【独二】二郎の部屋で初めてのキスをする独二の夏 容赦なく照りつけてくる太陽に文句を言いながら少し汗ばんだ指先でチャイムを押した。
しばらく外で待っていると慌ただしい足音が聞こえてきて勢いよく玄関のドアが開くと、中から笑顔を浮かべた恋人が俺の名前を呼んだ。
「マジごめん、宿題のノルマ終わるまで出掛けんなって言われてっから中でちょっと待ってて」
「えっ、一郎くんとか居るのか? だったら挨拶を、」
「誰も居ねぇよ。独歩が来るまでに終わらせようと思ってたんだけど意味不明すぎて無理だった」
誰も居ない、という二郎くんの言葉にほっと胸をなでおろした。
年下の恋人は夏休みの宿題をしないといけない年齢ということで、俺たちの関係は大っぴらにできるようなものではない。彼の兄や弟には二郎くんから話をしてくれたようだけど、その結果を聞かされていないのであまり良いものではなかったのかもしれない。
本来であればきちんと俺の方から挨拶に伺わないといけないと思いつつも、そのことを考えるだけで吐きそうになってしまう。ダメな大人だという自覚はあるものの、中々勇気が出ないのだ。
「おじゃまします」
そう言いながら玄関で靴を脱いで丁寧に揃える。そうしながら、うち今日は親居ないから、などと高校時代の彼女に誘われ放課後遊びに行って甘酸っぱい青春を過ごしたものだと思い出していたけれど、この話を二郎くんにするわけにもいかず小さく頭を振ってすぐに記憶を消し去る。
そして案内されたのは二郎くんの部屋だった。クーラーが効いていて涼しいけれど、この年になっても初めて恋人の部屋に足を踏み入れるというのはやはり緊張してしまう。綺麗に片づけてある感じではなく、至って普通の男の子の部屋という感じだった。
「適当に座ってて」
「分かった」
二郎くんは、終わんねぇよ、と呟きながら勉強机に向かう。誰も居ない、と聞かされているのにも関わらずやはりそわそわしてしまって落ち着かない。涼しいはずなのに変な汗がにじみ出てしまう。
「なぁ独歩」
「なんだ?」
「数学って得意?」
「……まぁ、人並みにはできると思うけど」
「マジ? じゃあさこれ分かる?」
二郎くんがプリントを持って期待を含んだ眼差しで俺のすぐ隣に座った。ここなんだけどさ、とシャーペンで問題を指していたけれど、それよりも先に距離の近さと二郎くんの柔軟剤のような柔らかい匂いにやられてしまって何も頭に入ってこない。
二郎くんと俺は恋人同士だけど付き合ったのは本当に最近だ。付き合ってからは俺の仕事終わりに二回くらい会っただけで、休日に出かけるのは今日が初めてだったりする。
なので当然、恋人らしいことはまだ何ひとつできていない。手を握ることも、抱きしめることも、だ。
「独歩? 聞いてる?」
「ご、めん……聞いてない」
「聞けよ。ここなんだけど、何回やってもできねぇんだよ」
「……あぁ、これは使う公式間違えてるよ。こっちの公式を使えばできるんじゃないか?」
「おぉ、すげぇ」
きっと二郎くんは俺を意識なんてしてないだろう。俺が心臓をバクバクさせながら告白した時も、恥ずかしがったり驚いたりせず「俺も好き」と笑顔で答えてくれた。それに俺がどれだけ救われたか、きっと二郎くんは知らない。
少しでも身体を寄せれば触れ合う距離にいて、何もするなと言う方が酷だ。煩悩まみれの頭の中をどうにかクリアにしようと試みるものの、よからぬことばかりを考えてしまって理性が吹き飛びそうになる。変な汗が止まらなくて教えてあげた公式で問題を解いている二郎くんの横顔を見つめながら深呼吸する。
「独歩、鼻息すげぇけど」
「……ごめん」
「暑い?」
「あの、二郎くん……嫌だったら言ってほしいんだけど、二郎くんに触りたいです」
「触れば? ほら、手とかでいいのか?」
二郎くんはそう言うと躊躇う間もなく、シャーペンを握っていない方の手を差し出してきた。触りたい、と言われたから手を差し出したのに、目を丸くしたまま一向に握ってこない俺に対して不思議に思ったのか二郎くんは手を止めて俺の方をじっと見つめる。
