「ごめんね」とたった一言で三矢ユキを知ったのはオーディションの時だった。今まで産まれてからちやほやされた私と違って、ユキは普通の高校生であった。陸上部に入っているらしい。
帰り道、ユキと一緒になった。お互いの間に流れる沈黙。先に口を開いたのは、ユキだった。
「私、今日思った。二階堂さんならきっと合格するよ。」
「え?何いきなり?」
「二階堂さんにはカリスマ性もリーダーシップもある。私なんかじゃ到底敵わないよ。」
そう言ってユキは笑った。
「お腹空いたね。何か食べて帰ろっか。」
「…そうだね。」
近くのファミリーレストランに入って各々好きなものを注文する。相変わらず2人の間には沈黙が流れていた。ユキは頬杖をつきながら窓の外を見つめ、私はメニューに目を通していた。そして、聞いた。
「三矢さんはなんでオーディションを受けたの?」
「んー。私、本当はアイドルはちょっと…って思ってたんだ。親が勝手に申し込んだだけだからさ。」
その言葉に私は少しムッとした。
「でも私、二階堂さんのダンスを見て思ったんだ。二階堂さんがいるなら、楽しいことが出来るかもって…まぁ理由になってないけどね。」
そう言ってアイスティーを飲みながら淡々と、少しはにかみながらユキは話した。
やがて料理が運ばれ、2人でちょっと早い夕食を摂ることにした。
「私は、頂点に立ちたい。三矢さんはその覚悟がある?」
暫くの沈黙のあと、三矢さんははにかみながら言った。
「二階堂さんとなら、どこまでも。」
それから数日、私、ユキ、市村さんの3人が選ばれた。
「合格おめでとう。俺はお前たちのマネージャーの山本だ。よろしく。」
市村さんが「うわ、イケメン…」と小さい声で言っているのが分かる。そうか?
「今日からトレーニングに入る。2泊3日の強化合宿だ。」
「え、聞いてないですけど。」
「陸上部、大丈夫かな…」
「広いお風呂…!」
それぞれ何かを言っていたが、山本がそれを遮る。
「あくまで強化合宿だからな?」
「はーい。」
自宅に帰り、旅行の支度をする。山本から渡されたのは私達のデビューシングル予定の「超常恋現象」のCDと楽譜だ。私のパートが多い。私は少しニヤついていた。
ところは変わって、軽井沢。
「よろしくお願いします。」
「今日からあなたたちを指導する四方田よ。よろしくねん。」
…オカマか。私はこれからに若干の不安を覚えながら、声出しを始めた。
「んー、二階堂ちゃん少し肺活量が足りないわねぇ。超常恋現象は比較的高い曲だから肺活量が必要よん。」
確かにこの曲の音程は高い。ユキは軽々と自分のパートを歌っていた。
「ユキちゃんはあれね、陸上部だから肺活量はあるわねん。もう少しお腹から声出せるかしらん?」
「は、はい。」
流石の三矢ユキも少し引いてるようだ。
あっという間にレッスンは終わり、夕食の時間だ。その前に3人でお風呂に入ることにした。
「んー!広いお風呂最高!」
「市村さん家は家族が多いんだっけ?」
「うん。だからゆっくりお風呂に入れなくって。」
「そっかぁ…大変だね。」
お風呂から上がり、夕食を食べ、部屋に行く。部屋にも楽譜台と楽譜が置いてあった。練習しろってか。まぁ、強化合宿だからしょうがないけど。
部屋に備え付けのCDプレーヤーにCDを入れ、イヤホンを差し込む。音程、リズム、ブレスのタイミングを何度も何度も聞き返して体に叩きつける。それが私のやり方だ。
10回以上「超常恋現象」を聞いたあと、イヤホンを外すと、トントン、とドアが叩かれた。開けるとユキがいた。
「三矢さん、どうしたの?」
「二階堂さんと少しお話したいなって。あ、迷惑だったかな?」
「いいよ。どうぞ。」
ユキを中に入れる。フワッと香るフローラルな香り、思わず聞いてしまった。
「三矢さん、シャンプー何使ってるの?」
「え?パンテーンだよ。」
「そうなんだ…。いい香りだったから…。」
「うちは全員パンテーンだよ。」
「そっか…。中入れば?」
「うん。ありがと。」
2人してベッドに座る。私は冷蔵庫からお茶を取り出してユキに渡した。
「ありがとう、優しいね二階堂さんは。」
「…別に。優しくなんかないよ。」
「これ、二階堂さんが録った超常恋現象?」
「うん。」
「聞いてみてもいいかな?」
「別に構わないけど…」
しばらく。ユキはヘッドフォンをし、私はつまらないテレビを流し見していた。ユキがヘッドフォンを外す。
「やっぱり二階堂さんは歌が上手いね。高音が綺麗に出てるし、ビブラートもしっかりと掛かってる。」
「…ルイ」
「え?」
「ルイって呼んで。」
何でそんなことを言ったのか、自分でも分からない。けど、ユキにだけはそう呼んで欲しかったのだ。
「え、えっと…ルイ…ちゃん?」
「ルイ」
「ルイ。」
「そう。私もあなたの事、ユキって呼ぶから。」
そう告げると、ユキはくすっと笑った。
「なんかくすぐったいね。ルイ。」
「何か急に恥ずかしくなってきた…」
ユキからは、女の子特有の匂いがした。フローラルでいて繊細な花のような。
…気付くと私はユキを押し倒していた。
「ルイ?」
「…好きになっちゃった、貴女の事。」
「え、」
「ごめんね」
