ピンポンピンポンピンポン――――。
耳を塞ぎたくなるようなインターフォンの音が連打されて、風信は読んでいた本をソファに放り投げ慌てて来訪者を確認した。
小さなモニターにはひどく怒っている慕情が映っている。
急いで玄関の扉を開くと体当たりするかの勢いで慕情が部屋に飛び込んできた。
「今日はバイトじゃなかったのか」
「その話はもういい」
「はっ?」
「上がるぞ」
有無も言わせず靴を脱いで上がり込んでくる。風信は小さく息をついてその後を追いかけた。
「いきなりどうした」
「私が来たら困るのか」
「困りはしないが、連絡ぐらいしてもいいだろう。もし、先客がいたらどうするんだ」
「別れる」
「それは相手が誰でどういう関係か確認してからにしろ」
玄関から入って短い廊下を抜けるとリビングルームがある。その中頃まで進んだところで風信は慕情の腕を掴んだ。
不機嫌さを隠す様子もないのに、慕情は振り返らない。
「何かあったのか?」
「……さっき家に帰ったら南風が居た」
「そりゃ、あいつらも付き合ってるんだから一緒に居てもおかしくないだろう、って、あー……」
全て察したような風信の様子に、慕情は噛みつくような勢いで腕を振り払って振り返り風信の胸ぐらを掴んだ。
「南風をそそのかしたのはお前か!!」
完全な言いがかりだが、慕情が扶揺をどれだけ大事にかわいがっているか風信は知っているから、それについて腹は立たなかった。
「今更気づいたのか。ずっと前からやってたぞ」
風信の言葉に慕情の顔が真っ青になる。少し開いても何も発さない口に身体が小さく震えている。
何を考えているのか手に取るようにわかるなと自分を見ている風信に気付いて慕情は手に一層力を込めた。
「そもそもなぜお前も知ってる?! まさか相談を受けていたのか!?」
「そんなことはない。二人を見てたら分かるだろう? それにお前に精一杯な私がなぜ弟の世話を焼かないといけない?」
胸ぐらを掴む慕情の手首に手をやると、慕情は突き放すように手を離した。
気持ちのやり場がない慕情が相変わらず睨んでいるが、風信に何か非があるわけではないのだから、それ以上何か言えるわけもない。
「なぁ、慕情。あいつらだって恋人同士なんだから、そういうのは自然なことだろ?」
「私たちはしていない!」
「……お前、今それを言うのか」
風信は思わず眉間を揉んだ。
そう、風信と慕情は付き合って二年は超えるが、まだ一度も身体を重ねた事はない。
だが風信はしたくないわけじゃ無い、むしろ慕情を抱きたいと思っているし慕情にもその意志は伝えている。ただ、慕情が首を縦に振らないのだ。
慕情が拒むのは性的欲求がないとか一緒にいられるだけでいいとかそんなアセクシャル的な理由ではなく、単に怖じ気づいているだけだった。だからと言って男も女も知らない慕情に怖がるなという方が無理だ。まぁ、身体の関係が全てでは無し、時間をかけていけばいいかと妥協しただけにすぎない。
「お前がそれを言うのなら、南風達の話は後だ、先に私たちの話をしようか」
「私たちの話?」
「確かに私たちは付き合っているが何もしていない。だがそれはお前の意志を尊重しているのであって、私の思いとは別だ」
怖いぐらい真剣な顔で話し出す風信に気圧されて慕情は無意識に後ろに下がった。
「……キスは、してるだろう」
「あんなキスは挨拶みたいなものだ」
キスはしている。してはいるが、ただ唇が触れるだけだった。一度舌で唇に触れたら真っ赤な顔をした慕情に思いっきり殴られたのだった。
珍しく片方の口の端をあげる笑い方で風信は慕情へ一歩進む。近づかれて慕情はまた後ろに下がった。
「慕情、私はお前が好きだ。お前は?」
風信がまた一歩近づく。
「わ、私だって。好きじゃなければつきあったりしない」
慕情はまた後ろに下がる。
「私はお前に触れたい。お前は?」
「わ、私は……」
「私はお前を抱きしめたい。お前は?」
「わ、わ……」
容赦なく距離を詰められて思わず仰け反ろうとして背中に鈍い痛みが走った。
いつの間にか壁際まで追い詰められていたこと気付いて慕情は思わず壁に後ろ手をついて視線を下げた。
影が落ちてきて顔を上げると、壁についた両腕に囲い込まれて風信の顔がすぐ間近にあった。
「私はお前が欲しい。お前は私が欲しくはないか?」
「…………」
「あの二人がしていることはそういう気持ちの先のことなんだ」
「し、知らない」
「じゃ、二人が何してたか知りたいか?」
「え?」
問われた意味を理解する前に風信の手に顎を強く掴まれた。
状況について行けていない慕情にはお構いなしに唇が押しつけられる。
強引に口の中にねじ込まれる舌から顔を背けようとしてもびくともしない。
歯列をなぞる風信の舌を噛んでやろうとして扶揺と南風の顔が浮かび思わず動けなくなった。その隙に舌を絡め取られた。
たくし上げられたシャツの中に差し込まれた手が慕情の上体を弄る。
されること全てが気持ちよくて身体から力が抜けていくのに、壁と足の間に入れられた風信の足に支えられて崩れることも出来ない。
いつの間にか慕情は風信の服の胸の辺りを掴んで、自分からも拙いながらも舌を動かした。苦しい呼吸の合間に風信のと混ざり合った唾液を飲み下す。
もう、いい加減耐えられなくなって意識が消えそうになった頃、漸く風信が顔を離した。
顎から手を離した途端、崩れた慕情の身体を風信は抱き留めた。
「大丈夫か?」
「大丈夫な……わけないだろうっ」
口を拭いながら、涙を流し息も絶え絶えなのにきつく睨み付けてくる慕情の勝ち気さに風信は感心した。
とりあえず、今のでキスや自分を怖がるようなことは無かったようだ。
「まだ、最初も最初なんだが」
自分とは違い平然としている風信の言葉に慕情は身体を硬くした。
経験がないからといって何も知らないわけではないのだ。風信が言わんとすることは分かってしまう。
動けなくなっている慕情を風信は横向きに抱き上げた。
次に何をされるか考えてひどく取り乱しているのに身体が動かない。
寝室に連れて行かれるかと思いどうしようと内心ぐるぐるしていたのにソファに下ろされ、思わず風信を見上げた。
「そんな顔するな。今日はもう何もしない。終わりだ」
風信の手が優しく一度慕情の頭を撫でて離れた。
安心したような、がっかりしたようなよく分からない気持ちでいると、
「ほら」
と、風信がマグカップを差し出していた。
いつの間にか考え込んでいたらしい。風信が側に居なかったことに全く気付かなかった。
「渡す順番が違うだろう」
慕情は風信が左手に持っていたタオルをひったくって、唾液に汚れた手と、顔と首を拭った。
タオルを回収してマグカップを慕情に握らせると、風信はキッチンにタオルをおいてから自分の分のカップをもって慕情の横に座る。
「私の横に座るとは良い度胸だな」
「そうだな」
楽しそうな風信の様子がどうにも居心地が悪い。
「南風達のことは許してやれ」
「うるさい」
言ってマグカップに口をつける。
「あいつらの事より、私との事が先だろ?」
終わったと思った話をされて、思わずマグカップを煽ってしまった。
幸い熱くもない温度だったので慌てて飲み下したが、少し飲み損なって噎せた。
涙目で睨むと
「逃げるなよ?」
と言われ、慕情は口を引き結んだ。