青く冷える七夕の暮れに(夏メイ) 新宿は豪雨。あなた何処へやら――イントロなしで歌いはじめる声が脳裏に蘇ってくる。いつの日かカラオケで夏井さんが歌った、昔のヒット曲のひとつだ。元々は女性ボーカルで、かなり癖のある声色が特徴らしい原曲。操作パネルであらかじめキーを変えて、あたかも自分のために書き下ろしされたかのように歌い上げてしまう夏井さんの声は、魔法のように渇きはじめた心に沁み渡っていく。
《七夕を迎える本日、都内は局所的に激しい豪雨に見舞われますがすぐに通り過ぎ、夜は織姫と彦星との再会に相応しい星空を観測できるでしょう》
情緒あふれる解説が無機質なラジオの音に乗せて、飾り気のない部屋に響く。私は自室の窓から外を見やった。俄かに薄暗く、厚みのある雲が折り重なっていく空模様。日中には抜けるような青空の下、新宿御苑の片隅で夏の日差しを感じたばかりだというのに。この時期の天候はどうにも移り気で変わり身がはやい。
(夏井さんの言うとおりだった)
新宿御苑を出てすぐ、仕事中の夏井さんと遭遇した。夏井さんは荷物の少ない私を一瞥した後、傘がないならすぐに帰った方が良いよと忠告してくれた。
まるでこの後の行動を見抜いているかのような口ぶりに、少々面食らってしまったのは事実。けれど、早めに帰宅したのは正解だった。雨予報に気づかなければ、きっと生活用品の買い出しをして、どこかほかの場所に足を伸ばそうかと考えていたに違いない。
促されるまま、寄り道もせずに帰ってきた点については何の不満もない。問題は忠告してきた夏井さんの出で立ちだ。猛暑日にもかかわらず着こなしたかっちりとしたジャケット姿はほとんど手荷物がない。天気を把握しているにもかかわらず雨に降られることすらも辞さない様相から、何かしら重要な仕事の最中と予想させるには充分だった。
豪雨に見舞われる新宿の空の下、夏井さんは何を成そうとしているのだろう。
「新宿は、豪雨――」
いつかの彼の歌声をなぞっても、当たり前のように彼のようにはうまく歌えはしないけれど。あなたが何処へ向かおうとも、行く先で息災であるようにと。
今はただ、祈り続ける他ない。