あなたは甘い、甘い毒。 傑とは高校からの付き合いになる。家から一番近い高校を選んだら傑がいた。
俺の運命。
何だかんだ、ケンカしながらも三年間同じクラスでつるんだ。
『お前、大学どこ行くの?』
『〇大』
『…初耳』
『今決めた』
俺は爆笑した。
傑は面白い。老け顔っていうんじゃないが、タッパのデカさと三白眼で輩みたいな服装を好み──それがまあ似合うのなんの──初見の印象はすこぶる悪い。が、その見た目を大きく裏切るのが一人称『私』を採用している話し方だ。意外にも程がある。意図された微笑みなんて胡散臭いことこの上ないが、それも何故か似合っていた。おまけに声もいい。知らぬ間に吸い込んでいた神経毒の様に、滑らかに浸透している。傑の作る完璧な外面に思うところがない訳じゃないが、好きにすればいいと思った。俺の横でお笑いを見て大爆笑してる様子は可愛いし、俺にブチ切れて拳を出してくる容赦の無さには胸が躍る。傑が悟、と俺を認識して名を呼ぶ行為が、どういう訳か俺を高ぶらせる。呼んでくれもっと俺をと、そういう気分になる。おかしいというより、ああ好きなのかと、俺は俺自身を分析した。俺は傑がいれば他は割とどうでもいい。傑から目を放せない。抱きたい。ぐちゃぐちゃにしてやりたい。
好きだから。
全てに納得のいく答えだった。
優等生には違いないが、俺を巻き添えにして学校をサボるとか、翌日、俺が急に体調を崩し、病院に付き添ったのだとしれっと大嘘をつくような奴だった。真面目と不真面目を両手に乗せて嘲笑う様に、可愛いなんて思うのは俺だけだろう。
高校の三年間をかけて、俺は親友にどっぷり嵌った。不思議なんだが、プラトニックを貫いた。手は出さない、そっちの方が返って興奮できた。自慰の捗ることといったらない。悪役みたいに哄笑しそうになるほどだった。俺は、もちろん傑も、それなりにモテて告白なんて片手じゃ足りないくらいされたが、俺は頷かなかったし、傑も同じだった。付き合わないのかと聞くと、『君と遊ぶより有意義だとは思えない』ときた。俺が納得した理由は、それが真実だと自負できるからだけど、傑の返答に迷いの一つ見受けられなかったのにはちょっと感動した。
○大にいくと宣言した手前か、傑は遅すぎる時期から猛勉強を始めた。自然、俺もそれに付き合うことになる。何となく、ひとりにしてくれと言われるかと思ったが、一緒に勉強したいと強請ると、傑は許してくれた。というか、俺も○大に行くとは一言も言っていないのに、そう思い込んでる傑に俺は唇がむずむずした。もしも問い質したら『え、行かないの?』ってきょとんとして返される気がして、俺はひとまず腕を組んだ。本物の『行かないの?』を聞きたい気持ちと、それならそれで触れずに胸の内に秘めておいた方がいいというような気持ちがせめぎ合った。傑に対して、こういう正反対の気持ちを抱くことが、俺にはままある。選択を間違えたくないというようなそれだった。大袈裟すぎると思うのに、俺の喉は張り付く。だから俺は黙って、○大を目指した。傑が行くのに俺が行かないなんて選択肢はない。好きだから。
俺の裕福な家のコネを使い、ふたりしてホテルのスイートに缶詰めになって勉強した。といっても、俺も傑も頭は良くて、互いに教え合ったり、息抜きと称して対戦ゲームで白熱したりしてめちゃくちゃ楽しい時を過ごした。いくら他の受験生たちにふざけんなと言われようが、俺たちに桜は咲く。
『で?将来は何になんの?』
『…悟は?』
『俺は会社勤めとか無理』
『私もだなあ』
『俺たちで何でも屋でもする?』
『銀さんみたいに?』
