ロマニはお茶を用意するため、医務室に備えつけの戸棚の前に立った。嗜好品としてカルデアから支給品されているノンカフェインの紅茶を探す。だが思い浮かべていた緋色のパッケージを見つけた途端に、彼の気は変わった。
漁っていた棚からはなにも出さず戸を閉め、代わりに一段下の棚からルイボスティーの缶とティーセットを取り出す。それは個人的な嗜好でかつて取り寄せた、ロマニのお気に入りだ。
カルデア支給の紅茶も味や香りは十分に優れたものだ。だが必死でがんばって生還を果たしたマスターに出す感謝と慰労の一杯は、特別なものがいい。振り返ったロマニは明るい声で立香を呼んだ。
「立香ちゃん。悪いんだけど、これをそっちに持って行ってくれるかな?」
これ、とロマニは茶葉の入った缶とティーセットを載せたトレーを軽く持ち上げてみせる。立香は「はーい」呑気な返事とともにすぐに立ち上がった。
陶器を運ぶためか、どこか慎重な足取りで席に戻る立香を視界の端に捉えながら、ロマニは別の棚から小ぶりのカセットコンロと鍋を出した。そしてそれらを両手に、立香が待つ席に向かう。
「こんな時間になにを作るつもりなんですか?」
「お茶だよ、お茶。ほら、缶にも書いてあるだろう? ルイボスティーさ」
「これ、ルイボスティーなんだ……」
英語で書かれた缶のラベルを見つめてぼそりと呟く立香とは対照的に、ロマニは慣れた手つきでカセットコンロに鍋をセットしミネラルウォーターを注いでいる。カチッとつまみを回し火がついたあと、立香は失笑した。
「ここ、医務室ですよね? なんでカセットコンロなんて置いてあるんですか?」
「そりゃあもちろん、ボクの休憩セットのひとつさ。鍋とカセットコンロがあれば、こうして煮出してお茶を用意することもできるし、夜食も作れるし、すごく便利なんだぞぅ」
立香が聞きたかったのは医務室は火気厳禁ではないのか? ということだったのだが、焦点のズレたロマニの答えは不思議と心地よかった。
小さく笑い声を漏らした少女の口元は、緩やかな弧を描いていた。幼さを残した、無垢で自然な笑顔だ。
「マシュのおやつを食べたりもするし、さてはドクター、悪いおとなですね」
「おとなっていうのは、たいてい悪い生き物さ。だから立香ちゃんも、ちゃんと気をつけなきゃいけないよ」
わざとらしく教訓めいた響きを持たせているロマニは、どこまで本気なのだろう。ルイボスティーの缶の蓋を開け、試しに香りを嗅いでみながら立香は頭の片隅でそんなことを考える。鼻の奥に残る干し草のような香りは、敏感になった精神を落ち着かせてくれた。
水が沸騰した。「ティースプーン1杯分、それをお湯の中に落としてくれる?」ロマニはちょうど缶を持っていた立香にティースプーンを差し出した。渡されたそれで茶葉をすくった立香は「これくらい?」と量をロマニにたしかめてから、鍋の上でスプーンを傾けた。
赤みがかった茶葉がぱらぱらと舞い、沸き立つ湯に落ちていく。乾燥した茶葉がみるみるうちに濡れて、透明だった液体に色がついていく。先ほど缶からたしかめたときよりも柔らかい香りが、気づけば湯気にのって医務室に広がっていた。小さな鍋を満たす濃赤色のそれは、宝石のように綺麗だった。
「でもほかの人には内緒にしておいておくれよ。医薬品や高い医療機器はぜんぶ別の部屋にあるとはいえ、さすがに怒られるから」
ピ、ピ、と電子音をさせながらタイマーをセットしていたロマニが不意に顔を上げ、眉をへの字に曲げながらそう言ってきたものだから、立香は一瞬なんのことかわからなかった。一拍の間を置いてから、医務室でカセットコンロを使っていること、ひいては今日の夜のお茶会を口外しないよう打診されているのだと気がつく。
立香はついに大きく口を開けて笑った。
「それなら、ティーバッグの紅茶にすればよかったのに! カルデアの支給品であるじゃないですか!」
「せっかく第二特異点から立香ちゃんたちが帰ってきた日なんだから、奮発したいじゃないか! 最近は忙しくて、こうやってゆっくりお茶する時間だってなかったし。なんだっけ、日本語であるよね。イッセキニチョウ? だっけ」
「一石二鳥っていうか、かこつけてるだけですよ!」
勢いのまま突っ込んでしまったあと、立香は缶のラベルを撫でながら言葉を付け足した。ざらりとした紙の感触に意識の何割かを向けると、素直な気持ちを紡ぎやすいような気がした。
「でも、ありがとうございます。こういう時間を作ってもらえるの、すごく嬉しいです」
立香たちがレイシフトしているあいだ、ロマニをはじめスタッフたちは昼夜問わず存在証明をしてくれている。中でも司令官であるロマニは、立香やマシュが作戦行動をしているあいだ常に特異点の解析、指示をカルデアと特異点先のどちらもに出しているのだ。本人が言うように忙しく、ゆっくりとお茶をする時間がなかなか取れないのは事実に違いない。
それでも、特異点から帰ってくるたびロマニはこうして立香のために時間を割いてくれる。ちゃんと向かい合って話を聞いてくれる。それは戦場で張り詰めた立香の精神を、たしかに和らげてくれていた。