Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    きろう

    @k_kirou13

    ⑬きへ~二次創作
    だいたい暗い。たまに明るい。
    絵文字嬉しいです。ありがとうございます。
    まとめ倉庫 http://nanos.jp/kirou311/novel/23/

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🐈 💯
    POIPOI 67

    きろう

    ☆quiet follow

    バレンタイン隆ツ

     悩んだ末に部屋に置いたままの小さな紙袋のことを思い出しながら比治山は恋人である沖野の元を訪ねた。

    「ツカサ、居るか?」

     居ることは知っている。彼は仕事以外で殆ど部屋から出歩くことは無いし、その時は大抵比治山を誘う。案の定、通話状態になったインターホンの向こうから物音が聞こえた。

    「ごめん隆俊、少し待ってて」

     どうも室内を忙しなく歩き回っているようだ。
     少し間が悪かっただろうか。彼にも立て込んでいる時はあるだろう。
     例えば彼の部屋はいつも整理整頓されている。当初は昨日引っ越してきたばかりで荷物は明日届くのではないかと思わせるくらいに必要最低限しか物が無かった沖野の部屋も、比治山と交際を始めてから二人分の生活雑貨やちょっとした娯楽の品々が増えた。
     彼の生活が温かい豊かさで彩られていく様子は非常に好ましく思う。それが自分の影響で、想いが通じ合っているならば尚のことだ。
     しかし、そういったもので困らせているなら手伝った方がいいのではないか。
     考えを変えて再び声を掛けようとしたところ、インターホン越しの通信音が遠ざかり、壁よりは遮音性が劣るドアの向こうから近付いてくる気配がした。
     期待通りに扉が開く。

    「Happy Valentine's Day 愛してるよ、隆俊」

     色素の薄い可憐な恋人の姿を期待した比治山の目に飛び込んできたのは赤い薔薇の花束を差し出す麗しい青年だった。





    「まさか花を用意されるとは……」

     部屋に誘うつもりだった予定を翻して、比治山は彼を抱きしめて礼を言った後、招かれるままいつも通り沖野の部屋のソファに落ち着いた。目の前のローテーブルには濃茶のワックスペーパーと白いリボンでシックにまとめられた花束が横たえられている。
     バレンタインという古くから続く習慣は時代と地域によって様々に形を変え、近年は女性が男性にチョコレートを贈るという古典的な在り方に回帰していた。同性間では互いに贈り合うこともあるが、年下の者が年上の相手に、というのが旧習にならった通例だ。
     だから比治山は沖野にチョコレートを貰うことを期待していた。
     物質的な娯楽品の限られる宇宙コロニーでもこの時期ばかりは多種多様なチョコレートが入荷されるし、計画性さえあれば地球から指定したものを取り寄せることも可能だ。……と、警備班の女性に聞いた。そして世間の物事に疎い沖野がこのことをすっかり忘れていようと二人で楽しめるようにチョコレートを用意していた。
     そして、沖野から渡されたのが花束である。これもまたバレンタインの習慣として古くからあるものだ。

     テーブルから視線を移し、いつも通りであることに何ら疑問を抱かず、ただ表情だけは少し得意げにソファに並んで座る恋人を窺う。普段よりも額と耳を顕わにして整えた髪型や、珍しく細身の体格を隠さないベストをきっちりと身に着けた様子がいつも通りであるものか。比治山の好みを図って飾られたであろう姿を長々と見ていられず、緩む口元を覆った。顔が熱い。
     比治山の目に沖野は完璧だった。彼は常に比治山の大切な、いっとう美しく愛しい恋人であるが、扉を開けて比治山を迎えた沖野はもっと完璧で、映画のワンシーンをエクステンデッド・リアリティで再現したかのような非日常を帯びていた。
     もし比治山が眼球にカメラをインプラントしていたならとっさにシャッターを切っただろう。
     宇宙ではなかなか嗅ぐ機会のない薔薇の芳香もあって強い眩暈を覚えた。
     そう、これは生花だ。食品と違って鑑賞以外に用を為さない生鮮品は研究用途以外では早々お目にかかれない。花といえば模造品か、生花のように加工されたプリザーブドフラワーだ。沖野がこれを用意するのに相当手を尽くしたことは想像に難くない。
     恐る恐る花弁に触れてみると彼の肌のように柔らかな瑞々しさが指に伝わった。

    「喜んでくれてよかった。隆俊は可愛い僕が好きだと思うけど、それだといつも通りだから」
    「いや、とても嬉しい。こんなことは初めてでどう言っていいか……」

     きちんと顔を見なければならないと頭では分かっているのだが、柄にもなく一人でときめいている心臓の鼓動を落ち着ける手段が見当たらない。
     部屋に物が増えたと言っても互いに落ち着いた色を好むせいで薔薇の赤は殊更に鮮やかに燃えるようだ。
     ふいに沖野が比治山のシャツの袖を引いた。

    「まだ隆俊から『愛してる』の返事を聞いてないよ」

     薄い微笑を浮かべてねだるように目を細める。
     格好良いと表現され得る装いをしてもやはり彼は可愛い恋人だ。彼の求める言葉の代わりに両頬をそっと包む。

    「すまない、準備はしていたんだが足りなかったようだ。少し後で俺の部屋に来てくれるか」

     すぐに応えてやりたいのは山々だが、チョコレートを渡して終わりではどうにも釣り合わない。いまから用意もなにも無いが、せめて身支度ぐらいは沖野に見合うように整えたい。
     掌の熱から今は口に出せない真心が伝わることを願ってゆっくりと滑らせる。
     しかし、やはり比治山は浮かれていたのだ。

    「嫌だ。離れる理由なんかないだろ? 今すぐ行く」

     あまりに色気も素っ気もない反応に苦笑が漏れた。

    「仕方ないな」

     手を離すと薔薇色に色付いていて欲しかった頬は普段とそう変わりない。
     沖野司がどういった人間で何を求めているかまで気が回らなかった比治山の負けで、期待は共に向かう部屋に持ち帰ることにする。

    「ああ、でも花瓶は用意してほしいな。僕の部屋には丁度いいのが無かったんだ」
    「う、む……。水筒かジョッキしかないぞ……」
    「いいんじゃない。君らしいよ。短く切りつめてもいいって見た。どうしようもなければ勿体ないけどお風呂に浮かべて一緒に入ろう」

     そうと決まればとばかりに沖野はテーブルの上の花束を片手に抱えて上機嫌で部屋から出ていく。比治山はそんな姿で一人歩かせてはなるものかと慌てて追いかけた。


     ――まだ世界が甘く穏やかだった頃の一幕。


    2023.02.14
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    💕💕💖💖🍫💖💖💒💒💒💞💕🍫🍫💕💕
    Let's send reactions!
    Replies from the creator