満更でもなさそうに思案してる傑に俺はまた唇がむずむずした。傑とのバラ色の未来を思って唇を舐めた。
『仕事くらいは、悟と別がいいな』
『えー、そんなこと言うなよ』
俺は心底がっかりしたものの、傑の意思を尊重したい気持ちの方が勝る。俺の執着心とか独占欲とかセックス願望は二の次だ。傑が誰かひとりのものにさえならなければ、そこだけが守られるなら俺は引き下がれる。
『悟は、何かなりたいものってないの?』
『俺何でもできんだよなあ』
『そうだねえ』
『何になってほしい?』
傑が俺を見つめる。俺も見つめ返す。なのに視線が合わない、なんてことを思った。
傑を繋ぎ止める、絶対に。
ずっと、そう思っている。
機械語を組むことが好きだった僕は、それを商品にした会社を立ち上げた。社員は僕ひとり。傑も誘ったけれど、断られた。私そんなに頭よくないよなんて、○大卒が言ったら嫌味になるぞと叱ったら、あははとはぐらかされた。
一人称を『僕』にしたのは、そう言う俺が見たいとかいう、傑のよく分からないお願いに端を発する。商談の際は『私』にしているし、普段の使い分けが苦になることもないのだが、傑が嬉しそうに頷いたものだから絆されてしまった。
院を出たタイミングで、以降のルームシェアをどうするかという話になった。継続を申し出ようとした僕は、傑に先を越されて、どう言いくるめようかと思っていた分、嬉しさが爆発して思わずハグをした。僕は当然として、傑も未だ恋人のできる気配はなく、この適齢期に親友との変わらぬ同居を申し出てくれた。抱き締めた傑は少し痩せていて、おやと思うが、覗き込んだ傑に無理をしている様子は感じられない。食事も睡眠も一緒に住んでいる僕と同じだけ取っているはずだった。
傑がどんな仕事に就いているのか、実は僕はよく知らない。聞いても色々という答えしか貰えない。食い下がることは可能だが、そこでその選択肢でいいのかという、僕の長年の癖が発動する。僕は傑を見ていることしかできなくなる。
「傑、ちょっと痩せてる?」
「わかる?」
「え、何で?」
「…分からないんだよね」
「…はあ?」
「ちゃんと食べてるんだけど」
「だよね」
「だろ?」
目を伏せてしまった傑を、僕は下から覗き込むように見つめた。動く瞳があるのに、僕のそれと合わない、気がした。
「疲れてる?」
「別に」
「お腹減ってない?」
「少し」
「ドライブ、行く?」
社長でもある僕は好きに休みをとることができる。傑は今日は、家に居た。いいね、と顔を上げた傑は嬉しそうにしたけれど、少し疲れているようにも見えた。僕の気の所為ならいい。
三日間の出張が決まった。基本、自宅でまわる自由業だが、クライアントの要望に応えきる為には現地まで足を運ぶこともある。
「お土産何がいい?」
「泡盛」
「即答」
ふふふと笑う傑の頬にキスをする。僕と傑はお付き合いを始めた。僕としては一生言わないくらいのつもりで、傍にいられればいいという気持ちでいたのだけれど、突然、その時は訪れた。しかも、傑の口からだった。半分酔っていた傑の冗談だろうと予防線も張った。でも違った。
『悟、私を、捕まえていてくれないか』
できれば、一生。
そう、呟いた傑の目を見て、そこに映る僕の影に、僕は誓った。
一生、捕まえている。だから安心して。そう誓った。
傑は時々、掴みどころがなくなる。それが最近顕著になってきているように思う。僕としてもこの不安は漠然として言葉に表して告げることが難しかった。傑自身が、そんな自分に戸惑っているようにも感じた。傑も上手く言い表せないんじゃないかと、だから、ふと、ほろ酔い気分から零れ落ちたのかもしれないと思った。それでもよかった。一生をくれるのなら。