「……君は、危機感とか持たないのか?」
「別に。何かあればぶん殴るし。それに俺たち付き合ってんだから何されてもいいけど……」
大人の感覚で言えば、何をされてもいい、なんて言われたらもうそれは確実にそういうことなのだけれど、高校生の何をされてもいい、というのがどこまでの範囲なのか分からず、先ほどまで微かに思い出していた甘酸っぱい青春を再び思い出してみたものの、それはやはり今、大人の俺が考えているものだった。
「単刀直入に聞くけど、セックスしてもいいってこと?」
恋人の間にはABC、などという段階が存在する。もしかしたら今は死語かもしれないけれど、まだAのキスさえ終えていないのにもかかわらず、ABをすっ飛ばしてCに移行しようとしている自分になんて奴だと思いながらも胸の奥底では二郎くんに対しての如何わしい欲望が膨れ上がる。
俺の質問に対し、先ほどまで動揺することもなく至って普通だった二郎くんは急に顔を赤らめてボトッと握っていたシャーペンを机の上に落とした。そして口をパクパクさせながら目を泳がせる。俺の高校時代と今の二郎くんでは、認識にかなりの差があったようだ。
やらかした、と思い慌てて訂正しようとしたけれどさすがに今さら何を言っても取り返しが付かなくなって二郎くんは目をパチパチと何度も瞬きさせすっかり乾燥してしまった唇を舐めた。
「……独歩は、……俺とシたい、ってこと?」
混乱しているであろう二郎くんをこれ以上混乱させないためにしばらく黙っていると、控えめにそう尋ねられた。もちろん答えはイエスだ。食い気味に答えてしまいそうになるほど、俺は二郎くんとセックスがしたかった。
シャツの隙間から覗く白い肌がほんのり赤くなって、美しいオッドアイには俺だけを映して、綺麗な黒髪を乱し、俺の名前を呼んでくれる愛しい声が吐息の隙間から甘く溶けてしまいそうに漏れる姿を、想像せずにはいられない。
「したいよ。二郎くんとセックス、したい」
「……俺、付き合うのお前が初めてだし、だからそういうこととかしたことねぇんだ」
「うん、嬉しいよ」
「そうじゃなくて! ……っ、だから、いきなりセ……っくす、とか言われても困るっていうか……いや、俺もいつかは独歩とシたいけど、その前に……ほら、やっぱり手とか握るところから、」
必死に頭を整理しながら言葉を紡いでいる二郎くんは、途中から自分が何を言っているのかよく分からなくなってきてしまったようで、最終的には先ほどよりも顔を赤らめて再び手を差し出してきた。
白くて綺麗な二郎くんの手を両手で包み込むとドクンと心臓が大きく跳ねた。純粋な二郎くんに感化されてしまったのか、手を握っているだけなのに緊張してしまって再び二人の間には沈黙が続いた。
そしてその沈黙を破ったのは意外にも二郎くんだった。
「……キス、までなら……今日していいよ」
俺の表情を窺うように顔を上げた二郎くんの瞳には、数学を教えてもらえると思ったときと同じような期待が滲んでいた。
薄い唇は微かに震えていて、俺は二郎くんに返答するより先に握っていた手を引いてその唇を塞いだ。
「……ッ」
どうしたらいいのか分からない二郎くんはきゅっと唇を硬く結んで、肩に力を入れている。俺はというと、このまま舌を入れてもいいものか、と邪な考えを浮かべながら握っていた手をいったん放して再び触れると今度は指を絡めた。
こういう繋ぎ方をしたのも初めてであろう二郎くんはさらに身体に力を入れて身構える。さすがにこれ以上するのはまずいと思い、ゆっくり唇を離すと耳まで赤くなっている二郎くんが涙目で先ほどまで口づけてた唇を動かした。
「独歩、もう一回して」
まさかもう一度、とおねだりされるとは微塵も想像しておらず一瞬息が止まったが、その期待に応えないわけにはいかず「うん、いいよ。もう一回しよう」と言ってその唇に触れた。
クーラーの機械音と唇がくっついて、離れてを繰り返すリップ音だけが部屋に響いてしばらくの間、俺たちは時間を忘れてただただ無我夢中で触れ合っていた。