十六話 いざ、検査へ 翌日、ヴァイスはいつも通り朝食を済ませていつも通り労働に勤しもうとしていた。寝癖なし、武器の手入れも百点満点。よし、と意気込み部屋を出る。
そんな時、ノワールに捕まった。扉を閉めようとした瞬間、ドアノブをがっと押さえつけられて追い詰められたのだ。ヴァイスは焦り、何か彼の不況を買うようなことをしてしまったのだろうかと考える。けれど普段から自分に甘い彼に対して、何かをやらかした覚えはない。
いつにも増して深みを増したノワールの瞳を見ながら、ヴァイスは恐る恐る彼の名を呼んだ。ノワールの薄い口が開かれる。
「昨日は随分と無茶をしたみたいじゃないか」
口調はいつもの柔和なそれだったが、どこか責め立てるような感情が声に滲み出ていた。
「……誰がそんなこと言ってたの?」
誰が、と聞いても犯人は二人に絞れている。戦闘での出来事を話したのは、あの時のちに合流したディアンとスティルだけ。ならばどちらか、もしくは両方から聞き出したに違いない。
考えればすぐに浮かぶような推測をまるで名探偵のように脳裏に浮かべ、ヴァイスはノワールの返答を待った。
「ディアンだけど」
あいつ!!
ヴァイスは思わずそう叫びそうになったが、そんなことをすれば無茶をしたことが事実だと認めることになる。こぼれそうな言葉をすんでのところでぐっと抑えた。
さてどうするか、と視線を泳がせる。ディアンは後で詰めることが確定したが、今はとにかくこの場面を乗り切らなくてはならない。となればやはり誤魔化す以外の手段はないだろう。逃走でもしたらそれこそ図星を表すことになる。故に、残された道はただ一つ。
にっこりと、ヴァイスが普段浮かべる笑みとは到底似つかない笑顔を作った。
「む、無茶だなんてそんなぁ〜! ディアンもおかしなこと言うんだね! そういうの、全然してないし……僕はあくまでいつも通り——」
「ヴァイス?」
必ず吐かせてやる。そんな意気込みが透けて見えるほどノワールは食い気味にヴァイスの名前を呼び、そうして笑顔のヴァイスに対抗するみたく普段は見せないような満面の笑みを浮かべた。ただ純粋に「怖っ」という感想しか出なかった。
これはもう諦めるしかない。ヴァイスは無理矢理貼っ付けていた笑みを剥がし、真逆のしょんぼりとした表情を作った。
「——と、いうことが、ありまして…………」
結局、ヴァイスは昨日の戦闘でのことを全て吐かされた。事情聴取にも近しいそれの最中にも、ノワールは変わらずの笑みを浮かべていて。それがヴァイスの恐怖をさらに煽り、説明が終わる頃には聞き取れるかどうかというまでに、声が小さくなっていた。
一方でノワールは、ヴァイスの話を聞き終わってから何かを思案するように、口元に手を当てたポーズのままヴァイスの体を注視している。視線の動きから、ヴァイスが攻撃を受けたところを辿っているのだと思う。くすぐられているようでそわそわした。
しばらく同じ動きを繰り返し、そしてノワールはようやく口を開いた。
「午後の任務まで時間がある。ヴァイス、良い機会だし検査してもらいな」
検査。それはヴァイスのみならず全ての人工亜人を対象に行われる、機械に例えるとメンテナンスのようなもの。魔力に特殊な乱れはないか、人工亜人だけが持つ対異形への特異性に変化はないか、等々。通常の医療機関では受けない検査を、生みの親——人工亜人を造る研究者自らの手によって行われる。
検査は定期的に受ける義務はあるが、それとは別に有事の際に自由に検査を受けることもできる。例えばそう、昨日のヴァイスのように、命に関わる怪我を負った際などに、だ。
そんな検査という特別性の高い言葉を聞いて、ヴァイスは眉間に皺を寄せた。ぶんぶんっと、首がもげそうなほどに横に振る。
「嫌だよ、絶対長引くじゃん! そんなの任務に間に合わない」
一転して声を荒げれば、ノワールに柔らかな笑みで宥められる。
「間に合わなかったら僕たちでなんとかするから大丈夫だよ」
「でも……」
仕事を肩代わりする、という通常ならば大歓喜ものの申し出にもヴァイスは頷かなかった。薄く形の良い唇を歪ませて、ついでに瞼もぎゅっと細める。それに伴って寄せられた眉と生じた眉間の皺。不服を表しているのは誰が見ても明らかだった。