そういう意味で付き合ってほしいと僕から願った。傑は頷いてくれた。僕は、十年踏み固めてきた恋心を掘り起こし、傑が酸欠で寝落ちるまで、熱い唇を貪った。一線をいつ超えようか。唇がむずむずする。
四日目の昼、けれど、帰宅した僕を迎える声はなかった。出かけているのだろうか。特に連絡は入っていない。傑が何をして金儲けをしているかを知らないが、それなりに国外を飛び回り、家を空けることは傑の方が多い。翌朝になっても傑は帰って来なかった。連絡もない。いい大人ではあるけれど、無断外泊なんて初めてだった。シンクと寝台は片付いている。いつもと何も変わっていない。いつくかある傑のスーツケースがひとつだけ無くなっていたから、出かけたのだろうことは分かるが、僕に黙っていくというのが腑に落ちない。
電話を掛ける。出ない。知っている傑の交友関係先にそれとなく探りをいれても足取りは掴めなかった。
僕はソファに腰を下ろして天井を仰ぐ。嫌な予感と、諦めがある。落ち着いている。僕は取り乱さない。それが、哀しいと思う。僕は何を予感して、諦めて、動けないのだろうか。分からない。いや、分かっている。傑はきっと何でもない顔をして帰ってくるだろう。連絡も寄こさず、何をしていたのかと問い詰めてもはぐらかされて終わり。それじゃだめだ。いやそれでいい。いや、どうだろう。
「わっかんねえんだよなあ…」
傑が好きだ。なにものにも代えがたい。傑が何をしても仕方がないから、受け入れたいと思う。でもそれは正解だろうか。それで本当にいいのかと思うし、いいのだとも思う。いや、よくはない。でも執着は過ぎれば毒になる。自分も相手も狂ってしまう。
傑はもう、狂っているのに?
「いやいや、何言ってんだよ」
僕は声に出して笑ってみた。カチコチと過ぎていく時の音に、息が詰まる。こうしている間に、何かとんでもないことが起こってやしないだろうかと。そうだとしても、自分にできることがあるとは思えない。何ができて、何ができないのか。また間違えるのか?何を?俺は何か、間違えたのか?それは、いつ?
「どうしようもねえだろうが」
呟いていた自覚は、遅れてやってきた。僕は眉を寄せる。掴みどころがない。まるで、傑のように。この僕自身が──。
「ただいまー!」
僕ははっとして立ち上がった。ソファを乗り越え、玄関へと走る。
「どこ行ってた」
傑に抱き着いた。スーツケースは持っていない。
傑は黙っている。けれど、僕の背を抱き返す両腕がある。
「誰か殺した?」
「え…」
僕と傑は見つめ合った。
「殺すわけないだろ」
「それは良かった」
傑の指先が僕のシャツを引き掴む。僕は傑の頬を掬ってじっと瞳の奥を見つめた。誰かがいる。傑の中に。そして今、僕の中にも。
「今の私がこれほど脆弱だとは」
「そうかな。呪術師でもないのに同じ大義掲げてるじゃん」
「単に殺せなかっただけだ」
「正解だよ。お前よりよっぽど強い」
「言うじゃないか」
僕は傑を抱き締めたけれど、本当の僕が、本当の傑を抱き締めたわけじゃないと思う。傑も何となく分かっているのかもしれない。僕たちは大人しく、するがまま、されるがままに、ただじっと、抱き締め合った。
傑は他人に心を砕く主義だ。不特定多数にそういうことができない人間である僕からすれば、お節介にしか見えないけれど、否定することは違うと思う。傑の根っこは、優しくて、潔癖で、理不尽を許さない。そういう自身との折り合いがつかない場合、ズタボロになって死んでしまうとしても、その誇りが良しとしてしまう。それに気付かされた時、僕はぞっとした。傑は他人の為に死ねる。傑の為にしか死ねない僕とは根本的に分かり合えない。責め立てて情に訴えても無駄なくらい、傑は頑固で、傑を失っても僕なら生きていけると考えている。
