鯉登音之進は不可思議だ。
自分勝手なようでいて、いつだって選択肢をこちらへ寄こしてくる。面倒なのは好きじゃない。自分の意思で考えるより流されてしまった方が早いし、何より下士官の立場上そうした方が得策であることが多かったからだ。

鯉登音之進は諦めない。
自分がどれだけ身分違いを説いても、機能しない胎を持つΩにどれだけ価値が無いかを切々と語って見せても聞く耳持たない。いや、聞いてはいるのだが頑として聞き入れてくれないのだ。これには困り果てた。どこに世界に子も孕めないΩを欲しいと熱心に口説いてくる者がいるだろうか。物好きか、あるいは面白半分か。そう思っていた事がバレて手酷く抱かれた事もあった。ほぼ襲われたといっても差し支えないような有様のボロ雑巾のようになっている俺をみて顔を青くし、すまないすまない悪かった許してくれと謝りながら身体を清められた時には、彼の行動の真意が全く分からず恐怖すら覚えたほどに、彼は自分には理解できない生き物だった。
実際の所交尾すること自体は、いい。うなじさえ噛まれなければ。交尾する事自体は嫌いではないのだ。胎を失った影響でフェロモンも殆ど出ない自分は、発情期も人より軽い。更に軍からは抑制剤も支給されているのでほぼβと同じ生活が可能だった。だが卑しくもはしたないこのΩ性は時折無性に犯されたいと無意識に思ってしまうのだった。だから丁度よかった。彼は何故だが知らないが俺を抱きたい、俺は彼を使って精処理をしたい。利害は一致している。そう思っていた。そう思っていた筈なのだ。だがいつの間にか彼との情欲の間に何か暖かいものを感じてしまうようになる自分がいた。激しく抱かれたい。優しく抱きしめられたい。甘やかされて、その腕の中で自我を失いドロドロに解けてしまいたい。そんな事を思うのも、感じるのも、初めての経験で戸惑った。面倒くさい、とも思った。けれどそれ以上に言い訳のしようが無いほど彼自身に惹かれているのを、無視できなくなっていた。

鯉登音之進は揺るがない。
俺は観念した。それまで決して見せなかった背中を初めて彼の眼下に晒して、貴方が望むなら、こんな粗末なΩを貴方が望んでくれるならどうぞ噛んで下さいと、哀れに懇願した。若い彼はすぐに飛びついてくるかと思った。が、いつまでたってもうなじへの痛みは無い。なにか地雷でも踏んだか、と恐る恐る振り返ると、目の前の男は居住まいを正して窓の外の月明かりを背に正座をしてこちらを向いていた。そして静かに口を開く。
「私が望むなら、ではなく、お前が望むなら、だ。間違えるな、月島。大事な事だ。考えろ。自分の頭と体と心で。私に噛まれたいと望むか？私にならいいと、望んでくれるのか？」

鯉登音之進は美しい。
こんなに綺麗な心の人間も、こんなに清らかなαも、これまでの人生で見たことはなかった。今度は胎ではない、左胸の奥が、ぎゅうと握り潰されるかのように酷く傷んだ。これは今まで面倒だと見て見ぬ振りしてきた自身の心、自身の想いだ、と気付いた時には、その自分にだけ広げられた腕へ飛び込むのを我慢できなかった。

鯉登音之進はしたたかに。
舌舐めずりして俺のうなじを指先で嬲った。