実際、ノワールの提案には何の問題もないのだ。任務に駆り出される人数が少なくて済むならば、それで良いとチーム制度を以てして奨励されている。危険度が高い任務ならそういうわけにもいかないのだろうが、悲しいかなヴァイス達はまだ新米の正隊員。フルメンバーで出陣しなければいけないような難度の高い任務なんて、任されることの方が少ない。その証拠に、今日はとある場所に湧いた小型の異形達の討伐任務が課されている。それはあらかじめ青鈴に、お前達なら楽勝だなとお墨付きをもらうほどだった。
そもそも何故ヴァイスがここまで検査の打診に対する頷きを渋るのかと言うと、勤労万歳な精神、つまり働きたい欲が無尽蔵に湧いているせいと言うわけではない。いや、確かにヴァイスは己の仕事には真面目に取り組む性質であったが、そこが主ではない。
そう、検査そのものが問題なのだ。再生という稀有な体質から元々病院などには縁がなかったが、それ故に体をいじられることに抵抗を抱いていることもある。そして何より、検査をする人物が問題であった。
「……あの人でしょ〜……?」
「うん、あの人」
弱々しく吐くヴァイスを切り捨てるみたく、ノワールは言ってみせた。普段見せる優しさはどこへやら。それほどまでにヴァイスの体を心配しているということなのだろうが、対応があまりにも強気すぎる。それは言ってしまえば、独りよがりな感情でもあった。
「じゃあこうしよう。検査を頑張れば君が望むものを一つ贈るよ。内容はなんでも良いよ? 食べ物、服、本、家具、何から何までエトセトラ——」
「そ、そこまでしなくて良い!」
こいつ、とんでもないものを天秤の片側に置きやがった。ヴァイスは慌てて彼の言葉を遮りながらそう思う。
望むものをどれか一つ、だなんてノワールが言えばそれは個の価値の上限などあってないようなもの。財源が謎なお小遣いで買った高級品でも贈られたらたまらない。ヴァイスはそこまで高望みするたちではなかったが。
と、焦る頭で考えてヴァイスは一つの結論に至った。検査に行かないデメリットは特にないのでは、と。ノワールが提示した天秤は、ヴァイスからすれば「検査に行く代わりに貢がれるか」と「検査にも行かず貢がれることもない」に分けることができる。極力貢がれたくはないヴァイスからすれば、どっちを選べば良いのかなんて分かりきってしまっているのだ。
「欲しいものとか特にないから! 僕はこの元気な体で今日も労働を」
「あれ、逆が良かった? こほん……君が今日の任務を頑張ったら、僕は君にプレゼントを贈るね」
眩暈がしそうだ、とヴァイスは思った。柔軟な頭で何よりだと現実逃避にも似た感想を浮かべるが、そこではない。この口ぶりからして恐らく、ノワールはヴァイスがものを贈られることに対して抵抗やら何やらを覚えていることを理解している。そうでもなければこの切り替え仕方はできない。
一回引っ叩いてやろうかとも思ったが、今のノワールの顔を見るにそれでも反省はしないのだろう。元々自分の欲求を我慢しない方であるということはヴァイスも知ってるし、自分が関わるなら尚更。こんな卑怯なやり口も、狙ってやっているのかそうでないのかは綺麗に作られた笑みからだと判断がつかない。どちらにせよ恐ろしいことではあるので、何も言えないのだが。
「はぁー……分かったよ。検査行ってくるから……」
完敗だとでも言うように、両手を気怠げに持ち上げる。精一杯の不満を表すために口をへの字にしてみせたが、それに対してもノワールは柔和な笑みを浮かべていた。
「うん、行ってらっしゃい。明日はいっぱい労働しようね」
緩く首を傾げてそう言う。その言い方は、まるでヴァイスが任務に来られないことを確信しているようだった。
重い足取りで寮を出る。ヴァイスを包む陽光は、まるで激励しているかのような暖かみを含んでいた。自然までもが敵か、と八つ当たりのような考えを浮かべながら、足を進めていく。
人工亜人が検査を受ける場所は病院……ではなく、彼らが造られた研究所で行われる。研究所、と言ってもそこは人工亜人専用のものではない。元々国が建てた総合研究所から派生するような形で異形や人工亜人に関する研究所が作られたため、かなり大規模な施設なのだ。
ヴァイスたち人工亜人に関連するものだと、異形対策開発局として大きく分けられ、そこからいくつかの部署に分けられている。人工亜人開発部、武器・戦闘服開発部、そして魔法薬開発部の三つ。ただこれらも体裁上組織化されているだけであり、枠組みを気にせず研究に取り組むものもいるらしい。