前もそうだったように。
これは、前世の記憶だった。傑と同時に思い出した。
今世は平和そのものだ。なのに、前世の介入らしきものが、僕たちを襲っている。傑であって、傑じゃないもの。僕であって、僕じゃないもの。
傑の不在に放心状態になった僕、傑に向かって誰かを殺したのかなどと宣った僕、いつもの僕ならありえなかった。
傑は、スーツケースに死体を入れるつもりだったと言った。誰のと聞くと、分からないと。ただ、必要になるかもしれないからと、持ち出した。どこに放り出してきたのか分からない。
分からない感情に勝手に手足が動く。殺したい人間、愛したい人間が突然、現れる。冗談じゃない事態だ。
これが運命だなんて、冗談じゃなかった。
僕と傑を介して、前世の僕と傑が、死に別れる結果となった前の僕たちが再び相見える。確かに彼らは五条悟であり、夏油傑だ。けれど、死人だ。もう死んだのだ。
あなたたちは、今更何がしたいのだろう。
僕と傑を使って。
何を。
「傑」
「ん」
僕は傑を呼ぶ。あいつじゃなくて、僕の傑だ。傑にも分かってほしかった。僕は、あの僕じゃないってことを。
「僕はあいつじゃない」
「悟」
傑が僕の頬に掌を当て、ごめんと、言った。
「どうして?」
「私は、かつての私ではないけれど、でもやっぱり、私なんだ。スーツケースを持って出て行くことをやめようと思えば、きっとできたと思う。でも…」
「でも帰ってきただろ。僕のところに」
「…うん」
「お前が強くて、助かった」
僕に残されている手段は、思いつく手段は、傑に手錠をかけることくらいしかない。僕じゃ、傑を止められないから。僕では、傑の選択に食い込めない。絶対的に、逆も然りであるように。
傑の感性は、どんなものにも穢されない。家族もののドキュメンタリーや、子供の命がかかった映画やドラマでよく号泣している。僕も感動はすれども傑ほどじゃない。映画館でハンカチに顔を埋めて泣き崩れる傑を、僕は大人しく待っていたりする。ホームシアターで二度目に挑んでも同じくらい泣いてる傑に溜息が零れるけれど、熱くなっている背中を抱き寄せることができるのは、僕だけだという充足感には泣きそうになる。
前世の傑も、そうだったのだと思う。だって泣いていた。鼻水垂らして。揶揄ったら殴られた。覚えている。前世の僕が正論を嫌ったのは、いつかそれに、傑が耐えきれなくなる可能性を否定しきれなかったからだ。弱者の気持ちも、強者の気持ちも僕にはどうでもよくて、僕が考えるのは自身と傑のことだけだったのに、ずっとそうだったのに、僕は傑に打ち明けられないまま、傑は結果だけを置いて行った。僕は頼られなかった。
僕自身、頼ろうと思ったことがそもそもなかった。発想がなかった。そんな僕が、傑に頼ってほしかったなんて言えるようになったのは、傑がいなくなって、ひとりになってからだった。教職に就く傍ら、当主に就いた傍ら、傑がいればなあと何百回思ったことか。傑の意見が聞きたいと何千回思っただろう。
いつか傑を殺すその時を待ち侘びた。僕に残された傑にできるたったひとつのことだった。
守りたかったのは傑だ。
大事なのは、大切なのは傑だった。
僕がそうと分かることは、死ぬまで一貫して、それだけだった。
他人も、世界も、僕自身でさえ、傑の存在に敵わない。