ユキが何かを言う前に私はユキの唇を塞ぐ。しばらくして、口を離すと。唾液が糸を引いていた。
「…いきなりごめん。」
「…私は平気だよ。ルイ。付き合っちゃおうか。」
私は心底驚いた。容姿端麗、陸上部のユキからそんな言葉が出るなんて。
「でも…」
「女の子同士でも構わないでしょ?あ、ファンの皆さんには内緒だよ。」
唇に指を当てる。私は真っ赤な顔で頷いた。
翌日。ダンスレッスン。
「今日は少しハードよん。振り覚えて来たかしらん?」
「やば。あんまり覚えてないかも…」
「私が隣にいるから、私のマネしてね。」
「う、うん。」
ダンスレッスンが3時間続く。休憩を迎える時にはみんなグタグタだった。私は床に寝そべっていた。
「…ルイ」
「ひゃっ」
そこなには冷たい飲み物を持ったユキがいた。
「はい。水分補給大事。市村さんも。」
「あ、ありがとう!」
地獄のダンスレッスンが終わり、私はシャワーを浴びる気力も無くベッドに横たわっていた。
「ルイ、お風呂入らないと不潔だよ。」
「わぁっ!?どうやって入ってきたの!?」
「スリッパがドアに挟まってたよ」
マヌケである。
「ねぇ、一緒にお風呂入ろ。疲れ取れるよ。」
「え、やだよ。」
「いいから。」
そう言ってユキが私をだっこする。さすが陸上部。力持ちだ。
「じゃ頭流すね。」
何故かユキに頭を洗われる私。しかし気持ちが良かった。
「ルイ、髪の毛サラサラだね。」
「まぁトリートメントは欠かしてないからね。」
「あとで私のトリートメント貸してあげるね。すごいサラサラになるよ。」
「…ありがと。」
結局ユキに体も洗われ、私がユキを洗う番になった。
「ユキもさらさらだね」
「さっきのトリートメントのおかげだよ。」
同じくユキの体を洗い、2人でお風呂に浸かる。
「超常恋現象、きっとルイがエースなんだろうね。」
「…さぁ。あのトレーナーとマネージャー次第だけどね。でもあたしはトップに立ちたい。だからエースの座は絶対取ってみせるから。」
「頑張れ、応援してる。」
「ユキは?エースになりたくないの?」
「私はサブでいいの。ルイが歌ってる横に立ってたいから。」
「…恥ずかしいこと言わないでよね。」
「そろそろ上がろっか。」
あっという間に強化合宿が終わり、レコーディングが始まり、超常恋現象が発売された。売り上げは比較的好評で、初めて音楽番組にも出演した。
その後間も無く新曲の楽譜とダンスDVDが配布された。何度もDVDを見ては振り付けを覚えて、何度も音楽を聞いて研究した。次も私がエースだ。
…そう思っていた。
その日はマネージャーと事務所の社長の前で振り付けを披露する日だった。エースが決まる日でもある。
社長が言った。
「次のセンターはあの子にしよう。」
社長が指を指したのはユキだった。
「わ、私には無理です!」
「君がいいんだよ。これは決定事項だからね。」
そう言って社長が出ていく。レッスン場は険悪な空気に包まれた。
その日、私はユキを自宅に呼んだ。
「ル、ルイ?」
ユキを押し倒す。
「センターの座譲ってくれない?」
「私に言われても…」
「社長に直談判するから。」
「それはんっ…構わないけど…っ」
私はユキの首筋を血が出るまで噛んだ。うっすらと滲んだ血を舐め、ユキを開放する。
「…私のこと好きなら変わってよ」
「社長に…」
「…もういい。帰って。」
ユキが帰り支度をして、ドアを閉める。
パタンという軽い音と共に私は泣いた。
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「遅くなっちゃったな…。早く帰らなきゃ。」
私はルイに噛まれた首筋を触りながら、帰路に着いていた。
その刹那。
いきなり意識がブラックアウトした。
気がつくと、私は何者かに縛られていた。
「貴女がいなくなればあたしが貴女の代わりになれるの。不幸だと思って。」
そういうとその何物が私の頭にビニール袋を掛ける。
「昔マンガで見た方法だけど、効くのかな!」
その声を聞いた瞬間、頭に打撃が走った。
ガッガッと暗闇に鳴る頭を殴る音。意識が混濁した私の首に、ロープが撒かれた。
「ぐっ…あっ…」
「あんたが死ねばあたしがアイドルになれるの…!死んで!」
混濁した意識は光へと変わり、そして私は目を閉じた。
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冷静になって考えてみると、社長のせいだ。ユキのせいじゃない。
「謝らなきゃ…」
ユキは事務所に忘れ物を取りに行くと言っていた。今なら事務所に着いた頃だろう。私はタクシーを捕まえて事務所に向かった。
「…ユキ?」
事務所は暗かった。
「いるの?電気付けるよ?」
電気を付けると、ビニール袋を被った何かが椅子に座っていた。
「…ユキ?」
ビニール袋を取ると、頭から顔を真っ赤にしたユキが出て来た。私は咄嗟にあとずさる。
「何だ?誰かいるのか…うわっ!二階堂!?」
「山本さん…!」
「三矢…二階堂お前がやったのか?」
「そんな訳ないじゃん!ユキ!起きてよ!」
冷たくなったユキの体を揺さぶる。その体は床に倒れ込んだ。