だがヴァイスは研究所などに関しては詳しくないどころか興味もさほどなく、あまり多くを把握してはいなかった。「色々研究してるんだな〜」という、実に質素な感想しか持っていない。直接的に関わることは少なく、そもそもヴァイスは戦闘員であって研究員ではない。特に人工亜人の開発に関する研究は極秘というのもあって、詳しく知ろうとしたことはない。
とは言っても、研究職に就いている者を除き、組織の隊員達は大半がヴァイスと同じように研究云々は興味を持っていない。だから、ヴァイス本人は研究への興味の薄さに負い目を感じることはなかった。
話を戻すが、定期検査やその他体の根本的な部分での不調を診てもらう際は、人工亜人開発部に訪れる必要がある。つまり、組織とは関係のない者が勤める総合研究所に、足を運ばなければならないという訳だ。
「……何度来ても、肩身の狭い……」
全体的に色味の薄い大きな建物——総合研究所を前にして、ヴァイスはつぶやいた。大きな建物自体には寮で慣れているが、ここはそれとは訳が違う。あそこは文字通りマイホームであり、もはや自身の領域と言っても過言ではない。それに比べて研究所のなんと堅苦しい雰囲気よ。息が詰まる思いになりながら、ヴァイスは数分彷徨わせていた足をようやく動かして中へと入った。
建物内は更に圧巻だ。受付だけでもそれがよく分かる。吹き抜けとなっているために天井へは高く、基本的に白い室内は光がよく反射して眩しい。そして忙しなく動く、研究所に勤める亜人たち。魔法使いや魔女などの亜人ノ国の種族だけでなく、他国の種族も勤めるここは、閉鎖的な関係性を保つヴァイスからすればあまりに広すぎる世界だ。
この研究所は受付の方法もなんとも近未来的で、体内の魔力をスキャンして身分や所属を割り出せるようになっている。専用の機械に手をかざせば、それに仕組まれた魔法によって自身の魔力が解析される。魔力を変換して使う魔法で、その大元である魔力を解析するなんてなんともおかしな話だ、と知った当初ヴァイスは思ったものだ。
そうして一分も経たないうちに解析が終わる。受付の人が見ているパソコンには、今頃ヴァイスの名前や人工亜人であることなどが表示されているだろう。そう思うと、自分の内側を覗かれたような気持ちになってむず痒くなる。別に受付が初めてという訳でもないのに、この感覚は拭えない。
居心地の悪さに押し潰されそうなヴァイスの心情とは真逆に、受付の人から快く迎え入れの言葉を贈られる。通行証を渡されて、小さく感謝の言葉を述べてからは、さっさと用事を済ませてしまおうと足早に目的地へと向かった。
ほとんど駆け足の状態で、建物内を迷うことなく進んでいく。ヴァイスが目指している開発局は別棟にあるので、一回渡り廊下を通らなくてはいけない。そこへ行くと極端に人の往来が減る。異形に関する研究は、他の普遍的な研究とは交わりがさほどないからである。同じ施設のもとにあるだけで、内容も何もかも大きく違う故にこの二つは実質的には別物なのだ。
生まれた場所がここなら、人工亜人が亜人関係に閉鎖的なのも頷ける。脳裏にチラつく外交的な身内のことは追い払いながらそう考える。途中、すれ違った局員の人に挨拶をしながら、ヴァイスは渡り廊下を抜けた。
局の内側へ入ると、途端に安堵感が襲ってくる。生まれた場所だからか、それともここには同族——人工亜人が占める割合が比較的多いからか、研究所の他の場所よりは落ち着ける。邪魔にならないよう入り口を避けてから、一度ふぅと息をついた。
気を取り直して開発部の方へと足を進める。廊下を進んで突き当たりを右に曲がって、そうして更にまっすぐ歩いたところの突き当たり。そこには地下室へと続く階段があった。トン、トンと一段ずつ降りていくたびに、自分のものではない寒気に背を撫でられる。魔法も使っていないのに寒いのは勘弁だな、と思いつつも、その自身の魔法よりはマシな寒さにヴァイスは身震い一つしない。
照明を絞った暗い廊下を進むと、その最奥に大きな扉がある。「人工亜人開発部」と、無機質なフォントで綴られた文字を貼っつけたその扉。右手を扉にかざせば、これまた無機質な音を立てて扉のロックが解除される。パズルのピースが一つずつ崩れていくように扉は開いていき、相変わらずすごい技術だと眺めながらそれが完全に開くのを待った。
一歩足を踏み入れれば、そこには神秘的とも言える室内の光景が広がった。この場所こそが、ヴァイスの誕生した場所だ。