傑を失った僕を動かしていたのは、傑と過ごした三年に満たない記憶だ。傑に必要とされ、僕も必要とした事実に、死ぬまで浸っていたかった。捨て去るにはいとおしくて、僕は僕を動かすようにして生きて、死んだ。
弱者生存という正論の真逆を突っ走った傑にほら見たことかと呆れながらも、死ぬまで僕は傑がいとおしかった。
全員ぶっころしてやろうかなと、お前も含めてと、僕は傑に言ったことがある。違う意味で、世界も自分もどうでもいいと思っていた頃だ。どれだけ取り繕っても、僕は人間兵器だ。全ては僕の自我にかかっている。そんな僕に、傑は言った。弱者生存を掲げたお前は生き生きと言い放った。ウケた。最高の信頼だった。
『つまり、悟となら世界を取れるってことか』
『乗るか?』
『乗る』
『即答』
『あはは!』
本当に、生き生きとしていた。生き生きとして死んでいった。僕を残して。
「悟は、怒ってる?」
「どっちの僕?」
「昔の」
「どうだろう」
どちらからこともなく、キスをし合った。今の自分が、どの自分なのか、曖昧のまま僕は、恐らく傑も、あやふやのまま。
傑の瞳を覗く。オマエがいる。
「裏切ったと思ってる?」
傑が言う。
「思ってない」
僕は答える。
「らしいというか、何も考えていないというか」
「失礼だな」
ふふふと笑う傑に胸が締め付けられる。嬉しいのだ。傑ともう一度、話せることが。僕は分かった気がした。これは、前の僕の未練だ。前の僕は拗ねている。ただ、拗ねているのだ。ならそう言えばいいのに、言えないみたいだった。言いたい相手は死ぬまでずっと、死んでいたから。
「傑…」
僕は、僕に僕を明け渡した。親友だよ、なんて、今わの際、もっと他に言いたいことがあっただろうに、格好をつけて看取ったんだ。だからもう言ってしまえ、今なら言える、そうだろう?ここは、傑を呪ってもいい世界だ。僕の声で何を言っても想いは呪いになんてならない。
僕から零れた涙に、傑が目を瞠る。これは昔の僕の涙だ。驚く傑も、前の傑なのだろうか。そんな気がした。
「…オマエ、未来の僕たちに申し訳なくないの?」
「全然」
「こんなおかしな体験させて」
「だって、私だし」
「開き直るなよ」
「君こそ、何だか面倒臭い性格になってるじゃないか」
「誰の所為だと」
段々、今の傑と、前の傑の区別がつくようになってきた。気がするだけだけど。傑が小さく笑ったかと思えば、すぐにむっとする。今の傑が、前の僕たちの会話に暢気にも笑って、それに対して、前の傑が不満を持ったのだろう。
まったく、ホラーだ。
「悟…」
傑が、今の傑が、今の僕を呼ぶ。僕は傑に頷く。合わさった瞳に、笑みが零れると同時に、キスだけじゃもう駄目だと思った。
「うん、タイムリミットだ。折角、前の傑が呼んでくれたのにね。僕ったら意気地がない」
「悟は厳しいね、自分相手だと」
「当然」
「なら、私ももうお終いだ。君に、私じゃない私を見てほしくない」
「ひえ、そんなこと言う奴だった?」
「はは、そうみたいだね。駄目?」
「全然~」
すうっと前の僕が遠のいていく。傑もだろう。ばちりと瞬きをしてから僕を見た表情に、ぶわりと全身が粟立つ。僕の欲望が目を覚ます。
「悟」
「ん?」
傑の頭を抱き寄せた時、ぽつりと零れた傑の声は、温かいながらも、苦しそうだった。
「君の匂いを、覚えてる。大好きだった」
優しい傑は、前の自身にさえ甘ちゃんらしい。僕は違う、多分。僕は傑以外は千尋の谷に突き落とすタイプだから。それが如何に、いとおしいものたちでも。かえってそれが、僕のよくない、傑にとってもよくないことだったのかもしれないけれど。
