらむ。
朝から散々振り回され、気が付けば夕方になっていた。
何かと初体験(多分)ばかりで疲れ切った俺は早く帰りたかった。帰るといってもこの人の家だが。
「もう、こんな時間か。飯を食べて帰ろう!」
いかにも高級そうなレストランに入ろうとしたので全力で阻止した。
色んな意味で腹いっぱいだ。
これから家事代行をしないといけないから、台所に慣れるためにあなたの家で支度をしたい、と苦し紛れの言い訳をしたら「それもそうだな」とあっさり信じた。
「あ、米がない!米を買って帰ろう」
デパート地下の食品フロアで様々な種類の米を、店員に聞きながら厳選していた。
「このおかず、ご飯に合いそう」と総菜も何品か選んでいた。やたらと米にこだわっているので、この人はよほど米が好きなのだろう。
タクシーで帰路に着き、両手に抱えた衣類はリビングに、食料品は台所へ置いた。
早速、夕食の用意をすべくに立った。
コイトさんは台所のどこに何があるか指示はするものの特に何をするわけでもなく、監視するかのように俺の横に張り付いて俺の顔を眺めている。距離が近い…。
居心地の悪さを感じながら、米は炊飯器(絶対高いやつ)で炊き、今日の買い物で買った皿に総菜を盛りつけ、電子レンジで温めた。
「食事は大体、外食かデリバリーですませているからな。早速役に立った」
広いキッチンに調理器具一式があるものの、食器などは必要最低限しかなかった。
「このコップも買って正解だ!」
コーヒーショップで購入した季節限定カップも嬉しそうに眺めていた。同柄の色違いで紫と緑。緑が俺専用になった。
洗濯は乾燥まで全自動。衣類クリーニングは専用バッグに入れマンションのコンシェルジュに委託。
トイレは使用ごとに自動洗浄。
風呂の給湯、洗浄は全自動。
床、窓掃除はロボット掃除機。
全てボタンを押すだけ、またはスマートスピーカーに指示を出せば完了。
ただ、ゴミ捨てだけは各フロアのダッシュボードに入れないといけない。
飯を済ませた後、コイトさんから家事や家電の使い方のレクチャーを受けた。
「…俺が代行する必要あります?」
日々の家事が疎かになってしまうので助けてほしいと、と言ったわりに人の手など借りる必要がないくらいほぼ完結している。
「あるだろ」
さも当然のように言ってのけ、真っすぐに目を見つめてくる。何かを見透かされているようで、いたたまれなくなって俺は目をそらしてしまった。
今日は怒涛過ぎる一日だった。
あまりにも展開が速すぎて、俺は頭も身体も疲れ切っていた。
早く床に着きたかったが、家人よりも先に寝るわけにはいかず、コイトさんの風呂上がりを待った。
しばらくするとコイトさんが風呂場から出てきた。寝間着の襟元から覗いた湯上りの肌は艶々しく妙な色気を放っていた。
彼が近づくと石鹸かシャンプーか、どこか懐かしく安心するいい匂いだった。
「どうした?お前も早く入ってこい」
まるで時が止まっていたかのように動けなくなっていた。
声をかけられて、はっとした。胸が波打つ。
「え…?あ…」
「何だお疲れか?私も明日は朝から授業があるから早く寝よう」
そういえば自分の寝床を聞いていなかった。まぁソファでも床でもどこでも寝られるのだが。
「待っているから早く入ってこい」
家人を待たせるわけにはいかず、先に床に着くよう促した。
「いいから、早く入ってこい!一緒に寝るぞ!」
再び時が止まった。この人は何を言っているんだ?
固まって動けなくなった俺をコイトさんは全く気にせず寝室へ引っ張っていった。
今朝、俺が寝ていたベッドだ。
「一緒に寝るぞ!」
…ちょっと、まて。
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③に続く