おかしな体験に苛まれながらも、僕たちはプラトニックを卒業した。前世分を加味するととんでもなく長い期間の一途が、報われた。
「傑ってさ、何の仕事してるの?」
久しぶりに聞いてみた。
「何でも屋」
「え、マジで?」
「うん」
「…誘ってよ!」
「あはは!」
生まれ変わってもう一度なんて、本当に叶うなら、僕もまた、傑と生きたい。でもその時は、その時の僕たちにこんなおかしな体験はさせないぞと肝に銘じる。おかしな教訓ができてしまった。
運命だと口にすることは容易くて、僕も例に漏れず、傑との出会いをそう位置づけていたけれど、昔の僕がその不確かな運命というものに、命を賭けるくらいの想いを込めて死んだのを知ってから、自分であって自分じゃない男の執念に、実はちょっと感動していた。手錠なんて厭わない僕の性質は前世譲りで、手錠なんかじゃ気休め程度にしかならない傑のはちゃめちゃさも、前世譲りのようだ。
今、僕たちはアマゾンくんだりまで幻の花を追いかけている最中だった。傑ってば、本当に面白い奴だよ。道中、寝ている僕の薬指にリングを滑らせて、気付いた僕の呆気に取られた顔を見て爆笑をかますような、最高の恋人だ。
前世を思い出してから、傑はどこかはっちゃけてしまった。逆に僕からはスマートさが失われ、傑に振り回される日々。幸せだった。どうでもいいことの中で生きて死んだ前の僕。その僕の呪いは、来世で傑と一緒にいたいという切なる呪いは、見事、成就したようだ。僕のお陰でね。
卵が先か、鶏が先かというような、前世があるから好きになったのか、だから好きなのかという僕の迷いを、傑は一言でぶった斬った。惚れ直したことは言うまでもない。
「は?前世とか関係ないだろ。ハゲるよ?」
心臓を撃ち抜かれ、地獄へ落ちる間際、私が最後に閉じたのは、視覚ではなく、聴覚だ。呼吸は止まっても、音はまだ聞こえるという話はどうやら本当だったらしい。自身で体験すると思ってやしなかったが。
それは悟の声だった。悟と私しかいなかったのだから、当然といえばそうだが、聞き間違えるはずがないというのが本音だ。
「傑、来世で待ってて。お願い」
泣き声だった。私の命を送ったのは、この悟の涙声だった。きゅうと痛んだのは、私の魂だろうか。
出奔して以降、私はあらゆる我慢を放棄した。そうでなければ、大儀を掲げた意味がない。私を止めるものが、私であっては意味がない。そういう覚悟を持った。
そうしたことで、悟への好意にも素直になれたことは、ささやかながら、私の救いになった。とはいえ、成就を願うものではない。これは私の一方通行。悟とは親友だった。それだけの過去だ。十分だった。悟は怒っただろう、傷ついただろう、憐れんだだろうか、呆れただろうか、何にせよ、私は最期に齎された悟の一言に、心底驚いた。
親友だよと。
呆気に取られた。何だそれは。まだそんなことをと。そんなセリフを言ってくれるのかと。驚きと、感動と、嬉しさと、ふざけるなという気持ちがあった。私の成した事象など、悟にとっては親友の犯したちょっとした面倒事にすぎないのかと。
私の中にあった悟への情が、最期にかっと燃え上がった。親友だといってくれたことへの感謝か、変わらずにあり続けられることへの嫉妬か、いや、両方だろう、懐かしいような高専時代に戻ったかのような心持ちに、思わず吹いてしまった。
悟のことを思い出しては、笑っていた。
悟がいなければ、私は笑えない。
私は、その場所から降りたのだ。
来世──。
もしも、そんなことが叶うのなら。地獄で夢を見られるのなら。
次は、君に打ち明けられる私でありますように。
願わくは、君に捕まえて貰える私で、ありますように。